横浜焼売(シウマイ)物語2023

2年ぶり再開。ハマっ子のソウルフードは崎陽軒のシウマイ。漫画書き柴犬溺愛。落語らぶ。晴れ時々ランニング、更新随時

ヨガマットバッグざます♪

2013-05-31 | 日常茶話
ヨガをやっております。妹がインストラクターなのです。
その同じヨガ教室のMさんが、かわいいヨガマットバッグで通ってくることに気がついた!!
当然、私たちの興味は、彼女のヨガマットバッグに集中。
私たち「つくったの?」
Mさん「ええ、友だちに頼んでつくってもらいました。」
私たち「じぇ!(プロ!)」
Mさん「お友だち、こういうののお店やってるんです。」
私たち「じぇじぇ?!(どこ?教えて!)」
Mさん「あ、チェンマイ…タイです。」
私たち「じぇ、じぇ、じぇ、じぇ~~っ!!!!」

Mさん「ネット通販もしてるんですけど、生地オールドサリーの一点もので、すべて手作業なんで量産ができないんです。ちょっとお待ちいただくかも…。それでも良ければ連絡します。」
そんなやりとりがあって2ヶ月。

届いたのがこれ。ていうか、私がぼーっとしているうちに妹がさっさと私の分も頼んでくれておりました(いや~持つべきものはしっかりした妹…)

ヨガマットがすっぽり入ります。

生地はオールドサリーといって、古典柄のサリー生地。実際に使用されたもので、長い年月の間にいい具合に染めもなじんで独特の風合いがあります。これを何点かパッチワークのように組み合わせて、丁寧に刺し子をし、裏地をつけます。


こうやって肩にかけられるのがミソ!


いや-かわいい!!ヨガに行くテンションも上がります。
Mさん、そしてチェンマイのMさん、ありがとう!!!

もし興味がある方はこのサイトを覗いてみてください。
『ヨガ好きのためのヨギの店』 http://shop-online.jp/makotako/



こちらはヨガマット。参考までに。
【激安セール!】大満足品質のヨガマット厚さ6mm【メッシュバッグ付】 (ラベンダーE)
Present-web

野毛山動物園のおジャガの話。

2013-05-30 | 横浜ラブ
おジャガ、といってもジャガイモのことではありません。

野毛山動物園の黒ジャガーのおジャガのことです。

御年20才。人間で言うと80才ちかいおばあちゃん黒ジャガー。
赤ちゃんの時の事故で片足を切断。不自由な身体ですが
今は野毛山動物園で二番目の年長さんになりました。(最年長はラクダのツガルさんです。)
ひなたぼっこが大好き。気がのらないとさっさと、奥の寝室に戻ってしまいます。

