落合順平 作品集

現代小説の部屋。

忠治が愛した4人の女 (60)       第四章 お町ふたたび ⑫

2016-10-10 18:00:57 | 時代小説
忠治が愛した4人の女 (60)
      第四章 お町ふたたび ⑫



 いきり立つ文蔵の肩を、代貸が抑える。  


 「いいか。伊三郎の狙いは、俺たち百々一家をつぶすことだ。
 おめえが伊三郎の子分を斬れば、待ってましたとばかり、ここへやって来る。
 とうぜん、おめえは捕まる。
 江戸送りにされる。もちろん、まちがいなく獄門だ。
 おめえが旅に出て不在なら、代わりに誰かをしょっ引いて行く。
 誰が捕まったにしろ、銭を積まなきゃ放しちゃもらえねえ。
 首代は、30両。
 だが伊三郎のやつは、30両じゃ納得しないだろう。
 捕まえた誰か一人を、見せしめとして江戸へおくる。
 それだけじゃねぇ。
 難癖をつけて、次から次へ捕まえ、最後に残った伊勢屋の賭場も取り上げる。
 そいつが伊三郎の本当の狙いだ。
 奴の魂胆は、百々一家から境の宿を、根こそぎ奪い取ることだ」



 「畜生。伊三郎の野郎め。それじゃ俺たちは、どうしたらいいんでぇ!」
よほど悔しいのだろう、文蔵がドンドンと地団駄を踏む。



 「無駄に動くんじゃねぇ。今はただ、我慢するしかねぇ。
 何をされても、じっと耐えて我慢することだ。
 残った伊勢屋の賭場を守り抜くことが、俺たちのいまの仕事だ」


 「いってぇ、いつまで我慢すれば、いいんですかい?」



 「そいつは俺に分からねぇ。
 文蔵だけじゃねぇ。
 ここにいるおめえら全員、くれぐれも軽はずみな真似をするんじゃねぇぞ。
 伊三郎の術中にはまることになる。
 紋次親分は、きっとそんな風に考えている。俺も親分とおんなじ考えだ。
 血気にはやるんじゃねぇぞ、忠治。なぁ文蔵」


 代貸の新五郎が、怖い顏でじろりと2人を睨む。
忠治と文蔵はまったく納得がいかない。しかしそれでも、しぶしぶ同意する。
このときは、それで収まった。
しかし。いつまでもじっと我慢していられる2人ではない。
日が経つ中、忠治と文蔵が水面下で動きはじめる。



 木崎の女郎宿へ遊びに行くと言い捨てて、ふらりと百々一家を出る。
その実。三ツ木村の文蔵の家で、ひそかに旅人姿に着替える。
手ぬぐいで顔を隠す。
そのまま島村一家の縄張りに乗り込んでいく。
2人は、賭場荒らしはじめる。



 百々村から比較的遠い、利根川の向こう側。武州の中瀬河岸から手を付けた。
2人だけなので、大きな賭場は狙えない。
伊三郎の子分たちがひらいている小さな賭場を、ひとつずつ狙っていく。
小さな賭場とはいえ、素人衆たちがひらいている賭場より多額の金が動いている。



 失敗することは許されない。
捕まれば2人とも簀巻にされて、そのまま利根川へ放り込まれてしまう。
中瀬河岸で一回。前島河岸で一回とどちらの賭場荒らしもうまくいく。
これで2人が味をしめる。


 「伊三郎の子分どもは、腰抜けだ」とふたたび中瀬河岸へ乗り込んでいく。
梅雨があけたばかりの、蒸し暑い日のことだ。
森の中で蝉が、やかましく鳴いている。
賭場をひらいていそうなところを物色していくが、警戒を強めたのか、
この日はどこにも、子分たちの姿が見えない。



