中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

職人の心意気

2012-11-24 07:43:12 | 身辺雑記

 私は去年の6月に「職人」と題する文をブログに上げて、その中でこのように書きました。 

 

 私は「職人」という言葉が好きだ。言葉というよりも職人そのものが好きだ。手先一つで物を作り上げていくその仕事にとても興味を惹かれる。職人とは「手先の技術によって物を製作することを職業とする人」(広辞苑)だが、かつては身近にいた職人も近頃ではあまり見かけなくなった。現在では手工芸品の製作者、建具作り、指物師、大工、左官、庭師などを職人と言うが、大工も「工務店」とやらになって、何となく職人と言うよりは技術者という感じになったし、左官なども必要とする建築が少なくなったのか、以前のように壁土を練っている姿を見かけない。もっとも地方に行けば伝統工芸品の製作者などの職人はまだまだ多く存在しているだろう。(中略)職人と言うと何か貶めた感じを受ける向きもあるようだが、私には軽々には余人が真似できない熟練を必要とする仕事を生業にしている職業だと思い、「職人」と聞くとある尊敬の念を抱く。 

 

 最近、職人に関すろ本を4冊買いました。どれも新書版ですが、その一つは塩野米松『ネジと人工衛星 世界一の工場町を歩く』(文藝春秋)と言って、東大阪市の高井田という町の町工場の経営者を訪ねて聞き書きしたものです。著者の塩野さんは「聞き書きの名手で、失われゆく伝統文化・技術の記録に精力的に取り組んでいる」と紹介されています。この本には高井田の13の工場の経営者が紹介されていますが、業種はスプリング製造、金属加工、ネジ製造金型製造など様々です。採録されている経営者は多くは祖父が創業した3代目ですが、その仕事にかける情熱には打たれます。仕事の実態は現場の作業工程の写真がないので少し分かりにくいのですが、なみなみならない精密なものもあります。ある精密部品や金型等の金属表面処理業者の創業者の息子は「僕らの世界ではミリっていう単位は大きくて、みなさんのメートルくらいの感覚です」「基本的には肉厚と硬度を増すために注文が来るのですが、肉厚ったって0.5ミクロンですからもう感覚の問題です」と言っていますし、別の金型肉盛り、修理業者は「100分の1ミリ台の溶接を顕微鏡を見ながらするんです。一番細い線は0.1ミリ。髪の毛よりも細い線にレーザーをピッと当てると100分の1ミリぐらいの分だけ溶けてくっつく。僕は指先の感覚で100分の1ミリは分かります。」と言っています。まさに職人芸です。 

 中国との関係がある企業も少なくないようで、技術支援をしているところもありますが、まだまだ中国の製品の品質は、少なくとも高井田の企業のものよりは劣るようで、あるバネ製造の企業の経営者はこんなことを言っています。「中国はどんな品物作ろうが、金を儲ける人が偉い人や。それが評価されるねん。その気質がもう日本人とは違う。ええもん納めて金もらうのが日本人のお金の儲け方や。そのへんが文化の違いや」。日本の職人の心意気というものでしょう。 

 日本の工業技術は何も大企業だけが持っているのではありません。この東大阪市高井田の町工場のような所の独自の技術が、日本の工業の底を支えているのだと、淡々と語る経営者達のことばに感心しながら思いました。