いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

いわき・今日の収穫 2

2010-09-19 17:24:19 | 家庭菜園

今日の家庭菜園の第2弾です。
きゅうり・ゴーヤーです。

今日の家庭菜園の収穫
第2弾です。

きゅうりが生り始めています。
きゅうりは今年の第3弾・第4弾目になります。

ゴーヤーは今日も20本以上の収穫!!
しかし、
もうそろそ終了の状態です。
葉の色が変わり、
終了のサインを出し始めました!!

今年のゴーヤーは
すごかった!!

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いわき・今日の収穫 1

2010-09-19 17:11:25 | 家庭菜園

今日の収穫その1です。
ナス・ピーマン・ししとう・韓国唐辛子・
写真にありませんがミズナ・サニーレタスなど。

今日は大忙し。
午前中は
配偶者といわき市立美術館へ
「ラファエル前派からウィリアム・モリスへ」
よかった!!

午後は、
暮らしの伝承郷で、「遠野物語の風土を民俗学から見る講座」へ参加。
今年の6月で、遠野物語は発刊されて100年ですから。

帰宅してこれを書いています。

夜は
パソコン講座で、ボランティアをするための練習でいわき市生涯学習プラザへ。

上記写真
今日の家庭菜園の第1弾です。

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いわき・信仰と美術・・・いわきヒューマンカレッジ

2010-09-19 06:08:43 | いわきの歴史

配偶者の実家に借りています
「さつまいも」畑の風景です。
本格的収穫期は10月初めか?

いわきヒューマンカレッジ いわき学部 第3回講座

信仰と美術
・・・いわきの文化財を通して・・・


講師は平野 明彦先生(いわき市立美術館学芸課長)

1) 死後の世界に関する関心はすべての宗教に共通しています。

   唯一の絶対神を掲げる宗教(キリスト教、ユダヤ教、イスラム教など)に比べ、
   多仏を信仰する仏教は、
   死後の世界=浄土・又は地獄は無数に存在する。
   たとえば、焼失した法隆寺金堂壁画
   (東面:釈迦浄土、北面:弥勒浄土・薬師浄土薬師浄土、西面::阿弥陀浄土)
   描かれていましたが、
   その中で特に篤く信仰されてきたのが阿弥陀如来の西方極楽浄土ですと
   先生は話されています。

   阿弥陀如来の信仰は飛鳥、白鳳時代からありましたが、
   平安時代に入り、
   末法の世の到来が騒がれるようになりますと爆発的な信仰になった。
   その結果、諸仏の造寺造仏が盛んに・・・
  
  また、浄土教に関する様々な経典を集め、体系化した
  源信の「往生要集」
  (いかにして死を迎えるかが書かれ、来迎に対する考えをまとめました。)は
  阿弥陀浄土に往生するプロセスを確立させて、
  平清盛等の平安貴族たちに、
  熱狂的な阿弥陀浄土の世界の信仰を生み出しました。
  その中から、
  阿弥陀来迎図の成立にも大きな役割を果たしたと話されました。
  そうした歴史を踏まえて今回の講座では、
  平安時代から、
  日本独自の進化を遂げてきた阿弥陀如来来迎図を通して
  信仰と美術のあり方を話したいと。
  合わせていわき市所蔵の絹本着色阿弥陀三尊像
  (現在東京国立博物館に寄託中)
  ・・・(いわきの文化財P4に紹介されています。)  の時代や位置づけを話したいと。

※阿弥陀来迎図とは:

   当世において善根を積んだ人が、
  臨終に際して、阿弥陀如来が諸菩薩とともに往生者を
  西方極楽浄土に迎えることを描いたものといわれます。

2)阿弥陀如来にすがる平安貴族たち

  釈迦入滅2000年後に末法時代に入り、救いも教法も失われと考えられ、
  末法一年が永正七年(1052年)であったことから、
  平安貴族は末法の到来におびえながら、
  ひたすら来世(阿弥陀浄土)への往生を願った。 
  現在と違い、都市化が進み疫病などで死が身近な時代の人々は
  死の瞬間に無限の苦に転落するか、
  甘美な至福を迎えるかは切実な問題だったということです。

  源信以降に阿弥陀来迎図が描かれました。 
  この事は往生において来迎する阿弥陀如来と菩薩を見ることが絶対視され、
  臨終に際し阿弥陀如来のイメージを
  見仏、観想を通して脳裏に浮かべる幻視体験が必要だったのでは?

  このように畏怖すべき死が幸福で甘美な再生の瞬間であることが
  当時の人々の信仰になったと。

  当時の代表的な建物や絵を画面で紹介していただきました。
 
  平等院鳳凰堂扉絵・高野山有志八幡講阿弥陀聖集来迎図
  ・安楽寿院阿弥陀聖衆来迎図・金沢心連社阿弥陀三尊来迎図など。
   平等院鳳凰堂は西に位置し、」東を向いて建てられています。

3) 坐像形式から立像形式へ

  平安末期から鎌倉時代へと変わり支援者が貴族から武士と
  新たな階層を含めた新興宗教が広がってきた。
  受動的な座像から、躍動的な立像の来迎図へと転換された。

  禅林寺山越阿弥陀来迎図・金戒光明寺山越阿弥陀来迎図・知恩院早来迎
  ・いわき市旧如来寺蔵阿弥陀三尊来迎図・大阪北十満阿弥陀三尊来迎図
  ・ロズロフ講来西夏阿弥陀来迎図などを画面で紹介されました。

4) いわき市本阿弥陀三尊来迎図について

  現在重要文化財に指定され、「いわき市の文化財P4」に紹介されています。
  鎌倉時代後期の13Cに描かれ、縦:258Cm、横:142Cと大作です。
  立像で、左向きに阿弥陀如来、蓮台を持つ観音菩薩と合掌する勢至菩薩の
  阿弥陀三尊来迎図です。

来迎図は時代によってまた、
信仰性によって変化していったこと。
そして、末法の世に生まれて、
浄土宗
(浄土宗(法然)の
念仏を唱えなさいという念仏第一の教えへの登場。          そして、
唱えることによって阿弥陀に行けるという教え)
の登場によって来迎図はいらなくなった。

このように阿弥陀来迎図は
浄土宗(法然)の登場とともにその役割を終え、
退場していったのではないかと結論づけられました。

「信仰と美術」というなかなか聞けないお話。
来迎図の登場と退場の貴重なお話。
平野先生ありがとうございました。

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