駅のホームで。
3歳くらいの男の子と若いお父さん。エスカレーターを上がる時から、男の子は、泣いていました。
「じてんしゃで行きたーい」
ホームで電車を待つ間も、繰り返し訴えています。
何度もの主張に、ついにーー、
「自転車で行きたい理由は何?」とお父さん。
「わからなーい」
「だけど、じてんしゃで行きたーい」と男の子。
お父さん困っているだろうな。男の子も譲れないだろうな。
無言のお父さんに、何度も訴え掛けます。
ああ、男の子の頭の中には、もう、しっかりと、”じてんしゃで行く”ことが焼き付けられているのです。どんな理由があろうともそうあらねばならない。
電車が来ました。
そこで決着はついたのでしょうか。
1-3歳くらいの子どもは、”儀式好き”ということを思い出しました。
長女が2歳半ぐらいの頃、三輪車に乗って近くまでお使いに行ったことがありました。
疲れたので、片手にだっこしながら、もう一方の手で、三輪車をもちあげ気味に、して、後輪を地に着けて引いて行こうとすると・・・、
「そうじゃないの!」と、泣いて抗議。
三輪車の車輪は、全部地面に着いていなくてはならないーーきちんと引いてゆけと。
それが子どもの中の法則。曲げられない。あのときは、閉口しましたっけ。