暮れの締めくくりは母の3回忌と護摩祈祷でした。
檀徒さんたちがそれぞれに新しい年への抱負や希望を書いた拍子木を
読経の中で焚き、
その炎で新しいお札を清めて念をこめていただきます。
これは主に密教系の寺院で踏襲されている行事です。
ご本尊の法名を唱えながらの唱和と読経が続く中で所作が進みました。
途中休憩が入って約2時間半の長丁場。
この護摩供養の公開を始めたのは現副住職です。
ところがコロナ禍で、本堂で集まることが規制され
ご祈祷はすべてお寺任せ。
私たちは当日門前で新しいお札を受け取るだけ、
というのが「あたりまえ」になってしまっていました。
檀徒のためとはいえ、赤の他人のために祈るということは
強い信念と膨大なエネルギーが必要です。
ちょっと私見;
この頃一部の偏った宗教?が問題になっています。
全ての宗教や信仰が悪いものという偏見が生まれているのは悲しいことです。
確かに価値観は時代と共に変わっていきますが
そこに特定の相手だけではなく不特定の相手を想う心があるかないかが
信仰と洗脳の境目ではないかと感じています。
(神様は必要以上のお金を要求しませんし、教(宗)祖はあくまで伝道師であって、自ら世界の頂点に立とうなどど考えていないと思います)
私見終わり:
で、
「あたりまえ」の反対語は「ありがたし」
あらためて、ありがとうございます。
*写真は読経終了後に撮影しました*