「おジャガ!」って呼ぶと
「また来たの?」ってこたえてくれます。


今、野毛山動物園は少しずつ展示場を改装しながら営業中。
おジャガの展示場は、ツキノワグマの展示場が広げられたため、目下、仮住まいへと移動。非公開になりました。

向かって左がかつてのおジャガ展示場。



運が良ければ、ひなたぼっこしているところに会えるかもしれません。

野毛山動物園は5月は休園日なし。連日開園しています。

閉園後のバス乗り場。


6月2日の横浜開港記念日には先着100名様にレッサーパンダ缶バッジを配布予定。
今年は入場者100万人突破を目指しています。

国内では野毛山動物園にしかいない、幻の鳥カグーも待ってるよ。






町の中の廃墟

2013-05-29 | 日常茶話
現行の区役所裏にある公務員宿舎…

…だったところ。
使われる事のない、バリアフリーのスロープ。


だれもかたづけないゴミの集荷所。




ここは区の中心。すぐ近くには国道幹線。バス停至近。徒歩圏内に私鉄駅2つ。それもJR横浜駅の隣駅。
これが敷地の見取り図。

1~6号棟は旧宿舎。
老朽化を理由に、たしか90年代に7~10号等を新築。いわゆる団地タイプからマンションタイプにイメージチェンジしたのですが、


2012年に閉鎖となりました。

掲示物は平成24年4月以降更新なし。
残った敷地内の駐車スペースは区役所の仮駐車場。


昭和50(1970)年代の旧棟はこのとおり。



人口はあきらかに減少中です。




サハラだけど、インドなの

2013-05-28 | 日常茶話
今日のお昼はチキンカレーの中辛でした。

デカいナン、焼きたて熱々。

チキンゴロゴロ。
もうね、とっても美味しいのです。カレーが、カレーが、スパイシーかつ深ーーーい味わい。

ご近所のお寿司屋さんが廃業。空き店舗に入ったのがこのカレー専門店。インドの人がやってます。



内装工事もほとんど自分たちでやっていたのが印象的で、行こう行こうと思いつつタイミングをのがしてました。

メニューはすべて持ち帰り可。
カレーは日替わり含めて7種類。辛さもマイルドから唐辛子マーク4まで選べます。ナンまたはライスつきでこのお値段。


作ってもらっている間、カウンターで待ってたら、ラッシーごちそうになっちゃった。
ちなみに店内で食べるランチはナンもご飯もおかわり自由です。
今度は、お店で食べようっと。

あ、奥様がとってもチャーミングなインド美人ですよ。男子諸君。

日本丸は、横浜(ハマ)のアイドル

2013-05-27 | 横浜ラブ
横浜の開港記念日は6月2日。
毎年ゴールデンウィークを過ぎる頃から、休日ごとに、この記念日に向けて色んなイベントが目白押しです。
今年は天気にも恵まれていい感じ。

日曜日、みなとみらい地区では帆船日本丸の総帆展帆(そうはんてんぱん)でした。


帆を広げた日本丸は本当にきれいです。
人間で言えば83才のおばあちゃん。ドッグの中で太平洋を思い出しているのでしょうか。

これは、普段の帆船日本丸。


「開港の道」の案内板として、道路やデッキに埋め込まれています。

「開港の道」は桜木町駅から汽車道を経て赤レンガを抜け象の鼻パーク、山下公園、外国人墓地のある港の見える丘公園までの3キロの散歩コースのこと。

ランドマークが横浜のシンボルなら、日本丸は横浜のアイドルかな。

マンホールカバーも、ほらね!

水飲み場3選

2013-05-26 | 横浜ラブ
馬(牛)のための水飲み場。

これは昭和の初期まで使用されていた荷役用の牛や馬が水を飲むためのものです。大正6年製。関内、馬車道十番館前。


犬のための水飲み場

ペットバーといいます。横浜元町商店街、キタムラ前、他

鳩…じゃなくて人のための水飲み場

みなとみらい、カップヌードルミュージアムパーク




カメラ小僧にカメラ女子、ホトガラ青年下岡蓮杖を忘れるな。

2013-05-25 | 横浜ラブ
今やデジカメはひとり一台。いや、もっと多いね。みんながカメラマンな時代の始まりを作った人がいるんです。
あ、ホトガラっていうのはPhotograph フォトグラフのことよ。

横浜馬車道の県立博物館のななめ向かい側にある奇妙な形のモニュメント。




下岡蓮杖(久之助)というのは、上野彦馬とともに、日本の写真技術の開祖といわれています。
伊豆下田の出身、画家を目指して江戸、狩野派に入門。
ところが、市中で見た銀盤写真に衝撃を受け、何とか外国人と接触してこの技術を学びたいと考えるようになります。
時は徳川末期、黒船が浦賀に来航。開国か攘夷かで国内は二分されている時代。
そこで思いついたのは、浦賀奉行所の足軽にリクルート、という方法。これなら、外国人と知り合うチャンスは多そうですもんね。

