横浜焼売(シウマイ)物語2023

2年ぶり再開。ハマっ子のソウルフードは崎陽軒のシウマイ。漫画書き柴犬溺愛。落語らぶ。晴れ時々ランニング、更新随時

MY HOME ギジェ・グラフィティ#20、ダミドっちの悲劇(?)はこうして始まった…!

2011-09-29 | こんなの描いてた


何の脈絡も無く、恋のウィルスは容赦なくダミドを浸食していきます。
本編ではまったく良いところのなかった彼ですが、こちらでは恋人もできたようで、めでたしめでたし…


=おまけ=
光国ハロウィンバージョン







土壇場で駆け込んだのは空海と密教美術展、白戸家のお父さん犬も一乗谷からやってきた?!

2011-09-27 | 日常茶話


それは、土曜日の一本の電話がきっかけでした。
別件で友人と話したあと、
N「空海展みてきたの!もう,シュテキすぎ!!」
私「え!!?もう??混んでてすごく並ぶってきいて、迷ってたんだ。平日ならいいのかな?」
N「せっちゃん、せっちゃん、あのね.明日(日曜日)最終日だよ。」
どうやら私は、横浜トリエンナーレの日程とごっちゃにしていたようです。



で、こちらが最終日、午前8時30分くらいの上野国立博物館入り口。乗り継ぎがよくて思ったより早く到着したのですが、それでも既に50名ほどが整列中。



ところでおくさま、こちらの半券をとっておくと、いいことあるかも…。

幸いなことに、
「最終日なので通常よりも早く開場します。」と、国立とは思えない?大英断で、ほどなく入場できました。あとはもう至福の世界。

見るほどに、空海という人の頭の中を覗きたくなりました。3Dの画像が常に脳裏にあったとしか思えない~っ!!
その彼の思想もそうだけれど、彼の要望を着実に実像化した同時の仏師たちの技や、彼の思想を受け継ごうとした後進たちの熱意と言ったら…!!

当時と単純に比較はできないけれど、彼らを突き動かしていたものは功名心とか、偉業を成し遂げようと言う意気込みではなく、『祈り』だったんだなー、と感慨もひとしお。


最後に、東寺講堂に再現された空海の仏像曼荼羅21体のうち8体の仏像で,この世界観を表現しようとした展示室がありました。
展示室に入るとまず一段高いところから全体を俯瞰で見渡すことができるようになっています。その後徐々に低い位置へと移動しながら仏像の建つ位置と同じ高さに。すると今度は仏像を全方向から拝見できるように配置されているので、その周囲をグルリと一周できるのです。ふだんは見ることのできない仏像の背面を見ることができるという利点もさることながら、螺旋を描くように移動していくことで仏像で表現された小宇宙を再び体感することに繋がる…なんて、ね。こうして私たちは、まんまと空海の世界に取り込まれていくのでございました。


ところで私は以前の『対決・巨匠たちの日本美術』以来あじを占めて、音声ガイドを必ず使うようにしています。今回ナビゲーターとして空海を演じたのは、白戸家のお父さん!!さすがの北大路欣也さん。美声だわー!!このまんま、空海も演じてくれないかしらねー。この声で説法されたら、もうっ!!(あ、もちろん晩年のね。)

本当に良いお天気でした。




さてこれが半券の特典。なくさないでね!

(総合文化展というのは、国立博物館本館の常設展のことよ。そう書けばいいのに…。)





MY HOME ギジェ・グラフィティ#19、今読み返すとよくわかる。気持ちが入りすぎて空回り。…ネームの話

2011-09-22 | こんなの描いてた
実は、今回整理していて私のもっとも悪い癖が出てるなー、と深ーく反省したのがこの回。


ネームが一部変色しててはがれそうだったので打ち直しして、ついでにチョッコし状況をわかり易くしようとごそごそ手直し。(むーん、これでどうかな…むーん…)もっと言えば3コマ目の構図も変えないといかんなー、1コマ目と2コマ目の間に本当は…などと、ひとり大反省会。

で、まずこういう風に台詞を変えてみました。
↓↓↓


で、
3コマ目と4コマ目をこんなふうに


ははは、ん十年ぶりのギジェ…てか、ダミドっちだ~


だけどね、こういうことは打ち合わせの時にしっかりしたコンテ出すべきよね。そうでなくても、当時の本誌では一番絵がへタレだったので、そこをちゃんとできずにどこで?って感じですね。というわけで、一番の悪い癖を懺悔してみました。みなさんホントに申し訳ない!!

