いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

日常生活と放射線・・・・・いわき地域学會市民講座

2011-09-25 09:18:51 | いわき地域学會

小野先生自宅まわりの
放射線量の一部です。


今日の講演の議題です。


先日来のバーベキューから、
秋刀魚は七輪で・・・
すみと七輪で手間はかかるが一味違う。
岩手産ですが、
早く、
小名浜で取れたものが食べたい!!

3・11地震のため、
2月以来の開催となりました、
いわき地域学會主催(吉田隆治代表幹事)の
市民講座 第269回に参加しました。
昨日午後 ラトブ6Fにて。
参加者は約40名ほどで、常連さんが多かった。

いわき地域学會市民講座は
いわきの各分野で
活動されています先生方が、
基本的には月1回第3土曜日に
いわき市文化センターで行われてきました講座で、

市民の皆さんに
自分で研究していますテーマを話される講座で、
いのししも
ここ4年くらいほぼ参加していますが、
いろいろな分野がわかる講座で楽しみな講座になっていました。

地震で出来なくなっていたのですが、
今回出来ることになり感謝したいと思います。

それも
復活後のテーマが、
「日常生活と放射線」ですから
今のいわき市民にとりましては
最も知らねばならないテーマの一つでしょうから。

「日常生活と放射線」
講師は小野双葉先生(文部科学教官)でした。

1)放射線の黎明期・・・まだ100年強くらいの歴史の新しい学問ですと。
2)放射線の基礎
3)放射線の応用・・・現在利用されているものをパワーポイントの画像で紹介。
4)自然界のある放射線について
5)放射線のリスク・・・確定的影響と確率的影響
   皆さんが一番知りたい議題。

について約2時間話されました。
難しいところもありましたが、
画像を見ながらの説明でしたので、
理解しやすかった。

放射線の学習の基本を
いそいで学べたのではと思います。

小野双葉先生の結論としましては、

1)外部被曝に関しては
  現在では
  特に神経質になる必要はないのではないかと。

2)内部被曝に関しては、注意すべきで、
  定量的な指針が望まれますと。
  そのことが、
  また子どもさんや、これから子供さんを生む人達のため、
  生活の安定のためにも必要ではと

結ばれました。

小野先生の50年近くの研究の成果を
画像を使い
わかりやすく説明するのは大変でしたでしょうが、
何とか理解できたのではないかと思います。
ありがとうございました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お彼岸・「巨大なす」登場!!・・・いわき

2011-09-24 08:41:12 | いのしし君一家

母の実家からいただいてきました「巨大なす」。
一番大きいもので830g・・・普通の大きいもので100gくらいですので8倍。
長さ23cm・幅12cm。
その他、750g・630gあります巨大なすにびっくり。


紫色の「ししとう」です。


こんなふうになっています。
めずらしい色です。


「枝豆」を畑から抜いて取りました。


茹でておいしくいただいております。


「すいか」もいただいておいしくいただきました。
あっという間に1個がなくなる。


いのしし家のお墓がある
夏井千本桜の近くの上から稲刈り前を撮影。
お墓は地震でかなり痛められましたが、
現在ではほぼ戻ったかというところです。


配偶者の実家のあるいわき市関田近くは
津波の塩害で稲作を今年は放棄となり
現在はこんな状況に。
これから作れるのでしょうか?


大津港のお墓は
まだまだ、直せていない状況です。
まだまだ時間がかかりそうです。

昨日は
配偶者・遠方からの子供と
6ヶ所のお墓参りを済ませてきました。

3・11、その他の地震によるお墓の被害は
ほぼ回復したところと
まだまだのところが見受けられました。

早めの修復を望みたいのですが、
まだ避難されている方も多いと思いますので、
時間が必要かと思われます。

そんな中
母の実家で上記のような野菜をいただいてきました。
おいしくいただいています。
ありがとうございます。

「巨大なす」にはびっくり!!

今朝は早朝から、
昨夕から引き続いて、
台風で影響を受けました
家庭菜園の整理・草むしりに汗を流しました!!

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芭蕉が愛でた山寺(立石寺)

2011-09-23 06:34:55 | 日記

立石寺の奥の院から。
晴れていますといい景色なのですが、
雨のため、霧が・・・
これも風情が・・・


有名な「せみ塚」です。


落書き禁止で有名な?
「五大堂」です。


立石寺の概要を載せてみました。
山寺観光協会より

 

今回の「蔵王旅行」最後は
やはり
松尾芭蕉の句で有名な「山寺(立石寺)」でした。

雨のため、
参加者のうち
1,000段以上の階段を一番上まで行かれた方は
5名のみでした。

御利益があるかも・・・・

山寺(宝珠山立石寺)

