中国の古いことばは今でも日本語の中に生きていますが、その一つの「日暮れて途(みち)遠し」は、今から2500年ほど前に中国の春秋時代を生きた呉の政治家で軍人であった伍子胥(ごししょ)のことばです。彼は司馬遷の「史記」に特に「伍子胥列伝」として挙げられ、その中にこのことばがあります。理由ははっきりしないのですが、私はこのことばに何かしら惹かれます。
伍子胥は初めは楚に仕えていましたが、平王に讒言によって父と兄とを殺され、呉に逃れて、後に呉の将軍となり楚の都を陥落させました。しかし父と兄の仇である平王はすでに死んでいたので伍子胥は、その遺体を引きずり出して300回鞭打ちました。凄まじい復讐の念ですが、これが「死者(屍)に鞭打つ」という慣用句になっています。この行為に対して伍子胥のかつての友である申包胥(しんぽうしょ)が使者を送って「貴君もかつては楚に仕えていたではないか。死者を辱めるのは天道がないことの極みだ」と諌めます。
これに対して伍子胥は使者に答えて「我が為に申包胥に謝シテ、曰(イ)エ、吾 日暮レテ途遠シ、吾 故ニ倒行シテ之レヲ逆施(ゲキシ)スト。」と言い送りました。「あえて無茶な、道義にそむくことをした」ということです。
「日暮れて途遠し」は「年老いてなお前途が暗く、容易に目的が達せられない」ことの譬えに使われますが、このことばを言った伍子胥の心情には、いつまでも晴れない復讐の念にさいなまれる絶望感があります。死者に鞭打って父や兄の復讐を果たしたつもりでも、実際にはそれでは晴れない暗黒の境地があります。
この伍子胥のことばは、一階知義・筧久美子・筧文生『中国ことばの散歩』(日中出版1980年)の中で、筧久美子氏が紹介していて、それを参考にしましたが、その中で氏は次のように言っています。
光明や希望とは無縁の、深い絶望がある。人間が人間に向かって「復讐を遂げる」、あるいは「復仇の成功」とは一体、どういうことなのであろうか。殺されたから、殺しかえす。それで胸がはれ、せいせいするのだろうか。もしそうだとすれば、戦争のあとしまつは大量の殺人を容認しなければおさまらなくなる、殺人とまではいかなくとも、無用のマサツで人間関係をそこなう出来ごとがあとを絶たない世の中では、復讐は陰湿な怨恨を再生産するだけだ。
私も年をとりましたが「年老いてなお前途が暗く、容易に目的が達せられない」という焦りなどはありませんし、まして伍子胥のように前途に絶望はありません。それでもこのことばに惹かれるのは、彼の生き方に強烈なものを感じるからかも知れません。