 「おかしいなぁ。今日は見当たらねぇぞ・・・」



 森をあきらめた2人が、街道へ戻る。
そのまま、島村の宿へ向かってまっすぐ歩いて行く。
賭場荒らしは不発に終わった。だがこのまま帰る気分になれなかった。
島村は、3大養蚕地のひとつ。
利根川の流れに沿った広い一帯に、多くの養蚕農家が点在している。


 利根川が氾濫した時。
大量の水とともに、肥沃な土がこの一帯へ流れ込む。
クワの木が良く育つ肥沃な土地は、利根川の氾濫がもたらしたものだ。
ここはまた、江戸までの水運に恵まれている。


 上州の各地で生産された繭や生糸、コメや麦などが集まって来る。
大量輸送を可能にする、江戸までつづく大きな河、それが利根川だ。
したがって利根川に面した河岸は、どこの河岸でも、たいへんな賑わいを見せている。


(61)へつづく


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忠治が愛した4人の女 (59)       第四章 お町ふたたび ⑪  

2016-10-09 18:26:55 | 現代小説
忠治が愛した4人の女 (59)
      第四章 お町ふたたび ⑪  




 「おいらにはよく分んないんですが、どうしてみんなウチの親分を裏切って、
 次から次に、伊三郎のところへ行っちゃうんですか?」

 
 「決まってらぁな。銭に目がくらむからさ。
 中には伊三郎みたいに、十手を欲しがる奴もいる」


 「伊三郎のとこへ行ったウチの代貸たちはみんな、銭と十手に、
 目がくらんだのですか?・・・」


 「その通りよ。
 伊三郎のやつは、銭と十手で勢力を広げてきた。
 あいつのところへ集まっている代貸たちは、もともとは小さいながらも、
 一家を張っていた親分衆たちだ。
 伊三郎の傘下へ入ったほうが勢力をひろげられると、2つ返事で子分になった。
 うちの親分も声をかけられた。
 だがよ、うちの親分は、きっぱりと断った。
 二足のワラジを履くような奴は渡世人じゃねぇと、はっきり言ってな」



 2足のワラジは、相反する仕事を同時にこなすことをいう。
ひとりの人間が、同時に、2足のワラジを履くことは出来ない。
この時代。博徒が自分の仕事と相反する十手を預かることを、「2足のワラジ」と呼んだ。
汚い男、あるいは、裏表の有る生き方の別称でもある。
しかし博徒の中で、2足のワラジを履いたのは、島村の伊三郎だけではない。
おおくの博徒が自分の縄張りを守るため、2足のワラジを履いた。


 博奕打ちが十手をあずかる。
自分たちを取り締まるはずの岡っ引きの役を、同時に兼ねることになる。
なんとも矛盾した話だ。
博奕打ちと岡っ引きでは、立場がまったく異なる。
絶対に両立しないはずだ。
だが悪賢い人間は、相反するこの2つの立場を、最大限に利用する。
十手の威力を巧妙にかつ最大限に駆使する男、それが島村一家の伊三郎という男だ。



 翌日。いつものように、境の宿に市が立つ。
伊三郎の子分たちが俺たちの賭場だという顔つきで、境の宿へ乗り込んで来る。
子分たちが大黒屋、佐野屋、さらに桐屋の3ヵ所で賭場をひらく。
百々一家の賭場はついに、伊勢屋の一ケ所だけになってしまった。


 そんな中でも親分の紋次は、子分たちに厳しい命令を出す。
「市の開催中は、島村一家と面倒をおこすんじゃねぇ。
堅気の衆たちに迷惑がかかる。
命令を無視して面倒をおこしたやつは、親分子分の縁を切る!」
全員にきつく言いわたす。
しかし宿場では、伊三郎の子分たちが、でかい面をして歩き回っている。
忠治と文蔵ははらわたが煮えくり返る思いで、歯をくいしばる。
ひたすら我慢を重ねていく。


