院長のひとりごと

私、竹村院長が食べ物から健康まで基本的にノンジャンルでかきつづります。

「スポーツの深さ。」

2008年02月21日 07時10分27秒 | ノンジャンル
院長は学生時代は四年間、体育会運動部で武道をやっていました。

身体を鍛えるのは嫌いじゃなかったし、

腕っぷしの弱さがコンプレックスになるのがどうにも嫌だったんですね。


だから型の演舞ばっかりのやつよりも、より実戦的だと思えた「日本拳法」

というやつを選びました。

大学に入るまでそんな名前の拳法があるなんて知らなかったし、

今でも一般的には知られている種目ではないと思います。


「日本拳法」は判りやすく言うと、剣道でつかうような防具を付けて

なぐったり蹴ったり投げたりする格闘技です。

そうなんです、野蛮なんです。


院長は稽古そのものは割りと好きだったのですが、試合となるとまるでダメ。

腕は鉛のように重たく感じるし、手は何にもしてないのに絶えず痺れてました。

闘争心というものが消え失せ、一刻も早く家に帰りたくなっちゃう。

勝てっこないでしょう、そんな状態で。


普段の稽古の乱取り中は身体もキビキビと動くので常に

「今の状態で試合が出来たらどんなにいいだろう」と思ってましたね。


そこそこ強いやつというのは、普段の稽古と試合の時との差があまりないやつで、

本当に強いやつは試合のほうが稽古の時よりさらに強いやつです。

その点では院長は格闘技においては残念な選手であったと思います。


鍛えた身体も練った技も、それらの上位に位置する心が機能しなくてはなんの意味もなさない。


でも、どんなに緊張しても身体が普段の半分しか動かなくても小学生には負けないように、

身体のほうを圧倒的に鍛えれば、たとえ精神面が駄目でも勝てるんじゃないか?

とも思いましたが、他の連中も体育会と名のつく運動部に身を置いて鍛えてるわけですから、

そのなかで自分だけ身体的に抜きん出るくらい鍛え上げることなんて、

ちょっと無理なんですよね。


だからそういうベクトルで努力してもしょうがないんです。


どうすれば試合でちゃんと身体が動くか?

闘争心を引き出せるか?


せめて身体がいつも通り動いて、闘争心に満ちていて、それでも負けたなら仕方ないって思えるし、

悔いは残らないんです。

全てを出し切って負けたというほうが嫌だ、と思う選手もいるかもしれないが、それは違う。

「相手が格上で、何もさせてもらえなかった、自分の持ち味を出す前に負けた」というのも

まだいい。

それは相手に負けていることだから。


最悪なのが、自分の中で相手を大きくして勝手に萎縮して自滅。


これは院長に限らず、競技スポーツをやっていた人ならあてはまる人は少なくないと思います。

今はスポーツ心理学というジャンルが発展してきて、競技の現場でメンタルを高める術が

体系的に徐々に出来上がりつつあるようです。

ここ一番での集中力や周囲に動じないタフさを自分なりに突き詰めて求めていく。

そういった事は勝つためには避けて通れないことだから。

そんな漠然とした「勝負強さ」というものの正体が徐々にわかってきている。

一部のトップアスリートが誰に教わるでもなく、本能的に実践している

自己を高める方法論。


スポーツを通じてその術を身につけることが出来るなら、

生涯をかけて何かに取り組むのはとても意味のあることだろう。