イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

物への想い 物との関わり方 ~その②~

2019年12月12日 00時00分10秒 | 日々思い感じること


美しきコールドムーンに暫しみとれて~その①~に
文字数が
収まらなかった為、その②としました。

私の想像ですが

「人間の生活が楽になるにはどうすれば?」という
 発明家の純粋な発想であり思いは時を経て
具体的なイメージとなりその暁に、いよいよそれは具現化され、

ある時、【自転車】という乗り物になる。
その、【自転車という乗り物】がいよいよ形を成し、
動くようになるまでには 更に沢山の人の想いや
労力が加わり、
沢山の部品が使われ漸く完成に至る。
そうして産まれた物は『素晴らしき良き物 有難き物』
のように思うのです。

 
自分の足だけが頼りだったであろう
縄文時代の人たちの目の前に
ある日、ポンと【自転車】なる物体が現れたら
 最初は驚くかもしれませんが、彼らは喜び、
感動し 壊れるまで大事に感謝して
その命を使いきるのではないでしょうか?


スーパーで重い食材を沢山買ったあと「よし!」と気合を入れて

両手をプルプルさせながら
(食材の重さで)駐輪場所まで
袋が切れませんように」と
祈るように歩を進め、やっと緊張感と重さから解放され、

無事、荷物を自転車の籠へバトンタッチしてホッとする時、
ラックル号の存在をただただ有難く思うのです。
と、同時に

「もし、免許不要の自転車という便利な乗り物がなくて
何をするにも自分の足で歩き、自分の手で重い荷物を
持ち運ばなければならない時代に生きているとしたら、

買い物をすることがストレスに感じるのではないか?」と
時々思うことがあります。

2011年3月11日に発生した
東北地方太平洋沖地震災の時刻、
私は電車の中でその揺れに遭遇しました。
ようやく開いた電車の扉。駅には沢山の人が
ごった返し、バスもタクシーも全く動かない中、
運動靴ではなかったものの、他の人たちにならって、
最寄駅まで2駅分歩く決断をし3時間歩きました。
歩けない距離に住んでいた方だと思われるのですが、
自転車を買っている方もお見かけしました。
多くの地域でやはり自転車を買った方がいたようです。
震災が発生した悲しい日の1つの教訓として
この時以降、自転車の需要が増えたと知りました。

突発的な出来事に見舞われバスも、車も、電車も
動かず、気力を無くし心が疲労困憊しているとき、
自転車は大きな希望のともしびになるのでは
と想像します。

~ゴールドムーンの美しさに暫しみとれて その①~
でも書きましたが、
自転車が発明される前の歴史に想いを馳せた時
自転車の出現はどんなにそれまでの暮らしを
楽にしてくれたかが想像できます。
自分がお世話になった、本来愛着が湧くであろう筈の
壊れていない自転車をいとも簡単に
まるでゴミを捨てるかのように駐輪場へ
悪びれずポイ捨てしまうという行為が全く理解できず
本当に悲しく思うと同時に、
親御さんはどんな方なんだろうと思います。
そして、
もし、自分が自転車で、意思があったら
と想像すると、頑張っていたのに突然捨てられたら
とても悲しくなります。

3月と言えこの日は冷たい風が吹きすさぶ中、
また地震が起きないとも言い切れない中、
長い橋の上を夕方から夜にかけ薄着で
初めて歩くことはとても不安でした。
歩いている時は、地震の詳しい情報が分からず、
東北地方の皆様が大変な状況に置かれていらっしゃることも
分からなかったので痛み出す足に自転車があったら・・・・と
何度も思いました。

生きる為に動物や植物やお魚の命を頂いている私達ですが、
自分であれこれ注文しておきながら
平気で命を汚く残す人たちを目の当たりにする時、
命に失礼だと思い悲しくなります。
私達はいつから
こんなに傲慢になってしまったのだろう・・・・

洗濯機が発明される前は、真冬でも洗濯板などを使い
手で洗濯するしかなく家事は重労働だったと思います。
冷蔵庫が発明される前は沢山の食材を
保存することもままならず、

自転車も、テレビも、冷蔵庫も洗濯機もetc・・・・
今、私達が当たり前に何気なく使っている
こうした物たちは私達に沢山の時間をプレゼントしてくれ
日常生活を楽に快適にしてくれているのに感謝なく、
飽きたらポイ捨て・・・・これってどうなの?と思います。

