「大寒」が過ぎ(今年は1月21日)、寒さも強くなった。全国的に寒気に覆われて、日本海側や北海道では特に寒さが厳しく雪も多いようだ。これは「ブロッキング高気圧」という現象の影響で偏西風が蛇行し、上空に寒気が居座ったためだそうだ。この冬型の気圧配置は2月上旬まで続くらしく豪雪になると予想されている。北国の人達の生活が思いやられる。
若い頃は寒いのも暑いのも大して苦にならなかったが、年をとったせいか、両方とも辛くなった。どちらかと言うと暑いほうが苦手になっている。若い頃に比べるとクーラーなども整備され、屋内では涼し過ぎるほどなのだが、屋外の暑さは目が眩むほどだ。特に都会ではヒートアイランド現象とやらでとても暑い。このところ真夏には熱中症で死ぬ人も増えている。独り暮らしだから、夜間の温度調節には気を遣いクーラーも1,2時間で切れるようにするが、そうするとその後で暑さで目が覚めるから厄介だ。
暑い時に外出するのは辛い。できるだけ薄着にするが、それでも外出するのに下着姿というわけにもいかない。その点寒いときは着るものを増やせばいい。特に最近は防寒のための繊維も工夫されて冬の衣類は昔に比べると格段に良くなった。それに歩いていると体が温まるからいいが、暑い時は体力を消耗するだけだ。
しかし、昔は夏よりも冬の生活のほうが辛かったのではないだろうか。例えば、今でも冬のじめじめしたような寒さの京都では、平安時代の生活はどんなものだっただろうかと思う。今に残るその時代の建物や絵巻物などで見ると、貴族の生活にしても吹きさらしのようでいかにも冬は寒そうだし、まして庶民の生活はずいぶん寒いものだっただろう。現代人ならそれこそ凍え死んでしまうのではないかとも思う。
江戸時代にしても、江戸の冬はかなり寒かったようだ。深川の辰巳芸者などは冬でも素足だったらしいし、いなせな若者は薄着だったと言うが、単なる我慢ではなく、寒さに対する耐性は今よりもずっとあったのだろう。それほど昔のことでなくても、私の子どもの頃は東京や滋賀県の大津にいたが、今よりは雪や凍結も多くて寒かった。それでもその頃は暖房といえば火鉢の炭火だったが、その小さな火に手をかざしているだけで体が温まるように感じたものだ。そうすると僅か5,60年くらいの間に私たちは寒さに対する耐性を衰えさせたのかも知れない。
冬にしろ夏にしろ、現代の生活は寒さ暑さを防ぐ設備、手段が整い、その点では快適で良いことだが、その反面、環境に対する耐性はどんどん弱いものになっているのではないか。