拙サイトで箱館戦争の古戦場となった二股口台場山や峠下台場山の記録を見たということでメールをいただいていた城郭や古戦場に関する埼玉県の研究家Niさんが来函した。自分は十分な案内はできないので、この件に関しての踏査研究の第一人者であるも~さんに案内を頼んで、あちこち踏査して歩いた。
まず最初に天狗岳の見えるところまで行って、この山にも記録によると、塹壕があるが見つけることができないという説明を聞く。
その後、二股岳への林道を少し進んだ送電線の下から台場山とその後ろの山を眺める。この場所は、旧江差山道の旧道が通っていたところで、新政府軍の本拠地だったところだそうだ。
そして、二股口古戦場跡へ。
ここでは台場山にたくさんある旧幕府軍(土方歳三隊)の造った塹壕跡を中心に案内してもらった。も~さんが発見した塹壕等の場所へ藪漕ぎで全部見せていただいた。普通の方にはここまで案内しないとのこと。Niさんも自分の足で現地踏査を基本にした研究家で、藪漕ぎは厭わないとのことでとても喜んでいた。
稲妻型塹壕の中で
台場山の先端部分の塹壕跡~ここまでも笹藪漕ぎ
箱館戦争時の下二股川へ下る旧江差山道の旧道跡を歩く。
この川を挟んだ向かい側に新政府軍の本拠地があったとのこと。
台場山の後ろ(北)にある山の急斜面を藪を漕いで登ったが、そこにも3ヶ所の塹壕跡があった。
一番奥のピークには大砲が設置されたという記録があるそうだ。しかし、痕跡はない。
自分もこの古戦場跡は一度行ったことはあるが、見て歩いたのは、きれいに歩ける標識のある部分だけだった。しかし、も~さんと藪漕ぎを厭わないで感激しているNiさんのお陰で、二股口台場山の全容と、当時の戦いの様子がイメージ豊かに把握することができた。
下山後、峠下台場山へ移動
峠下台場の中で
も~さんも自分も初めて下った台場からの下りで偶然見つけた塹壕跡(これは新発見?)
箱館戦争勃発之地碑が建つ箱館戦争戦死者墓地
峠下の旧道のそばにある庚申塚の上にある松前藩(新政府軍)が造ったとされる塹壕跡
最後に、戸切地陣屋跡へ
ここは、松前藩が五稜郭より先に造った洋式城郭
箱館戦争が始まって、五稜郭を占拠した旧幕府軍に使われるのを嫌がって、松前藩が火を放って松前へ敗走した・・・その遺跡がきれいに復元されている。中に生えている木々のみごとさに歴史を感じる。
も~さんが用意してくれた資料
夜、居酒屋で、歴史談義に燃える・・・。
も~さんの6/19の日記「台場案内」は下記からどうぞ!
http://dp04131457.lolipop.jp/2011nikki/12june.htm
http://dp04131457.lolipop.jp/2011nikki/12june.htm
連日道案内お疲れ様です。
それでもそのあとのビールが美味しそうだからいいですね。
今晩はビールはなしです