中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

節分(2)

2007-02-04 10:06:30 | 身辺雑記
 節分の最近の風習にもう1つ、太巻き寿司を食べるということがある。その年の恵方に向かって、巻き寿司を無言で丸かじりする。関西では丸かぶりと言う。これは包丁で切ると縁が切れるから、食べている間に喋ると福が逃げるからということらしい。恵方はその年の福徳を司る歳徳神(としとくじん)のいる方向で、今年は北北西らしい。太巻き寿司(まるかぶり寿司)はスーパーやコンビニ、デパートでも売っていて、予約までしている。



 この風習は私にとってはまったく知らないものだった。雑煮のことでも書いたが、我が家の食事は概して関東風だったので、巻き寿司と言うと細巻き寿司だった。戦後関西に移ると、巻き寿司が太くて珍しく思ったし、干瓢や胡瓜だけの細巻きに比べると具がごてごてしているようであまり好きではなかった。母は細巻きは上手に作っていたが、太巻きは苦手だったようだった。料理がうまかった私の妻も寿司と言えばちらし寿司で、時折作ってみる細巻き寿司などは硬い棒のような代物で、私はひどい名称をつけてからかい、作った本人も笑うくらいのものだった。もちろん太巻き寿司は作れなかった。いつの頃からか恵方巻きのことを話に聞くようになると、妻はそういうことには関心を持つ傾向があったから、節分には巻き寿司を買ってきたことがあったかも知れないが記憶にはない。おかしな風習だ、どうせバレンタインデーのチョコレートの類で、海苔のメーカーか寿司屋あたりが言い出したことだろうくらいにしか思っていなかった。

 ところが調べてみると意外に「由緒」のあるもののようで、たびたび利用するインタネットのWikipediaによると概略は次のようだ。

 元来は江戸時代末期から昭和時代初期にかけて大阪の船場の商人が商売繁盛を願うために始めたと言う。前回にも書いたように、旧暦では立春の前日の節分は大晦日に当たるから、厄落としの年越し行事だったようだ。この時点ではまったくのローカルな風習だったのだ。ところが1974年に大阪の海苔店経営者らがオイルショック後の需要拡大を狙って、節分のイベントで巻き寿司の早食い競争を行ったことなどで復活したようだ。1989年にはある大手コンビニアエントストアが広島で販売を始めてヒットし、その後西日本での販売、1998年には全国販売を始めたと言う。その後は主要コンビニが追随し、テレビのCMやスーパーマーケットのPRなどによって普及し、ある全国調査によれば今では認知度は88%、食べた経験者は62%であったと言う。

 旧い風習ではあるが、やはり今の普及は海苔関係の業者、コンビニやスーパーの仕掛け、宣伝によるものが大きかったのだ。その意味では、きわめて現代的な風習だ。

  デパートやスーパーでは、今日は巻き寿司がコーナーに山積みされていた。

 デパートで
 スーパーで

 本来は七福神に因んで、干瓢、胡瓜、椎茸、伊達巻、鰻、でんぶなど7種類の具を入れて、福を食べるという意味合いもあるらしい。「福を巻き込む」という説明もあるという。しかし今では、巻き寿司さえ食べればよいと言うことになったのだろう、サラダ巻きや納豆巻きなどさまざまなものを「恵方巻き」として売っている。1本では大き過ぎると言う人のためか、ミニサイズと言うものもある。

 私は節分に巻き寿司を丸かじりすることはなかった。まして今では独居老人となった私が、一定の方角を向いて巻き寿司を黙々と頬張っている姿などは、何となく侘しく、不気味ではないか。それに正月の餅ではないが、うっかりしてのどに詰めでもしたらたまらない。半分かじりかけの巻き寿司を咥えて目を剥いている自分を想像するだけでおぞましい。