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写真は 銀竜草…ギンリョウソウ)
今回の尾瀬では
これまで とったことのないコースも
たくさん歩いた。
今まで見たことのなかった尾瀬の顔に
いくつも出逢えたが
そこにいたるまでに、
わたしとしては かなり難航したところも…
雨つづきの天候だったこともあって、
思いのほか きつかった。
それでも、
それを越えたあとには
ここちよい疲れとともに 満足感だけが残るのだから
不思議といえば 不思議だ。
登山は よく人生にたとえられるが、
なんだか今回は しみじみそれを実感した気がする。
だれにも代わってもらえない、
生きるに必要な自分の荷物を背負って、
自分の足で ひたすら歩く。
時折 足を止めて休憩したり、
まわりの風景に目をとめたり、
汗をかいているときの
ここちよい風に癒されたり
甘露の水を 味わったりしながら。
これまで歩いてきた道を振りかえれば、
けっこう 登ったんだな
がんばったんだな
と チョット誇らしい気持ちに。
遠景の山の美しさに、
足元の花たちの可憐さに
こころを癒されながら、
めざすところまで 一歩一歩 ただ歩きつづける。
途中、雨に降られたら
もしくは 降られそうな時には
まず ザックカバーは早めにザックにかぶせておく。
小雨、もしくは すぐにやみそうな雨なのか
ひどくはなりそうでも やみそうにない雨なのか
それによって
折りたたみの傘だけでしのぐか、
傘に加えて
セパレートの雨具の 下だけはくとか、
傘はなしでフル装備するとか 検討する。
わたしの場合は、
リーダーであるぶるうぴーたーさんの指示をあおぎ、
それに従うから らくなのだが、
自分で判断して それを同行の人にも指示するのは
なかなか たいへんなことだと思う。
いったん 装備すると、
かんたんに 脱ぎ着したり
出したり 仕舞ったりすることが むずかしいので…。
山では、天候の変化はつきものなので、
突然 降られることもあるし、
せっかく装備して出発したのに
とたんに 晴れてくることもしょっちゅう。
大雨や 嵐は困るけれど、
少々の雨などでは べつにがっかりもしない。
こんなもんさ、と思えば
いちいち 一喜一憂しなくなる。
一緒に歩く仲間は、
荷物を代わって持ってくれることはないけれど、
けわしい道では 手をかしてくれる。
ガンバレ と励ましあうこともできる。
遅れれば、すこしさきで待っていてくれる。
時々、振り向いて こちらを気にかけながら。
肩にくいこむように重い荷物も、
だんだん 慣れてくると
これも身のうち、と思えてくるから フシギだ。
そして、
そういう時間を ともにした人たちとは
絆が より深まった気がする。
こんなふうに、
自分の人生や
いま自分が立っている位置や
仲間との絆を
実感するように、たしかめるように、
わたしは これからも時折 山に向かうのだろう。
たぶん、わたしにとっての山…尾瀬に。
「三月のうた」は、
なんで「三月」なんだろうか??
四月や九月では音符に言葉がハマらず、
かといって、じゅういちがつやじゅうにがつでは
字余りでこれまた都合が悪かったからか・・・
すみません、全く関係ないことで・・・
花咲く日を、春の訪れを誰もが待ちこがれる季節。
土のなかでは虫たちがめざめ 動き始める季節。
”ものみな芽吹く”季節…
でありながら、
実際はまだ冬のさむさを肌に感じる三月。
春の訪れを予感させながら、
わかれの季節…でもありますね。
三月以外の月ではぴんとこない。
だからこそ
「三月のうた」なんでしょうか。
ちなみに??
わたしの生まれも 三月なのでした!