最近は、人間のストレス発散の為にと
防護服のような物を着て、手袋をはめ、
ヘルメットをかぶり、ゴーグルをつけて
中古家電や食器などをお金を払って壊す
ビジネスがあることをテレビで知りましたが
不要になった物だからといって力任せに壊し、
綺麗なお皿を割るという行為をいち傍観者として
面白がって見ることはできず不快に思いました。

10月中旬、21年間、がんばってくれた冷蔵庫が
お疲れ様となりました。
壊れる前日の深夜、
これまで聞いたことのない
ガガガガッ ブォオオオーンという音が

数回、冷蔵庫から聴こえた翌日、
夕飯の支度をしている最中、
それは突然やってきました。
「ありがとう」と労い大切にしてきたけれど、
まさか21年も頑張ってくれるとは・・・・感慨深くて

両手で冷蔵庫をハグして本当に有難う、と伝えました。
壊れる前日、もういくね、と私に最後の力を振り絞って
冷蔵庫の声を聴かせてくれたのではないか、
そんな風におもいます。
冷蔵庫の全ての食材は捨てることなく
全て使い切りました。

新たに注文した冷蔵庫は在庫待ちの為、
生まれて初めて数週間、冷蔵庫のない日々を過ごし、
いかに冷蔵庫が大切かを思い知らされました。
11月初旬、新たな冷蔵庫との入れ替え前、

また心の中で「有難う。お疲れ様」とねぎらいハグしました。
お別れする前に、冷蔵庫の外側も庫内も
綺麗に拭き、
まだ使えるのに壊されてしまうのも胸が痛むので、
流用できそうな卵ホルダーや冷凍庫の中のアルミの底板を
外し
新たな冷蔵庫に入れて使ったり、
アルミの大きなお盆のような底板は、
焼く前の餃子を並べる大皿として使ったり
バット代わりに使ったりと重宝しています。

経験上、冷蔵庫を始めとした家電や物たちに
感謝して使っていると
ちゃんとこちらの想いに応えてくれると感じることが
多々あります。
そして、経験上
物言わぬ物であり 生き物を大切にする人は
人も、ひいては環境であり地球も大切にする人と感じます。


美しきコールドムーンに暫しみとれて ~その①~

2019年12月12日 00時00分00秒 | 日常のあれこれ



窓に映し出された柔らかな光に誘われるように
夜空を眺めると 
真ん丸なお月様がふわりと静かに
浮かんでいました。

そのうしろには まるで輝くお月様を抱(いだ)くかのように
浮き出た光のクローチェが縦に横にと
それは力強い光を遠くまで放っていました。

「わぁ~キレイ・・・。お月様 私はここよ」
 心の中で
お月様に話しかけながら、
「満月かしら?」と調べたらや
はり満月で
今日12日は今年最後にみられる
コールド・ムーンと呼ぶ満月と知りました。


10月から12月にかけて新たに体験したことを通して訪れた
心の機微を
書き残しておきたいと思ったものの外出が多く
中々纏まった時間が取れず2か月が経っていました。
今年印象に残ったあれも、これも・・・・と思っていても
12月半ばのこの時期にその全てを1つ1つUPすることは
難しいので
日頃から感じていることや、特に印象に残った出来事を
ここに複数絡めて書き記したいと思います。

その前に
この場をお借りして・・・

10月初旬、「笑顔の力」をお求め下さったAさん、

作品をお求め頂くまでの不思議な経緯や
お手元に届いた作品について教えて下さったご
感想を
未だご紹介できずごめんなさい。

年内中にご紹介させて頂きますね

12月に入った先週は、
「そうだ、!寒川さんへ行こう!」と思い立ち
自転車をビュンビュン飛ばし(笑)

久しぶりに大好きな寒川さんへご祈祷を受けに参りました。
(大人になって自身の為にご祈祷を受けたのは初めてでした)
格式の高い一の宮であり 全国から多くの方が
八方除けのご祈祷に訪れ、
高倉健さんも何度となく訪れてらした知る人ぞ知る寒川さんですが、
子供の頃から折に触れ足を運んでる私にとっては
近寄り難い身の引き締まるご神域のそれとは異なり、
訪れる度に 大きな懐にふんわりと包み込んでくれる
懐かしい心のふるさとのような大切な場所です。
私が子供の頃には鹿もいました。

(参拝する際、事前に一の宮を調べて、ということはしませんが
ご縁のある大好きな寒川さんも鶴岡八幡宮も一の宮でした)

普段は日中参るのですが、
この日は日の入り間際に思い立ち、時計を見ると

ご祈祷の締め切り時間17時に間に合うか微妙な時間でしたが
間に合いますように・・・と願いを込め
息を切らしながら懸命にペダルをこいだ結果
5分前に社務所につきました。
(冬の夕刻というのに顔からとめどなく溢れ出る汗に
受付で対応下さった
神主さんも心なしか驚いてらしたような(笑))

