写真中央の壁がBフェース。ここを登ります。
関西のパーティーが登っているところを真下、横から撮影
比叡Ⅰ峰北面のBフェースにあるムササビファミリールートの整備が終了したので遅まきながらアップします。
北面のため、昼過ぎまで日が差さないので、夏向きのルートです。お盆に比叡に入る方はどうでしょうか。おすすめです。
ルート整備の模様は、とある会に原稿依頼されたので、ここでは、その原稿をそのまま転記します。
比叡Ⅰ峰 Bフェース ムササビファミリールート整備報告
メンバー I辺・H井・S田
5月2日、ヨセミテの合宿をかねて、ムササビファミリールートの最終整備を行おうと比叡に入ることにした。
整備は、一昨年の秋に始まり、今日で5回目になる。途中、私の転勤が入ったために前回の整備から実に一年ぶりとなる。
今回は最終とあって、整備に関わったもの全員でと、Iさん、S君を誘ったが、S君には、腰痛とかコンタクトを無くしたとかの理由をつけられ、敵前逃亡を謀られた。
彼が尻込みをしたかどうかわからないが、そうであればその気持ちも分からぬでもない。比叡の北壁は、気軽に取り付けさせないえも言えぬ独特の雰囲気があるのである。Iさんが言うには「おどろおどろしい」ということであるが、言いえて妙である。日中は日が差さず、岩質は黄色みがかり、脆そうで傾斜も強い。そして、岩の角はスパッと鋭利になっているため、いやがうえにも恐怖感を高めさせる。 こうした環境が登るものに威圧感を与え、体感グレードを実際よりも高く感じさせる。しかし、逆に言えば、近場でこれほど「アルパインクライミング」を体験できるルートも珍しいのではないだろうか。
話は1年半ほど前にさかのぼる。Ⅲ峰北壁の整備を終えた我々は、次のルートを開拓しようと考えたが、アプローチが短いところは開拓されつくしており、かといってアプローチのあるところは足腰の弱ってきた私はなるだけ敬遠したいところ。 そこで、今は昔となり、完全に消え去った感のあるルートで、しかも手ごわそうなものをと検討した
結果、「ムササビファミリールート」を対象に選んだ。
開拓は1984年 開拓者はUさんを筆頭にKさん、KW君である。
記録を見ると開拓はかなり苦労したようである。最終ピッチは行きつ戻りつ立ち往生した様子が伺える。しかも、かのKさんもKW君もセカンドで登っているにもかかわらずフリーでは登れていない。そのころはキャリアを積んでなかったにせよ、かなり手ごわそうなのが分かる。食指が動く。
先ずは、整備の承諾とルートの状況を聞こうと開拓者に聞いてみたが、何せ遠い昔のこと、記憶があいまいになっているようである。
2007年10月28日 メンバー:I・H・S
取り付きから仰ぐと、いたるところブッシュが生え、ピトンは完全にさびている状態で完全にルートは消え去っている。ここ20年来、取り付いた形跡がないようである。無論、ピトンは使えないが、クラックは走っている。カムとナッツがあれば何とかなるだろうと、取りあえず、私がトップで行ってみることにする。
のっけから小ハングの乗り越しがある。ムーブはさして難しいものではないにしても、浮石が目立つために細心の注意を要する。途中にあったハーケンを摘まむと力を入れていないにもかかわらず、ポロリと落ちた。つわものどもが夢のあとといった風情である。が、撤去には楽そうである。
15m程上がったところにある手ごろなテラスでカムとスリングでビレイ点を作りピッチを区切る。2番手、S君が上がってくるが苦労しているようである。続くIさんが掃除をしながら上がってくる。比叡で鍛えたまるで耕運機がごとき整備。
なんとも大胆である。落とした浮石が谷にこだまする度、ぞっとする。音がした後、「らーく」と言っていたような気がするが。
2ピッチ目は、正面のフェースを右に巻いて上がり、ダブルクラック直下にビレイ点を作る。ムーブは問題ない。
3ピッチ目のダブルクラックを登攀中の私。
このピッチが変化に富んで一番楽しい。
