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(大人になった今も37度前半の微熱は全く平気で
普通に行動しています。)
ある時の授業中 何となぁ~く ポヤンとするなぁ・・・と
ふと手を見ると いつになく青々とした血管は
ポコッと浮き上がり、血の気が引いた白魚のような手は
一層青く見えました。なんか、いつもと違うなぁ・・・・
ちょっと熱いなぁ・・・と ぼんやり思っていると、
いつもと少し違う私の様子に いち早く気づいた友達が
授業中 先生を呼んでくれました。
「あら、shokoちゃん、こんなに熱があるじゃない」と
保健室へ連れて行かれました。熱はドントンあがり
これはまずいと感じた保健の先生は自宅に電話を入れ
母に迎えに来てもらいました。
「本当に我慢強いお子さんですね」と保健の先生が
そう母に言ったのを昨日のことの様によく覚えています。
良くも 悪くも 私は 我慢強いのかもしれません。
また、自分が納得して決めたことに関しては
弱音を吐かず 真摯に取り組み、結果に繋げる強さ(?)
のようなものはあるのかな、とちょっぴり自負しています。
ある時は ドッヂボールの陣地を取りに走っていた時、
コンクリートの上で変な転び方をし、起き上がると、
首が横に傾いたまま 元に戻すことができず、
それでも そのままドッヂボールに参加していました。
「shokoちゃん、首が回らないから、味噌っかすでね~」
(当てないでねの意味) と 友達が言ってくれ、
首が横に向いたままの状態で ドッヂボールをし(笑)
更にその後も授業を受け 首が片方に向いたまま、
歩いていつも通り帰宅し、驚いた母に
すぐに整形外科につれて行かれました
3月10日頃からポツポツと身体に湿疹が出来始めました。
初めてオーガニックオイルというものを注文し、
毎日 お風呂上りに身体に塗っていました。
パッチテストも問題なかった為 毎日使っていました。
ところが・・・1週間を過ぎた頃から 湿疹が・・・・
香りは気に入っていましたが 即 使用を中止しました。
湿疹のきっかけはオイルに思えましたが、それでも
初めてオーガニックオイルというものを注文し、
毎日 お風呂上りに身体に塗っていました。
パッチテストも問題なかった為 毎日使っていました。
ところが・・・1週間を過ぎた頃から 湿疹が・・・・
香りは気に入っていましたが 即 使用を中止しました。
湿疹のきっかけはオイルに思えましたが、それでも
こうかな? ああかな?と
その原因を探している わたしがいました。
季節がら、日によっては 汗ばむこともあったので
ただの あせもかな? と 思ってみたり
丁度 花粉の時期だったこともあり
その原因を探している わたしがいました。
季節がら、日によっては 汗ばむこともあったので
ただの あせもかな? と 思ってみたり
丁度 花粉の時期だったこともあり
この湿疹はそれも関係しているのかな?等々・・・
そしてまた、とても簡単に考えていて
季節特有のなにがしかであればその季節が過ぎれば
自然に症状もおさまり、もし オイルが原因なら
即 使用を禁止したのですぐに 元の肌に戻る、
そう信じていました。
けれど、それから数週間が経ち、
3月下旬になっても湿疹はいっこうにおさまらず、
顔、頭、腹部以外ほぼ全身に広がっていきました
身体の広い範囲にできた湿疹は、
敢えて見ようとしなくても
自然に目に飛び込んでくるのでそれを見ると益々
痒みも増す感じでした。
頭の中では「掻いてはいけない」と分かってはいても
かき壊してしまう日が続き、4月中旬とうとう、
痒くて眠れない日が2~3日続き それをきっかけに
これはもう 自然治癒力を信じてなどと
悠長に構えている場合ではないと思い、
4月18日に皮膚科を受診しました。
実はその2日前から、副作用もなく
解毒してくれるという白湯を飲み始めました。
会社員時代(20代前半)急性胃炎になった位で
これ迄大きな怪我や病気をしたことはありませんでした。
(この時 数週間後に迫った 楽しみにしていた
初となるヨーロッパへの海外旅行は断念しましたが、
少しの間 薬を服用し完治しました。
もう、2度と胃カメラは飲みたくありません)
子供は皆そうなかもしれませんが 私の場合特に?