カレーうどんと力(ちから)チーズうどん、牛込神楽坂にきたら、花びし茶屋へいらっしゃい。

2011-09-20 | 日常茶話
小腹の空いたみなさま、ちょっと失礼いたします。


カレーうどんの豚肉でございます。
ちなみにこちらのカレーうどんは、辛いタイプと普通タイプが選べるだけでなく、お肉も牛、豚、鶏から選べます。
おすすめは「豚」。暑いときはビタミン、ブー1で。きまり!

まだまだ暑い9月のある日、誘われて神楽坂。仕事の前に腹ごしらえ、ということでランチに入ったのが手打ち讃岐うどん『花びし茶屋』。






ここに来たら基本はカレーうどんか、力チーズだと同行者に言われまして、女子はカレーうどんのホット(とはいわない)、男子は力チーズうどんを。


左から、力チーズうどんの大盛り、普通盛り、かやくご飯。


お餅とチーズが絡んでにょにょ~~~ん♪


カレーうどんもはふはふはふん♪

いやいや、いい汗かかせていただきましたー!!



MY HOME ギジェ・グラフィティ#18、彼と彼女が曲がり角でぶつかって、恋が芽生えたためしはない。

2011-09-15 | こんなの描いてた


大昔の少女漫画での出会いの王道?彼と彼女の出会いは転入か正面衝突(これ、強引)。
それを真に受けて実行した人はさすがにいないと思うけど。
小学校の時の転入生は女子ばかりだったし、中学の時きた男子の転入生は何かにつけて『前の中学校の方がよかった』というもんで、すごく頭は良かったけど孤立しておりやした。クラスの一部の男子と喧嘩になったこともあったかなー、こっちのほうがドラマチックだと思う私は、『恋愛』とはどこかお互いにわかりあえないまま…。


ま、肝心なのはお互いが気づくタイミングだということです。

書いた人にきくのが一番、福島第一原発事故と放射線。水野倫之さんの声にウットリ

2011-09-14 | BOOKS & DISCS



どうしても欲しい本があって、それを買うつもりで書店に入りました。ところがレジに持っていったのは、全く想像だにしなかったこの本。

まあ、この帯、卑怯っちゃ卑怯。
いやいや、まんまとノせられちゃったよ。だって帯がなければ

こんな感じ….

恐るべし、帯。

内容は私みたいな度素人でも、ホントによくわかる。3人の解説者が一章ずつ担当。最終章が座談会という構成。
声高に叫んでいるわけではありませんが、一環しているのは『原発事故は人災である』というスタンス。実際に目でみて、耳できいて、心に感じたことを、更に頭で整理をして淡々と語っています。文章が機をてらっていないので、何を伝えたいのかよくわかります。何より説得力があります。
これから自分がどう考え、何を選んでいくか考えるための足がかりになる良書だと思います。

で、いってきました。
青山一丁目のNHKカルチャーへ。


いやもう、満員御礼。時間帯のせいもあるようですが、女性比率格段に多し。男性は年配の方が奥様と、という感じでちらほら。気のせいか、カルチャースタッフの女性もこの会場の広さにしては若干多め?

講演は1時間半たっぷり。原発事故の概要から。あとからわかったこと、わかることが沢山あることにビックリ。シュミレーションという言葉が何度も出ました。開発はするが、実用に至らない残念な技術のことや、先の国会に提出された東電の黒塗り報告書のことなど。

