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いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

いわき学・筠軒講座・・・いわき地域學會主催、テキスト読み切る

2014-01-22 10:20:02 | いわき学

一昨年の5月30日からおこなわれた
いわき学・筠軒講座・・・いわき地域學會主催
「磐城誌料歳時民俗記」
大須賀筠軒著を
原文で読む講座は
先日38回でほぼ読み切りました。
今日・39回、補足でまとめられ終了します。


1月から始まり
12月の最終のところを載せました。

 

いわき学・筠軒講座・・・いわき地域学會(吉田隆治代表幹事)

講師は
夏井芳徳(いわき地域学會副代表幹事)先生

が一昨年の5月30日から行われ
1年半を超えて
先日38回目でほぼ読み切りました。

始めは
約80名を超える受講生が集まり
関心の高さをうかがわせましたが
だんだん少なくなりましたが、
30名弱の方々が学ばれ
江戸時代の
いわきの1月から12月までの行事等を
事細かに知ることができました。

夏井先生と
事務局の皆さんに感謝します。

大須賀筠軒(天保12年(1841)~大正元年(1912年))

が明治25年(1892年)に著した
いわきの民俗や歴史研究を学ぶ上で
必読書といわれます「磐城誌料歳時民俗記」をテキストに、
夏井先生のわかりやすい解説で
いわきの江戸時代から明治にかけての民俗や歴史を
学んできました。

テキストは
夏井先生が力を入れて翻刻したもの(歴史春秋社)を利用してきました。

いのししは
「磐城誌料歳時民俗記を読む」という
夏井先生が書かれた
いわき新書も見ながら学んできましたが
楽しい1年半の学びの中で
いわきの1月から12月までの
江戸時代から明治にかけて行われていた行事やものの考え方が
事細かに書かれているのに驚きながらの学びの旅でした。

多くの方に読んでほしい
書物の一つになりました。

 

コメント (2)
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午(馬)の文字を使った語句・格言等,午年の主な出来事の本いただく

2014-01-21 14:05:28 | なるほど歴史塾

「なるほど歴史塾」の会員であります
村田先生が
今年も上記のような
「午(馬)の文字を使った語句・格言等」・・・P32
「午年の主な出来事」・・・P20・・・村田和夫編
を作られ、いただきました。


毎年楽しみにして読んでいます。


全部で124載せてあります。


解釈も載せてありますので楽しい。
こんな風に書かれています。


「午年の主な出来事」が
538年(宣化3年)・・・仏教伝来
から
2002年(平成14年)
・・・小泉首相の北朝鮮訪問と拉致被害者5人の帰国。
まで書かれています。
さて今年は
何が書かれるのでしょうか?


2002年まで書かれています。


一つ一つの出来事の解説を書かれています。


今までいただいたもの。
村田先生にお聞きしましたら、
干支十二支の内
十支作られたの事。
あと2つが残っていると。


いのししは平成18年度からいただいていますので
八支いただいています。

今日のいわきは
好天で暖かい。

午前中は
「ファイナンス研究会」の120回目。
高橋亀吉著の本を
安達先生を講師にして
今日で4回目です。


古い本ですが、
著者の視点は
今読んでも色あせない。
おそらく
4月以降の日本経済の動向もこの本を読めば的中するでしょう。

上記のように
村田先生が
今年も
「午(馬)の文字を使った語句・格言等」
「午年の主な出来事」
を作られ
今楽しんで読んでいるところです。

毎年いただいて
日本歴史の出来事
干支の語句や格言
の豊富さに感動しながら
読んでいます。

あと二支
来年と再来年楽しみにしています。
村田先生
ありがとうございました。

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今日は「恵比寿講」の日です。

2014-01-20 09:09:30 | なるほど歴史塾

娘がいけました生け花です。
梅の花がやさしいです。
だんだん開花が楽しみです。


全体はこんな風です。

 
4年前11月21日によみがえらせた「恵比寿講膳」です。


大盛りの白いご飯。


どじょうも。
「どじょうもふな」も地元で取れたものです。


五年前、現代語訳しました
「寛政十一年農家年中行事を読む」です。

今日は
「恵比寿講(戎講)」
の日です。

写真は
4年前、11月21日に
「恵比寿講膳」を
「みんなで祝おう恵比寿講」
の中で
復活させそれを再現してみたものです。

昨年11月24日にも
「第4回みんなで祝おう恵比寿講」でも再現されたのですが
ポーポー焼きの方で忙しく撮影できませんでした。

5年前
私達「なるほど歴史塾」で、現代語にしました
今から215前の
江戸時代の磐城の農民、長谷川安道さんが書きました
「寛政十一年(1799年)農家年中行事」P11)には、