熱に強かった事もあり、38度位の熱が出ても、
割と平気で 休み時間になれば 率先して
ドッヂボールの陣地を取りに校庭に走りました。
そしてまた、とても簡単に考えていて
季節特有のなにがしかであればその季節が過ぎれば
自然に症状もおさまり、もし オイルが原因なら
即 使用を禁止したのですぐに 元の肌に戻る、
そう信じていました。
けれど、それから数週間が経ち、
3月下旬になっても湿疹はいっこうにおさまらず、
顔、頭、腹部以外ほぼ全身に広がっていきました
身体の広い範囲にできた湿疹は、
敢えて見ようとしなくても
自然に目に飛び込んでくるのでそれを見ると益々
痒みも増す感じでした。
頭の中では「掻いてはいけない」と分かってはいても
かき壊してしまう日が続き、4月中旬とうとう、
痒くて眠れない日が2~3日続き それをきっかけに
これはもう 自然治癒力を信じてなどと
悠長に構えている場合ではないと思い、
4月18日に皮膚科を受診しました。
実はその2日前から、副作用もなく
解毒してくれるという白湯を飲み始めました。
会社員時代(20代前半)急性胃炎になった位で
これ迄大きな怪我や病気をしたことはありませんでした。
(この時 数週間後に迫った 楽しみにしていた
初となるヨーロッパへの海外旅行は断念しましたが、
少しの間 薬を服用し完治しました。
もう、2度と胃カメラは飲みたくありません)
子供は皆そうなかもしれませんが 私の場合特に?
熱に強かった事もあり、38度位の熱が出ても、
割と平気で 休み時間になれば 率先して
ドッヂボールの陣地を取りに校庭に走りました。
(大人になった今も37度前半の微熱は全く平気で
普通に行動しています。)
ある時の授業中 何となぁ~く ポヤンとするなぁ・・・と
ふと手を見ると いつになく青々とした血管は
ポコッと浮き上がり、血の気が引いた白魚のような手は
一層青く見えました。なんか、いつもと違うなぁ・・・・
ちょっと熱いなぁ・・・と ぼんやり思っていると、
いつもと少し違う私の様子に いち早く気づいた友達が
授業中 先生を呼んでくれました。
「あら、shokoちゃん、こんなに熱があるじゃない」と
保健室へ連れて行かれました。熱はドントンあがり
これはまずいと感じた保健の先生は自宅に電話を入れ
母に迎えに来てもらいました。
「本当に我慢強いお子さんですね」と保健の先生が
そう母に言ったのを昨日のことの様によく覚えています。
良くも 悪くも 私は 我慢強いのかもしれません。
また、自分が納得して決めたことに関しては
弱音を吐かず 真摯に取り組み、結果に繋げる強さ(?)
のようなものはあるのかな、とちょっぴり自負しています。
ある時は ドッヂボールの陣地を取りに走っていた時、
コンクリートの上で変な転び方をし、起き上がると、
首が横に傾いたまま 元に戻すことができず、
それでも そのままドッヂボールに参加していました。
「shokoちゃん、首が回らないから、味噌っかすでね~」
(当てないでねの意味) と 友達が言ってくれ、
首が横に向いたままの状態で ドッヂボールをし(笑)
更にその後も授業を受け 首が片方に向いたまま、
歩いていつも通り帰宅し、驚いた母に
すぐに整形外科につれて行かれました
恐怖や痛みで私が逃げ出すと思われたのか?
