横浜焼売(シウマイ)物語2025

ハマっ子のソウルフードは崎陽軒のシウマイ。漫画書き柴犬溺愛落語らぶ晴れ時々ランニング、更新随時

大河への道、への道 最終章・大河への道、映画への道

2022-03-06 | 落語ラブ

補足:「大河への道」とは、立川志の輔師の創作落語です。郷土の偉人伊能忠敬をなんとか大河ドラマ化しようと奮闘する人々の話。志の輔師が佐原市(現・香取市)の伊能忠敬博物館を訪れた時の感銘をもとに2011年に初演。以来人気の演目として同時になかなかチケットの取れない高座として不動の地位にあります。映画化決定。5月ロードショー。

第一章・ドタキャンへの道はこちら

第二章・佐原への道はこちら

第三章・伊能忠敬への道はこちら

突然ですが、映画化です。

何が?って『大河への道』が、です。

豪華キャスト。

ネットをググっていたら発見しました。

時は流れて2021年晩秋。

年号は平成から令和に変わって3年目の冬を迎えていました。

が、その時私はまだ『大河への道』を拝聴していません。

元号が変わった2019年に新型コロナウィルスが世界中を襲い

外出自粛、マスク着用、飲食店も映画館も劇場もすべて閉鎖

入学式からイベントまで全て中止。という異常事態に。

もちろん寄席なんてとんでもない。

そんな不自由な生活が2年も続くなんて思わなかった。

オリンピックまで一年延期の上、無観客開催。

その秋ようやくワクチン接種が一気に進み

やっと緊急事態宣言解除か?という2021年11月、突然のネットニュース。

映画化されるんだって!!

ああ、もう映画でいいじゃん!という思いと

いやいやいやいやいや、高座がいいの!!!

どこかで聞きたい!

どこかで!!という私の叫びはいったいどこに行くのでしょうか?

しかし、ここにも神様がいた!

翌2022年、新春志の輔らくご再開!

チケットは抽選だけど当たれば志の輔師に会える!

だけど再びの蔓延防止でまだ江戸に行くのは(コロナが)ちょっと怖い。

でももしかしたらここで『大河への道』がかかるかもしれない‥。

そして気がついた!ここで迷ってる場合ではない。

まずは抽選に参加せねばいかん!!あとのことはそれからじゃ!

ロー◯ケにアクセス、ポチッと、な。

当たるも八卦当たらぬも八卦。

で、当たりました。(あっさり)

もう絶対行くしかないじゃない。

そして、こんな時期にと恐縮しつつ

友人を誘ってみたら二つ返事でオッケー。

なんか新春早々縁起がいいかも!

思わず

「大河への道がかかったらいいなあ」

と呟いた私に友人曰く

「大河への道?演目にあるよ。」

え〜!!どうして知ってるの?あなたは神?もしかして神?!

「ちゃんとウェブサイトに書いてある。」どこまでも冷静な友よ。

あ、なんか書いてあったかも(汗)

私は例によって抽選応募にのみ全集中で

肝心の講演内容を見ていなかったのだけれど

(独演会なんかだと演目はその日決まりのことが多いので

ハナから考えていなかったの…)

でもパルコ劇場の場合はメインの出し物は決まっているのね。

というわけで

うわ〜い!!!3年越しのしゅうね… いや…思いが叶った!!!!

のであります。

公演は昼の部のみ。マスク着用、入場時体温測定、場内での飲食、

ホワイエでの軽食提供も物販もわずか。

ですが、正真正銘3年ぶりの生落語。

志の輔師オンリー、堪能しました。

誘った友人が大笑いしているのを横で聞いていられる幸せ、

会場が笑いに包まれる幸せ。

志の輔師のコロナ禍での葛藤が伝わる演出に同感できる幸せ。

ドローン映像も駆使した映像もリアルに

伊能忠敬の足跡を体感できる幸せ。

ひさしぶりに拝見する志の輔師の頭に

白いものが増えていることに感じ入る幸せ。

そして『大河への道』をたっぷり聞けた幸せ幸せな時間でございました。

終演後、感動の余韻を抱えたまま

渋谷のパルコの屋上で眺めた富士山最高だったのはいうまでもありません。

めでたし、めでたし。

第一章・ドタキャンへの道はこちら

第二章・佐原への道はこちら

第三章・伊能忠敬への道はこちら

さあ!今度は映画見に行くぞ!!