 その日は何もおこらなかった。しかし。市が終えた次の日の朝。
百々一家の子分のひとりが、伊三郎の子分たちに取り囲まれ、袋叩きにされた。
傷だらけで帰って来た子分を見て、思わず、忠治と文蔵が長脇差をつかんで
立ち上がる。

 
 「おい。どこへいくんだ、おまえら!」


 いきり立つ2人を、代貸の新五郎が制止する。



 「代貸。もう、止めねえでくだせぇ。
 仲間が、袋叩きにされたんだ。
 このまま黙って見過ごしていたら、百々一家が世間の笑いものになる。
 もうおとなしくしていられねぇ。
 境宿に居る伊三郎の子分どもを片っ端から、俺たちが、たたっ斬ってやる!」


 「馬鹿やろう。軽はずみな真似をするんじゃねぇ。
 おめえたちが刀を振り回してどうすんだ。伊三郎の奴は、それを待っている。
 伊三郎のたくらみなんかに乗るんじゃねぇ。
 頭を冷やせ。この、とうへんぼく」



 新五郎が両手を広げて2人を止める。厳しい顔で忠治と文蔵の顔を睨む。
「何です代貸、その企みというのは?」
負けじと文蔵も、怖い目で新五郎を睨み返す。


 「伊三郎のやつは、俺たちがカッときて、子分の誰かを斬るのを待ってるんだ。
 おまえらがのこのこ出かけて伊三郎の子分どもと喧嘩してみろ。
 けが人が出た瞬間、待ってましたとばかりに十手を構えて、
 伊三郎のやつが、ここへ乗り込んでくる」


 「どうして代貸に、そんなことが分かるんでぇ」



 語気を強めて文蔵が、代貸に詰め寄る。
悪い男ではない。だが文蔵という男は、すぐ頭に血がのぼる。
喧嘩早いのが難点なのだ。だがそれもまた、この男の持っている魅力の
ひとつでもある。


(60)へつづく

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忠治が愛した4人の女 (58)       第四章 お町ふたたび ⑩ 

2016-10-07 17:05:44 | 時代小説
忠治が愛した4人の女 (58)
      第四章 お町ふたたび ⑩ 




 「どうなるんですか、新五郎の兄貴。これから先のことは・・・」


 忠治が、代貸の新五郎の耳へささやく。
新五郎が、眉をひそめる。
ぐるりと部屋の中を見回したあと、ほっと溜息を吐き、やがてがくりと肩を落とす。


 「どうもこうもねぇや。残ったのはたったこれだけだ。
 こんな少ない人数で殴り込みをかけても、返り討ちにされるが関の山だ。
 悔しいが、もう、手も足も出ねぇ」


 「これだけ?。ここに居ない全員が、裏切っちまったんですか!」


 「そうさ。ここに居ねぇ全員が、助次郎と惣次郎に着いて行きやがった」



 いま部屋に居るのは代貸の新五郎と、長年の子分が4人。
朝帰りしてきた忠治と文蔵。さらに廊下の隅にぽつんと座っている三下の清蔵。
全部で8人。たったこれだけが、いまの百々一家の総勢だ。
紋次親分の背中が、ことさら小さく見える。


 「一番頼りにしてた木島の助次郎まで裏切るとは・・・
 よほど俺に、甲斐性がねぇとみえる。
 残ったおめえたち。
 もうこれ以上、俺を、裏切ったりしないでくれよ、頼んだぜ・・・」



 ふらりと立ち上がった紋次親分が、足をひきずりながら部屋から出ていく。
背中が、さっきよりもさらに小さく見える。


 「明日の賭場は、どうするんでぇ?」忠治がふたたび、新五郎の顔をのぞきこむ。
「どうしょうもねぇなぁ・・・」新五郎の顔が、さらに歪んでいく。


 「木島の助次郎と、武士の惣次郎を裏切らせた伊三郎のことだ。
 いまごろは大黒屋に話をつけているだろう。
 いまさら騒いでももう、あとの祭りだ」



 「じゃ、伊三郎のやつらが、おれたちの境宿へ入って来るのを、
 黙って、見逃せっていうんですかい!」



 文蔵が血相を変えて立ち上がる。
「こうなりゃ俺たちの手で、伊三郎の首を取るだけだ。行こうぜ、忠治!」
懐の手裏剣を握り締め、文蔵がいきなり部屋から飛び出していこうとする。



