中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

春節(chunjie)

2007-02-17 21:15:07 | 中国のこと
 今年の2月18日は春節と言う中国の正月で、中国人にとっては最も重要な祝日で盛大に祝われる。中国だけでなく世界中の中国系市民や韓国、ベトナムもこの日を祝う。広い意味では旧暦12月23日から1月15日までを言う。旧暦だから、新暦では毎年変わる。去年は1月29日、おととしは2月9日だった。

 春節の前日は除夕(chuxi)と言い、日本の大晦日に当たる。この日には皆ふるさとで一家団欒のときを過ごすから、とりわけ地方から都会に出ている人の帰省で輸送機関は大混雑する。数億人が移動すると言うから、日本の帰省ラッシュどころではない状態になるらしい。特に鉄道を利用する人がほとんどだから、何日も前からチケットを求める人達の行列ができ、日本の新聞の記事になることもある。中国には目的地まで何日も乗らなければならない長距離列車もあるから、除夕の数日前には乗車しなければならないことも出てくる。主要駅の前にたむろして列車を待つ大群衆の様子なども報じられる。

 2004年に上海の唐怡荷に招かれて、この日を彼女の家族と過ごした。除夕の夜の食事を「年夜飯(nianyuanfan)」と言い、各家庭では手作りのご馳走を食卓の上に所狭しと並べて家族皆で食べる。怡荷の家の年夜飯も色とりどりの料理が出されたが、名物の上海蟹などは皿に山盛りになっていた。それを怡荷と両親、彼女が当時付き合っていた青年、それに私の5人が食卓を囲んだが、とても食べ切れないくらいの量だった。しかしどれも非常に美味しいもので楽しく食べた。

         
         ひととおり食べても、まだたくさん残っていた。

 怡荷の親戚は皆遠い地に家庭を持っているし、怡荷は一人娘だから集まる人数も多くないが、親戚縁者が近くに住む家では帰省した家人も加わって非常に賑やかな夜になるらしい。西安の謝俊麗の家では夫の両親と兄夫婦と娘、それに俊麗のふるさと山西省から来た母親と兄の娘が集まるから、準備が大変よ、死にそうと言っていた。俊麗は会社に勤めているから忙しいことだろう。李真は仕事が忙しいので準備は両親に任せていると言った。李真の父親は料理が上手だから、きっと美味しいものがたくさん作られるのだろう。日本と同じように料理以外にも、縁起物などいろいろ準備することもあるようだから、どこの家庭でも家人は忙しくて、俊麗が言ったように「忙死了mangsile」(死ぬほど忙しい)なのだろう。

 食事の間に、テレビでは除夕恒例の番組が始まった。日本の紅白歌合戦のような人気番組らしいが、歌ばかりでなく、劇、踊り、漫才などが演じられるバラエティー・ショーで、観客も大いに楽しんでいる様子も映し出されていた。11時半を過ぎた頃から外では花火の音が鳴り出した。午前零時近くになると観客が一斉にカウントダウンを始め、私達もテレビの前に立って唱和した。そして「3、2、1」と数え終った途端に、テレビの舞台にはその年(もう前年になったのだが)大気圏外を中国で初めて飛行した宇宙飛行士の1人が美女達に囲まれて登場し、観客は大騒ぎになった。私達もカウントダウンが終わると、互いに「新年快楽!xinniankuaile」(新年おめでとう)と声を掛け合い握手し合った。外ではますます花火の音が激しくなっている。窓際に行って見るとあちこちに盛んに打ち上げ花火が上がっている。この花火はホテルや個人が道路などで打ち上げるものだが、かなりの高さまで上がり、色彩鮮やかに大きく開いている。爆竹の音も響いていた。

 昨年、新年を迎えてすぐに西安の李真と邵利明、謝俊麗に電話して「新年快楽」を言うと、李真も利明も楽しそうな声で、外は爆竹がすごいよと言っていたし、俊麗との電話では爆竹の音が聞こえていた。爆竹は都会では火災や人身被害を防ぐために禁止されていたが、やはり中国人にとっては「爆竹のない春節なんて」ということで次第に復活し、今年は北京でも解禁されるということだ。

 日本のNHKのテレビでは、紅白歌合戦が終わると一転して画面は静かになって、各地の寺の除夜の鐘を撞く光景や初詣に参る人達が映しだされ、鐘の音を聴きながら新年を迎えるが、それに比べると上海での年明けは、騒がしいくらいのまことに賑やかなものだった。国民性の違いもあるのだろうが、こんな賑やかな新年の迎え方も悪くないなと思ったりしたことだった。