3ピッチ目、ビレイ点のすぐ上から走るダブルクラックに快適にジャムを利かせて上がると、つまったところが短いチムニーとなる。荒れているため、このチムニーからどっちへ行くのかしばし迷ったが、どうやら右に乗り越えるようである。ここが第一の核心だろうか、ブッシュに覆われ、先がどうなっているか判らないが勘を頼りに被り気味のカンテを乗り越え上がる。幸い、ルートは間違っていないようだ。5m程上がるとまた短いチムニーが現れた。上部は水平クラックへつながっている。記録によるとかなり悪い箇所のようだ。
短いチムニーは、上部が狭く背中側の岩が被ってくるため、水平トラバースへ移りにくくムーブを起こしづらい。なおかつ、水平クラックはカンテのほうへ伸びており、先がどうなっているのか判らない。クラックがカンテで消えてスローパーになっていたらどうするか?途中のクラックは、浅くてカムをかませられない。落ちた場合、振られて狭いチムニーに激突するのは明らかだ。
トラバース部分の関西パーティー
いつまでも考えていても始まらない。北壁ならば何かある。と根拠のない確信の基、水平クラックに移りこみ、カンテへと移動して覗き込むと幸いクラックが続いている。クラックの中は、土とブッシュが詰まっているが何とかなりそうである。ここで、片手で土を掘り、カムを咬ませるとホッとする。
このクラックを上がり込んだ所を3ピッチの終了点とし、次が上がってくるのを待つが、どうも人工登攀の練習さながらの様相で上がってくる。無理でもないか。ドリルに加え、ボルトキットを抱えてのクライミングではかなりきつかろう。
今日は、これで終了としよう。
2008年5月3日 (H、I、HI、S)
前回のメンバーにHI君を加え、再び3ピッチまで整備を行い下る。
2008年8月16日 (H、I、HI)
4ピッチ以降を整備しようと取り付いたが、3ピッチまで上がったところで雨が降りだしたためにやむなく降りることにする。
途中から、雨は豪雨となり、ずぶ濡れになりながらの懸垂下降となる。
2007年11月(H、I、S)
4P 前回の最終ピッチ(3P)までは、整備のおかげで快適に登ることができた。初登では、ここから松本ルートに合流となっているが、ボルトダラーのうえ、ルートがすっきりしないため、我々は松本ルートのやや右側にボルトを2本設置し、ダイレクトに登るルートとした。フェースを直上した後、右上すると石板状の岩が何枚か立った場所に出た。左手の壁は茶褐色。なんとも宗教がかった場所に感じて、早くやり越したくなるが、こういう箇所に限って、ムーブが悪い。落ちたら下は石板。恐怖感も加わる。躊躇するも、思い切って大ガバにランジ気味にしがみつき、上がったところで4ピッチの終了点とする。
5P 少し上がるとクラックが消えてプロテクションを取れない。たのみのハーケンは腐って使えない。勘を頼りに右手でホールドをつかみながら、左手に持ったナッツキーで土と草付が縦に走っているあたりを掘ると、かろうじてナッツが使えそうなシンクラックが出てきた。が、浅い上に北壁特有の頼りない岩質である。不安ではあるがいつまでも掘っていては右手がもたない。多分利く。いや利いてくれと半ば自分をだまし、半ば祈りながらナッツを設置してムーブを起こすが、そこは掘ったばかりのクラック、土と手のヌメリが相まってジャムは効かない。スローパーを第一関節で押さえつけるムーブとなる。その状態で勢いよく引き付けた頂点で左手を差し入れ、ジャムを利かせる。辛うじて止まった。冷や汗ものだ。
最近は年のせいか、デッドで手を伸ばすのと同時に手のひらのアーチを作ってジャムを効かせるという厳しいムーブになると、一連の動作の連携に時間差が生じ、しばしば失敗をしでかす。今日のところは調子は良いようだ。
7m程登ったところで茶褐色の被ったフェースが現れる。記録に2時間あまり行きつ、戻りつした場所であろう。ルートは左にとっていたはずである。周りには終了点の形跡はないが、流れを考えてここを5ピッチの終了点とする。
