横浜焼売(シウマイ)物語2023

2年ぶり再開。ハマっ子のソウルフードは崎陽軒のシウマイ。漫画書き柴犬溺愛。落語らぶ。晴れ時々ランニング、更新随時

北海道でっかいどう(その3)オシンコシンでイオンシャワー

2017-07-30 | 旅行、おでかけ
北海道でっかいどう(その2)近くて遠い、オホーツクの海
北海道でっかいどう(その1)網走番外地
北海道でっかいどう(前書き)
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滝というのは山の奥にあって。という思い込みをあらためます。





オシンコシンとはアイヌ語で「オ・シュンク・ウシ」。
川下にエゾ松野しげるところ、という意味だそうです。

国道沿いの階段をひょいと上ると目の前にこの美しい滝が姿を現します。



今年意味ウトが北海道に社員研修旅行へ出かけた時のこと。
レクリエーションで川下りをした時、飛沫の中にも水中にもコロポックルさんたちがいて、きゃあきゃあと大歓迎。
遊ぼう遊ぼうと誘ってきたのだそうです。
この滝の周辺にもあちこちでキラキラ。
こちらを伺っているのか、気にもしていないのか、

あっちでヒソヒソ、こっちでヒソヒソ。

こんなに人間が近づいているのに、怖がるでもなく実にマイペース。

そのせいか、

見える人にも見えない人にもキラキライオンシャワーを惜しみなく分けてくれるおおらかな滝でした。

この美しさがずっと続きますように。


北海道旅行第1日目の終わりです。

2日目以降は、写真整理をしてまた書きます。続く!
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以前の話は、
北海道でっかいどう(その2)近くて遠い、オホーツクの海
北海道でっかいどう(その1)網走番外地
北海道でっかいどう(前書き)

北海道でっかいどう(その2)近くて遠い、オホーツクの海

2017-07-29 | 旅行、おでかけ
北海道でっかいどう(その1)網走番外地
北海道でっかいどう(前書き)
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網走を後にして向かったのが小清水原生花園



国道沿いを走るJR北海道の釧路本線小清水駅の千里を渡るとそこは別世界。

はまなすよりも勢いよく咲いているのはエゾスカシユリ

正面にオホーツク海が広がっています。

日本海でもなく太平洋でもないオホーツク海。この先にサハリンがあるんですね。
余談ですが、父は昔。祖父母と家族旅行でサハリン(樺太)まで行ってるんですよ。



インフォメーションセンターで食べたアイスクリームは、グリーンアスパラとオホーツクの塩を使った塩バニラ。甘くてしょっぱくて微かにほろ苦い味がしました。


北海道の夏をいただきました。
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以前の話は、
北海道でっかいどう(その1)網走番外地
北海道でっかいどう(前書き)

北海道でっかいどう(その1)網走番外地

2017-07-28 | 旅行、おでかけ
やって来ました、北の果て。

ここは網走番外地
かつてはここに送られたが最後、
過酷な自然環境と重労働から刑期を全うしても生きてシャバに出ることは難しいと言われた
最北の受刑地でした。
日本全国の犯罪受刑者から恐れられたという網走監獄は、現在博物館として残されています。


ただ単に最北の受刑地だったからではありません。

ここは北海道開拓史上、重要な役割を担った場所だったからでした。



正門から左て奥にある教誨堂



囚人たちによって建てらました。
現在はコンサートホールとしても一般に利用されているそうです。


中は綺麗になっていますが、個人的に一番身につまされてしまったのはこの教誨堂でした。

庁舎内部

監視所を中心に扇状に5本の廊下が広がっています。その両脇にずらりと監房が並んでいる作り。

雑居房連と、独居房連に分かれています。雑居房が廊下を見回る監視からは中の様子がよく見え、中の囚人は正面の監房の様子がわからないくの字型講師がはめ込まれています。
暖房は通路に設置されている石炭ストーブ。
講師壁にすることで、この暖房熱がそれぞれの監房に行き渡り仕組みです。
しかし夏はともかく冬は氷点下のこの網走で、果たして十分に暖がとれたかどうか定かではありません。

1)網走監獄はなぜ作られた?

