先週の三連休の最後の日曜日に、次男の家族3人(孫娘は部活で不参加)と比叡山の延暦寺に行きました。延暦寺には5月にも次男と2人で行ったのですが、行ってからちょっとした道の間違えで、中心の根本中堂に行きませんでしたか、効用の季節でもあるし、もう一度行こうということになりました。山上のモミジはほとんど終わっていましたが、行く途中には美しい紅葉、黄葉が楽しめました。
根本中堂はすぐに行けて、前はなぜ間違ったのかと不思議でした。根本中堂は延暦寺の総本堂で、伝教大師最澄が788年(延暦7年)に一乗止観院という草庵を立てたのが始まりとされ、本尊は刻んだ薬師瑠璃光如来とされています。その前に最澄がともした灯火は1200年間一度も消えることなく輝き続けているので、不滅の法灯と呼ばれているそうです。もっとも1571年(元亀2年)に織田信長の比叡山焼き討ちで根本中堂は焼失しましたが、再建後は山形にある立石寺から分灯を受けました。
次男の家族は根本中堂の中に入りましたが、私は人が多いようなので外で待っていました。最初に次男と孫息子が出てきて他の堂を観に行きましたが、次男の嫁(ひとみと言います)はしばらくして出てきて、素晴らしかった、厳かであのような所は初めて見ました、現世とあの世の境目のように思いました、お義父さんもぜひ見ましょうと強く勧められ、一緒に中に入りました。中は観光客でいっぱいでしたが、ある場所から内陣の中を覗いてみると正面の薬師如来の像の前は深く掘り下げられていて薄暗く、非常に神秘な感じでした。ひとみが現生とあの世の境目のように思うと言ったのも分かるような気がしました。中陣や外陣より3mも低い石敷きの土間となっていて、僧侶が読経、修法する場所で別名「修業の谷間」と言われているそうです。
私はもともと非情、残酷なところがある織田信長は好きではないのですが、このような荘厳な場所を焼き払い、上人や僧侶から子どもに至るまでことごとく斬首した悪行は不愉快なものだと改めて思いました。一般には英雄とされていますが、戦国の世が生んだ異常な人物ではないでしょうか。
大講堂と鐘楼
それからしばらく時間を過ごし、帰途につき、琵琶湖畔沿いの道路のわきにあるタイ料理の店で少し遅い昼食をとりました。夕方陽が落ちてから我が家まで送ってくれましたが、別れる時にひとみが根本中堂のお守りをくれました。息子は「信仰心のない人に上げるか」と笑いましたが、「長寿守」とあり、ひとみの気持ちが嬉しく、大切にしようと思います。
快晴に恵まれて家族と過ごした一日は、とかく無聊に過ごしている私には嬉しいものでした。