中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

「良い」教師(2)

2007-02-22 09:52:05 | 身辺雑記
 いったい、「良い先生」とはどの様な人物像になるのだろうか。言い換えれば「教師の資質」として、どのようなことが求められるのだろう。例えば次のような2つのタイプの教師がいるとしよう。

  Aは教えることはうまいし、よく勉強しているが、子どもは好きでなく、態度が冷たい。クラス経営などには無関心または嫌い。

  Bは子どもに対しては優しく接して、相談にもよくのってやる。しかし教科の力は弱く、教えることはうまくない。

  このAとBとはどちらが良い教師なのだろうか。Aのようなタイプの教師は高校などにはよくいて、受験指導では自信たっぷりで、それ以外の目的はないかのようなのをよく見かけた。大学進学を希望する生徒が多い高校ほど、大学合格者数を増やすことを唯一、最高の目標にすることが多いから、このような教師に対する評価はしばしば高い。その教師の態度が横柄で高圧的であっても生徒達は我慢している。それでは彼が「良い教師」なのかと言うと、そう言い切るのにはためらいを感じることは経験している。しかし、このようなタイプの教師は、中学校、小学校と子どもの年齢が下がるにしたがって評価も下がる傾向があるようだ。特に威圧的な態度は親にも敬遠される。

  Bのタイプの教師の大きな弱点は、専門職としての教科の力が弱いことだ。小学校でも都会では最近は私学、それも有名私学志望者が多く、教師の受験指導の力量が問われることも多いが、すべての教師に一部私立中学の受験問題にある「難問」を解く力があるわけではない。そもそも小学校の教育は私立中学校への進学を目標にしているのではないから、そのような要求に応えることは難しく、そこで昨今の学習塾全盛と言うことになって、教師に向かって「勉強は家でやらせますから、しつけは学校でお願いします」などとトボケたことを言う親も出てくることになる。

 特定の受験指導力ではなく、すべての教師が高い教科指導力を持つことは望ましいが、それはなかなか難しいことだし、教師になった途端にそれが自然に身に備わるわけではない。教師の仕事は、いわば職人の仕事に共通するものだから、常に初心を忘れずに研鑽し腕を磨いていかなければならないものなのだ。これはなかなか苦労も悩みも多いことで、私も若い頃にはひどく苦しんだ。初めの頃は、大学で学んできたことはいったい何だったのかとも思い悩んだものだった。毎晩2時3時まで教材研究をやらなくてはならないほど教えることは難しかった。その頃はパソコンはもちろん、コピー機さえもなかったから、補助教材を作ろうとしたらすべてガリ版を使わなければならなかった。私は生物を教えていたから、動植物の図をガリ版で描くのには労力が要った。1時間の授業の準備に10時間近くもかかったこともあった。あの教材研究の辛さは忘れられない。だから定年を迎えた時には、60歳を過ぎてから教材研究をする辛さを考えると、再び教壇に立つことは体力的にも気力的にも自信がなかった。

 良い教師の条件の中で最も大切なのは教科の力、指導力があることで、この力が弱い教師は専門職として失格だ。しかし学校の教師は心の発達の途上にある子ども達に日常的に接しているのだからそれだけでは不十分で、「人間が好き」、「優しい」と言う資質も非常に大切である。かつてある中学校の研修会の後の意見交換の場で、中年の女性教師が暗い表情で「私は生徒が嫌いです」と言ったのを聞いた時には唖然とし、心の中で「では、どうして教師をしているんだ」と呟いた。我が子が好きになれない親を持った子どもは不幸だが、生徒が嫌いだと言う教師に当たった子どももかわいそうだ。親も教師も自分で選べないから、子どもの心を傷つけてしまう。

 教師は人間というものについて楽観的でなければならない。未来のある子ども達が豊かな感性とたくましく生きていく力を持つように援助し、努力することに生き甲斐を持つことは、私のささやかな経験でも教師として欠くことのできないものと思う。完全無欠な人間などいない。自分の足りなさを常に自覚して努力して行けば「良い教師」に近づけると思うし、その姿にきっと子どもや親達は良い印象を持つだろう。

          

             中国湖南省で