鳥バカ日記

インコと暮らす楽しくシアワセな毎日。
我家の愛しい鳥さんのことを綴った、親ばか、鳥ばか日記です☆

ありがとう。ありがとう。

2009年11月22日 | セキセイさんたち
ずいぶん長い間ご無沙汰してました。



2009年9月28日の朝、
はなちゃんが10年と7ヶ月の生涯を閉じました。

はなちゃんがいなくなってから、
早くも2ヶ月が過ぎようとしています。

もっと早くお知らせするべきだったのですが、
なかなか文字にすることができませんでした。



今年の3月末にエコー検査をしてもらったとき、
おなかのふくらみが腫瘍、
もしくは腫瘍によって臓器が腫れてきているという結果でした。

それ以降、毎月のようにしんどくなっていたから、
遠くない未来にお別れのときが来るかもしれないということを
ある程度覚悟していたつもりでしたが、やっぱりだめですね・・・

悲しくて、さみしくて、涙がとまりませんでした。



8月の前半、またしんどくなってしまったはなちゃん。
でも8月の後半から9月のはじめには
また元気になってくれてました。

そんなはなちゃんの姿を見て、
このままいけばまたみんなで、
はなちゃんの11歳の誕生日をお祝いできるかもしれないな。
とさえ思っていました。

でも9月中旬から、またしんどくなってしまいました・・・



9月24日を最後に、上の段のとまり木に止まれなくなってしまいました。

ずいぶん以前から脚はすごく弱っていて、
上のとまり木に止まるのは大変そうでした。

それでも何度も失敗しながらも、器用に上の段までよじ上っていました。

本来なら潔く上の段のとまり木は、
とり外すべきだったのかもしれません。

でもプライドの高いはなちゃんはそれを望んでいない気がして
さいごまで上下2段のとまり木は外しませんでした。

この写真は9月24日、
はなちゃんが上の段のとまり木にとまっている姿としては最後の写真です。

隣のカゴでいつものようにすみれが
心配そうにはなちゃんのそばに寄り添い、
様子を見守っています。




この日を最後にはなちゃんは、
カゴの下の段のとまり木、
もしくは床でうずくまるようになりました。

それでもすみれと一緒なら、
ごはんも一生懸命食べてくれてました。
(9月24日)




だけどじきに大好きだったシードも食べれなくなってしまいました。

でも亡くなる前夜まで、
すりつぶしたペレットをスプーンであげると
しんどい体をシャキっと起こして、パクパク食べてくれてました。

今思い返すと、はなちゃんは自分のためではなく、
私のために、私を少しでも安心させるために、
さいごまで食べ続けてくれてたんじゃないかと思います。

亡くなったはなちゃんのガリガリに痩せた体を撫でながら、
そう感じずにはいられませんでした。

もういくら食べても消化も吸収もできない体だったのに
それでもさいごまで食べ続けてくれてたんです。

痩せすぎて胸骨が皮膚を破りそうなほどとんがり、
それと対照的におなかはぱんぱんに膨れあがっていました。

脚は開き、指もねじれていて、
こんな体になっても生き続けてくれたことに驚きました。

本当に限界までがんばってくれてたんだと思います。



日に日に弱っていくはなちゃん。

でも決して生きることをあきらめたようには見えませんでした。

はなちゃんのことが大好きだったすみれが
いつもいつもずっとそばで、
はなちゃんのことを優しく見守り、惜しみない愛情を注いでくれたことが
はなちゃんの大きな支えになっていたと思います。

いつもはなちゃんに口移しでごはんをあげてくれて
優しく羽繕いをし、
はなちゃんがとまり木にうまく止まれずに落ちてしまったときなどには、
すぐに飛んで行き「大丈夫?」と心配そうに寄り添ってたすみれ。