あ、佐原ツアもーリベンジせねば。

コロナ退散!!平和が第一!

落語は世界を救う!!…かもしれない。

 

というわけで、『大河への道、への道』最終章、これにて!

 

余談:志の輔らくごと同時開催中のポケモンセンターでのアルセウス発売記念に心奪われたのは内緒。


大河への道、への道 第三章・伊能忠敬への道

2022-02-20 | 落語ラブ

補足:「大河への道」とは、立川志の輔師の創作落語です。郷土の偉人伊能忠敬をなんとか大河ドラマ化しようと奮闘する人々の話。志の輔師が佐原市(現・香取市)の伊能忠敬博物館を訪れた時の感銘をもとに2011年に初演。以来人気の演目として同時になかなかチケットの取れない高座として不動の地位にあります。映画化決定。5月ロードショー。

第一章・ドタキャンへの道はこちら

第二章・佐原への道はこちら

さて私はちょっとウキウキしていました。

目指す伊能忠敬博物館は佐原にあります。今回の旅行のコースには入っていませんでしたが、自由時間があるのでこの時に訪問できるかも!付き添いとはいえなんという幸運。

が、現実はなかなかスムーズにはいかないのでした。

昼過ぎに佐原に到着。酒蔵見学の後次の移動時間までが自由時間になりました。

40分。

行くなら今しかない!他の皆さんが佐原の町並みを堪能しているこの時がチャーンス!!

休憩の酒蔵から博物館までの距離は私の足で5分くらい。しかし、母は足が悪くて早く移動はできません。往復におそらく30分はかかってしまう。あいにく車椅子の貸し出しはなく、いっそ背負って行こうか、いや悩んでいる間時間はなくなる…

「ママ。伊能忠敬の博物館に行かない?」

「伊能忠敬なら前に見たからいいわ。」

「え??」

「佐原も来たことがあるし。」

は、初耳ですよ、お母様!!

(母は油絵が趣味です。元気なころは同好のグループであちこちスケッチ旅行に出かけていました。)

「Sっちゃん、あんた行きたいところがあるなら行ってくれば。私はここで休んでるから」

ああ、お母様!ありがたや〜!!

と、母の愛に甘えて一人いざ伊能忠敬博物館へ向かいました。(ルンルン♪)

ご存じでしょうが、

伊能忠敬は初めて正確な日本地図を作った人です。

ドローンも航空写真もコンピューターもない時代に、日本国中を徒歩で歩いて測量をして回った想像を絶する行動力の人です。

その期間17年!!

50歳まで佐原の米問屋の主人として地域に貢献し、

隠居後に江戸へ出て有名な学者に弟子入りをし一から測量の勉強をし、

幕府の許可を得て日本中を歩いて測量しまくり計算をしまくり

まるで空中から映し取った如くの日本地図を完成させました。

凄いロマンチック。どんなすごい資料があるのかしらと期待は高まります。

しかし、私はやってしまいました!!!

あはははは…

もう笑うしかない…

フラフラしていて

曲がる道を一本間違えてしまったらしい…

んが!!

神様はちょっといた!!

目の前にあったのが

伊能忠敬旧宅!!

日本地図作成の旅に出られる前の伊能忠敬様はここで米問屋を営んでおられたのです。

もう迷っている時間はない!

高なる胸を抑えつつチケットを購入

…しようとしたその時、たからかに携帯が鳴ったのです!