看護婦さんに凄い力で肩を抑えられ首の付け根辺りに
注射されました。今まで見たこともないような
物凄く太くて大きな注射に一瞬 エッ?と思いましたが、
痛みは感じず、肩をグーッと指圧されているような感じで
注射後間もなく 首は元通りになり、
「数時間前の状態は夢だったのでは」と思うほどでした。
小学生の時、健康診断で
『脊柱側弯症』と診断された時も、整形外科では、
「手術をしないと治らない」と伝えられましたが、
運動療法(体操)で治しました。手術をする場合、
大きな傷が残るとハッキリ告げられました。
子供ながらに、今 私は大変な場面に遭遇していると
恐さを感じましたが、先生からそれを聞いた母は
間髪入れずに 「女の子だし 何とか手術しないで
治る方法はないでしょうか?」と
先生にかけあってくれました。すると、先生は
「では、身体も骨も柔らい時期なので、
体操でなおすことを考えてみましょう」と、言って頂き、
体操を教わり 毎日 休むことなく体操を続けました。
背骨の状態を レントゲンで確認し、
体操が我流になっていないかチェックする為に、
整形外科へは定期的に通いました。
姿勢も大切ということだったので授業中、
一年を通して 洋服の下には常に矯正ベルトを
着用していました。平たいゴムで作られた
この矯正ベルトは洋裁が得意で
手先がとても器用な叔母の手作りでした。
今でこそ矯正ベルトは普通に見かけますが、
私が着用した当時(ン十年前)は、
まだそんなに普及しておらず、私の状況を
母から相談された叔母は、勘を頼りに
オリジナルの矯正ベルトを作ってくれました。
母の実姉である叔母は叔父と共に、
義手や義足を製作する会社を営んでいました。
子供の頃 夏休みなどに叔母の家に泊まりに行くと
自宅敷地内に 隣接して建っている
その作業所に 決まって弟と入り、
普段目にすることのない樹脂や特殊な網や工具、
バーナー、出来上がったギブスや、作業用のミシンや
職員さんたちの仕事の様子などを
見学させて貰っていました。
叔母の家では、トラという名前の大きなシェパードと
数匹のシャムネコが飼われていて、
この子たちと触れ合う事も大きな楽しみでした。
(当時の素敵な記憶から?シェパード(シベリアンハスキーも)
などのカッコイイ大型犬やとても美しいと感じたシャム猫に
今でも惹かれてやまないのかもしれません。)
叔母の矯正ベルトの協力もあり、期間は忘れましたが
私の背骨は元に戻りました。
時々、健康関連の番組で、身体を整える為の体操を
指導者が紹介し、書店ではその類の本も見かけますが、
看護婦さんに凄い力で肩を抑えられ首の付け根辺りに
注射されました。今まで見たこともないような
物凄く太くて大きな注射に一瞬 エッ?と思いましたが、
痛みは感じず、肩をグーッと指圧されているような感じで
注射後間もなく 首は元通りになり、
「数時間前の状態は夢だったのでは」と思うほどでした。
小学生の時、健康診断で
『脊柱側弯症』と診断された時も、整形外科では、
「手術をしないと治らない」と伝えられましたが、
運動療法(体操)で治しました。手術をする場合、
大きな傷が残るとハッキリ告げられました。
子供ながらに、今 私は大変な場面に遭遇していると
恐さを感じましたが、先生からそれを聞いた母は
間髪入れずに 「女の子だし 何とか手術しないで
治る方法はないでしょうか?」と
先生にかけあってくれました。すると、先生は
「では、身体も骨も柔らい時期なので、
体操でなおすことを考えてみましょう」と、言って頂き、
体操を教わり 毎日 休むことなく体操を続けました。
背骨の状態を レントゲンで確認し、
体操が我流になっていないかチェックする為に、
整形外科へは定期的に通いました。
姿勢も大切ということだったので授業中、
一年を通して 洋服の下には常に矯正ベルトを
着用していました。平たいゴムで作られた
この矯正ベルトは洋裁が得意で
手先がとても器用な叔母の手作りでした。
今でこそ矯正ベルトは普通に見かけますが、
私が着用した当時(ン十年前)は、
まだそんなに普及しておらず、私の状況を
母から相談された叔母は、勘を頼りに
オリジナルの矯正ベルトを作ってくれました。
母の実姉である叔母は叔父と共に、
義手や義足を製作する会社を営んでいました。
子供の頃 夏休みなどに叔母の家に泊まりに行くと
自宅敷地内に 隣接して建っている
その作業所に 決まって弟と入り、
普段目にすることのない樹脂や特殊な網や工具、
バーナー、出来上がったギブスや、作業用のミシンや
職員さんたちの仕事の様子などを
