落合順平 作品集

現代小説の部屋。

忠治が愛した4人の女 (65)       第四章 お町ふたたび ⑰

2016-10-18 17:23:30 | 時代小説
忠治が愛した4人の女 (65)
      第四章 お町ふたたび ⑰



 
 忠治が痛む身体を引きずり、帰りの道を歩きはじめる。
顏が腫れあがっている。体中の節々が分解しそうなほど、あちこちがとにかく痛む。
とぼとぼと歩いているうちに、いつの間にか日が暮れてきた。
ようやくのことで鎮守の森をこえたときだ。


 「よう、無事だったか」文蔵が目の前に飛び出してきた。
「無事とは言えねぇか。ここまでボロボロにされちまったんじゃ・・・」
要領のわるいやつだおめえも、と目を細めて文蔵が笑う。

 「ひでぇぜ兄貴。逃げるんなら逃げると、最初に言ってくれなきゃあ」


 「すまねぇ。中へ入って驚いたんだ。
 あんなに大きな賭場じゃ、俺たち2人で襲うのは、とうてい無理だ。
 そう思った瞬間。思わず身体が逃げる方へ反応しちまった」


 「兄貴が尻尾を巻いて逃げ出すとは、思わなかった。
 想定外だぜ、まったくよう・・・」



 「なんだおめえ。正気かよ。本気であの賭場をやるつもりだったのか。
 無謀すぎる。たったひとりで、あんなでかい賭場を?」


 「俺も無理だろうとは思った。だがよ、むざむざ袋叩きにあうのも癪に触る。
 ひと暴れしなきゃ、逃げ出せねぇと思ったから抵抗しただけだ」


 「まあな。だがよ。長脇差を抜かねえでよかったぜ。
 抜いていたら今ごろは、殺されていたころだ。
 まぁ、なにはともあれ、お互いに無事でよかった」


 「無事じゃねぇぜ。体中のあちこちが傷だらけだ」



 「仕方がないだろう。逃げ遅れたおめえが悪いんだ。
 命が助かっただけでも、めっけもんだ。
 だが、賭場荒らしはしばらく辞めたほうが、よさそうだ。
 どうでぇ。俺はゲン直しに一杯呑みに行くが、おめえもいっしょに来るか?」

 
 文蔵が、傷だらけの忠治の顔を覗き込む。
さきほどよりだいぶ腫れている。
右の瞼は腫れあがっている。まるで怪談話に出てくる、お岩のようだ。



 「お町に会いにいきてぇが、いかんせん田部井村は遠すぎる・・・」


 忠治が絞り出すように、吐き捨てる。
五体満足ならすぐにでもお町に会いに行きたいが、いまは身体がそれを許さない。
足をひきずり、歩くだけで精一杯だ。
見かねた文蔵が、「ほらょ」と忠治に肩を差し出す。


 「兄貴。その気があるのなら、さいしょから肩を貸してくれ」


 「歩くくれぇなら大丈夫だろうと見ていたが、それももう限界のようだ。
 ボロボロなくせに、そんなに逢いてえのか、お町という女に?」


 「ああ、お町はいい女だからな」



 「女が欲しいのなら、他にもいっぱいいるだろう。
 その身体で、お町が居る田部井村まで歩くのは無理だ。
 そうだな。半里も歩けば、女郎のいる木崎の宿へ着く。
 今夜はそこで我慢しろ。
 そのあたりまで歩くだけでせいいっぱいだろう?。その痛みようでは」


 「しょうがねぇ。今日はおとらで我慢してやるか」


 「そいつはいい考えだ。
 おとらに介抱してもらえばきっと元気になる。
 おっ、ちょうどいい具合に、木崎へ向かう百姓の大八車がやって来た。
 あいつに乗せてもらおうじゃねぇか」



 「なんで分かるんだ。木崎へ向かう大八車だと?」


 「あいつらは木崎の宿へ、頼まれた野菜を運んでいる連中だ。
 訳を話せば大八車のすみっこへ、おまえさんを乗せてくれるだろうぜ」



 「俺は、野菜と同じかよ!」


 「ばかやろう。傷物の野菜は売れねぇ。
 忠治。おまえのいまの傷ついた身体は、野菜以下の値打ちしかねぇ」



 「よくいうぜ、文蔵の兄貴。
 俺を置き去りにして、先にさっさと逃げ出したくせに!」


 「それだけの元気があれば、十分だ。
 じゃ断っちまうか?。百姓たちの大八車に、乗せてもらうのは?」


 「いや。乗せてもらえるように話してくれ。
 こうして自分の足で立っているのさえ、もう、辛くなってきた・・・」


 「それならそれで、さいしょから素直に言え。この強情野郎」


 「すまねぇ兄貴。
 もうすこしだけ俺の、面倒をみてくれ・・・」



 (66)へつづく


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忠治が愛した4人の女 (64)       第四章 お町ふたたび ⑯