6P 薄被り気味の凹角をステミングで上がる。その後、トラバースに入るがなるほどわかりづらい。初登者が2時間あまり躊躇したというのもうなずける。スタンスが乏しい上に、ホールドが遠いのである。初登者のUさんは、当時、よくここを突っ込んだものだとつくづく感心する。慎重にトラバースを開始するも、落ちた折の軌道が気にかかり、手は先に出るものの心がそれについていっていないのが判る。一度戻り、ムーブを修正して再トライする。微妙なバランスで左へと移りこみ、遠い縦リスを取り、一安堵するが、すぐ先がカンテを回り込んでいるためにどうなっているかわからない。幸い、カンテに伸びているクラックはジャムがばっちり利く。カムを咬ませた後、覗き込むとピークが近く、傾斜は緩くなっている。
あと少しだ。 このカンテを越えた後、本来のルートは、また、松本ルートのボルトダラーへ合流しているようだが、我々はクラック沿いに直上するルートをとるようにしてピークに立った。
整備を終えて
ここも時代の波に押されて、長い間、忘れ去られていた。こういう私自身、20数年前はショートルートに没頭し、登る機会も無いまますっかり忘れてしまっていたわけであるが、今回、3人の仲間の協力を得て20年以上もの空白を埋めることが出来た。
整備は、すっかり消えたルートの掘り起こしであったために、大変ながらも初登の気分も味わわせてもらった。そして、初登者の緊張感と気概そして力を窺い知ることが出来た。20年以上も前に、よくもこれほどのルートを作ったものだと感心することしきりである。
初頭の記録を読むと、開拓のために何度も比叡に運んで最後はうんざりしたと書かれていたがさもあろう。ルートは、カンテを回り込んだり、トラバースしたりと変化に富んでおり、行って見なければわからない箇所が多い。これを楽しみととるか、不安ととるかは個人の力量に分かれよう。ある程度、力のあるものが今登っても遜色のないートであるのは確かである。
近年、連休になると関西、関東の若いクライマーが比叡、矢筈、鉾と訪れ始めているようである。折りしも、ムササビルートの整備を終えた次の日に関西のパーティーが取り付いてくれた。
開拓冥利はあっても、整備冥利というものは無いのであるが、やはりうれしいことである。
今後も、ルートが消え去らない程度に訪れる人がいることを期待したい。
関西のパーティーの記録は下記ブログで見れます。所見トライだったので、よりリアリティーがあります。
今日もお天気
最後に、
整備の間、終始、浮石を落とし、ブッシュを切りながら上がってきたIさんは大変な労力であったろう。そして、荷揚げに3回も付き合ってくれたS君・HI君、お疲れ様でした。
注意点
ビレイ点は1ピッチ終了点(ナチュプロ)を除いてすべてステンレスボルトとハンガーとした。プロテクションは既設のハーケン、ボルトについては、落とせる範囲は落とし、新設したプロテクションは、4ピッチ目のフェースに打ったステンレス製のボルト3箇所のみとした。
注意として、1ピッチ目の8m程、頭上にある巨大な浮石をチェーンを用いて吊り下げたが、くれぐれもこれをプロテクションにしたり、人工的手段に用いることの無いようにしていただきたい。また、整備は終わったが、まだ不安定な箇所も存在する。これは北壁の岩質の特質で脆い箇所が多くあり、整備に限界があるためである。十分認識して取り付いていた
だきたい。
使用ギア
キャメロットC4=1~4番×2セット、0.5×2、0.75×3
エイリアン=黄色×2、青1、緑1
ナッツ=1セット
肝心のアプローチですが、ニードル左岩稜の取り付きを通り過ぎ、ほぼ壁伝いのアプローチを上がっていきます。
ニードルを過ぎて5分ほどでアプローチルートを外れ、壁の基部へと上がります。分岐点から取り付きまで黄色い反射板(カードの半分程)をぶら下げているので、分岐点を見逃さなければ導かれるでしょう。なお、取り付きはちょっと高くなって
います。
再整備・開拓お疲れ様でしたー!凄いです!でも悪そう・・ですね^^;
Ⅲ峰北壁ルートに続くクラックルートの整備で全国のクラッカーに
登られて欲しいですね!