見学させて貰っていました。
叔母の家では、トラという名前の大きなシェパードと
数匹のシャムネコが飼われていて、
この子たちと触れ合う事も大きな楽しみでした。
(当時の素敵な記憶から?シェパード(シベリアンハスキーも)
などのカッコイイ大型犬やとても美しいと感じたシャム猫に
今でも惹かれてやまないのかもしれません。)
叔母の矯正ベルトの協力もあり、期間は忘れましたが
私の背骨は元に戻りました。
時々、健康関連の番組で、身体を整える為の体操を
指導者が紹介し、書店ではその類の本も見かけますが、
私が当時していた体操と とても良く似ていました。
小学生の時 一時期着用していた
背中の部分がクロスされた 矯正ベルトの存在も
すっかり忘れていたある日、ある番組で
襷掛けは肩のこりをほぐす、と伝えていたのを見ました。
コリに悩まされることは無かったのですが、
「襷掛け、なんだか気持ちよさそうだなぁ~」と思い、
首の冷え予防の為に1年を通して巻いている
綿素材の巻物を使い 襷がけをし
数時間 過ごした所、本当に気持ち良く、
小学生の時 一時期着用していた
背中の部分がクロスされた 矯正ベルトの存在も
すっかり忘れていたある日、ある番組で
襷掛けは肩のこりをほぐす、と伝えていたのを見ました。
コリに悩まされることは無かったのですが、
「襷掛け、なんだか気持ちよさそうだなぁ~」と思い、
首の冷え予防の為に1年を通して巻いている
綿素材の巻物を使い 襷がけをし
数時間 過ごした所、本当に気持ち良く、
身体が軽く楽になっているのを感じました。
今のように洋服ではなく、着物が主流だった時代、
袖につく汚れを防止し作業をし易くする為の知恵として、
襷掛けをしていたと思われますが、
うしろがクロスされている事で肩甲骨はグッと寄せられ、
胸筋は広がり、姿勢も良くなる等、実は身体にとっても
いい事だらけの襷がけ、
脊柱側弯症を完治させるのに一役かってくれた
叔母手作りの矯正ベルト・・・・・
ともすれば進化し続ける中で顕わされる結果だけが
素晴らしいと錯覚しがちですが、
私達は常に 過去(先人達)から大きなヒントを貰い、
今、そして未来へと襷を繋げています。
当に 過去なくしては語れない、
【古きをたずね、新しきを知る】なのだと思いました。
湿疹と向き合う日々。こうして文章を綴る中で、
脊柱側弯症とは別の、殆ど思い出すこともなかった、
過去に越えた 2つのことを思い出しました。
その1つは 左手親指の ばね指です。
今のように洋服ではなく、着物が主流だった時代、
袖につく汚れを防止し作業をし易くする為の知恵として、
襷掛けをしていたと思われますが、
うしろがクロスされている事で肩甲骨はグッと寄せられ、
胸筋は広がり、姿勢も良くなる等、実は身体にとっても
いい事だらけの襷がけ、
脊柱側弯症を完治させるのに一役かってくれた
叔母手作りの矯正ベルト・・・・・
ともすれば進化し続ける中で顕わされる結果だけが
素晴らしいと錯覚しがちですが、
私達は常に 過去(先人達)から大きなヒントを貰い、
今、そして未来へと襷を繋げています。
当に 過去なくしては語れない、
【古きをたずね、新しきを知る】なのだと思いました。
湿疹と向き合う日々。こうして文章を綴る中で、
脊柱側弯症とは別の、殆ど思い出すこともなかった、
過去に越えた 2つのことを思い出しました。
その1つは 左手親指の ばね指です。
その時の年齢は3~5才位だったと思います。
ある時、片方の親指が曲がりにくくなりました。
病院で診て頂くと、バネ指と診断されたそうです。
以来 母は毎日のように弟と私を自転車に乗せ
雨の日も風の日も 寒川町にある
治療院に通ってくれました。
柔道家でもあった先生の手は厚みがあり大きくて
グローブのようでした。先生は毎回
電気をあてながら親指の付け根をゆっくりほぐすように
マッサージをし、曲がりにくくなっていた親指を
グーッと内側に曲げ、また静かに外に開くということを
何度も繰り返しました。内側に曲げる時、
こわばっているからなのでしょう、
時々 つっぱるような 鈍い痛みが伴いました。
マッサージ後は「よく頑張ったね」と毎回ご褒美に
まぁるい銀色の缶に入った 大きなおせんべいを
ある時、片方の親指が曲がりにくくなりました。
病院で診て頂くと、バネ指と診断されたそうです。
以来 母は毎日のように弟と私を自転車に乗せ
雨の日も風の日も 寒川町にある
治療院に通ってくれました。
柔道家でもあった先生の手は厚みがあり大きくて
グローブのようでした。先生は毎回
電気をあてながら親指の付け根をゆっくりほぐすように
