今日は距離が短いが、これ以上進んでも、駅も宿もない。幸い、本郷駅前にホテルがあったので、ここをゴールとせざるを得なかった。
尾道宿~24三原宿
3連泊となった福山市から尾道に電車で移動。
7:00、一昨日のゴールとした林芙美子像の前をスタート。旧道は尾道駅の裏に続いている。
間口が狭い家が建て込んでいて、家並みがごちゃこぢゃした感じがする。
そんな中で一軒だけ大きな旧家がある。創業安政元年の「吉源酒造所」である。どこも、酒蔵は歴史が古いので、旧街道沿いにあるのが常である。
やがて、「七曲り」という所に差し掛かる。ただ曲がっているのではかく、急な坂道になっていて、道路の横に階段もある。それを登り切ったら中学校のグランドに入っていく。間違えたと思ったが、サッカーゴールの後ろ側を通るようである。そこを抜けたら、再び、家並みが続き、くねくねと曲がりながら下っていく。
その先で少し平らな旧道が続くが、再び、くねくねと登っていく。高速道路の上を通るガード手前が、昔は「大人峠」と言われた所らしい。
下っていくと、「大人峠 一里塚跡」の碑が立っている。横に「三原市内一里塚4ヶ所の最東端」と彫られている。
大人峠が尾道市と三原市の境界のようだ。
上のみかんは、聞いたら「はるみ」という種類らしい。下の小さいのは、キンカンか?
やがて、国道歩きとなる。左手に瀬戸内海を望みなからの開放的な眺めだが、通勤時間でもあり、交通量がものすごい。
再び、線路沿いの旧道を進むと、「六本松一里塚跡」の碑。もともとは線路になった所にあったらしい。
一里塚跡の先に「糸崎神社」がある。神功皇后が西征の帰途、船を寄せられた際に水を献じたという故事によって、天平元年(729年)創建された。神門は、三原城内にあった侍屋敷門の一つが移設されている。
その少し先に、松ノ木の太い幹と祠があり、神功皇后が西行の途中、この地に立ち寄った時に、船をつないだ松といわれている。
その後、国道を進む。糸崎駅前を通る。しばらく進んで旧道へ入る。
右手奥に、三重の塔が見える。どうやら、専福寺のものらしい。
24三原宿~本郷宿
ガード下を潜ると、三原宿へと入っていく。ここも間口の狭い家がびっしり軒を連ねている。
立派な古い工場風の建物が見えてくる。有名な「酔心 山根本店」の看板。「横山大観愛飲の酒」とも書かれている。
善教寺の入口に「伊能忠敬 観測地」の碑。「文化3年(1806) 文化6年(1809)測量」と彫られている。
本陣跡の標識等はなかったが、橋の手前の一角がその跡らしい。
やがて、「史蹟 三原城跡」の石垣が現れる。この城は、小早川隆景が永禄10年(1567年)に築城している。国鉄が敷かれたときに、本丸跡を三原駅にしたという。左後ろの建物が三原駅である。
城跡の旧街道に沿った鍵形の部分が三原城跡歴史公園になっている。
城跡を抜けると、再び、ごちゃこぢゃとした家並みが続く。
ごちゃこぢゃした中にも、旧家はわすかだが存在している
右手に順勝寺がある。山門は、三原城内にあった御作事奉行所門を明治10年に移設したもの。築城当時の建築物が当時の状況を保存してあるものが非常に少なく貴重である。
三原宿を抜けてしばらく進むと、「国境石」があるはずの地点にいくら探しても見当たらない。そばで仕事をしていたおばさんに聞いたら、もう少し手前だとのこと。戻って、探したら、ちょっとした峠状の地点にあった。
「国境石」には「従是東 備後國 従是西 安藝國」と刻まれている。今は、どちらも三原市である。
そのあとしばらくは、人家が途絶え、旧道や国道を繰り返すように進む。
ちょうど、昼近くになり、国道歩きになったところで食堂があった。ランチの中に、お好み焼き定食があったので、それを注文。広島はお好み焼きが名物である。
再び、人家の少ない国道と旧道を繰り返して進む。やがて、本郷宿に繋がる整備された道路へ入る。
いかにも旧街道の町並みといった感じの本郷宿へと入っていく。本郷支所の向かいに、「佛通寺道 稲荷道」と彫られた文化6年の道標が立っている。
この稲荷道が今日のホテルに繋がる道である。14:00、まだ本郷宿は続くが、ここを今日のゴールとした。
チェックインには早すぎるので、ホテルそばの本郷駅でブログの下準備をして過ごした。
15:00、本郷グランドホテルに到着。一番安い部屋を頼んだら、トイレも風呂もない和室で、4280円だった。じゃらん対象の宿ではないので正規の料金だが、十分安い。しかも、麦飯石を使った人工温泉で日帰り入浴もやっている。
チェックインして、すぐに、温泉もどきの大浴場へ駆け込んだのは言うまでもない。
今日の歩数計 40000歩。
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