さて、先の本の中で水野さんは、日本の原発に対する姿勢を解説しています。
エネルギーの平和利用が目的なのだから、原子力発電の技術だけを輸入して開発すれば良いという日本。かたや、原子力の開発に一から取り組み、歴史的には批判されるような失敗をくりかえしながら、原子力エネルギーの怖さも充分知り尽くそうとしているアメリカ。この両者の違いがもっとも顕著に現れているのが、原子力発電所の安全対策。
その一つに有事を想定した防災訓練があります。
その代表的なものは避難訓練。日本ではその行程を一覧にして参加者に『公開』します。
何月何日にどういう事故であるかという設定で避難訓練が始まります。シナリオがあって、何時何分に揺れ。5分後に揺れがおさまったので避難開始、点呼。そのつどアナウンスが入り、ゾロゾロと移動。停電、復旧、どこそこ発火、数分後無事に鎮火、再三アナウンスがあり、またゾロゾロ。最後は、『みなさんご協力ありがとうございました。』で無事終了。

アメリカでは.訓練の参加者には『非公開』。訓練の日にちは事前に知らされていますが、開始時間も内容は全く知らされません。現場はその時の事故内容によって対応を考えなくてはならず、訓練とわかっていても緊張の連続です。つまり常に抜き打ち。そしてその対応はそのつどチェックされて、何がまずかったか後日徹底的にディスカッションされるそうです。

この話がものすごく印象に残っていたのですが、この日の話の流れで質問タイムに質問できませんでした。
そこで思いきって帰り際に、直接声をかけさせていただきました。ええぃ!ダメ元だ!!

すると思いもかけずこんなお話をしてくださったのです。
実際に取材にいかれたアメリカの原子力発電所で、この避難訓練について質問しようとした時のこと:
日本は訓練の行程を参加者に公開しているという意味の英単語が思いつかない。なんとかその意図を伝えて質問したのですが、逆に驚かれてしまったというのです。それは、シナリオの有る無しということではありません。訓練とは参加者に非公開であることが当たり前なので、その行程を参加者に公開する、という発想自体がありません。それを示す言葉もないのです。ひえええええええ~っ!!これには驚きでした。

ふと気がついたら後ろに人がズラリ。な、なんで??!!
すかさず主催者のほうから『サインはダメ、撮影もダメです~!!』
後ろにならんだ一部の人たちからは『せっかくきたのに~ぃ』『しゃしんくらいいいじゃな~い』との叫びが……。

えええええええ!そんなつもりでは~っ!!と、お礼もそこそこに私は会場を飛び出してきました。


外に出たら空の青いこと!!

無防備に空を見上げることができるなんて、幸せなことだよね!



水野倫之さん、ありがとうございました。

緊急解説! 福島第一原発事故と放射線 (NHK出版新書 353)
水野 倫之,山崎 淑行,藤原 淳登
NHK出版

MY HOME ギジェ・グラフィティ#17、ネームの書体は幻のナール。ところでなんで、ナールっていうんだろう?

2011-09-08 | こんなの描いてた


お見苦しい画面で申し訳ありません。
これでも保存状態はよいほうかと…。
以前もちょっとふれましたが、ギジェのネームフォントは『ナール』といいます。
原稿をブログにアップする際に、汚れたり、はがれたりしてしまったネームを打ちなおそうとしたのですが、フォトショップには同じ書体がなくてヒラギノゴシックで代用していました。
でも、ちょっとちがうんだよねー。

実はtwitterフォロワーの国田(@kunitakatsihiko )さんに教えていただいたのですが、このナールという文字
『写研っていうメーカーの書体なんですが、主張のある会社で、DTP用に書体を販売しないんです。それで、昔を知ってるデザイナーは皆落胆しているという訳なんです。』
なのだそうです。
きれいな書体なのにもったいないですね。カーブに特徴があります。『れ』の丸っこさが何ともかわいらしいと思いませんか?
(他の作家さんたちもそれぞれ書体が違っていたんではないかしら?それは、本誌だけだったのかな?この辺は確認していないので、あやふやです。)

国田さん、ありがとうございました。

twitter すばらしい!フォロワーさんから情報。ナールの由来はこちら
雲弐s★磯乃介(@isouzzye2010)さん、ありがとうございました。



夏といったらBBQ、アウトドアも楽しいな♪

2011-09-06 | 日常茶話


8月も終わる頃、突然妹から命令…いや、電話。
『明日、バーベキューだから。河原があるからゴム草履持ってきてお菓子は300円まで。バナナは果物だから別枠ね!』

というわけで、出かけてきました。丹沢まで。場所は清流荘キャンプ場というところ。






やー、楽しかったよ!!また行こうねっ!