みれば着信は『母』から。

何かあったのか?やっぱり置いてこなければよかった!

過日の風呂騒動が思い出されます。

「ママ!どうしたの??!」

「どこにいるの?早く戻ってらっしゃい」

「何かあった?」

「そうじゃないけど、心配だから」

「まだ休憩時間があるから、そこにいてね。見学したらすぐ戻るから。○○さん(ツアコン)はいるの?」

「ここにいるわよ。」

あーーよかった。何かあったわけじゃなかった…。

「待っててね。すぐ戻るから」

さあ、見学だ!!

するとまた携帯が。

着信は、母。

今度こそ何かあったのでは?!

慌てて取ると

「Sちゃん、どこにいるの?」

「今、伊能忠敬さんち(博物館ではない)」

「早く戻っていらっしゃい。」

「わかった、でもちょっと時間かかるかも。」

ああ悪かったなあ、やっぱり顔見知りの幹事さんが一緒とはいえ心配なんだなあ。急いで見学して戻ろう。(でも、見学はする)

ここからは写真もほとんど取らずに超早足です。

説明文も斜め読み。

大急ぎで出口へ向かいました。

でも心にしっかり焼きついたものがあります。

わかる人にはわかる!

この道具を持って測量したのですよ!

御用の旗はいわば黄門様の印籠のようなもの

これがなければ旅はおろか測量などできません。当時は誰もが気軽に旅行などに出かけることは許されていませんでした。

そして手作りの測量器具。

これを大八車に積み、わずかな同行者と共に『歩いて』測量をしたのです。

後で知ったことですが、伊能忠敬は自らが測量機となるために

自分の歩幅が常に一定になるよう歩いたそうです。

不覚にも鳥肌が立って涙が出そうになりました。

伊能忠敬が測量に費やしたのは17年。

私が見学に費やしたのは10分ほど。

(おまけに目的地が微妙に違ってしまったし)

感傷に浸る間もなく

旧宅を後にいたしました…

ダッシュ!!

あ!また携帯が……。

せっかくなので

素敵な佐原写真と博物館のリンクを貼っておきます。

第四章(最終章)に続く!!

第一章・ドタキャンへの道はこちら

第二章・佐原への道はこちら

伊能忠敬博物館はこちら

 

 

 

 

 


大河への道、への道 第二章・佐原への道

2022-01-20 | 落語ラブ

補足:「大河への道」とは、立川志の輔師の創作落語です。郷土の偉人伊能忠敬をなんとか大河ドラマ化しようと奮闘する人々の話。志の輔師が佐原市(現・香取市)の伊能忠敬博物館を訪れた時の感銘をもとに2011年に初演。以来人気の演目として同時になかなかチケットの取れない高座として不動の地位にあります。映画化決定。5月ロードショー。

前回第一章はこちら

さてさて、その後母は検査入院をしてほどなく無事に退院してきました。

本人はケロリとしたものでしたが、

今後の事態を真剣に考えなくてはならないということを

家族が再認識したのはいうまでもありません。そのことはまた別の機会に。

ドタキャンをしたあと仲間のSNSで、

ドンH川氏をはじめとする方々が無事ツアーを終えたこと

志の輔師の高座では「大河への道」がかかったことを知り

鰻も美味かったそうで喜ばしかったのですが、

皆様には大変申し訳ないという想いが心の片隅に引っかかりつつ

慌ただしく過ごしておりました。

そんなある日

母が毎回楽しみにしていたグループのバス旅行の案内が届いたのです。

ただ、高齢で足の悪い母はひとりでは参加できないため、

私たち姉妹でお互いに時間の都合がつく方がランダムに、

母の付き添いをしてお楽しみのお相伴に預かっていました。

「この週は休めないなあ。オネエ行ける?」

「いいよ、どこ?」

と、気軽に引き受けて案内状を受け取り

次の瞬間

ぎょぎょ!!!