マッサージをし、曲がりにくくなっていた親指を
グーッと内側に曲げ、また静かに外に開くということを
何度も繰り返しました。内側に曲げる時、
こわばっているからなのでしょう、
時々 つっぱるような 鈍い痛みが伴いました。
マッサージ後は「よく頑張ったね」と毎回ご褒美に
まぁるい銀色の缶に入った 大きなおせんべいを
1枚下さいました。母や先生のお陰で
親指は曲がるようになりました。
普段 特に意識したことはありませんが、
左手の親指は、右手の親指とく比べると
スムーズに内側に曲がるという訳ではありません。
2つ目は 2度と体験したくない帯状疱疹です。
私は何故か?楽な方を選ばない、というか
しなくてもいい?遠回りをしてしまうようです。
中学3年間の成績(通知表)は良かったのですが、
アチーブメントテストで大失敗し、
(担任にも「どうしたんだ?何があったんだ?」と
驚かれました) 普段の成績からすると
校風や制服がとても気に入っていた「行きたいな」と
思っていたある高校に十分入れたのですが、
担任と話し合った結果、もしものことをふまえ、
確実、安全を考えて ランクを2つ落としました。
高校では引き続き 陸上競技部に入部し、
生徒会役員も掛け持ちし、先生や友人にも恵まれ
グレルこともなく実に伸び伸びと
高校生活をenjoyしました。成績も良かった事もあり、
ある短大の指定校推薦のお話しを頂いたのですが、
当時はどうしてもある大学の ある学部で
専門分野を深く学びたかったこともあり
歴史もある 魅力的なその短大の推薦の話は
迷うことなく けってしまいました。
緑に囲まれたロケーションに 美しいレンガ作りの外観の
その短大は 時々 テレビドラマでも使われますが、
校風も良く、あの時 試験免除でスンナリ入学していたら、
また 今とは全然違う道を 歩いていたのかなぁ~と
ぼんやり思います。勿論 後悔はしていませんが。
(その短大を選ばなかった もう1つの理由は
通っていた中学校から ほど近い場所にあった為、
思い描いていた 憧れのキャクパスライフが家から近い、
というのもなぁ~と、思っていました(笑))
結果、玉砕し、春から浪人生になりました。
受験間際になると、睡眠時間もあまりとらず、
根を詰め スパートをかけていたこともあり、
免疫力が低下していたからでしょうか微熱が続く中、
小さな赤みを帯びた湿疹がポツポツできました。
息をする時、身体の芯というか 中がチクチクとした
痛みが走るような気もしましたが、あせもかな?位に
思っていたのですが、湿疹は日に日に
不思議なことに身体の片側だけに帯状に広がり
湿疹は水疱瘡のような水を持ち、痒くてかき壊すと
赤みを帯びた湿疹は赤黒く チャドクガに
刺されたような感じになりました。
当時、特に若い医師は帯状疱疹を知らなかったようで
最初に訪れた病院では「虫刺されたのでしょう」と
言われてしまいましたが、いっこうに良くならず、
風が吹き患部を優しくなぞるだけでも、
息ができない程になり、これはおかしい、と思い
4歳の時に額を縫って頂いた先生の所へ伺いました。
患部をみると先生はすぐに、「あぁ、帯状疱疹だね、
かき壊しちゃってるね、こりゃあ随分痛かったでしょう。
でも、山場は越えてるからね」と 優しく仰り、
帯状疱疹は身体の柔らかい部分に出来、
天の川のように帯状に身体の片側だけに広がり、
抵抗力のない子供やお年寄りにも多くみられるが、
目の中にできたりすると失明してしまうこともある、
と、ご説明下さり、あまりの痛さに大の男でも涙を流す、
と付け加えていらっしゃいました。その後、
包帯と飲み薬と、ガーゼより もう少し目の粗い物に
メンソレータムのようなベタベタした薬が塗られている
幹部に張り付けるシートを処方して下さいました。
絶えず、チクチクした痛痒さがあり、息をする度に
あばら骨までもチクチクするようで患部に風が吹いても
汗で洋服が患部にペタッとくっついても、
薬のついたシートを患部にそっと乗せて貰うだけでも
身震いするような痛みでした。皮膚の皮を剥ぎ、
そこに針を1000本一気に刺す様な痛みでした。
19歳の時に経験した、微熱と共に強烈な痛みを伴う
帯状疱疹から比べれば今回、顔や腹部以外に出来た
親指は曲がるようになりました。
普段 特に意識したことはありませんが、
左手の親指は、右手の親指とく比べると
スムーズに内側に曲がるという訳ではありません。
2つ目は 2度と体験したくない帯状疱疹です。
私は何故か?楽な方を選ばない、というか
しなくてもいい?遠回りをしてしまうようです。
