今『日本と中国―相互誤解の構造』(中公新書)を読んでいる。著者は王敏(ワン・ミン)、中国河北省生まれの女性研究者で、法政大学国際日本学研究所教授。宮沢賢治の研究者として知られている。この本は日本と中国の文化、国民性の違いを述べたもので非常に面白い。この中に次のような一節がある。
中国社会では、謝意はそのとき限りが普通である。しかし「井戸を掘った人を忘れるな」という言葉がよく知られているように、中国でも感謝を子々孫々忘れてはいけないと教える。感謝すべき出来事なり対象なりが違うからである。ひとことで区別するのはむずかしいが、大義にかかわることは銘記され、日常的なことは一回の謝意で十分と考えるのである。一方、謝罪の行為は恥とは思われない。間違いを謝罪する行為はむしろ評価され、信用は高まる。謝罪に対して寛容な対応を示すことが評価される。謝罪すべき事態で謝罪しないときには厳しくなる。謝罪のほうは繰り返すことによって真意が伝わると考えるのが普通である。
ここを読んで思い出したことがあった。何年か前に西安の李真の家で夕食をご馳走になった翌日に、李真と会ったときに「昨日は有難う」と言うと怪訝そうな顔をした。「昨日はご馳走になって有難う」ともう一度言うと「先生(当時はまだ爺爺と呼ばれていなかった)はお礼の言い過ぎだよ」と言われたので、そんなものかなと少し違和感を覚えた。今にして思えば「謝意は一回で十分」ということだったのだろう。日本人であると「先日はどうも(ありがとうございました)」などと言うのはごくありふれたことで、むしろそれが礼儀に適ったものと考えられることなのだが、中国人にとっては日常的ではないことなのだろう。このような些細なことにも彼我の違いはあるものだ。どちらが良いのかということではなく、それぞれの国民性なのだ。
謝罪についても日本と中国の違いを痛感するのは、先の戦争について、中国に謝罪するということがしばしばわが国では問題になることだ。国として一度謝ればそれでいいではないか、何度も謝罪を求めるのはしつこいと中国を非難する声もある。中国では日本が謝罪を繰り返すことで日本を評価し、そこから両国間の堅固で良い関係が構築されると考えるのだろう。だから国としてはもちろんのことだが、日本の一部にあるように、日本は中国を侵略などしてはいない、残虐行為などはしていないなどと言えば反発も強いのは当然だ。
この本にもあるが、日本には「以心伝心」の風がある。多言しなくても解るだろうということは中国人や欧米人にはなかなか理解しにくいことらしい。だから謝るにしても明確な言葉で表現し、相手の対応からそれが十分に伝わっていないのではないかと思われたら、何度でも繰り返せばいい。それは恥でもなく面子がなくなることでもない。誠実な態度や行為は、民族や国民性の違いを越えて相互に理解されるものだと思う。
中国社会では、謝意はそのとき限りが普通である。しかし「井戸を掘った人を忘れるな」という言葉がよく知られているように、中国でも感謝を子々孫々忘れてはいけないと教える。感謝すべき出来事なり対象なりが違うからである。ひとことで区別するのはむずかしいが、大義にかかわることは銘記され、日常的なことは一回の謝意で十分と考えるのである。一方、謝罪の行為は恥とは思われない。間違いを謝罪する行為はむしろ評価され、信用は高まる。謝罪に対して寛容な対応を示すことが評価される。謝罪すべき事態で謝罪しないときには厳しくなる。謝罪のほうは繰り返すことによって真意が伝わると考えるのが普通である。
ここを読んで思い出したことがあった。何年か前に西安の李真の家で夕食をご馳走になった翌日に、李真と会ったときに「昨日は有難う」と言うと怪訝そうな顔をした。「昨日はご馳走になって有難う」ともう一度言うと「先生(当時はまだ爺爺と呼ばれていなかった)はお礼の言い過ぎだよ」と言われたので、そんなものかなと少し違和感を覚えた。今にして思えば「謝意は一回で十分」ということだったのだろう。日本人であると「先日はどうも(ありがとうございました)」などと言うのはごくありふれたことで、むしろそれが礼儀に適ったものと考えられることなのだが、中国人にとっては日常的ではないことなのだろう。このような些細なことにも彼我の違いはあるものだ。どちらが良いのかということではなく、それぞれの国民性なのだ。
謝罪についても日本と中国の違いを痛感するのは、先の戦争について、中国に謝罪するということがしばしばわが国では問題になることだ。国として一度謝ればそれでいいではないか、何度も謝罪を求めるのはしつこいと中国を非難する声もある。中国では日本が謝罪を繰り返すことで日本を評価し、そこから両国間の堅固で良い関係が構築されると考えるのだろう。だから国としてはもちろんのことだが、日本の一部にあるように、日本は中国を侵略などしてはいない、残虐行為などはしていないなどと言えば反発も強いのは当然だ。
この本にもあるが、日本には「以心伝心」の風がある。多言しなくても解るだろうということは中国人や欧米人にはなかなか理解しにくいことらしい。だから謝るにしても明確な言葉で表現し、相手の対応からそれが十分に伝わっていないのではないかと思われたら、何度でも繰り返せばいい。それは恥でもなく面子がなくなることでもない。誠実な態度や行為は、民族や国民性の違いを越えて相互に理解されるものだと思う。