横浜焼売(シウマイ)物語2023

2年ぶり再開。ハマっ子のソウルフードは崎陽軒のシウマイ。漫画書き柴犬溺愛。落語らぶ。晴れ時々ランニング、更新随時

春彼岸

2016-03-24 | 日常茶話
お彼岸のお墓まいりのあとは、太田屋でランチ。

春限定のサクラ蕎麦です。


蕎麦の核にある黒い部分を取り除いて挽いた更科粉にサクラと刻んだ葉を練り込んでいます。

練る時も水ではなくお湯をつかうのだそうです。

ツユは甘め。

わさびをお蕎麦にちょちょっとつけていただくと、バランスいいです。
ほのかにサクラの香りがしました。

ご先祖さまたちとごちそうさまでした。

太田屋(蒔田)
_________
自分キャラを作ろう!新入学のお祝いに。転居のご挨拶に。


桜、開花?

2016-03-22 | 日常茶話
昨日、東京には開花宣言がでました。

地元横浜、野毛の桜はどうかしら?

というわけで


まず吊り橋のソメイヨシノスケくん。

まだまだウォームアップ中。

去年どこかの誰かが折ってしまった枝も、なんとか復活していてちょっと安心。


お次は
公園内のヨシノサクラさん。



あ!




春です。
____
自分キャラを作ろう!新入学のお祝いに。転居のご挨拶に。


___________

重文指定

2016-03-17 | 横浜ラブ
氷川丸が、国の重要文化財に指定されました。
海上保存されている船舶としては世界で初めてだそうです。


氷川丸が誕生したのは1930年。横浜の三菱重工ドッグ(現・みなとみらい)です、
世はまさに大海運時代。豪華貨客船がその速さと快適さを競っていました。
タイタニック号に代表される欧州と合衆国のニューヨーク、ボストンを結ぶ大西洋航路、
アジアと合衆国のシアトルを結ぶ太平洋航路は花形路線だったそうです。
先日の見学会では、ふだん入ることができない最下層までをエンジニアの方の解説付きで巡ってきました。

当時としては最先端のディーゼル式エンジンを搭載。(デンマーク製)

これによって、当時の世界水準のスピードを維持したそうです。


何重にも組み合わされているカムによってエネルギーを増幅させます。








機関室のエンジン騒音は相当なもので、操舵室との通話は専用電話室がありました。


この先は一般公開されていない部分です。






w
この長い通路にはシリンダーが通っていました。


今は取り外されていますが、船底にあった、二つのプロペラを回転させるシリンダーです。


外から見るとこの部分

プロペラ解体中の写真




その他にも氷川丸には当時最新の機材、インテリアデザインが惜しげもなく投入されています。
この中央エントランス階段手すりは、アールデコのデザインとしても秀逸と言われています。

明かり取り窓の装飾


また、特等船室にもふんだんにアールデコデザインが取り入れられました。




さらに特筆すべきは、厨房を含め船内の熱源が全て火力発電による電力であったということ。
オール電化のまさにパイオニアです。

今回の重文指定では、
1930年当時最先端の技術を取り入れて建造されたこと。
同年代のアールデコ様式をほぼ完璧に保存していること。
が、評価されたそうです。

最後に、氷川丸がどれほど当時の期待と技術を込められて建造されたか、
というエピソードのひとつを紹介します。

彼女(氷川丸)が、横浜シアトル航路を豪華貨客船として就航していたのはわずか10年ほど。
まもなく太平洋戦争となります。
捕虜交換船として、合衆国へ帰還脱出する在留外国人と合衆国から強制帰還となった留学生外交官などを交換輸送を果たした後、
他の多くの貨客船同様に軍に徴収されました。
船体は真っ白に塗装され広いラウンジや船室には間仕切りがほどこされて、病院船として戦地の傷病兵を運ぶ任務につきます。
その間、魚雷で攻撃されること4回。
多くの徴用貨客線が沈没する中、氷川丸は奇跡的に水没を免れました。
建造当時、航海の安全をはかり、船底部の鋼板が特別に厚く装填されていたためだそうです。
 
おかげで多くの貴重な船内設備や装飾を失うことなく、21世紀の今日まで引き継がれたのでした。



氷川丸重要文化財指定についてはこちら
____
自分キャラを作ろう!新入学のお祝いに。転居のご挨拶に。


___________

5年目

2016-03-11 | 日常茶話

今日みなとみらいに出かけたら、
船の汽笛が聞こえました。
時刻は午後2時46分。
東日本大震災。

周囲の人たちのほとんどは気がつかなかったようですが、黙祷の汽笛でした。

鎮魂。

5年目も忘れない。

一心太助?いやいや、塩原多助…ってだれ?!