貞観2年(860年)清和天皇の勅願により、
慈覚大師が開いたお寺で天台宗です。
根本中堂は国指定重要文化財です。

せみ塚

「閑さや岩にしみ入る蝉の声」

元禄二年(1689年)
おくのほそ道をたどり
現在の7月13日に山寺をおとづれた
松尾芭蕉の句の短冊を埋めて石の塚を立てたことからこの名が・・・

道の両側は「修行の岩場」があり
こんな場所で修業していたのかと驚かされます。

いのししは今回で2回目なのですが、
五大堂からの展望を楽しみにしていましたが、
雨で何も見えなかった。

残念。
中の風景を撮影。

今日は秋のお彼岸。

いのししもこれから、
夏井の千本桜近くのいのしし家お墓にお参り。
勿来・大津港とお墓をお参りしてきます。
先祖の供養をしてきます。

今から212年前の
いわきの長谷川さんが書き遺しました
「寛政十一年農家年中行事」より

一.彼岸は、
   二月に種を配り
   八月に田畑の耕作の出来盛りであり、
   地頭(領主)・代官に初穂を備え、

    家内の神々、背戸(裏門)の氏神、鎮守、産宮、

   先祖代々の精霊などにも
   追福(追善ともいい、死者の冥福を祈って仏事を行うこと)の営みとして
   供えるのはもっともなことだ。

と書き残しています。
()内はいのししが追加を。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安久津(あくつ)八幡神社と三重の塔・・・山形県高畠町

2011-09-22 08:36:10 | 日記

三重の塔は寛政九年(1797年)に完成したもので、
庶民の手で再建されたものです。
この地方は
豊かな米穀地帯だったことがうかがわれます。


遠方から見ても絵になる風景です。
形も整っています。


惚れ惚れする姿です。
まわりの風景を見ますと
阿弥陀信仰が行われた形跡を読めます。


「じじばばの昔物語」もある大石です。
雪の時にそりで運んだのでは?


室町時代の建物の「舞楽殿」ですが、
3・11の大地震でも壊れなかったが

堂の上の石も落ちなかった!!
不思議で、
古い日本の建築技術には驚かされます。


「安久津八幡神社」の本殿です。
茅葺の本殿は珍しい。


茅葺屋根の豪華さには驚かされます。
彫刻もすごいが・・・・

 

昨日の台風が
各地に大きな被害をもたらしました。
お見舞い申し上げます。

 

今回の旅では
比較的地味なところを廻っていますが
それが歴史を学ぶ者にはたまらない。

安久津(あくつ)八幡神社

貞観2年(860年)

(・・・最近の地震研究で一躍有名になりました
貞観11年(869年)の陸奥国の貞観大地震では残ったのでしょうか?)


慈覚大師の発願により、阿弥陀堂が建立され
その後、前9年の役の際、
源義家が安倍一族を平定し、
鎌倉の鶴岡八幡を勧請したといわれる由緒ある神社といわれています。

現在の建物は、
宝暦五年(1765年)に再建されたものです。
三間社流作・茅葺・軒組は和様平三斗で作られています。
棟の両側には鬼板があげられ、
屋根が半月形に張り出す特異な形状(上記の写真)をしています。
現在は県指定有形文化財となっています。

三重の塔

本来は
寺院伽藍の一つですが、
明治の神仏分離令により
本社内の寺院が廃絶し
その後の寺院が焼失したので、
三重の塔だけが残った。

現在の塔は
寛政五年(1793年)に完成したものです。

(私達が学びました長谷川さんが書いた「寛政十一年農家年中行事」と
同時期に建てられた!!)

庶民の力だけで作られたようですので、
凄い財力を持ち始めた様子がうかがえます。

歴史の由来を学ぶのは
本当に楽しい!!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本三文殊のひとつ出羽(山形)の亀岡文殊へ。

2011-09-21 10:39:16 | 日記

学問の姿が、
山門両側に数多くおかれています。


今回の地震で少し傾いた。
聞きましたら、
被害は少なかったようですが・・・・・


動物と共生した姿も・・・・・


「知恵」の水がもう少し早かったらと
後悔の念を・・・・・
飲んできました!!

一昨日と昨日の二日間
蔵王の旅ツアーに配偶者と参加。

昨日は雨でしたが、
のんびりしたツアーの企画と
比較的地味な場所を廻るという企画に賛同。
ゆっくりのんびり充実した時を持てました。

亀岡文殊とは

大同二年(807年)に布教で訪れた
徳一上人が堂字を建立したのが始まりで、
「知恵」の文殊として知られており、
合格祈願・願望成就を願って多くの人々が訪れています。

いのししとしては
来るのが少し遅かった!!

残念!!

日本の三文殊とは:

大和の安倍・・・・・・・奈良県桜井市
丹後の切戸・・・・・・・京都府宮津市
出羽の亀岡・・・・・・・山形県高畠市
だそうです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする