大阪中之島にあった新大阪ホテルのパンフレットが、ちょっと高かったですけど、ありましたので「えいっ。」と購入しました。 1935年開業。
パンフは戦後すぐのものと思いますが、最新設備を誇っていて、冷暖房換気は当然で、「セントラルオヴザヴァンス」、「デノーティングシステム」「ヌーマチック転送管」を完備しておりました。
デノーティングシステムは客室の存否標示、ヌーマチックは伝票などの連達をなし会計事務の迅速化を計るものだそうです。
セントラルオヴザヴァンスって何なのでしょう。。
武田五一が関わっているそうです。(重要)
で、近藤熱帯魚店へ。天五中崎商店街にあります。
基本は熱帯魚屋さんですが、ビールなども出していらっしゃいます。
中々良いでしょう。
熱帯魚、また、飼おうかな、と思いました。水草が綺麗。今は水草のためにボンベで二酸化炭素を送っているのだそうです。写真の小型水槽で、15000円程度だとか。ネオンテトラとか好きだな。
ヴァンスがわからないですね。
ちなみに建築雑誌の1935年5月号に新大阪ホテルの
竣工記録が掲載されていますが、この語はない。(CiNiiで見れます)
実は「空調」にほとんど興味がないので、わからないんですが。
パンフレットはてっきり戦前と思って買ったのですが、戦火の為廃墟から・・とか、省線と京阪が入った地図に、料金がシングルで1500円以上となっているので、戦後のようです。
CiNii役立ちそうです。
結婚式ですか。当時はかなり格式が高かったのではないでしょうか。
パンフレット購入時はてっきり戦前と思っていたのですが、中の案内文に「戦火を経て復興がなって」の文章があって戦後とした訳です。写真はどうみても戦前だ、と思いますが。
今、わたしの渡世日記(高峰秀子)を読んでますが、当時(昭和4年)で給料が35円だったそうです。大卒初任給が60円。部屋代は価値的には今と変わらない?かもしれませんね。
建物が今もあったらと思いますが、日本では無理ですね。
高峰さん、お知り合いですか。羨ましいです。
参考文献に「建築と社会」18巻3号と「衛生工業協会誌」9巻11号が示されていました。
衛工誌は家具も扱っており、当時の花形建築だったことがわかります。
さて問題のセントラルオヴザバンスについては
両誌に掲載がありませんが、中央監視盤はでてきます。
まさか、セントラルオヴザ盤’S?
中央監視盤ですか。それかもですね。でも盤はどうしてヴァンスなのか。なぞ。ちょっとハイカラにしたのかもしれませんね。