氷川丸が、国の重要文化財に指定されました。
海上保存されている船舶としては世界で初めてだそうです。
氷川丸が誕生したのは1930年。横浜の三菱重工ドッグ(現・みなとみらい)です、
世はまさに大海運時代。豪華貨客船がその速さと快適さを競っていました。
タイタニック号に代表される欧州と合衆国のニューヨーク、ボストンを結ぶ大西洋航路、
アジアと合衆国のシアトルを結ぶ太平洋航路は花形路線だったそうです。
先日の見学会では、ふだん入ることができない最下層までをエンジニアの方の解説付きで巡ってきました。
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当時としては最先端のディーゼル式エンジンを搭載。(デンマーク製)
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これによって、当時の世界水準のスピードを維持したそうです。
何重にも組み合わされているカムによってエネルギーを増幅させます。
機関室のエンジン騒音は相当なもので、操舵室との通話は専用電話室がありました。
この先は一般公開されていない部分です。
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この長い通路にはシリンダーが通っていました。
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今は取り外されていますが、船底にあった、二つのプロペラを回転させるシリンダーです。
外から見るとこの部分
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/76/bf19aa5283ed28a97f42c0711cb7ce1c.jpg)
プロペラ解体中の写真
その他にも氷川丸には当時最新の機材、インテリアデザインが惜しげもなく投入されています。
この中央エントランス階段手すりは、アールデコのデザインとしても秀逸と言われています。
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明かり取り窓の装飾
また、特等船室にもふんだんにアールデコデザインが取り入れられました。
さらに特筆すべきは、厨房を含め船内の熱源が全て火力発電による電力であったということ。
オール電化のまさにパイオニアです。
今回の重文指定では、
1930年当時最先端の技術を取り入れて建造されたこと。
同年代のアールデコ様式をほぼ完璧に保存していること。
が、評価されたそうです。
最後に、氷川丸がどれほど当時の期待と技術を込められて建造されたか、
というエピソードのひとつを紹介します。
彼女(氷川丸)が、横浜シアトル航路を豪華貨客船として就航していたのはわずか10年ほど。
まもなく太平洋戦争となります。
捕虜交換船として、合衆国へ帰還脱出する在留外国人と合衆国から強制帰還となった留学生外交官などを交換輸送を果たした後、
他の多くの貨客船同様に軍に徴収されました。
船体は真っ白に塗装され広いラウンジや船室には間仕切りがほどこされて、病院船として戦地の傷病兵を運ぶ任務につきます。
その間、魚雷で攻撃されること4回。
多くの徴用貨客線が沈没する中、氷川丸は奇跡的に水没を免れました。
建造当時、航海の安全をはかり、船底部の鋼板が特別に厚く装填されていたためだそうです。
おかげで多くの貴重な船内設備や装飾を失うことなく、21世紀の今日まで引き継がれたのでした。
氷川丸重要文化財指定については
こちら
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