 

まさかまさかの

千葉県佐原水郷巡り

 

前回母のアクシデントで私がでかけられなかったこと、

その行く先が佐原だったことは母にはいっさい話していません。

家族も同様。

 

にもかかわらず、

よもやよもや

偶然にも

佐原への道が開いたのでした。

 いざ❗️佐原❗️志の輔師はいないが、伊能忠敬はいるぞ!

第三章・伊能忠敬への道に続くよ!(四章まであるけどお付き合いしてね)

前回第一章はこちら

 


大河への道、への道 第一章ドタキャンへの道

2022-01-18 | 落語ラブ

補足:「大河への道」とは、立川志の輔師の創作落語です。郷土の偉人伊能忠敬をなんとか大河ドラマ化しようと奮闘する人々の話。志の輔師が佐原市(現・香取市)の伊能忠敬博物館を訪れた時の感銘をもとに2011年に初演。以来人気の演目として同時になかなかチケットの取れない高座として不動の地位にあります。映画化決定。5月ロードショー。

なんともややこしいタイトルですが、まあ聞いてね。

先日2022年1月吉日

奇跡のパルコ劇場で素晴らしい夕日を見ました。

昨年はコロナで中止となった志の輔落語in渋谷PARCO

一年ぶりの復活という喜ばしい一席で念願の「大河への道」を拝聴

この「大河への道」に辿り着くにはちょっと不思議な巡り合わせがあったのですよ。

チョンチョン!

時は遡ること2018年4月

落語スキーなメンバーのドンH川氏に誘われて伊能忠敬記念館のある佐原で

志の輔落語(おそらく演じると思われる「大河への道」)をきき、名物の鰻を食べるツアーへ出かけることが決まりました。

なんて豪華な企画でしょう!お誘い本当にありがたかったですよ。

当時高齢の母がおりましたが、自分のことは自分でできていたので

妹や娘とも連携しこの日はちょっと出かけさせてもらおうと調整。

でもね、なんというか、心と気持ちのピントが合わないのです。

とっても行きたいし行ける状況でもあるのに不安。

ワクワクしているのにその気持ちにブレーキがかかる。

自分の中で噛み合わない。

こういう感覚の時は何かどこかアクシデントがあるのがこれまでの経験値予測。

何かよく掴めない……モヤモヤモヤモヤ………。

そして…

的中。

いよいよ当日という早朝

事件は起きました。

 

夜中、母が浴槽で滑って出られなくなっていたのです。

同居の妹を何度も呼んだらしいのですが、

翌朝早い仕事は入っていた彼女は早めに休んでいたために声がきこえず。

朝までそのまま。

早朝、妹が起きてくるとリビングの電気はつけっぱなし

ガスの元栓は開いたままという異様な状態。

慌てて風呂場を覗くと、

バスタオルをかけて(この点については後述)母が浴槽に横たわって目を閉じていたそうです。

妹は無我夢中で母を浴槽から担ぎ出し

パジャマを着せ電気毛布にくるみ全身マッサージ

その最中に私のところに着信。

「これこれしかじか、どうしよう!!」

「救急車!救急車!119!」

というやりとりの後、実家に駆けつけるとちょうど救急隊も到着。

救命救急士が母の様子を確認して問診。応急処置と簡単な検査。

妹の初動処置が良かった(これ、第一)。

当日は夜半から気温が高めだった。

風呂の中で母がなんとか立ちあがろうともがいたため、

風呂の栓が抜けてお湯が流れて空っぽになった(溺れずに済んだ)。

起き上がれないままでも母が手の届く位置に湯かき棒があって、

自分で風呂ふたのうえにかけておいたバスタオルを取り

自分の体にかけることができた(母自身の現状適応能力は高い)。

妹も私もけっこうな早起きだった。

さまざまな幸運な偶然が重なって母は奇跡的に低体温症にならずに済みました。

意識もしっかりしていたので現場の判断で

今は無理に動かさないでまずこのまま体温を維持。

その後、改めて検査入院の手続きをする、という流れになったのです。

当然のことながら私は大慌てでドンH川氏に

無念のドタキャン連絡。

佐原も伊能忠敬も大河への道も鰻も私から遠ざかっていたのでした。

 

しかし、これで終わったわけではありません。

第二章・佐原への道 へ続く!


