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硫黄山の700mほど手前の山中に忽然と現れた旧熊泊鉱山の遺構
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GPSトラックログ
国土地理院の地形図に載っている函館市内の山で、唯一登り残していた(というよりは見落としていた)山があった。それは、旧南茅部町の磯谷川の上流にある硫黄山(430m)だ。三角点があるわけでもなく、この山のすぐ下に明治37年から昭和28年まで、硫黄を採掘していた熊泊鉱山があったことが山名の由来のようだ。地図で見ても、実際に登っても、泣面山と熊泊山に挟まれた、磯谷川の谷間にある小山だった。
今回は、単なるピークハントだけでなく、ひょっとしたら、熊泊鉱山の遺構も目にできるかもしれないという期待も込めてトライした。ネット上では、この山に登ったという記録も遺構の画像も見当たらない。
硫黄山のすぐ下まで昔の鉱山の道路跡が地図に載っている。しかし、木や笹で覆われて、あちこち崩壊しているらしいとの情報を得ていたので、積雪期に狙っていた。今年の1月下旬にSHOさんと二人で狙ったが、天候が悪くて諦めていた。
磯谷第二発電所までは除雪されている。その道路が発電所へ向かって下り始めるところに林道入口がある。今回は、一人で出かけた。スキーも用意していったが、堅雪なので、かんじきを持参し、スパイク長靴でスタート。結局、かんじきは使うことがなかった。
スノーモービルのトレースが続きている現在も使われている林道を30分ほど進むと、分岐がある。スノーモービルのトレースにつられて左に入ったら、磯谷川から離れて行く。GPSで確認すると、別な林道だった。
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少し戻ったら、右に古い林道が続いていた。これが進むべき道だった。
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案の定、道路だったところは幼木や灌木で覆われている。
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それでも、眼下の磯谷川沿いの谷間の向こうに噴火湾が見えるところもある。
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1時間半ほど歩いたら、目の前に忽然と鉱山の遺構と思われるものが現れた。
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その先の林道跡を進むと、硫黄の臭いがしてきた。
少し進むと川が流れていて、その源流が地中から激しく湧き出していた。
水面に触ってみたら、冷たくなかったので温泉のようだ。
地図上の終点まで進んで、右手にようやく目指す山が見つかった。
林道から離れて北へ方向を変える。10分ほど登山気分を味わって、山頂に到着。
2本の木に古いピンクテープが結ばれていた。自分のほかにも物好きな人がいるもんだ。
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南東のすぐそばに迫る泣面山をバックに記念撮影。
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その反対側の北西には、磯谷川を挟んだ熊泊山。10分ほど休んで下山開始。
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大きな遺構のあった場所のすぐ下の林道跡から、登った硫黄山が良く見えた。
ここに住んでいた人にとっては、生活に密着した大切な山だったのだろう。
生活の場だっただろう広い平坦地は、閉山後トドマツの人工林になっていて、その痕跡は見られないのが残念。
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その下の林道の周りに、ほかにも遺構がないかキョロキョロしながら歩いて、見つけた小さな遺構。
どちらも取水装置のような感じだった。
7:00スタート、登り2時間、下り1時間40分。11:50ゴール。往復約10km。
帰りは、大船温泉ひろめ荘に入って、昼食を食べた。
○熊泊鉱山の歴史(「南茅部町史」から抜粋)
1903年(明治36年)磯谷川の上流、熊泊山の東山麓に硫黄鉱が発見された。
1904年(明治37年)から硫黄に採掘のため操業、その5年後に大雪のため崩壊事故が起きて31名の死者が出た。1916年には硫黄の産出は日本1位となっている。
函館港まで運び、アメリカやオーストラリア、ロシアにまで輸出する重要な輸出品となっている。
函館港への運搬は、馬車ではなく磯谷川の右岸に積み出し桟橋が出来て、3000トン~4000トンの汽船が停泊出来るようになり、船で運ばれた。そして、函館港から世界の港へと輸出されていった。
操業は、1953年(昭和28年)まで、50年間も続けられたが需要がなく、閉山。最盛期は小学校まであった。
なお、南茅部町史ではなく、自分が大船に住んでいたときに、泣面山麓の昔の万畳敷開拓へ通じる道がこの鉱山から急な尾根に続いている古地図を目にしたことがある。万畳敷開拓に人はその道を往来したと聞いている。
この鉱山については、函館市史にも触れられている。
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帰りに寄った、大船遺跡入口にある大船寺の境内に、1925年(大正14年)建立の「熊泊鉱山 先亡諸精霊塔」とある。
明治42年の大雪のため崩壊事故で亡くなった31名の死者もここに祀られている。
詳しい山行記録は、下記でどうぞ!
http://sakag.web.fc2.com (アップ完了)
旧磯谷温泉跡と磯谷発電所の写真も撮ってきたので、明日のブログにアップ予定。
廃鉱はなかなか趣がありますよね。
ところで函館マラソン、無事エントリー完了です。
ホテルは押さえてありますので、あとは交通手段ですね。
こちらからだと東京に行くより費用と時間が掛かります。
まぁ、参加は今回限りで来年はサロマに復帰いたします。
申し込んでしまえば、何となるだろういう心境です。
交通手段が大変ですよね。私なら、翌日休みを取って、車でしょうね。
サロマ止めての参加ですか。函館の人はどうするんだろう?
かつての山登りやヤマベ釣りの中で廃屋や廃坑、そして廃校舎を目にした時の感懐がよみがえります。
「往にし世を静かに思へ百年も昨日のごとし」ですね。
一人歩きは、自分の基本なので、寂しいと思うことはありません。特に昨日は、期待通りに遺構を目にできて、大満足でした。
山に登って、廃鉱や昔の開拓や廃校の跡地を目にすることがありますが、そこに展開されていた生活の営みが偲ばれて、感慨深くなります。