最終のご祈祷は贅沢なことに
産まれて間もないお子様の健康祈願にいらした1組のご家族と
私の2組だけでした。
夜の帳がおり静寂に包まれたご神域は幻想的で美しく
心身ともに研ぎ澄まされ有難いひとときを堪能させて頂きました。

今年は寒川さんが結んで下さったとハッキリと分かるような
有難いご縁が幾つかありました。その1つ1つを
書き留めておきたいものの年の瀬で物理的に難しい為、
またの機会にと思います。
以前UPした寒川さんの記事に書いていますが、
(参拝したことのない神社も含め参拝する夢はよく見るのですが)
寒川さんの場合は、夜空をビューンと気持ちよく飛びながら
二の鳥居をくぐる夢を見ます。

今回、自転車(ラックル号)が大活躍をしてくれたお陰で
最終のご祈祷に間に合いました。

ペーパードライバーの私にとって自転車は
なくてはならない足であり大切な相棒です

私が産声をあげた時代は自転車以外にもバスや自動車他、
移動手段に事欠かない便利な乗り物、
文明の利器が存在していたので、日常生活において
それら1つ1つに特別意識を向け有難いと思うこともなく、
それがある暮らしをどこか当たり前に感じていましたが数年前の春、
ある駐輪場に自転車をとめた時に見せつけられた光景に胸が痛み
何故?どうして?」が心を占領し 暫くの間
その光景が頭から離れませんでした。
(今でも・・・)
この時の衝撃を機に、自転車に乗る時は以前に増して
「ありがとう」の想いが強くなりました。
(周囲に人がいない時には、小さな声でラックル号のハンドルを
ポンポンと触れながら重い荷物運んでくれていつもありがとね~と言ってます)


地下の広い駐輪場は自転車を乗せるレーンが
上下2段になってしました。相棒ラックル号には
後ろにも前籠と同じ大きな籠を設置しているので駐輪する際は、
上段の自転車がラックル号の籠に接触しないよう
下段の端を選ぶようにしています。
この日もどこにとめようかと駐輪場を見渡していると
駐輪場のスタッフの男性が「ここがいいですよ」と
誘導してくれました。自転車をとめる時、
ふと上段を見上げると沢山の自転車が数台ごとに紐で括られ
メモがついていたので不思議に思いスタッフに伺うと、
3年間、自転車通学で使っていた自転車を
高校を卒業すると同時にここに置いていき、
取りに来ないので、保管期間が過ぎた自転車は一纏めに括り、
メモをつけ海外に送るということでした。
それを聞いた時、ここが自転車の墓場のように見え
いたたまれなくなりました。
置き去りにされた自転車たちの殆どは、錆びている訳でも、
パーツが壊れたり、サドルが切れたりしている訳でもなく、
使い古されたような自転車など一台たりともないことに
強い違和感を覚えました。
年季の入っていない自転車は高校の入学のお祝いとして
親御さんから買ってもらったのではないでしょうか・・・・
歩いて行くにはかなりの距離があり、時間もかかるであろからと
購入する時はきっとワクワク感をもって
親御さんと一緒に色やデザインを選んだのではないでしょうか?
自転車は乗り手の為に3年間黙々と走りぬいてくれた。
まだこの先何年もの間乗れるであろう置き去りにされた
沢山の自転車たちは3年間有難う、と労われることもなく
「はい。お役目終わり~」と無情にも乗り手が卒業したその日に
駐輪場へ捨てにくるなど言語道断、悲しくなります。

思います。
もし、自転車が喋ることができたら

「あなたの為に毎日頑張ってきたのにどうして?捨てないで」

「見知らぬ国になんかに行きたくないよ」

「あなたを乗せてあの道を走り四季を、風を感じたいよ」

こんな風に訴えるのではないでしょうか?

私の想像ではありますが
「人間の生活が楽になるにはどうすれば?」という
発明家の純粋な思いは時を経て、次第にイメージは具現化され、
ある時、【自転車と】いう乗り物になった。
自転車が乗り物として形を成し、動くようになるまでには
沢山の部品が使われ、沢山の人の思いや労力が加わって
ようやく完成する『良き有難き物』と思うのです。

自分の足だけが頼りだったであろう縄文時代の人たちの目の前に
ある日、ポンと自転車が現れたら 彼らは喜び、感動し
壊れるまで大事に感謝して使うのではないでしょうか?

~物への想い 物との関わり方 ②へと続きます~