その後故郷の下田が開港したと聞くや、下田野玉泉寺に開設されたアメリカ領事館に再々リクルート。
領事館で働いていた幼なじみの仲介で、ハリス領事の通訳ヒュースケンに師事して、写真技術を学び始めます。
基礎はしっかりと学んだものの、最後まで現像に使う薬剤の名前は教えてはもらえなかったとか。
その後、様々な苦労を重ねて18年、横浜の野毛で小さな写真館をはじめます。

この当時、写真は「ホトガラ」といって、あまりに人物が本物そっくりに写るため『魂をとられる』と大抵の日本人は怖がって近づこうとしませんでした。そのため、お客はもっぱら居留地の外国人ばかり。
しかしそこで、アイデア勝負。
外国人に日本の着物を着せたり、元は画家の腕を活かして日本の景勝地を背景画に描いたり。
まるで、現在のスタジオ・ア○ス。
このアイデアは大当たりし、口コミで評判は伝わり、まもなく弁天通(今の本町4丁目付近)に写真館を移して本格的な営業を開始しました。

これが我が国最初の営業写真館といわれているそうです。
(奇しくも同年、上野彦馬も長崎に営業写真館を開業しています。)
これは現代の写真スタジオ。


ところでこの下岡蓮杖先生、写真館だけでは物足りず、喫茶店から牛乳販売、石版印刷、乗り合い馬車、と次々に手を出し失敗したり成功したり。後進の指導にも熱心で、門下生からは優秀な写真家を輩出しています。
この方の人生を語るとキリがありませんが、今から200年前、こんなユニークな人がこの町にいたんですね。

キノコ

2013-05-24 | 日常茶話
日本ではタケノコに分があるようですが、
私はキノコが好きです。

これは、期間限定のミントキノコ。

ちなみにキノコ&タケノコは日本だけでなくアメリカ合衆国、アジア、ヨーロッパにも輸出されてる人気商品だそうです。

キノコの秘密はこちら。http://www.meiji.co.jp/sweets/chocolate/kinotake/ktlibrary/




横浜総鎮守伊勢山皇大神宮

2013-05-23 | 横浜ラブ
伊勢山(いせやま)さま、ってよんでます。

初詣は毎年ここ。
七五三もここ。
初参りもここ。
受験の時の合格祈願もここ。
その他何かあるたびにここ。
ワンコの散歩にもきます。


お祀りしているのは天照大神、他、神様が数柱。
歴史は、横浜の町の誕生と同時にはじまりました。
由緒正しい伊勢神宮の分社として、明治3(1870)年、5月15日(旧暦4月15日)に建立されたのです。
例祭とは、神社の創立記念日。これにあわせて配布されているのがこの冊子。

今、本殿でおひとり一部ずつお持ちくださいと、配布中。

この冊子によると、当時、横浜の町をあげて大遷宮際が執り行われたとか。
その期間5日間。当時の外務省歳費の半額にあたる金額が計上され、時の外務大臣もビックリ!!


開港と同時に人口350人だった関東の小さな漁村には、全国から大勢の人が押し寄せました。
その数年後の明治初年には、なんと人口数百万人の都市に成長していたといいます。
横浜総鎮守の建立は、これら出自の異なるの人々の心をひとつにした当時の一大イベントでした。それは東京オリンピック招致運動にも似た一体感だったのでしょう。昭和20年まで、5月15日は横浜市の官公庁公立学校は休日となり、市中挙げてのお祭りをしたそうです。
伊勢山さまの存在が、どれほど大きな意味を持ったものか、これだけでも想像ができます。
冊子では文中このように表現されていました。
「「横浜市民」という意識はこの遷宮祭から芽生えたのではないか。」と。


難しいことは抜きにしても、
ご祈願しにくる人、通勤通学の途中でふらりと立寄ち寄って行く人、参道下でちょっと会釈をして通り過ぎる人、様々な人が伊勢山さまにやってきます。
そんな姿を見るたびに、ああ、愛されてるなって、自分の事のようにうれしくなるのです。



伊勢山皇大神宮のホームページはこちら。http://www.iseyama.jp