8月25日の天声人語は、春に田植えをした房総の棚田へ草取りに行ったことから始まる。
そして、実りの穂波を描いた下記の永瀬清子さんの詩の一節が引用されていた。
「実りの穂波」その詩に強く惹かれた。
永瀬清子(1906~1995 )さんの詩は読んだことがなかった。が、すぐに、十数年間も本棚の一番上のコーナーに並んだままの、詩集を思い出した。
その詩にあったのは、やさしい表現のなかにある、つきることのない人間のいとしさ。
心の奥深く眠っていた私の思いに近々と響いてきた。
「昔話」の中の、おたばこ盆(幼い女の子の髪型)に結った母と、父との物語。明治はまだ20年代。
「・・・・
おたばこ盆に髪を結った女の子がいて
ナズナやタンポポの咲いている田舎道を
新家しんやの兄ちゃんのあとから 子犬のようについていった。
兄ちゃんは女の子の手をひいてくれ
教室ではとなりの席へ座らせた
女の子はちょこなんと腰かけて
兄ちゃんの顔を見、先生の顔を見、
そして兄ちゃんと同じに字も書いた
・・・・」
「ただ年へて母は孫にだけは話したので
彼が青年になった時、逆に私に伝えたのです」
おばあちゃん子であった孫が聞いた、まるで絵本の中の物語のような思い出話。その女の子と兄ちゃんこそは永瀬さんの父母なる人。
「母」も亡くなってから、「彼」から聞き、初めて知った永瀬さんは、
「いまやっとおたばこ盆が見えてきて
長い人間のあたたかい鎖を思うのです」
「そんなに遠い昔のことではなくそれは
ただ百年足らず前の小さな小さな小さなお話ーー」 と。
*
またの詩、「女の戦い」 には、
「式がこれからという時
姑になるべきその人が私の前にぴたりとすわり
立て札みたいに四角に
言葉を選んで云ったのです
「あの子はこれまでいつも我がままに育てましたけえ
あんたもこれからあの子の云う事は
ようても悪うても絶対さからわんで下さいよ」
おお何たること、今まで聞いたこともないその言い草
私の家では誰も彼もまず理性的まともで あったから
間違った事を云う人には、たとえそれが父であろうと母は
・・・・・」
「・・・・
彼を矯正すること
それは私の一大事業だったのだ
・・・・・」
「・・・・・
私が愛のことばに飢えるように
彼もそれが要るのだ、朝顔の蔓に支柱がいるように。
彼が朝顔であることを誰が癒せようか。
・・・・・・」
それから半日、詩集から離れられなくなった
1990年2月1日発行
現代詩文庫1039 *永瀬清子
思潮社刊。
上は表紙の一部分。解説者のひとりに、干刈あがたさんが書いていたのもうれしい発見だった。彼女はもっともっと読みたい作家だったから。
何気ない記事から、詩人に出会え、そして詩人と干刈あがたさんの交流にもふれ、うれしきこといくつもの日だった。(07.8.26)