2016-10-16 18:17:30 | 現代小説
忠治が愛した4人の女 (64)
      第四章 お町ふたたび ⑯




 「若いの。そいつはさっき聞いた。
 俺が知りてえのは、おめえの本当の名前だ。
 その若さで腹をくくり、死ぬ覚悟を決めるとは見上げた根性だ。
 冥途の土産だ。もういちどだけ聞く、おまえはいったい、どこの何者だ」


 「おれは武州無宿の、忠次郎だ」


 「強情な奴だ。おまえという男も。まぁいい。
 代貸の藤十(とうじゅう)さんよ。頼みがあるんだが、いいかい?。
 この若いのを、俺に預からせてくれねぇか?」


 福田屋が代貸の藤十に声をかける。
「えっ」と、代貸の藤十が大きな声を上げる。



 「たった2人で賭場を荒らそうなんて、たいした度胸じゃねぇか。
 どうだろう。俺に免じてこの若いのを、俺に払い下げてくれねぇか」


 「福田の親分。そいつはできねぇ相談だ。
 こいつはあっちこっちで悪さをしている野郎です。
 野放しにしたらどこかでまた、きっと悪さをするのに決まっていますぜ」

 
 「そのあたりのことは、俺がよく言って聞かせておく。
 それに、利根川で土左衛門があがれば、伊三郎親分にも面倒がかかることになる。
 実は今日は、少々訳アリでな。
 できることなら、無駄な殺生は見たくないんだ」



 「親分さんがそこまで言うなら、好きなようになさってくだせぇ。
 おい三下。運が良かったな。
 こちらのお方は前橋でおおきな旅籠をしている、福田屋の親分さんだ。
 このお方に免じて、おまえは無罪放免だ。
 せいぜい感謝することだな。お前さんを助けてくれた命の恩人に」


 ケっと唾を吐き、代貸の藤十が賭場へ戻っていく。
「おい、円蔵。縄を解いてやんな」福田の親分が、うしろに立っている男を呼びつける。
「へい」と答えた男が、前に回って忠治の縄を解いていく。


 「よく我慢したな、おまえ。
 あんときに刀を抜いていたら、こんなことじゃ済まなかっただろうぜ」


 男の声に聞き覚えがある。
手下どもに囲まれたとき。耳元で「刀を抜くんじゃねぇ」とささやいた声だ。


 「賭場の中で手助けしたんじゃ、こっちにまで余計なとばっちりが来る。
 しょうがねぇから、刀は抜くなと忠告したんだ。
 それにしてもよく我慢した。
 ふつうなら刀を抜いて、やけっぱちで暴れまわるところだ。
 怪我人が出ればおまえさんは、たたっ斬られて、今ごろはあの世に行っている。
 親分。やっぱりこいつは、ただ者じゃありませんねぇ」


 「ほう円蔵。おまえもやっぱりそう思うか。
 ひと足先に逃げ出した野郎も、機転が利いて、たいしたもんだった。
 だが素手で大勢と渡り合おうとしたおまえさんの根性も、なかなかのもんだ。
 もう一度だけ聞く。おまえの本当の名前は、なんて言うんだ?」


 「おれの名前は、武州無宿の忠次郎だ」



 「強情や奴だな、おまえも」円蔵が苦笑いを浮かべる。
「ほらよ。おめえの刀も取り返しておいたぜ。大事にしろよ」
愛刀の義兼を手渡す。
礼を言おうとすると、福田屋の親分が手を振りながら大きな声で笑う。


 「いいってことよ。
 実はな。帰りに百々一家の紋次を訪ねるつもりだった。
 若くて元気のいい男が入ったと聞いた。実は、そいつに会ってみたかったんだ。
 知っているかい?、国定村の忠治という若い衆だ。
 だがよ、手間が省けたかもしれねぇな。
 忠次郎さん、無茶をしちゃいけねぇぜ。親からもらったいのちは、ひとつしかねぇ。
 何か有ったら、前橋の福田屋という旅籠をたずねておくれ。
 わしならいつでも、そこに居る」


 (65)へつづく



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忠治が愛した4人の女 (63)       第四章 お町ふたたび ⑮

