昨夜の忘年会でのこと、何かの話の流れの中である男性が、私も含めた他の男性に向って「奥さんに愛していると言ったことはある?」と尋ねた。私は「あるよ」と答えたが、他の男性達もはっきりとはしなかったものの何となくあるような感じだった。
すると問いかけた男性は「そうかなあ。僕は一度もない」と言い、さらに「だいたい愛してるなんて、英語のアイラブユーを訳したもので日本語ではない」と言いつのったので皆笑った。自分の女房に愛してるなんて恥ずかしくて言えない、2人で外を歩くときは少し離れて歩く、手を握ったこともないと少し威張るように言う。よく見聞きする日本の年配の夫婦の姿だ。私の高校生の頃、両親が連れ立って歩くとき、母が父に寄り添って父の肘に腕を軽く手を添えて歩くのを見て、いいなあと思ったという話をしたが、たしかにそれは少し珍しい光景だったのかも知れない。
そうこう話が盛り上がったときに、1人の女性が「中国人も我愛你(ウォアイニイ)なんて言わないと思うよ」と言ったので、またひとしきりそのことで話が弾んだ。私は言うのではないかという意見だったが、確信はないので中国の友人に聞いてみるということにした。
それで今日、まず西安に出産のために帰っている上海の孫璇にチャットで聞いてみた。彼女は「恋人同士はたぶんよく我愛你を言うが、夫婦の間はあまり言わないね。中国人は」、「中国人も日本人も同じ」と言い、さらに「我喜歓你 (ウォシイファンニイ)をよく言うね」と言った。「あなたが好き」ということだ。彼女は、「我愛你は手紙とかメールとかでよく使うけれど、口に出すのはやはりちょっと恥ずかしいね」とも言ったが、何となく分かるような気がした。
2月に出産する西安の李真にも聞いてみたが、恋人同士はよく言うだろうし、まだ子どものいない若い夫婦も言うだろう、人によって違いますねと言い「陳偉(夫)はほとんど言ってくれなかったです。それでも安心です」と言ったので「李真は言ったか」と聞いたら「あんまり。冗談するとき言ったかな」と答えた。若い新婚の2人でもその程度のようで、彼女の言うように人によって違うのだろう。
東京にいるまだ未婚の上海人の施路敏に聞くと、「言われたことはないですね。ははは」と笑い、普通はあまり口にしない、恋人の間でもあまり言わないですねと言った。我喜歓你は言うと思う、愛してるとは軽く言えない、愛というのはちょっと重いでしょう、私はそう思っていますと言う。いかにも純情な施路敏らしい答えだった。
母親になった西安の謝俊麗に電話で聞いたら、子どもに「媽媽(ママ)愛你」と言っているようだ。「かあさんはお前が好きよ」。そこには喜歓以上の気持ちが込められているようで、母親の愛情の深さを感じさせる。劉君(夫)には言わないかと聞いたら、最近は言わないねと笑った。
こういうことで、忘年会で女性の1人が言ったように、どうやら中国人も我愛你とはあまり言わないようだ。西欧的文語的表現なのかも知れない。話のきっかけをつくった男性が言ったように、「愛してるは日本語ではない」は極端にしても、訳語的な感じで、日本人の感覚とは異質なものがあるのかも知れない。私が李真に、日本人と中国人は似ているということかなと言ったら、アジア人だねと答えた。そうなのかも知れない。
のろけるつもりは毛頭ないが、妻は私にとっては「好きだ」以上の「愛している」という感情の対象だったと今も思っている。
すると問いかけた男性は「そうかなあ。僕は一度もない」と言い、さらに「だいたい愛してるなんて、英語のアイラブユーを訳したもので日本語ではない」と言いつのったので皆笑った。自分の女房に愛してるなんて恥ずかしくて言えない、2人で外を歩くときは少し離れて歩く、手を握ったこともないと少し威張るように言う。よく見聞きする日本の年配の夫婦の姿だ。私の高校生の頃、両親が連れ立って歩くとき、母が父に寄り添って父の肘に腕を軽く手を添えて歩くのを見て、いいなあと思ったという話をしたが、たしかにそれは少し珍しい光景だったのかも知れない。
そうこう話が盛り上がったときに、1人の女性が「中国人も我愛你(ウォアイニイ)なんて言わないと思うよ」と言ったので、またひとしきりそのことで話が弾んだ。私は言うのではないかという意見だったが、確信はないので中国の友人に聞いてみるということにした。
それで今日、まず西安に出産のために帰っている上海の孫璇にチャットで聞いてみた。彼女は「恋人同士はたぶんよく我愛你を言うが、夫婦の間はあまり言わないね。中国人は」、「中国人も日本人も同じ」と言い、さらに「我喜歓你 (ウォシイファンニイ)をよく言うね」と言った。「あなたが好き」ということだ。彼女は、「我愛你は手紙とかメールとかでよく使うけれど、口に出すのはやはりちょっと恥ずかしいね」とも言ったが、何となく分かるような気がした。
2月に出産する西安の李真にも聞いてみたが、恋人同士はよく言うだろうし、まだ子どものいない若い夫婦も言うだろう、人によって違いますねと言い「陳偉(夫)はほとんど言ってくれなかったです。それでも安心です」と言ったので「李真は言ったか」と聞いたら「あんまり。冗談するとき言ったかな」と答えた。若い新婚の2人でもその程度のようで、彼女の言うように人によって違うのだろう。
東京にいるまだ未婚の上海人の施路敏に聞くと、「言われたことはないですね。ははは」と笑い、普通はあまり口にしない、恋人の間でもあまり言わないですねと言った。我喜歓你は言うと思う、愛してるとは軽く言えない、愛というのはちょっと重いでしょう、私はそう思っていますと言う。いかにも純情な施路敏らしい答えだった。
母親になった西安の謝俊麗に電話で聞いたら、子どもに「媽媽(ママ)愛你」と言っているようだ。「かあさんはお前が好きよ」。そこには喜歓以上の気持ちが込められているようで、母親の愛情の深さを感じさせる。劉君(夫)には言わないかと聞いたら、最近は言わないねと笑った。
こういうことで、忘年会で女性の1人が言ったように、どうやら中国人も我愛你とはあまり言わないようだ。西欧的文語的表現なのかも知れない。話のきっかけをつくった男性が言ったように、「愛してるは日本語ではない」は極端にしても、訳語的な感じで、日本人の感覚とは異質なものがあるのかも知れない。私が李真に、日本人と中国人は似ているということかなと言ったら、アジア人だねと答えた。そうなのかも知れない。
のろけるつもりは毛頭ないが、妻は私にとっては「好きだ」以上の「愛している」という感情の対象だったと今も思っている。