 「やめろ!。頭を冷やせ、文蔵。
 伊三郎だって馬鹿じゃねぇ。おめえらがやって来るのは承知の上だ。
 それどころか、十手を片手に手ぐすね引いて待ち構えているだろう。
 殴り込みなんかかけてみろ。
 待ってましたと俺たち全員が捕まえちまう。
 あの野郎のすることは、ずる賢い。
 おれたちが動き始めるのを、じっと待ちかまえているんだ」



 「くそ!。汚い野郎だ、伊三郎のやつは!」
懐から手裏剣を取り出した文蔵が、奥の柱に向かってひゅっと投げつける。
見事な音をたてて、5寸釘の手裏剣が柱に突き刺さる。
奥の柱は傷だらけだ。
腹が立つたび文蔵が手裏剣を投げるため、そのたびに柱の傷が増えていく。


 「文蔵さん・・・」廊下の隅に座っていた清蔵が、文蔵の顔を見上げる。
「おいらにはよく分かんないんですが・・・」と口ごもる。
何かを聞きたがっている三下を、文蔵が高い位置から見下ろす。



 「なんでぇ、遠慮すんな。何か聞きたことがあるのなら言ってみな。
 いまじゃもう、百々一家もたったこれだけの人数だ。
 三下とはいえ、今じゃおめえも、百々一家をささえる大事な戦力だ。
 なんでも聞きな。
 知ってることは、全部俺がおしえてやる」


(59)へつづく

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忠治が愛した4人の女 (57)       第四章 お町ふたたび ⑨ 

2016-10-06 16:16:49 | 時代小説
忠治が愛した4人の女 (57)
      第四章 お町ふたたび ⑨ 



 
 最初の襲撃に失敗した日から2日後。
新五郎がふたたび、2人の子分を連れて柴宿へ殴り込みをかけた。
しかし敬蔵たちは、すでに旅に出た後だ。
子分たちも誰ひとり残っていない。


 (遅かったか。おそらく伊三郎の入れ知恵で旅に出たんだろう。
 つくづく運のいいやつだぜ、敬蔵のやろうは・・・)



 今まで賭場をひらいてきた若松屋も、すでに伊三郎の手に落ちている。
若松屋の前に、これ見よがしに伊三郎の子分が、5人も見張りに立っている。
これでは近づくこともできない。
しかし。2人の子分が引き下がろうとしない。


 「新五郎の兄貴。
 こうなりゃ、若松屋の賭場を荒らしてやりましょう。
 裏切り者の敬蔵は居ませんが、かわりに伊三郎一家の代貸をたた斬れば、
 いくらか気も晴れますぜ」


 「そいつは駄目だ。肝心の敬蔵が旅に出たんじゃ話にならねぇ。
 それに伊三郎の代貸を斬ったんじゃ、よけいな詮議がウチにふりかかってくる。
 境の宿場を、十手もちがウロウロしていたんじゃ、客人たちも安心して遊べねぇ。
 賭場に客が来なくなれば、百々一家は潰れることになる」


 「じゃ、どうすりゃいいでぇ、新五郎の兄貴。
 このままじゃ武士からこっちのシマは、伊三郎のやつにとられちまいます!」

 
 「悔しいが、しょうがねぇ。いまは我慢するしかねぇ。
 境の賭場が安泰なら、百々一家が潰れるようなことはねえだろう。
 親分が言うように、いまはじっと我慢するしか、ほかに手はねぇようだ・・・」