2016-10-14 17:46:22 | 現代小説
忠治が愛した4人の女 (63)
      第四章 お町ふたたび ⑮




 「おい。死ぬ前に名前くらい名乗ったらどうだ。
 名無しのごんべぇじゃ、墓をたてることも出来ねぇだろう。
 もっともおめえみたいなやつの墓を、立ててくれるやつがいたらの話だがな」


 男たちが、ゲラゲラと大きな声をあげて笑う。
「武州無宿の、忠次郎ってもんだ」忠治がとっさに嘘の名を語る。
死ぬ前に、せめて本名を名乗りたかった。
しかし。忠治の脳裏に、代貸の新五郎の言葉が横切った。
窮地に立っている百々一家の紋次親分に、これ以上、迷惑をかけたくなかった。


 「ほう。武州の、どこでぇ?」


 代貸が思い切り、忠治の横っ腹を蹴りあげる。
「うっ」とうめいた忠治が、絞り出す声で「藤久保でぇ」と、必死にこたえる。



 「藤久保村?。
 そうするとてめぇは、獅子ケ嶽重五郎んとこの三下か?」


 「違う、三下じゃねぇ。
 三下なんかつまらねえから、飛びだしてきた」



 「なんでぇ。てめえは、三下修行もつとまらねぇ半端者か。
 中途半端なことしかできねぇ奴が、賭場荒らしなんて大それたことをするんじゃねぇ。
 おう。かまわねぇから簀巻にして、とっとと利根川へ放りこんじまえ!」


 代貸が簀巻にして放り込めと、若衆たちに言い付ける。
「へい」とこたえた男たちが、忠治の両手と両足をぐるぐる縛りあげる。
口にがっしりと、猿ぐつわをかませる。
身動きができなくなった忠治に、ぐるぐると筵(むしろ)を巻き付けていく。
完璧といえる、忠治の簀巻が出来上がる。



 (畜生。まだ死にたくはねぇ。
 こんなところでおしまいとは、俺もまったくついてねぇ。
 だが、それもまた運命だ。
 ああ・・・死ぬ前にもういちど、お町に会いてぇな。
 女房のお鶴にも会いてぇ・・・
 だがそれもこうなっちゃ、かなわぬ夢になっちまったな・・・)


 忠治がすっかり覚悟を決める。
両目を閉じた忠治を、男たちが担ぎ上げる。
船問屋から急流で知られる利根川は、すぐ目と鼻の先を流れている。


 「どうしたい、いってぇ?。たいそうな騒ぎじゃねぇか?」



 「あ。こいつは、福田屋の親分さん。
 どうもみなさんには、みっともねぇところをお見せしやした。
 いやもう騒ぎのほうは、すっかり片付きやした。
 見た通り、こいつを川へ流してしまえば、万事それで終わりです。
 どうぞ部屋へ戻り、遊びをつづけてくだせぇ」


 「そうかい。片付いたかい、そいつはよかった」



 福田屋の親分と呼ばれた男が、ぐるぐる巻きにされた忠治の顔を覗き込む。
忠治も、福田屋の親分の話は聞いたことが有る。
たしか、紋次親分の兄弟衆のひとりだ。
むかし。福田屋の親分は、大前田英五郎と肩を並べる侠客だった。
英五郎が久宮一家の先代を闇討ちしたとき、助太刀を買って出たのもこの男だ。


 そのため。英五郎とともに国越えをしたが、玉村の佐重郎の仲介のおかげで、
一足先に国に戻る事ができた。
いまは故郷の前橋で、福田屋という旅籠をかまえて十手も預かっている。


 福田屋の鋭い目が、忠治の顔を覗き込む。



 「おう、若いの。その様子じゃ、すっかり往生を決めたようだな。
 その若さですべてを捨てて、死ぬ覚悟を決めるとはいい根性だ。
 もう一度だけ聞く。おめえはいったい、どこの何者だ」


 福田屋の鋭い目が、腫れあがり、ふさがりかけている忠治の目を覗き込む。


 「誰でもねぇ。おれは武州無宿の、忠次郎ってもんだ。
 三下にもなれねぇ、中途半端な男だ」


 忠治が小さな声で、言い捨てる。

 (64)へつづく

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忠治が愛した4人の女 (62)       第四章 お町ふたたび ⑭

2016-10-13 16:25:54 | 時代小説
忠治が愛した4人の女 (62)
      第四章 お町ふたたび ⑭




 闇の中で、百目ロウソクが赤々と燃えている。
三下が言っていた通り、10人ほどの旦那衆が博奕に熱中している。
代貸、中盆、壺振りと賭場を仕切る3役が揃っている。
さらにせっせと動きまわる、出方と呼ばれる若い衆が4、5人。