極寒の地にそうまでして囚人を集めたのには理由がありました。

北海道開拓。
不凍港を求めて南下政策を進めるロシアに対して、北海道の軍備を固めることは時の明治政府にとっての急務でした。
肝いりで始められた北海道開拓でしたが、厳しい自然と北海道独特の泥炭地質によって困難を極めていました。
禄を失った士族や一角千金を夢見て志願した開拓団と屯田兵だけで人手をまかないきれず、十分な財源もない…
そこに目をつけられたのが急増する犯罪受刑者だったのです。

受刑者たちが携わったのは主に幹線道路建設。
建設は大型重機などはなく、ひたすら人海戦術。原野を開墾するところから始めなくてはなりませんでした。
まして受刑者は逃亡防止のため二人1組で鎖に繋がれての重労働でした。
作業中に事故や栄養失調、寒さで亡くなった囚人はその場に埋められ鎖が墓標がわりに目印として置かれたということです。
昭和30年に入ってこれらの遺骨が掘り起こされてきちんと埋葬されるまで、その墓標は延々と続いていたのでした。

野外作業小屋(レプリカ)

受刑者たちは大きな丸太を枕に並んで就寝。
起床時に看守が丸太の端を叩いて起こしました。

2)網走監獄の有名人
網走監獄には個性的な受刑者が二人いました。
ひとりは五寸釘寅吉こと西川寅吉
なぜか網走監獄名物のお土産にもなっています。

なぜかピーナッツ。

何度か収監されたのち、刑務所を脱走。逃走中に静岡県で警察に追われた際五寸釘差刺さった板を踏んでしまったもののそのまま十数キロを逃げたということから
五寸釘寅吉五寸釘寅吉の異名がついたと言われます。
何度か刑務所を転々としたあとにたどり着いた網走ではすでに伝説の人で、当人は模範囚だったとのこと。
高齢を理由に仮出所した後その波乱万丈な障害が当時の工業史によって面白おかしく語り伝えられたことから人気者に。
その後故郷三重で息子に引き取られて87歳でなくりました。(1941年)

もうひとりは白鳥由栄
この人が事実上網走監獄最初で最後の脱獄囚。
昭和の脱走王とも言われています。
最初の犯罪では自首したものの刑務所での劣悪な待遇に抗議したことからさらに懲罰を受けたことがきっかけで脱走。1936年。
その後収監されるた秋田刑務所を脱走。1942年。
難攻不落と言われた網走監獄からも脱獄に成功。1944年。
しばらく消息を絶ちます。
その後、畑泥棒と間違われて暴行され相手を殺害。札幌刑務所に収監されます。死刑判決が出たことで、再び脱走。1947年。
よく年、東京の浅草で逮捕。
経緯は、その時たまたま声をかけた巡査にタバコをねだったところ、当時貴重品だったタバコを快く一本差し出されたことに感激。
巡査に白鳥はこう言ったと伝わっています。
「俺を捕まえて、あんたの手柄にしなさい。」1948年。
その後府中刑務所では模範囚として服役、1961年に仮釈放され1972年に死亡。
無縁仏になるはずの遺骨を引き取ったのは、仮出所時に親しく交流があった隣人宅のお嬢さんだったそうです。
     
3)網走監獄という集落
受刑者がいるということは、それを監視する役人もいるということで

こちらが今でいう官舎。



単身ではなく家族ごとの赴任。

生活は監獄ともに基本自給自足。
農地や牧場、農産物の加工場も含め網走監獄は単に受刑者の収監所というより一つの集落を形成するに至りました。
人が集まるところには物流が生まれ産業が発達します。

もちろん北海道の炭鉱や硫黄山での採掘作業にも受刑者が駆り出され、網走監獄の経費だけでなく網走の発展を支えました。
網走市は監獄と共存してきた街とも言われる所以です。

受刑者の作業が大きく変わるのは昭和27年以降。
受刑者の就労規定も改正されて、刑務作業に応じて時給が支払われるように。

それでも網走は監獄という負のイメージが嫌われて何度か監獄名の改称が願い出られています。
そのイメージを払拭するきっかけが
高倉健さん主演の映画、『網走番外地』シリーズの大ヒットでした。
地のはての受刑地は一躍観光名所になったのです。
昭和58(1983)年には刑務所改築に伴い、旧舎を移築復元した博物館として再出発することになり現在は網走観光のメインゲートになっているということでした。

ちなみにこの網走監獄舎は、昭和61(1986)年まで実際に使用されていました。

現在の網走刑務所はここから少し離れた場所にあります。
この橋の向こう、ね

もちろん現在は独居房がメイン。今収監されているのは再犯者や軽犯罪の受刑者がほとんど。
制限付きとはいえテレビも各房に設置。暖房も完備してるそうですよ。


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以前の話は、

北海道でっかいどう(前書き)