2016-03-07 | 落語ラブ
恒例の関内寄席、桂米丸独演会。

以前も書いたのですが、毎回、若いそれも女性の姿が目立つようになりました、

さてさて
今回の顔ぶれ。


前座さんは桂文治師匠のお弟子さんだそうです。
この独演会で前座出演した若い噺家さんが回を重ねて二つ目昇進するとなんだか嬉しいものです。
たか治さんもいつか昇進して帰ってきたら嬉しいなあ。
次は漫才。
今までの師匠の独演会では初めてです。
夫婦漫才の東京太&ゆめ子師匠です。
絶妙の間のやりとりが最高!
どこかの政権がばっさばっさとなぎ倒されました。

前半のトリは三遊亭遊雀師匠。
リアルで拝聴するのは初めて。
ちょっとお下品な笑いが、明るい笑いに大変換。
そのむかし、お芝居で場内がざわつくとそれをいさめる役回りがあったそうで、
それがわかっているとなお、おもしろいお噺でした。

さて、後半大トリは桂歌丸師匠。
今回はこの語り一本。
これまでは、真景累ヶ淵を演じてこられましたが今回からは演目が変わり
塩原多助一代記、だそうです。

といってもわたしは全くなんだかわからず、誘った母に
「知ってる?」ときくと
「知ってるよ、メジャーじゃないけど有名な噺」と言って、ニコニコ。

実在した江戸時代の豪商の立身出世の半生をのちに、三遊亭圓朝が取材創作した出世話。

米丸師匠曰く、この圓朝作品は、屈折しまくり複雑に入り組んだ人間模様。さらに時代がいったりきたりする
実にわかりにくいのが特徴、だそうで
前回の、真景累ヶ淵もそうでしたが、それに負けず劣らずのこじらせ模様なのだとか。

今回は、前半。多助が子どものころからかわいがっていた愛馬の『青(あお)』と別れて江戸に上京を決心するまで。
ああ、だから馬のことを「あお」と呼ぶ年配のひとがいるんだ!と妙なところで納得しました。
ちなみに、この原作は発表当時12万部と言うベストセラーで、その後小学校の教科書等にとりあげられたりして
戦前の小学生ならたいていは知っているお話みたいです。

さていよいよ本編のはじまり。
時代も価値観もちがうし、
登場人物は入組んでいるし、
お笑いの要素はないし…

でも、なぜか
会場は丸ごと江戸時代にタイムスリップしたかのよう、

舞台には米丸師匠がちょこんとすわっているだけなのに

なぜか、大勢の役者さんが舞台を縦横に駆け回っているよう。

愛馬を、忠義の下男に託し、自分を亡き者にしようとする継母からのがれて
あらためてお家再興を胸に多助が江戸に旅立つシーンは秀逸です。

あっという間の1時間でした。

後半は来年だそうです。

それまでに師匠になにかないことを本気で祈って合掌…じゃない、
祈って、楽しみに待つことにしましょう。


『桂歌丸師匠を人間国宝にする会』の署名運動はこちら

さくら

2016-03-04 | 日常茶話
我が家の川津桜。

毎年2月の10日前後に咲き始めるんですが

今年は節分にぽつりぽつりとつぼみがひらいたとおもったら、

あっという間に満開になりました。




_____
自分キャラを作ろう!新入学のお祝いに。転居のご挨拶に。

2016-03-02 | 横浜ラブ


先月、長野の友人H2さんに誘っていただきました。


夏にお目にかっていらいの、久しぶりのSさんとご一緒。


お店のご主人と女将さんの丁寧で誠実なご接待に、しばし天国でした。

店名の『北』という文字のハネが炎のように立ち上がっているので理由を伺ったところ、
この文字を書いたのがご主人のお父様、
長野から単身で修行のために上京した息子さんであるご主人へ
『志』をもって常に上を目指すように、
との祈りを込めて、お店の開店を祝ってくださったのだそうです。

(ちなみに女将さんは、ご主人が修行に上京すると聞いて、自分も一緒に「じょうきょうしちゃった♪」という
ドラマもびっくりな信濃レディーです。)

いただいたお料理ひとつひとつに心遣いを御堪能ください。

乾杯。H2さんおすすめの獺祭スパークリング




馬糞海胆




コハダ(大好き!)






クルマエビ

男性はこちら




ノドグロ


茶椀蒸し、コノワタ添え



卵焼きで〆となりました。

ごちそうさまでした。
鮨屋「北」
_____
自分キャラを作ろう!新入学のお祝いに。転居のご挨拶に。