もうさいごは介護鳥のようになって、
至れり尽くせりではなちゃんを全力で守ってくれてました。



さいごの夜となってしまった、9月27日の夜、
私はなんとなく嫌な予感がしたのでしょうか。

いつもは別々のカゴで寝かせていた、はなちゃんとすみれを
同じカゴで寝かせることにしました。

私が眠ってしまってから、はなちゃんにもしものことがあっても、
すみれがそばにいてくれたら、いろんな意味で安心だと思ったのです。

結局、私も心配と不安でほとんど眠れなかったのですが。。。




それでも無事に9月28日の朝を迎えることができました。

「はなちゃん、おはよう。」

いつものように朝いちばんの挨拶をすることができました。

そして私が仕事へ出かける準備を始めようとしたとき
はなちゃんの様子が急変しました。




最後の最期は、私の手の中で息を引き取りました。
すみれとふたりで看取りました。

私は何度もはなちゃんに「ありがとう。」って言いながら。。。

すみれも必死ではなちゃんに呼びかけてました。

はなちゃんの嘴をコツコツしながら餌を吐き戻し、
「はなちゃん死なないで。今ごはんあげるから。」って言ってるみたいでした。

はなちゃんもすみれの呼びかけに応えようと
何度も倒れそうになる体を起こして・・・

最期は力尽きてしまいました。



亡くなってしまったはなちゃんに対しても
すみれはあきらめきれずに、何度も何度もごはんをあげようとしていました。

そしてそれに応えないはなちゃんに
もう動かないはなちゃんに
頭の先から尻尾の先まで羽繕いしてあげてました。
まるで“おくりびと”のようでした。

体の自由がきかなくなっていたはなちゃんは
なかなか尾羽の先までは羽繕いできなかったので
羽軸が閉じたままの羽もあったのです。

それを丁寧にひとつひとつ綺麗にほぐしてあげるすみれ。

はなちゃんを埋葬するまで
何度も何度も優しくカキカキしてあげてました。

私はただただ泣くことしかできなかったのに。。。



はなちゃんの体調が悪くなって
3月末に病院でエコー検査をしてもらってから
私ははなちゃんはもう通院させないことに決めました。

もちろん悩みぬいた結論です。

これ以上深い検査をしても治療法は変わらないであろうし
遠い病院までの通院ははなちゃんにとって大きなストレスです。

はなちゃんにとって、なるべく負担なく、
少しでも楽になる方法を模索し、
結果、先生との電話相談と定期的な検便、飲水投与の投薬治療だけを続けてきました。

おなかの大きさや硬さも定期的に触って確かめるべきだったんでしょうが
触られることが嫌いなはなちゃんのストレスになると思って、
あえてしませんでした。


もちろんそれが正解だったのかはわかりません。

定期的に通院していればもっと長生きできたかもしれない。

でも今までたくさんの鳥さんと暮らしてきて
たくさんの鳥さんとのお別れを経験してきた上で、考えて決めたことです。

いつもいつも祈っていたのは以下の3つのことでした。


はなちゃんが少しでも長生きしてくれること。

最終的に亡くなってしまうとしても、できるだけ苦しまずに最期を迎えられること。

そしてどんなことがあっても最期は自宅で、私が自分で看取ってあげること。



そういう意味では、はなちゃんの死は
飼い主として、今まででいちばん後悔は少なかったかもしれません。


9月に入ってから、私の体調もずっと悪くて全然回復しなかったのも
今にして思えば、神様がそうしてくれたのかもしれないという気がしてます。

体調が悪いせいで、仕事以外どこへも出かけず、
さいごの1ヶ月はほとんどずっと、
はなちゃんのそばにいられたのですから。



ほんとはもっと長生きしてほしかった。

でもはなちゃんはこの10年の生涯を
本当に精一杯生き切ってくれたと思います。

こんなに精一杯生きてくれたはなちゃんに
もっと長生きしてほしかったなんて失礼だよね。

今ごろ天国で
生まれたときからずっと相思相愛だったひなちゃんと
仲良く過ごしていると思います。

でもはなちゃん、
ときどきでいいから、すみれのことも思い出してあげてね。




はなちゃん、この10年と7ヶ月のあいだ
私がうれしいときも、悲しいときも
いつもそばで見守ってくれてありがとう。

10年もずっと一緒にいてくれてありがとう。

私のところで生まれてきてくれてありがとう。



はなちゃんさいごの写真。

亡くなる前日、9月27日の昼下がりです。






今まではなちゃんを応援してくださった皆様
励ましてくださった皆様

本当にどうもありがとうございました。




サルコ






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