北海道でっかいどう(前書き)

2017-07-27 | 旅行、おでかけ


母の付き添いで道東に行ってきました。

道東というのは北海道の東エリア。

網走〜ウトロ〜知床〜阿寒〜釧路のあたりです。

実は母の新婚旅行は父の強い希望で、北海道。
今は長期旅行中の父が北海道好きで、その後も仕事の関係でちょくちょく訪問。
まだ世界遺産になる前の釧路湿原見学した時は特にいたく感動していました。
母にはもちろん、私たちにも釧路湿原を見せたいと言ってたなあ。
加藤登紀子さんの『知床旅情』は父がご機嫌な時に口ずさむ定番曲の一つ。

ところがその後、仕事で国内外を東奔西走。
結果として
あの時が、父の最後の北海道訪問になりました。

今回のツアーはまさにそれに近いコースが設定されていて、
休みが取れない妹に代わって私が母に付き添うことになった次第です。

さて、
最初の寄港地は女満別。

ここから一路、網走番外地へ向かいます。

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北海道はでっかいどう(その1)へ続きます。

7月30日は横浜市長選挙だよ

2017-07-26 | 横浜ラブ
所用ででかけたタイミングに、期日前投票も済ませて来ました。

しかし、このキャンペーンキャラクター

何を基準に決めたんだろう??インパクト??

トレンディエンジェルの斎藤さんにはなんの恨みもありませんが、

なんで市花の薔薇をくわえニャアならんのじゃろ??

18歳投票感を意識した?にしてはどうにもセンスが…

イコットちゃんに至ってはもう…(T ^ T)

ともあれ、選挙権はちゃんと行使しましょうね。


パパンッ!!講談師は言霊師かとあえて問い

2017-07-25 | 落語ラブ
なかなかチケットが取れないふたりのコラボ。

ダメ元で予約したら、なんと取れまして

母を連れて行ってまいりました。



結構なプログラムでした。

まずは

開口一番として
桂竹わさんの、新作「動物園」

続く神田松之丞師の講談は

スタンダードナンバー

「那須の与一の扇の的」

続いて
喬太郎師匠の新作
任侠・流山動物園

ここまでの流れには訳があって、

竹わさんがフレッシュな虎の所作を披露した後、

松之丞師が、登壇。

前振りでサクッと
落語と講談の違いを持論で解説。

寄席などで演じる時は時間の制限などもあり
短めに切り上げる場合に便利な言葉が
『お後がよろしいようで』
あるいは

『以下云々のとなるわけでございますが、ちょうど時間となりました。』
という具合になるのだそうです、

そんな話から、


喬太郎氏師匠を褒める褒める。
7年くらい前のにぎわい座での喬太郎師匠の独演会に、
ゲストに呼んでいただいたのが最初のご縁だったそう。
以来、いつかにぎわい座で自分が独演会をするようになったら、
喬太郎師匠をゲストにお呼びしたい!!
と願い続け、とうとう本日、心願成就したとのこと。
その時の舞台の様子、
喬太郎師匠の人柄を
微に入り細に入り松之丞節で語る語る。

「というわけで、実に気取らない人で、こんな後輩のお願いにも快く二つ返事で『行く、行く』…」
「多分今楽屋でモニター見て、(お茶)吹いているかもしれません」
「初めて喬太郎師匠の噺を舞台の袖で聞いた時、客席の空気が師匠に向かって一つになるというものすごい体験を…」
「聞き惚れていて、頼まれていた鳴り物を叩くのをすっかり忘れてしまい…」
「今日はどんな講座が聞けるのか、ワクワクしていまして、あるいは
喬太郎ここにあり、お前らごときとは格が違うぞ!という感じを見せてくれるのか…」

褒めているのか、
挑発しているのか…
「はたまた(師匠は)いい感じで(ゲスト)叩きのめしてくれるのか…」、

するとその最中にいきなり
上手から
「ばかやろう!そんな言い方したら、噺できねえじゃねえか!!」
と喬太郎師匠本人が飛び入り。

そのやりとりを聴きながら、ああこれまでの語りは
喬太郎師匠への愛、愛だったのだと一人納得いたしました。

その上で、喬太郎師匠が演じたのが
任侠・流山動物園というわけです。

竹わさんの虎に対して、喬太郎師匠が上野動物園のナンバーツーの虎夫を演じて一矢報い、
本来ならば40分以上の長い演目を
この後池袋演芸場の鳥を控えている師匠が象のマサオが登場したくだりで
「さあ、この後に話は続くのでありますが、『ちょうどお時間となりました。お後はよろしいようで』」と松之丞師の前段の落ち話の前振りに
見事なカウンタークロスで応じた一席。(この後、喬太郎師匠はブヒブヒ、パオーン、池袋に行かなくチャ、行くんだも〜と旅立たれました。)