正月二十日のこととして

「さて、今晩は、戎講と言って商いの神を祝い、分限に応じて、
百姓の料理を作る。
鳥は、平目、かながしら・鮒・どじょう・雉・鳩・鶉・雲雀・
野菜は牛蒡・人参・里芋・大根・豆腐・蒟蒻・干瓢・切昆布など、
これで十分である」
・・・原文は漢文体です。

また十月二十日については(P34)で、
「えびす講とて、
正月二十日のえびす講に優れ商神を祝う
」と
書かれていますようにずいぶんと古くから続けられてきたものなのです。
このように

「えびす講」の料理は
五穀豊穣や商売繁盛・大漁満足の神々に
供えるのに最高にふさわしいものだったのです。

正月二十日のえびす講は、この一年間の繁栄を願う、
十月二十日のえびす講はそれらが達成された感謝の心を
捧げるものだったと考えられます。

4年前の十一月二十一日の
恵比寿講膳・・・恵比寿講のお供え膳から。

膳内は、
上段には、お吸いもの、白いまんま。
中段には、なます、おひたし。
下段には、お煮がし、魚の切り身と野菜の煮つけ、
膳の下には、左から、がま口を入れた枡、生きたどじょうやふな、生のかながしらを
お供えしました。

4年前の十一月二十一日は、
かねまん本舗さんの恵比寿・大黒様にお供えし
恵比寿膳をよみがえらせることができました。

具体的には
「白いまんま」は山盛りに盛り、赤い大きな尾頭つきの「かながしら」や
「あかじ」などの焼き魚二匹。
お平(里芋、にんじん、ごぼうの大切り、
こんぶ、生揚げ、しいたけ、こんにゃくなどのお煮しめ)。
お吸いもの、なます、甘酒、お神酒、きんぴら。
生きたふなやどじょう二匹を水を入れたどんぶりに入れてお膳のわきに供えます。
いっぱいお金の入った財布も供え、
お膳は恵比寿・大黒様にお供えしますので、二膳になりました。                

このようにして、
4年前の11月21日(3.11の前の年です。)に
かねまん本舗さんの恵比寿・大黒様にお供えすることにより
恵比寿膳として、
よみがえさせました。
もちろん昨年の
「第4回みんなで祝おう恵比寿講」でもお供えされました。

恵比寿講のような信仰行事は
五十年以前には
各家庭で普通に行われていました。

それが廃れたのは
高度成長という時代になってからです。

日本が手漕ぎの伝馬船を捨てて
エンジン船に乗り換えたからです。

風を読み、日和にすがり、
潮の千満を無視し始まったのです。
そして、
えびす様が
左わきに抱き抱えた鯛のありがたさを感じなくなりました。


その結果、
家々の恵比寿・大黒の二福神を拝むことがないがしろにされ
勤労の根本には
神々への祈りと感謝があるべきでしたが、

私達は忘却してきました。

その結果が、
恵比寿柱・大黒柱が崩壊するように
世の中がおかしくなってきました。

今こそ
祖先の遠い昔から伝えられて来た文化を
取り戻す必要があるのではないでしょうか。

「恵比寿講の日」に
そんなことを考えています。

 

 

 

 
 
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エクセルで作る会計報告書・ボランティアに参加・・・ITサポーターいわき

2014-01-19 18:12:15 | ITサポーターいわき

エクセルで作る会計報告書・ボランティアに参加しました。
31名と大勢の方々が参加しました。


これからの時期
サークルなどでの会計報告書作りに役に立つと思います。
エクセルを使いますと簡単に正確にできるのに
感心されていました。


テキストP24は自分たちで作りました。

今日
いわき市生涯学習プラザ主催講座
エクセルで作る会計報告書
にボランティアで参加しました。

企画運営は
「ITサポータいわき]で行いました。

参加者は
31名と大勢の方々に参加いただきました。
エクセルを使い
初心者でも会計報告書ができる講座になりました。
サポーターも講師を入れて10名と万全の体制を。