寄席初めて話1)本日のお題                               

2022-01-14 | 落語ラブ

初めて寄席に行った時、

どこかに今日のプログラムはないかとキョロキョロしました。

お芝居でも演奏会でもプログラムがあるのが当たり前だと思っていたので

どこにもないので途方に暮れました。

本当に何が起こるかわからなくてドキドキ。

いざお囃子が始まって噺家さんが高座に登場した途端

そんな心配は吹っ飛んですっかり江戸の長屋の世界に入り込んでしまいましたが。

寄席に興味がない方には分かりにくいかもしれませんが、

通常寄席興行は出演者のみが表記されてプログラムは無し。

聞くところによると、噺家さんは客の入りや時事ニュース、興行先のトピックなどの情報から

当日判断して決めるため、だとか。

さりげなくご当地の話などをしながら今日は家族連れが多いからこの噺、

今この話題で持ちきりだから関連してこの噺などなど。

真打ちさん以上だと相当数の話を持っているでしょうからそういう判断も即座にできる。

聴く側からいえば、もし落語の初心者であっても実は

落語のお題は落語という意識がなくても知っているものが多いのね。

例えば

早口言葉の寿限無寿限無(ジュゲムジュゲム)

新作はともかく古典落語はみんなが知ってる昔話や

一休さんのとんち話。

だからいきなりなんの情報もなく寄席に入っても先入観なく楽しめる。

同じ話でも噺家さんによっては天と地ほども違った『噺』になる。

これが面白いところ。

え?でもやっぱりタイトルが知りたいじゃん!

ふっふっふ…これですよ

終演後、出口の一角に手書きの演目が張り出されます。

手書きなのでものすごく達筆の時もあれば

何やら怪しい金釘流の時もあります。

これを最後に見てお客さんは帰途に着くのです。

思うに江戸の昔はこれもなかったかもしれないですね。

お客は贔屓の噺家さんの話を聞きに行き大いに笑って

またその噺家さんの高座を聴きにくる。

シンプルにそれだけ。そのうちに誰それの何々噺は粋だとか野暮だとか

みんなにわか評論家になったり追っかけになったり。

そうなると初めから何を話すかなんてえ知っとくヤボは無し!

字も読めない人も今より多かったでしょうから書き出されてもねえ。

最近は新作落語の中では連作もあってその続きを演じたり

その噺家さんの十八番のお題の時などには

前もって何を話すかお知らせがあったりします。

が、私は

何をやるかワクワクしながらお目当ての噺家さんの登場をまつ時間も含めて

高座に登壇した噺家さんが枕を語りながらさっと羽織を脱ぎ捨ててさて、と話し始める瞬間が好きになったので

今ではプログラムはあってもなくてもいい派(←こんな派閥はないです)

 

 

          

 


追悼:桂歌丸館長

2018-07-03 | 落語ラブ
落語会の重鎮、桂歌丸師が鬼門に入られました。

横浜出身で、横浜にぎわい座の二代目館長としても活躍された昭和の名人でした。

私が最後に拝聴したのは平成28年11月の末。関内寄席。

塩原多助一代記の完結編の会。









高座の途中、傍の茶碗から水分を補給しながら見事な語りを披露してくださったのがつい昨日のことのようです。

まだまだ語りたい噺や演じたい演目があると大変意欲的に話されていました。

実は、この噺の前編を演じたのが3月、この時は後編は来年をめどに、と言われていました。

それが年内の公開。今思えば、ご自身の寿命を知り急がれていたのかもしれません。

あちらの世界でもこの素晴らしい話芸を披露していただきたいものです。

この会の前編のブログがこちら
https://blog.goo.ne.jp/setsu_ustes/e/f66668b46dd797bc93f90b69f9ba57c0