 文蔵が予想していたよりも、はるかに大きな賭場だ。
漆(うるし)塗りの上駒が、いくつも盆の上に並んでいる。
おそらく20両から30両の金が動いているのに違いない。


 表からの物音に、若い衆が気がつく。
怖い顔が、いっせいにこちらを振りかえる。
顔を上げた中盆が踊り込んで来た忠治と文蔵の姿を見て、ドスの効いた声を上げる。

 「なんでぇ、てめえらは!」



 出方の若い衆たちも、いっせいに立ち上がる。
文蔵と忠治の前に、若い衆が、ずらりと立ちふさがる。
刃物は持っていない。しかし、いずれも屈強な体つきをしている。


 (まいったなぜ。予想外に賭場がデカ過ぎた。こいつはまったくの想定外だ。
 この場から逃げるためにゃ、こいつらをたたっ斬るしか、
 他に手はないようだな・・・)



 忠治が覚悟を決める。
こうなりゃひと暴れしてやるぞと、腰の義兼に手を伸ばす。
文蔵も懐に手を入れ、手裏剣を握っている。
久しぶりに大暴れしてやろうと、どうやらこちらも覚悟を決めたようだ。
腕まくりした若衆たちが、忠治と文蔵の前へずいと出てくる。
中盆が、乱入者の正体を見抜く。


 「なんでぇ。
 揃って手ぬぐいで顔を隠しているところが、怪しすぎるな。
 さては、さいきんウチのシマで賭場荒らしが続いているのは、おまえらの仕業だな。
 ここへ乗りこんで来たのが運のつきだ。
 かまうこたねぇ。こいつらを簀巻にして、利根川へ放り込んじまえ」


 中盆の怒鳴り声とともに、若衆たちがいっせいに2人の前へ飛びだして来る。
その瞬間、文蔵が動いた。
「どうも失礼、いたしやした!」
ペコリと頭をさげた次の瞬間、文蔵がくるりと身体をひるがえす。
そのまま、出口に向かって駆け出していく。


 (えっ、逃げ出すのかよ、文蔵の奴。
 戦わねぇで逃げ出すとは、こいつもまたまた想定外だぜ・・・)


 忠治があわてて、義兼を引き抜こうとする。
白刃を振り回すことで、この場を切り抜けようと考えたからだ。
しかし。義兼を抜こうとしたその瞬間。
力強い男の手が、忠治の右手がっしりと抑えこむ。


 「早まるな。刀は抜くんじゃねぇ。こんな場で刀を抜いたら、
 ホントにおめえの命がなくなっちまう。
 生き延びてえと考えているんなら、こんな場で刃物なんか抜くんじゃねぇ」



 低い男の声が、忠治の耳元でささやく。
ためらった忠治を、若い衆たちがあっという間に取り囲む。
男たちの動きは早い。
義兼を抜くことをあきらめた忠治が、男たちにもみくちゃにされる。
多勢に無勢で、どうにもならない。


 後ろから延びてきた手が、忠治を羽交い絞めにする。
両方の手と両方の足にも、男たちの腕がタコのようにからみついてくる。
自由を奪われた身体のあちこちに、男たちのこぶしが降ってきた。
何発殴られたのか、わからない。
担ぎ出された忠治の身体が、ドスンと地面に投げ落とされる。


 「てめえだな。
 ウチのシマで、賭場を荒らして、銭をかっさらっていったのは!」


 奥から出てきた代貸が、忠治の顔をいきなり雪駄(せった)で踏みつける。



 「知らねぇ。おれじゃねぇ!」


 「往生際のわるいやつだ。この場におよんで嘘をいうんじゃねぇ。
 おれたちの賭場を荒らしていったのは、手ぬぐいで顔を隠した2人連れだ。
 おめぇら以外に、他に誰が居るんだ!」

 「違う。そんなことは知らねぇ!」


 「しらを切るのか、まぁいいさ。
 どうせ、てめえの命はこれで、おしまいだ。
 おい三下。死ぬ前に聞いてやる。てめぇはいったい、どこの何者だ?」


 若衆のひとりが、忠治の手ぬぐいをむしり取る。
忠治の素顔がさらされる。
しかし忠治の顔を知っているものは、さいわいなことに誰もいないようだ。


(63)へつづく

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忠治が愛した4人の女 (61)       第四章 お町ふたたび ⑬