会計報告書を作りましょう

1)データーの入力
 ①Excelの起動
 ②データーの入力・・・今回は事前に作っておきました。

2)表の編集・・・1
 ①フォントの変更
 ②配置の設定
 ③セルの結合
 ④列幅の変更

3)数式と関数
 ①数式の設定
 ②関数の設定
 ③表示形式の設定

4)表の編集・・・2
 ①行のコピー
 ②罫線の作成
 ③罫線の削除
 ④配置の設定
 ⑤セルの塗りつぶし
 ⑥行の高さの変更

5)印刷
 ①印刷プレビュー
 ②ページ設定
 ③印刷・・・自分の名前を入れ、持参していただきました。

1月の今の時期
各サークル関係の皆さんも
会計報告書を作ることが多い時期で
会計報告書を作るのに苦労されているのでは。


エクセルを使いますと
綺麗に簡単に正確に
会計報告書が作れます。

初心者でも
簡単にできる作り方を今回は学びました。

参加者の皆さん
講師のKさん
サポートの皆さん
ご苦労様でした。

ボランティア終了後
午後からは
エクセルで「マクロ」の学習会
先ほど帰宅。

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215年前・いわきの行事・・・寛政十一年農家年中行事から

2014-01-18 11:11:49 | なるほど歴史塾

娘がいただいてきました花は
明るさがひときわです。


いわきの農民・長谷川安道さんが
今から215年前の
いわきの1月から12月までの行事や農作業について書かれたものを
私達「なるほど歴史塾」が平成21年8月に現代語に訳したものです。


画家の佐久間静子先生が
この冊子に載せていただいたものです。


当時の姿を季節順にまとめました。


正月から
すこしバタバタしていましたので、
長谷川さんの
農家年中行事の1月2日以降は載せられないでいました。

1月1日は載せましたので、
2日以降載せてみます。

長谷川安道著
「寛政十一年 農家年中行事」より
  (今から215年前です)

二日は、
 村役人より始めて、分け隔て得なく、隣村の親類・近所の
 付き合いの人々に、お互いに挨拶をする。
 手足、無事息災に、年を取り身も心も軽く、
 めでたさは随一である。

三日までには、年頭のしきたりをすまして、
 (次の日からの)」
 家業のことを待つべきだ。

四日は棚さがしといって、
 元朝より飾ってある鏡餅などを下げて、
 茶事をしたり、いろいろ祝いごとがある。

 今日は、舅親(嫁さんの実家)へのお年始である。
 
舅の喜ぶ顔を拝むのは春の祝事だ。

 向こうでは、椀飯(おうはん)を整えて待っていてくれる。
お舅さまは孫子を待ちこがれていて、
悦んでくれるのは、
「我が花聟の時、めでためでたの若松(様よ)と、
枝(も)茂(りて葉も茂)ると祝うたのは
(これ)只今のこと(をいうのか)」と

白髪をふり立て、餅を焼き、柄銚子、盃をそろえてよろこんでくれる。

   祖父、祖母をおさめて、三助(召使)殿まで、
   お祝いをして、年中の辛苦を忘れ、

   姉妹、姪、甥も集まって いる中で、
   晴れ着の衣装や染め柄や子供の器量をほめる。

   祖父、祖母の喜び場面はお目出度いことこれ以上のものはない

 五日などは、
   
少し暇になり、今年の家業(農作業)はいかにしようかと帳面を綴じてつくり、

  田畑の反別合計を第一に書き記しを決めその土地に合わせて、
   
早稲(わせ)、中稲(なかて)、晩稲(おくて)、糯(もち)、糠(うるち)(耕作)面積、
  肥しのくばり、麦跡など、
   
去年の耕作の(できあいをみて)さしさわりないようによく考えて
   
土地の 善し悪しなどを帳面に記帳するのがたいせつだ。

 と仕事の準備を書いています。

六日には、
   山入り
   
まず、
   
山の神へ、 
   
供え物をそなえ、
   
薪を樵()り、
   
鍬入り前にたくさん積み重ねておくべきだ。

七日には
  
七日の七草は、
   
(せり、なずな、五行(ごぎょう)、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ)、
   を摘んで、