 新五郎と2人の子分が、唾を吐き捨てて柴宿から引き返していく。
この頃から百々一家の紋次親分が酒浸りになる。
信頼していた敬蔵に裏切られたことが、よほどこたえたのだろう。
大酒を呑み、気をまぎらわすようになる。
だがこの大酒が、紋次の命を縮めることになる。



 百々一家の縄張りが、ずいぶん狭くなってきた。
しかしそのことが、一家の結束をかえって堅いものにした。
柴宿を手に入れた伊三郎も、すこしばかり静観の気配を見せている。
伊三郎という男は、根っからずる賢い男だ。
自分から墓穴を掘るような真似は、絶対しない。
手に入れた柴宿も、「旅に出た敬蔵に、留守を頼まれただけだ」
と周りの親分衆たちにうそぶいている。



 百々一家と伊三郎一家は膠着状態を保ったまま、その年が暮れていく。
境宿に、木枯らしの冬がやって来る。
いつものように新年の挨拶が終わり、松が取れても、伊三郎の側に動きは無い。
旅に出た敬蔵も一向に帰って来る様子がない。
人の噂も75日。
裏切り者の敬蔵もいつの間にか、百々一家から忘れられた存在になる。


 忠治と文蔵は壺振りになった。以前から比べれば、はるかに忙しくなっている。
そのぶん羽振りもよくなってきた。
弟分たちを引き連れて、女郎宿や居酒屋をあそび回る。
桜の花がふくらみかけてきた3月の末。水面下で伊三郎が動き出す。
狙われたのは、代貸の助次郎と胴元を務めている武士(たけし)村の惣次郎。


 
 花が散り、すっかり葉桜にかわった4月の末。事態が露呈する。
忠治がお町と会い、いい気分で帰って来ると、座敷で親分がしおれきっている。
親分の前に、代貸の新五郎と中盆の岩吉が渋い顔で座っている。
「何かあったんですかい?」忠治が、廊下へ座っている三下の清蔵に声をかける。



 「実は・・・代貸と胴元の2人が、伊三郎のとこに行っちゃったんです」
 

 「えっ、ええ・・・!」忠治が驚きを隠せない。
穏便状態が続いていると思い、忠治もすっかり油断していた。
だが伊三郎は、ひそかに水面下で動いていた。
百々一家を弱体化させる工作が、水面下でちゃくちゃくと進行していた。
重要な賭場をしきっていた代貸と胴元が、同時に百々一家を裏切った。
事態は、きわめて深刻だ。


 「親分。代貸と胴元が裏切ったてのは、本当なんですかい?」



 「本当だ・・・くやしいがな」


 答えたのは代貸の新五郎だ。
いつもならみんなの先頭に立ち、いまから殴り込みだと威勢良く吠える新五郎が、
今日に限っておとなしい。
忠治があらためて部屋の中を見回す。
たしかに、代貸の助次郎と、武士の惣次郎の姿が見えない。
そしてその子分たちも、ひとりも姿が見当たらない。



(58)へつづく

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忠治が愛した4人の女 (56)       第四章 お町ふたたび ⑧

2016-10-05 16:31:08 | 時代小説
忠治が愛した4人の女 (56)
      第四章 お町ふたたび ⑧




 激しい衝撃が、百々一家の中を駆け抜けていく。
無理もない。大黒柱のひとり。代貸しの柴の啓蔵が百々一家を裏切ったからだ。
啓蔵は、佐野屋の賭場を仕切っていた。
その啓蔵が、前触れもなく突然、宿敵の伊三郎一家に子分全員をつれて、
寝返っていったという。
百々一家に残った啓蔵の子分はただひとり。
目の前でただただ呆然としている三下の清蔵だけだ。


