横浜焼売(シウマイ)物語2024

2年ぶり再開。ハマっ子のソウルフードは崎陽軒のシウマイ。漫画書き柴犬溺愛。落語らぶ。晴れ時々ランニング、更新随時

いやだ

2022-02-28 | 日常茶話

幼稚園に行っていた頃

毎日のように考えていたことがある。

自分が幼稚園に行っている間に家も両親も妹も祖父母もすっかり消えているのではないか、と。

それは夢に見るほどの恐怖。

怪獣やら妖怪やら何やら得体のしれないものに追いかけられたりする夢だと

最後にみんなと友達になって終わり。

でも全てが消えている夢は消えてしまったままで

何か大声を出した瞬間目が覚める。

夢でよかった!ホッとして朝ごはんを食べる。

 

ところがそれがとうとう現実にになってしまった?

戦争。

ある日突然帰る家がなくなる。

家族がいなくなる。

周囲には知り合いもなく、言葉すらも通じない。

いやだ。

ちょっとコンビニへ、行かれない。

ちょっとスタバに、行かれない。

ちょっと買い物に、出られない。

ちょっと映画館へ、行かれない。

いやだ。

犬の散歩も

子供たちの送り迎えも

いや、通勤通学通院さえもできない。

いやだ。

食べるものもも

安全な飲み水もない。

電気もガスも使えない。

いやだ。

ネットが繋がらない、

不安なニュースばかりが流れる

情報ソースが混乱する

何が本当かわからない 

そして助けは来ない絶望感だけはたっぷり。

いやだ。

感情が硬直し泣くことも笑うこともできない。

相手を殺すことになる。

相手に殺される。

自分肉体だけでなくアイデンティティも精神も帰る場所を奪われる

いやだ。

そしてその何倍も怖い。

 

戦争体験者の母が常に言っていたこと

「振り上げた拳は、収める方が難しい。

戦争は始めるのはかんたんだけど、終わらせるにはその何十倍何百倍のエネルギーがいるの。

だから始めない努力は怠けたらダメよ。」

始まっちゃったよ!

だから今、なんとかして終わらせる努力をしていかなきゃならない。

戦争する人がよくいうセリフ

「◯◯を守ために戦う、」「正義のために戦おう!」

「守るために回避の努力をしよう」とは言わないし

「正義」は人の数だけあるから相手もまた同じだって思わない。

体よく戦争責任を〇〇や『正義』に押し付けてすり替えているだけ。

 

私は

呑気に好きなことをして暮らしたい。

ちょっとだけおしゃれして、

漫画描いて

絵を描いて、

友達と会ってお茶したり

遊びに行ったり

わんこの散歩に行ったり

お気に入りのコースを走ったり

美味しいもの食べたり

ミーハーに生きている。

平和ボケと言われようがノンポリだと言われようが。

どこかの富豪のように何十億も寄付なんてできない。

デモ参加もままならない。

無力だと思い知らされることのなんと多いこと!

それでも何かできることがあるはず。

世界に絶望するのは、

いやだ。

国連難民基金

在日ウクライナ大使館寄付

アドラジャパン

 

 

 

 

 


ガンダムSDGs

2022-02-23 | 日常茶話

ガンダムの頭部

何でできているかというと

これだ!

ガンプラのパーツを取り外した後のランナー

ケロロ軍曹も感涙の再利用。

目下横浜はガンダム祭りです。

正確には

GUNDAM FACTRY

そこでランドマークタワーでもガンダム真っ最中

いつもはクリスマスツリーの置かれる広場には

どーん

歴代の映画ポスターなども懐かしく、

私の記憶にあるのは邪道と言われたウィングまでですが…

(その後諸々の事情でアニメーションから遠ざかっておりましたので)

え?ガンダムSDGsがない?

やだ、奥様シャレですわよ、ガンダムシリーズと持続可能な開発目標をかけて…

一般人には何のことやらですが、アニメファンにはちょっと楽しいこの企画。

コロナ禍ですが、十分な予防対策をしてお楽しみください。

 

 


大河への道、への道 第三章・伊能忠敬への道

2022-02-20 | 落語ラブ

補足:「大河への道」とは、立川志の輔師の創作落語です。郷土の偉人伊能忠敬をなんとか大河ドラマ化しようと奮闘する人々の話。志の輔師が佐原市(現・香取市)の伊能忠敬博物館を訪れた時の感銘をもとに2011年に初演。以来人気の演目として同時になかなかチケットの取れない高座として不動の地位にあります。映画化決定。5月ロードショー。

第一章・ドタキャンへの道はこちら

第二章・佐原への道はこちら

さて私はちょっとウキウキしていました。

目指す伊能忠敬博物館は佐原にあります。今回の旅行のコースには入っていませんでしたが、自由時間があるのでこの時に訪問できるかも!付き添いとはいえなんという幸運。

が、現実はなかなかスムーズにはいかないのでした。

昼過ぎに佐原に到着。酒蔵見学の後次の移動時間までが自由時間になりました。

40分。

行くなら今しかない!他の皆さんが佐原の町並みを堪能しているこの時がチャーンス!!