2016-10-12 16:33:21 | 時代小説
忠治が愛した4人の女 (61)
      第四章 お町ふたたび ⑬




 島村の宿へ入ると、まわりが急に賑やかになる。
すぐ近くに河岸が有るため、舟人足たちの姿がやたらに目立つ。


 船運につかわれる高瀬船は、上州で誕生した。
吃水が浅く、長さは14,5尋(27m)。幅は1丈23尺(4m)。
500~600俵のコメを軽々と積み、江戸まで運んでいく。
往復に、早くても10日ほどかかる。
船頭や舟子たちが生活できるよう、船首部分に船室が作られている。



 関宿よりも上流部では、もう少し吃水の浅い舟が使われる。
上州平田舟だ。
長さは15mから24mほどあり、横幅はおおむね、3mから4m。
この船は、荷物を運ぶだけではない。
奥州路から江戸へ入る人々を運ぶための客室がついている。


 平田舟には、大きな帆柱が有る。
主に風の力で帆走していく。
しかし、流れの早いのぼりの場合、曳船によって運航していく。
牛馬が舟を引く場合も有る。
しかし、おおくの場合、人足たちが綱をもつ。
陸地から力を合わせて上流へと、平田舟を引きあげた。



 宿場の真ん中まで歩いてきたとき。
辻から若い男が、ふらりと2人の目の前にあらわれた。
あまり風体がよくない。案の定、伊三郎一家の三下だった。



 「お2人さん。時間があるようでしたら、いい賭場へ案内いたしやすぜ」


 「へっ、賭場をひらいてんのか、こんな真昼間から?」



 「お客さん。此処は泣く子も黙る島村の、伊三郎親分のおひざ元ですぜ。
 ここでは伊三郎親分が、すべてのことを決めていやす。
 安全な賭場であることは、あっしが保証します」



 「三下に保証されても、信用することなんか出来ねぇなぁ。
 なぁ忠太郎。おめえもそんな風に思うだろう?」


 文蔵が忠治のことを、忠太郎と呼ぶ。
忠治も阿吽の呼吸で、「おう。まったく信用できねぇ」と三下を突き放す。
三下があわてて両手をひろげて、2人の前に立ちはだかる。


 「いやいや。見れば、ご同業のお2人さんのようだ。
 絶対に損はさせねぇ。百聞は一見にしかずだ。まずは賭場を見てくれ。
 堅気の旦那衆が10人あまり寄っている。
 やりかた次第でお2人さんに、たんまりとした稼ぎが入るかもしれませんぜ」



 「ほう。素人の旦那衆が10人も集まってんのか。そいつは豪勢だな。
 素人なら、赤子の手をひねるようなもんだ。
 どうする忠太郎。すこし遊んでいこうじゃねぇか」



 「そうだな・・・」2人が、三下につづいて歩き出す。
小さな道が堤防を越える。平塚の河岸に向かう小路を三下が下っていく。
平塚の河岸は、江戸と上州を結ぶ航路として栄えている。



 茅(かや)葺や、瓦で葺いた回船問屋と、たくさんの土蔵が見えてきた。
伊三郎が最初に縄張りをもったのが、いま2人の目の前にひろがってきた平塚の河岸だ。
伊三郎はもともと、裕福な船問屋のせがれとして生まれている。


 小路を下ったところから、三下が脇道へ入っていく。
船問屋の裏手に回りこむ。そのまま離れのような建物に近づいて行く。
離れの前に、屈強そうな男2人が立っている。
そのうちのひとりが、腰をかがめる。
「お腰のものを預からせていただきます」文蔵に向かって丁寧に頭をさげる。


 賭場へ刃物は持ち込めない。
うなずいた文蔵が、ゆっくり長脇差を抜く。
受けとろうとして、男が手を伸ばした瞬間。文蔵が刀の柄で、男の頭をいきなり叩く。
不意を突かれた男が、もんどりうって倒れていく。
もうひとりが身構えた瞬間。文蔵の右のこぶしが、男の腹へのめり込む。



 「なんでぇ、いきなり。ちえ、やっぱり賭場荒らしをやるのかよ。
 しょうがねぇな、こうなりゃ問答無用だ。
 じゃこっちの三下は、俺がたたきのめしておくか」


 振りかえった忠治が三下の顔を、思い切りこぶしで叩く。
充分な手ごたえのあと。三下が白目をむいて地面へ崩れ落ちていく。
入り口の男たちを、あっという間にかたずけた文蔵と忠治が、「行くぜ」と
声を掛け合う。そのまま奥に向かってずんずんと踏み込んでいく。


(62)へつづく

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