全国高校サッカー大会は伝統校の千葉県代表校市立船橋高が優勝して幕を閉じた。この大会の我が兵庫県代表は初出場の西宮市立西宮高校(市西宮)だったが、県予選では準決勝で昨年の全国覇者の滝川2高を、決勝で神戸弘陵の強豪を破った。県ベスト4に入ったのは市西宮以外はいずれも私学で、選手を集めることでは私学には伍せない公立校としてはよく頑張った。全国大会での緒戦は優勝候補の山梨学院大付属を、続いて近畿大学付属を破ってベスト8に入ったが、第3戦目で大分高校(私学)に惜敗した。第1戦での勝利から、マスコミも数少ない公立普通科高校ということもあってか注目し始め、私が読んでいる新聞は大分に敗れた記事も、大きな見出しで「市西宮 国立届かず」「文蹴両道『国立大には行く』」として、「『公立の星』が消えた」と、試合経過とともにサッカー部の実情も次のように紹介していた。
「進学を重視する学校方針もあり、普段の練習は2時間限り。グラウンドも他部との共用で、練習場所も十分ではない。3年生9人全員が14、15日にセンター試験を受験する。上京してからも、深夜午前1時半まで勉強を続けてきた。部活動と勉強の両立で養った集中力が快進撃の源だった」
私が教師になったのはこの高校だったが、当時を思い返すと隔世の感があると感慨深い。当時(昭和33年)は西宮市の公立高校は3校、県立2校と市立1校だった。その中で評価が高かったのは県西宮高校で、市西宮高校は低いどころか、時には侮蔑的な評価も受けていた。市内の中学生たちは多くは県西宮校を希望し、定員の都合で入れない者は市西宮に回されたから、入学生の中には「回された」と不満を持つ者が少なくなかった。そうは言っても、生徒会の役員たちや教師の努力もあって、やがては落ち着いて適応したが、残念ながら中学校の父母や教師たちの評価は低く、中学校の教師の中には「レジャーランド」などと生徒に言う者もいたらしい。勉強はあまりしないで、クラブ活動が盛んだと皮肉っていたようだ。教師も資質が低いと思っていたのか、ある中学校の3年担当の教師との進学懇談会をもったときに、席上、中学校の教師の1人が「先生方はもっと勉強してください」と発言した時には、まだ新任で、毎日一生懸命に勉強していた私は非常に腹が立ち、その時に発言した教師の顔を今だに覚えているくらいだ。
しかし、私は生徒たちが好きで、授業にはもちろんのこと部活動(生物部)にも打ち込み、生徒達もそれに応えてくれたから、充実した教師生活を送ることができ、今も「あの頃に」、「市立西宮高校」の教師をして良かったと思っている。
それから50年以上たった今では市内の公立高校は9校になり、市西宮校は進学ではトップ校とされるようになった。私は大学進学率だけで高校を評価するのは好きではなく、青年期にふさわしく、運動部に限らず部活動にも打ち込み成果を上げることが望ましいとかねがね思っているが、今回のサッカー部の活躍は、とても好ましいと思う。新年早々に気持ちのよいことだった。