所用で、幼・少年時代を過ごした旧大野町(現北斗市)へ出掛けたついでに、いつもは素通りしているが、今回は、自分の子供の頃遊んだ場所や毎日通学で通った道の面影を探してあちこち車で走ってみた。家もすっかり変わってしまって、なかなかそのまま残しているところが見当たらない。
小学校も2度建て替えられて、校地も含めて自分の脳裏に浮かぶ光景とはまったく別物である。中学校も別の場所に移って、今はスポーツセンターや中央公民館となっている。昔、田んぼや畑だったところは住宅地になり、ドジョウやフナやトンギョ(トゲウオ)捕りをした道路沿いの小川はなくなり、昔なかった道路があちこちにできている・・・。それでも、役場の向かい側の3軒の建物(当時の郵便局長さんの煉瓦造りの家、その南隣の石造りかコンクリート製の倉庫と今は理髪店になっているコンクリート製の建物)は当時のままであった。
よく近所の子ども達が集まって日が暮れるまで遊びまくった原っぱは、町営のせせらぎ温泉の敷地になっているし、その直ぐそばの大野川も護岸工事で昔の面影はまったくない。自分の住んだ2軒の家はとおの昔になく、別の家が建ち、近所の家もその周りの様子もほとんど変わっている。家の前の道路の広さは変わっていないはずだが、子供の頃そこで野球をしたなんて信じられないほど狭い。
当時、毎日欠かすことなく遊んでもらったひとつ年上の友人が向かいに住んでいた。その場所に建つ新しい家の表札を覗いてみたら、その名前だった。懐かしさに堪えかねて訪ねてみる。しかし、仕事に出て留守だった。もう、35年は逢っていないはずだ・・・。今度また訪ねて子供の頃の話を懐かしんでみたい。
唯一、当時の面影が残っていると言えば、意冨比(おおひ)神社の境内である。神社も社務所も改修されているが、大きな杉の木と樹齢350年を越える大きな4本のイチイの木と境内そのものは、おおよそ当時の面影を残している。
その前に立って目を閉じれば、8月末のお祭りの光景が目に浮かぶ。鳥居を潜れば、両側にびっしりと並ぶ露店、神社の右側には演芸会用の舞台・・・。お祭り用にもらった30円の小遣いを握りしめて、一回5円で1本か2本当たる味噌おでん屋の前や大体が5円だったクジ屋の前をうろうろする自分の姿が目に浮かぶ。それらを我慢して、毎年のように買ったのは、火をつけた輪切りのローソクを乗せると、ポンポンと音を立てて、水を張ったたらいの中を走り回るブリキの船である。いくらだったかは忘れたが、それを買えばほとんど残らなかったような気がする・・・。
最後に、郷土資料館に寄った。当時、農家の友達の家で手伝ったときに使った農機具や当時の生活用品、当時の写真などが懐かしかった。相手をしてくれた若い学芸員に、こちらがそれらの説明をすると、感心して聞いてくれるという逆転現象が面白かった・・・。