お中入り

そして後段は

神田松之丞一色の二席。

新作『トメ』
おじいさんがおばあさんを夜中の2時に無理やり起こす話(松之丞師・談)
なんともかわいいおじいさんとおばあさんの会話が始まった途端、
誰かの携帯電話が鳴り始めました。
会場が一瞬?????!
すかさず松之丞師
「よかった、次の小平次の時でなくて♪」
そのまま自然に噺に戻りました。

以前志の輔師匠の独演会でも同じようなことがありましたが
一流ってこういうことですね。

そしてトリは、怪談「小幡小平次


満員御礼の会場が割れんばかりの拍手で、幕と相成りました。

さて会場には若い人が結構来ていまして、

後ろあたりにも20代と思われる男子がふたり

那須与一が終わったあたりで
「歴史の話しるだけじゃん。」
「なにを言ってんだかよくわからないな」
『お経みたいだね」
「那須与一って、歴史の人?」
なーんて話し合ってました。
でも彼ら最後まで聞いてましたよ。
確かに古典、那須与一。
名前はなんとなく知っているし、扇の的のエピソードも有名です。
しかし公団として語られる
朗々たる導入部は
かくいう私も何やらチンプンカンプンでした。

それでも
情景描写であることはよくわかり、

なぜかその様子が頭の中に直接どんどん入って来まして

なんとも不思議な感覚にうっとりしていたのであります。

美しい言葉にはきっと魂が宿っている。

講談師は言霊師が変換されたのではないかしら、と感じた次第です。

というわけで、お後もよろしいようで。



ダ●ワマンと屋形船

2017-07-22 | 日常茶話
あのダ●ワマンに会える(かもしれない)よ!
と、妹に誘われて、ホイホイとついて行ったとある日曜日。
そこはとある住宅会社主催の講演会。

そこでダイ●マンが講演をすると言うのです。

すると、壇上に登場したのは

●イワマン…ならぬ、中の人!!!!

ところが無情のアナウンスが!

『講演会での撮影、録音は固くお断りします。』

ということで

●イワマンの撮影はもちろんできず、中の人の麗しいお姿とお声をボウーッとしながら拝見拝聴。

中の人、素敵でした。

おしまい。

…ではなくて、

件の講演会を終えた後に、待っていたのは屋形船パーティ。

乗り場はなんとプカリ桟橋。

屋形船の発着は桜木町にあるワシントンホテル裏、弁解橋の船着き場だと思っていたのでちょっとびっくり!


海の高さから眺めるみなとみらいって十年ぶり?!


ワクワクしながら約3時間のクルーズに出発です。


横浜はいわゆる国際港として有名ですが、
元は漁村。そして
横浜港湾内は魚の宝庫。

屋形船ではそれも堪能できるのです。




ワインもあります。


この金目鯛がとても美味しゅうございました。


ご同席の皆様と楽しく歓談しているうちに

ベイブリッジの折り返し地点。

ここから山下公園、赤レンガ、と戻っていきます。




パシフィコ国際会議場と観覧車が見えてきました。






3時間があっという間。


雨模様の天気でしたが、いつの間にか綺麗な夕焼けです。

楽しいひと時に、しばしダイ●マンを忘れていた私たちでした。

(まだ言ってる…)


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屋形船 けいひん



北海道

2017-07-21 | 日常茶話
北海道、
といえば

いまや木彫りの熊、でも

花●牧場でもなく



明治製菓子会社の道南食品からリボーンされたサイコロキャラメルと、セイコーマート、改め、セコマ(2016年4月より)。



この二つは、
しっかりと





北海道愛を貫いています。




<おまけ>
このシリーズも美味しいよ♪

プレミアム

2017-07-10 | 日常茶話
ミニサイズのプレミアムシウマイ弁当


金色の掛け紙の裏にお品書き

シウマイは三種類(昔ながら・特製・エビ)が一個ずつ。

ご飯の量も女子にはちょうどいい感じです。

大好きな鮪が利休焼きに。杏もちゃんと健在です。
1,080円(税込)