漱石の世界

2017-12-04 | 落語ラブ

友人Y子さんと国立劇場まで。
国内第一線の邦楽演奏の方々が集って夏目漱石の文学を演奏するのだそうです。
MCはなんと落語家の柳亭左龍師匠!
いわゆる、音楽で綴る作家の世界、の邦楽版といったところでしょうか。


漱石作品は学校で習った程度には読みましたが、その描写にこんなにもたくさんの音楽が流れているとはあまり意識していませんでした。
というより、当時(明治時代〜大正時代)にかけて巷に流れるBGMを全く想像できなかった、という方が正しいかも知れません。

謡や浄瑠璃に至っては、字幕がなければおそらく言葉として認識すらできないくらい。
二弦琴という名称は知っていてもその音色がこんなにも儚げだったと想像していませんでした。

現代と全く違う音が、100年前の日本を彩っていたのだと感動。
アドリブを交えての左龍師匠の軽妙なMCに助けられ、2時間半の舞台が終了。
漱石と正岡子規の親交の始まりは、寄席談義だったということを知って、
『なんだか神経質そうだな』と思っていた漱石さんの別の顔を知ったような気持ちになりました。

改めて漱石作品を読み返したくなった一日。


余談;

国立劇場は自販機のカラーも、和!!

もう一つ、
帰りがけ、Y子さんのおかげで左龍師匠と東京駅までドライブさせていただきました❣️多謝‼️

パパンッ!!講談師は言霊師かとあえて問い

2017-07-25 | 落語ラブ
なかなかチケットが取れないふたりのコラボ。

ダメ元で予約したら、なんと取れまして

母を連れて行ってまいりました。



結構なプログラムでした。

まずは

開口一番として
桂竹わさんの、新作「動物園」

続く神田松之丞師の講談は

スタンダードナンバー

「那須の与一の扇の的」

続いて
喬太郎師匠の新作
任侠・流山動物園

ここまでの流れには訳があって、

竹わさんがフレッシュな虎の所作を披露した後、

松之丞師が、登壇。

前振りでサクッと
落語と講談の違いを持論で解説。

寄席などで演じる時は時間の制限などもあり
短めに切り上げる場合に便利な言葉が
『お後がよろしいようで』
あるいは

『以下云々のとなるわけでございますが、ちょうど時間となりました。』
という具合になるのだそうです、

そんな話から、


喬太郎氏師匠を褒める褒める。
7年くらい前のにぎわい座での喬太郎師匠の独演会に、
ゲストに呼んでいただいたのが最初のご縁だったそう。
以来、いつかにぎわい座で自分が独演会をするようになったら、
喬太郎師匠をゲストにお呼びしたい!!
と願い続け、とうとう本日、心願成就したとのこと。
その時の舞台の様子、
喬太郎師匠の人柄を
微に入り細に入り松之丞節で語る語る。

「というわけで、実に気取らない人で、こんな後輩のお願いにも快く二つ返事で『行く、行く』…」
「多分今楽屋でモニター見て、(お茶)吹いているかもしれません」
「初めて喬太郎師匠の噺を舞台の袖で聞いた時、客席の空気が師匠に向かって一つになるというものすごい体験を…」
「聞き惚れていて、頼まれていた鳴り物を叩くのをすっかり忘れてしまい…」
「今日はどんな講座が聞けるのか、ワクワクしていまして、あるいは
喬太郎ここにあり、お前らごときとは格が違うぞ!という感じを見せてくれるのか…」