 「あのバカやろう。
 敵に寝返るとは、いってぇどういう神経をしてやがる。
 長年の紋次親分の恩を仇で返すとは、この俺が絶対に許さねぇ。
 止めるんじゃねぇぞ。啓蔵の馬鹿野郎をたたっ斬ってくる!」


 裏切り者は許せねぇと、代貸の新五郎が長脇差を握って立ちあがる。
絶対に息の根をとめてやると、激しくいきり起つ。
しかし。紋次親分が、それを許さない。



 「冷静になれ、新五郎。明日は市が立つ日だ。
 啓蔵がいなくなったからといって、佐野屋の賭場を閉めるわけにはいかねぇ。
 殴り込みをかける前に、明日のことを考えるのが先決だ」


 紋次親分が、中盆の武士(たけし)村の惣次郎を呼びつける。
「明日から、おめえは代貸だ。そのまま、佐野屋の賭場を守ってくれ」
紋次親分が、残った子分たちをぐるりと見回す。
中盆に、伊与久村の鶴八。つづいて忠治が指名される。
「忠治。おめえは佐野屋の賭場で壺を振れ」
文蔵も伊勢屋の賭場で、壺を振ることが決まる。
2人にとって、棚からぼたもちと言える昇進だ。


 「いいか、みんな。くれぐれも早まるんじゃねぇぞ。
 騒ぎなんか起こすんじゃねぇ。すべては市を無事に終わりにしてからだ」



 わかったなと、紋次親分がじろりと、子分たちを睨む。


 「下手に動くなよ。それこそ伊三郎の思うつぼだ。
 あの野郎は俺たちが啓蔵を殺しに行くのを、十手を片手に待ち構えている。
 啓蔵の首を取ったとたん、かたっぱしからお縄にされちまうだろう。
 あいつはそうなるのを待ってるんだ。
 そんなことになってみろ。百々一家は伊三郎と戦う前に自滅しちまう。
 悔しいだろうがここは我慢しろ。
 いいな、みんな。ここが辛抱のしどころだ」



 紋次親分のいましめは正しい。子分たちもそれ以上、何も言えない。
誰もが我慢した。そして客人たちに気付かれないよう、翌日の賭場を全員で仕切る。
しかし次の日の未明。代貸の新五郎を筆頭に10人の子分が集まって来た。
もちろん、紋次親分はこのことを一切知らない。



 11人の集団が武器を手に、暗い中、柴宿へ向かう。
いずれも鉢巻きにたすき掛け。腰に長脇差をぶち込んでの喧嘩支度(したく)。
中には槍を担いでいる者さえいる。
もちろんこの中に、手裏剣をにぎりしめた文蔵と愛刀を腰に差した忠治がいる。
街道が川の手前で途切れる。武士(たけし)の渡しだ。
この向こう側が、柴宿。だが川を渡ることは出来ない。


 十手を持った伊三郎が、おおぜいの子分を引き連れて対岸を埋めつくしている。
巡回に来た八州取締役の姿も、その中に見える。
悔しいが、これではどうしょうもない。
広瀬川を渡った瞬間、おそらく全員が捕まってしまうことになる。



 「くそ。悔しいが出直しだ・・・おい。けえるぞ」



 歯を食いしばった新五郎が、その場から全員を引き揚げさせる。
権力と十手に刃向うことはできない。
武士(たけし)の渡し場から引き返すということは、その先に有る柴宿が、
伊三郎のものになったことを認めるものだ。
百々一家が守って来た縄張りの中に、ついに島村の伊三郎が
食い込んできたことを意味する。


 (畜生。裏切り者の敬蔵は、絶対に許しちゃおかねぇ。
 しかしそれ以上に、島村の伊三郎のやつも許せねぇ。
 十手を持っていることをいいことに、伊三郎のやつめ、好き放題をやりやがる。
 いまにみてろ。俺が天罰を下してやる。
 お天道様がおめぇの罪を許しても、この国定忠治が、絶対におめえを許さねぇ)
 

 (57)へつづく


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