   米に入れて粥とし、諸神に供える。
  の粥を給べ、年中の邪気を追い払う術である。
  人日(七草)とて、
   今日の儀は種(七種)のお祝いである。


給べ:神さまから給わったものという意味で、この字を用いていた。

十一日は、
  鍬入れ、野立ての初めである
 元朝より飾り置いて拝み備え(たもの)は、
 地神に備えるのに用いる。
  お茶をのんで祝いごとをする。

十二日は、
  市神祭りある。
 貴賤老若が白麻を買い求め
 「おめでたい」となづけて
  歳徳神(お正月の神様)に供え、
  また、
  今日より売り出し物も持ち出し、
  お金を儲けることにも
 心がけなければいけない。

と農家においても
商品経済の発達による現金収入が
大切なことが書かれています。

十三日、
 鍬入れも過ぎれば、農業にずいぶん精を出し
 田は、起こし返し、
 畑は、麦作春地も数度おこし返し
 土をこまかにしてゆく。

十四日には、
 小歳といって、
 餅をつき諸神は言うに及ばず
  鍬・鎌・斧・臼(うす)・摺(する)臼(す)・土摺(どする)
 臼(す)・碓(からうす)・磨(いしうす)、

  打(うち)杵(きね)・手(て)杵(きね)
  ・唐萁(とうみ)・ふるい・机・鑑・脇差・破魔弓・矢・羽子板・
  囲炉裏(いろり)の鎰(かぎ)・扉・障子・襖(ふすま)にいたるまで、
  餅を供える。
 木まじない、野地焼き、鳥追は子供の行事である。

※「鳥追い」:
   「歳時民俗記」には、
    「鳥遂ニハ男子ハ手々ニノトキぼんでんヲ振立て女子ハ羽子板ニ四手ヲ持添へ、
    「ほういほういの鳥をば、かしら折って、しほつけてさんどがしまえほういほうい」
    とみえる。
    これは「作毛ニ鳥ノツカザル除外ナリト」ある。
    昭和20年代まで盛んだった「鳥小屋」がこれであろう。

鳥小屋と田楽(でんらく)
  
・・・内郷郷土史 下巻 P679より

旧正月十四日各ごとに、
田や畑の一部に竹や樫の木などで、
八畳から十畳ぐらいの小屋を立て、
十五歳以下の者が小屋長となり全てを司った。
夜になり小屋の中央に神を祭り、
田楽・お神酒を供え、の人々の参詣を待つ。
村人は七小屋詣りと言って七つの鳥小屋を詣で、
お賽銭を上げ、お神酒や田楽の御馳走を受けたりする。
こうして夜を明かして、
夜明けとなり、
正月飾りや古い神社のおふだなどを焼却する。
この時、
神棚の持ちを人知れず焼いて食すれば「力持ち」となると言われた。
・・・
さらに七小屋を廻ってお詣りをすれば、
この一年間風邪をひかないという言い伝えがある。
無病息災・家内安全を祈願する行事でいわき地方各地で行われた。

田楽(でんらく)とは:
 鳥小屋で食べる、こんにゃくに味噌をつけたもの。

石城北神谷誌
    高木誠一著

P95~98にかけて
明治から大正期時代の鳥小屋について詳しく書かれています。

正月も十二、三日ごろになるといずれの作でも
七、八才より十三、四頃までの
子供たち等が一戸から藁二束」くらいづつ、
竹藪のある家からは大小の竹を
取り交ぜて、十本位づつ貰ひ集める。
作中の者総出て、この鳥小屋をかける。

十五日暁に小豆粥供えて、歳徳神を送る。
 舅に樽、魚を進上し、
 これで正月が終わったことをのべる。

十六日は、地獄の釜のふたがあくをいう。
  念仏の講中は、
    鉦、太鼓をたたいて、
   仏さまのお名を唱え、後生を願うといえども十王堂に集まって、
  殺生、偸盗(ちうとう)、邪淫、亡語、飲酒
  の五戒を破ってはとんでもないことだと。

田舎一休の歌に
念仏は申さずとても正直に情や慈悲を念仏と云う

念仏をとなえなくても

正直に人情ぶかく慈悲をもってを生きることを仏道という。


当時の道徳観が書かれています。

「寛政十一年農家年中行事」:
 いわき史料集成刊行会編集・発行になる
 「いわき史料集成 第一冊」・・・昭和六二年二月二日発行
 に収録されています。

この史料を使い
「なるほど歴史塾」では
講師は
もちろん山名先生で
平成19年から20年にかけまして、
解読しました。
その後この本は
いわきの学校教育や市民の学習に役立つのではないかと考え
21年8月8日に600部発行しました。

 

 

 

 

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