褒めているのか、
挑発しているのか…
「はたまた(師匠は)いい感じで(ゲスト)叩きのめしてくれるのか…」、

するとその最中にいきなり
上手から
「ばかやろう!そんな言い方したら、噺できねえじゃねえか!!」
と喬太郎師匠本人が飛び入り。

そのやりとりを聴きながら、ああこれまでの語りは
喬太郎師匠への愛、愛だったのだと一人納得いたしました。

その上で、喬太郎師匠が演じたのが
任侠・流山動物園というわけです。

竹わさんの虎に対して、喬太郎師匠が上野動物園のナンバーツーの虎夫を演じて一矢報い、
本来ならば40分以上の長い演目を
この後池袋演芸場の鳥を控えている師匠が象のマサオが登場したくだりで
「さあ、この後に話は続くのでありますが、『ちょうどお時間となりました。お後はよろしいようで』」と松之丞師の前段の落ち話の前振りに
見事なカウンタークロスで応じた一席。(この後、喬太郎師匠はブヒブヒ、パオーン、池袋に行かなくチャ、行くんだも〜と旅立たれました。)

お中入り

そして後段は

神田松之丞一色の二席。

新作『トメ』
おじいさんがおばあさんを夜中の2時に無理やり起こす話(松之丞師・談)
なんともかわいいおじいさんとおばあさんの会話が始まった途端、
誰かの携帯電話が鳴り始めました。
会場が一瞬?????!
すかさず松之丞師
「よかった、次の小平次の時でなくて♪」
そのまま自然に噺に戻りました。

以前志の輔師匠の独演会でも同じようなことがありましたが
一流ってこういうことですね。

そしてトリは、怪談「小幡小平次


満員御礼の会場が割れんばかりの拍手で、幕と相成りました。

さて会場には若い人が結構来ていまして、

後ろあたりにも20代と思われる男子がふたり

那須与一が終わったあたりで
「歴史の話しるだけじゃん。」
「なにを言ってんだかよくわからないな」
『お経みたいだね」
「那須与一って、歴史の人?」
なーんて話し合ってました。
でも彼ら最後まで聞いてましたよ。
確かに古典、那須与一。
名前はなんとなく知っているし、扇の的のエピソードも有名です。
しかし公団として語られる
朗々たる導入部は
かくいう私も何やらチンプンカンプンでした。