中学3年間の成績(通知表)は良かったのですが、
アチーブメントテストで大失敗し、
(担任にも「どうしたんだ?何があったんだ?」と
驚かれました) 普段の成績からすると
校風や制服がとても気に入っていた「行きたいな」と
思っていたある高校に十分入れたのですが、
担任と話し合った結果、もしものことをふまえ、
確実、安全を考えて ランクを2つ落としました。
高校では引き続き 陸上競技部に入部し、
生徒会役員も掛け持ちし、先生や友人にも恵まれ
グレルこともなく実に伸び伸びと
高校生活をenjoyしました。成績も良かった事もあり、
ある短大の指定校推薦のお話しを頂いたのですが、
当時はどうしてもある大学の ある学部で
専門分野を深く学びたかったこともあり
歴史もある 魅力的なその短大の推薦の話は
迷うことなく けってしまいました。
緑に囲まれたロケーションに 美しいレンガ作りの外観の
その短大は 時々 テレビドラマでも使われますが、
校風も良く、あの時 試験免除でスンナリ入学していたら、
また 今とは全然違う道を 歩いていたのかなぁ~と
ぼんやり思います。勿論 後悔はしていませんが。
(その短大を選ばなかった もう1つの理由は
通っていた中学校から ほど近い場所にあった為、
思い描いていた 憧れのキャクパスライフが家から近い、
というのもなぁ~と、思っていました(笑))
結果、玉砕し、春から浪人生になりました。
受験間際になると、睡眠時間もあまりとらず、
根を詰め スパートをかけていたこともあり、
免疫力が低下していたからでしょうか微熱が続く中、
小さな赤みを帯びた湿疹がポツポツできました。
息をする時、身体の芯というか 中がチクチクとした
痛みが走るような気もしましたが、あせもかな?位に
思っていたのですが、湿疹は日に日に
不思議なことに身体の片側だけに帯状に広がり
湿疹は水疱瘡のような水を持ち、痒くてかき壊すと
赤みを帯びた湿疹は赤黒く チャドクガに
刺されたような感じになりました。
当時、特に若い医師は帯状疱疹を知らなかったようで
最初に訪れた病院では「虫刺されたのでしょう」と
言われてしまいましたが、いっこうに良くならず、
風が吹き患部を優しくなぞるだけでも、
息ができない程になり、これはおかしい、と思い
4歳の時に額を縫って頂いた先生の所へ伺いました。
患部をみると先生はすぐに、「あぁ、帯状疱疹だね、
かき壊しちゃってるね、こりゃあ随分痛かったでしょう。
でも、山場は越えてるからね」と 優しく仰り、
帯状疱疹は身体の柔らかい部分に出来、
天の川のように帯状に身体の片側だけに広がり、
抵抗力のない子供やお年寄りにも多くみられるが、
目の中にできたりすると失明してしまうこともある、
と、ご説明下さり、あまりの痛さに大の男でも涙を流す、
と付け加えていらっしゃいました。その後、
包帯と飲み薬と、ガーゼより もう少し目の粗い物に
メンソレータムのようなベタベタした薬が塗られている
幹部に張り付けるシートを処方して下さいました。
絶えず、チクチクした痛痒さがあり、息をする度に
あばら骨までもチクチクするようで患部に風が吹いても
汗で洋服が患部にペタッとくっついても、
薬のついたシートを患部にそっと乗せて貰うだけでも
身震いするような痛みでした。皮膚の皮を剥ぎ、
そこに針を1000本一気に刺す様な痛みでした。
19歳の時に経験した、微熱と共に強烈な痛みを伴う
帯状疱疹から比べれば今回、顔や腹部以外に出来た
水分も含んでいない乾いた湿疹は十分我慢できたので
普段 病院に行く事もなく、飲み薬や塗り薬も使用せず
自然に回復するのを待っていたのですが、
今回は、いささか我慢しすぎてしまったようでした。
痒くてただかいてしまうと、肌はボロボロになり、
そこからばい菌などが入り、アレルギーの原因になったり
また、痒みが治まり、湿疹が出来なくなったとしても、
かき壊した部分が色素沈着となり、子供と違い、
肌のターン・オーバーに時間がかかるので、こういう場合は
早めに受診する必要があると知りました。
普段 病院に行く事もなく、飲み薬や塗り薬も使用せず
自然に回復するのを待っていたのですが、
今回は、いささか我慢しすぎてしまったようでした。
痒くてただかいてしまうと、肌はボロボロになり、
そこからばい菌などが入り、アレルギーの原因になったり
また、痒みが治まり、湿疹が出来なくなったとしても、
かき壊した部分が色素沈着となり、子供と違い、
肌のターン・オーバーに時間がかかるので、こういう場合は
早めに受診する必要があると知りました。