MY HOME ギジェ・グラフィティ#16、アタックって、もう古語??!ギジェってホントは男子の鏡?

2011-09-01 | こんなの描いてた


最近は何につけても女子がリード。
告白するのも、ふるのも。決めるのは女子。みたい。
男子は弱くなったというより、人間全体が、傲慢でずるくなったのかもしれない。
失敗したくない、恥をかきたくない。責任取りたくない。みんなと違うことしたくない。
カッコいいことはしたい。でも、それれがなにか、わからない…

でも、震災からこっち。
勇気、努力、友情について理論や批判が先行していた気風が、
地に足が突き出した、というか、少し自然体に戻っているような気がします。


連載当時、編集部の誰だったか忘れちゃったんだけど、その人に
「My Home ギジェって、古風な話だよね。」って言われたことがあります。
その当時
『え?そうかな?』って感じ。
あまり気に留めてなかったのですが、今になって『なるほど!』と思うところしばしば。

自分からなんとかしようと試行錯誤するギジェって、ある意味、古風な男子。といえなくもない。
ちょっと方向はあやしいけど…。

今、描いたらどんな感じになるかなー。ちょっと興味があります。


2011年3月11日、あなたはどこにいましたか? 今日は9月1日、防災の日です。

2011-09-01 | 日常茶話
今日は防災の日。あの日の気持ちを忘れないためにちょっと書いておきます。

突然ですが、2011年3月11日、あなたはどこにいましたか?
私は横浜駅のルミネ4階で子どもと一緒に買い物をしていました。
お目当ての品を購入し、レジで精算していた時、その揺れが来ました。

スタッフが店内のお客にショーケースからはなれて床にうずくまるよう指示していたのは、さすがでした。
また、幸いなことにフロアが停電せず、灯りが確保できていたことも、パニックが起きなかった大きな要素ではなかったかと思います。
(あとできいたのですが、ルミネ横浜では毎月避難訓練がある、とのことでした。)

まもなく館内放送が流れました。
宮城沖でマグニチュード8強(発表当時)の大地震が発生したこと、
駅ビルは耐震構造になっているのでいきなり倒壊する心配はない、現場スタッフの誘導に従ってほしいというアナウンスに、
フロア全体が驚きながらも、ほっとしたことを憶えています。

揺れがおさまるのを待って、外に出ました。
騒然としていて、だれもが不安そうに立ちすくんでいました。



地図を見ればわかりますが、横浜駅は実は海にものすごく近いのです。そして横浜駅周辺には何カ所か海抜0mの地区があります。(大きな津波で水面が上昇すれば、道路も冠水するでしょう。)


この日、帷子川の手前で、京急が緊急停止しているのを初めて見ました。



駅コンコースも、改札から溢れた人々が途方に暮れて立ち往生しています。
携帯はなかなか繋がらず、実家と妹に伝言が残せたものの、情報が全く入りませんでした。
市バスもタクシーもまだ動いてはいましたが、この状況ではおそらくターミナルもごった返しているはずだと確信。

いつもはバスで5分ほどの道を歩いて戻ることに決め、途中パンと水を購入して、子どもにあきれられました。
だって、もしかたら今日中に戻れないかもしれないと思ったのです。
それでもなんとしても戻りたかったのは、自宅にワンコを残していたからです。

途中沢山の人とすれ違いました。
駅までの道を何度もたずねられ、そのつど電車は止まっていることも伝えました。
何処に行けば良いかときかれても、まったくわかりません。
情報を確認するためにやはり駅に向かうしかないという矛盾。
なにもできないことを思い知らされましたが、あの時は自宅に早く戻ってワンコの安否を確認したい一心の身勝手な思いの方が僅かに勝っていたのでした。ごめんなさい。

でも本当に怖かった。しばらくは眠れず、余震に怯えていました。
ですから、あの日東北で被災された人たちがその何百何千倍も恐ろしく、それが半年経った未だに続いているのだと思うと苦しくなります。



あ、ワンコは無事でした。
それでも怖かったのでしょう。いつもは玄関で待っているのに、この日は私の仕事部屋の角で、私が使っているひざ掛け毛布の端を抱え込むようにしてうずくまっていましたよ。