それでも
情景描写であることはよくわかり、

なぜかその様子が頭の中に直接どんどん入って来まして

なんとも不思議な感覚にうっとりしていたのであります。

美しい言葉にはきっと魂が宿っている。

講談師は言霊師が変換されたのではないかしら、と感じた次第です。

というわけで、お後もよろしいようで。



15周年

2017-04-07 | 落語ラブ

横浜に、寄席を!の掛け声で旧中区役所跡地にできた商業施設の一角に
「横浜にぎわい座」ができて、今年で15年だそうです。

初代館長は往年の名司会者だった故・玉置宏さん。

2代目が桂歌丸師匠。

おかげさまで、今ではしっかり野毛の顔になりました。

今年は記念の寄席が続々登場です。

本日は柳家キョンキョン...喬太郎師匠の独演会。


演目はこちら


喬太郎ワールド全開で満員のお客様大喜び。
しかし、さすが決めるところは決めていつの間にか、古典の世界へ。

切れのいい春風亭正太郎さんの「そば清」のサビをアドリブに一気に一席目を終了。

中入り後

寒空はだかさんの漫談では、喬太郎師匠の一席目のキーワードがオチのアドリブに。

言葉が巧みにリレーされて盛り上がりました。

最後のトリはもちろん喬太郎師匠。

枕無しに古典へ一直線。

じっくりと人の心の弱さを最後のオチで優しく包んで終演となりました。

堪能。


余談:
ウルトラセブンと喬太郎師匠の師匠、柳家さん喬師匠が同期だと、
今日初めて知りました...わからない人にはなんのこっちゃのお話です。


遅夏休みin長野・中

2016-11-06 | 落語ラブ

前回の
遅夏休みin長野・前編はこちら。

さて、いよいよ落語会開演です。

会場の
長野市芸術館のリサイタルホール<開演前リハ中>>

師匠達自ら、音響チェック。
凛語寄席世話人会のみなさんが準備した道具類を設営し、
ライトや会場誘導を確認。

入船亭扇辰×柳家喬太郎二人会開演です。



入船亭扇辰師匠の先鋒で「一眼国」
古典ですが、今聞いても全く遜色ない名作です。いやむしろ、いま聞いた方が深いかもしれません。
自分と異なるものに警戒心を抱くのは生物として仕方ないとしても、それを理由に蔑視する風潮は
人類の永遠の課題ですね。
落語だと知らされなければ、SFショートか、世にも奇妙な物語に出てきそうなシュチュエーション。
ゲラゲラ笑っているうちに、噺家さんの手の内に転がされてちょっと考えさられるお話です。
ビクター二八落語会~究極の音にこだわる落語シリーズ 入船亭扇辰
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後半の柳家喬太郎師匠の「そば清」は、最初「蛇丸草」かと思いきや、
それは上方落語上方落語でお医者様の話、こちらはお蕎麦やさんが舞台になっています。
当然お蕎麦をすする演技も重要で、ここにも噺家さんの芸が光ります。
実は会場に来ていたメンバーのハズバンドが日本語がほとんどわからないアメリカ人。
その彼が
「面白かった!でも、僕が笑うところと会場のみんなが笑うところが、ちょっと違うんだよねー」
と笑いながらおっしゃっていたそうです。

落語の演目は終演後に発表され、お客様は帰りがけに張り出された演目をチェックします。
これを書くのは主催者側なのですが、膨大な演目の中には江戸と上方で呼び名が違っていたり、似て非なる演目も多いため
判断に迷うところがあります。
それを即座に「そば清でしょう。」と言い切られたのは世話人会のY際さん。流石でした。

話の内容はちょっとホラー、それを喬太郎師匠が演じると、
星新一のショートショートのおとぼけシニカルな要素が強くなります。
あ、やっぱりこわいじゃん‥‥って感じ。
前半の「一眼国」を受けてのお題選びだったのかもしれません。

「花筏」は、身代わりネタ。
病気で欠場の横綱に体型も顔もよく似ている提灯職人が、地方興行に代理出場。
色々な理由をつけて、見学を決め込んでごまかしていたけれど、
千秋楽でとうとう地元の優勝力士とガチで勝負することに……。

「夢の酒」は、夫の夢での浮気を舅に頼んで諌めてもらう新妻の話。
諌めてもらうために、舅は夫(息子)の夢に世界に入っていくのですが…。
この新妻がなんとも可愛らしいのです。同世代の同性から見たら
「バッカみたい」なぶりっ子女、かもしれません。
が、そうと思わせない可愛らしさを扇辰師匠は女性より可愛らしく熱演。
こんな嫁に頼まれたら、断る舅は男じゃないです。
合計4席をたっぷり楽しみました。

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今年で11回目、凛語寄席のネタ帳とドンちゃんのお腹。


打ち上げな師匠達も交えて市内の居酒屋で。

わー、ほんとに一緒にお酒が飲めるんだー!!と私はもう夢ごごち。
かたや
同じ世話人会のN川さんは、はたから見ていてもわかるくらい緊張。
そのはず、N川さんは富山県のアマチュア落語家さんでもあります。
憧れの大リーガーと同席して会話しているアマチュア選手のように頬が紅潮しておりました。

一年ぶりにお目にかかる方とは旧交を温め、SNSでのつながりにはリアルでお話でき、
まことに楽しくて、夢のようなひと時でした。

皆さんありがとう。
またお会いしましょう。

遅夏休みin長野・前編はこちら。

後編は、1人夏休み。
今話題の場所へ行きました。
つづく!
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