休憩の酒蔵から博物館までの距離は私の足で5分くらい。しかし、母は足が悪くて早く移動はできません。往復におそらく30分はかかってしまう。あいにく車椅子の貸し出しはなく、いっそ背負って行こうか、いや悩んでいる間時間はなくなる…

「ママ。伊能忠敬の博物館に行かない?」

「伊能忠敬なら前に見たからいいわ。」

「え??」

「佐原も来たことがあるし。」

は、初耳ですよ、お母様!!

(母は油絵が趣味です。元気なころは同好のグループであちこちスケッチ旅行に出かけていました。)

「Sっちゃん、あんた行きたいところがあるなら行ってくれば。私はここで休んでるから」

ああ、お母様!ありがたや〜!!

と、母の愛に甘えて一人いざ伊能忠敬博物館へ向かいました。(ルンルン♪)

ご存じでしょうが、

伊能忠敬は初めて正確な日本地図を作った人です。

ドローンも航空写真もコンピューターもない時代に、日本国中を徒歩で歩いて測量をして回った想像を絶する行動力の人です。

その期間17年!!

50歳まで佐原の米問屋の主人として地域に貢献し、

隠居後に江戸へ出て有名な学者に弟子入りをし一から測量の勉強をし、

幕府の許可を得て日本中を歩いて測量しまくり計算をしまくり

まるで空中から映し取った如くの日本地図を完成させました。

凄いロマンチック。どんなすごい資料があるのかしらと期待は高まります。

しかし、私はやってしまいました!!!

あはははは…

もう笑うしかない…

フラフラしていて

曲がる道を一本間違えてしまったらしい…

んが!!

神様はちょっといた!!

目の前にあったのが

伊能忠敬旧宅!!

日本地図作成の旅に出られる前の伊能忠敬様はここで米問屋を営んでおられたのです。

もう迷っている時間はない!

高なる胸を抑えつつチケットを購入

…しようとしたその時、たからかに携帯が鳴ったのです!

みれば着信は『母』から。

何かあったのか?やっぱり置いてこなければよかった!

過日の風呂騒動が思い出されます。

「ママ!どうしたの??!」

「どこにいるの?早く戻ってらっしゃい」

「何かあった?」

「そうじゃないけど、心配だから」

「まだ休憩時間があるから、そこにいてね。見学したらすぐ戻るから。○○さん(ツアコン)はいるの?」

「ここにいるわよ。」

あーーよかった。何かあったわけじゃなかった…。

「待っててね。すぐ戻るから」

さあ、見学だ!!

するとまた携帯が。

着信は、母。

今度こそ何かあったのでは?!

慌てて取ると

「Sちゃん、どこにいるの?」

「今、伊能忠敬さんち(博物館ではない)」

「早く戻っていらっしゃい。」

「わかった、でもちょっと時間かかるかも。」

ああ悪かったなあ、やっぱり顔見知りの幹事さんが一緒とはいえ心配なんだなあ。急いで見学して戻ろう。(でも、見学はする)

ここからは写真もほとんど取らずに超早足です。

説明文も斜め読み。

大急ぎで出口へ向かいました。

でも心にしっかり焼きついたものがあります。

わかる人にはわかる!

この道具を持って測量したのですよ!

御用の旗はいわば黄門様の印籠のようなもの

これがなければ旅はおろか測量などできません。当時は誰もが気軽に旅行などに出かけることは許されていませんでした。

そして手作りの測量器具。

これを大八車に積み、わずかな同行者と共に『歩いて』測量をしたのです。

後で知ったことですが、伊能忠敬は自らが測量機となるために

自分の歩幅が常に一定になるよう歩いたそうです。

不覚にも鳥肌が立って涙が出そうになりました。

伊能忠敬が測量に費やしたのは17年。

私が見学に費やしたのは10分ほど。

(おまけに目的地が微妙に違ってしまったし)

感傷に浸る間もなく

旧宅を後にいたしました…

ダッシュ!!

あ!また携帯が……。

せっかくなので

素敵な佐原写真と博物館のリンクを貼っておきます。

第四章(最終章)に続く!!

第一章・ドタキャンへの道はこちら

第二章・佐原への道はこちら

伊能忠敬博物館はこちら