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参謀となる資質

2018-06-03 08:44:51 | 経営・リーダーシップに必要な事

@「参謀」。歴史の背景において良い司令官のもとには参謀としての智慧者が必ずいる。歴史書等には多くのそして優秀な「参謀」が見え隠れしているが、その影の立役者資料はほとんど抹消されている。それは「勝者」もしくは「成功者」に隠れ、消されているからである。会津藩士山本覚馬(同志社創立者、40歳で失明、脊髄を傷め要介添え)もそんな先見性を持った才能ある志士だったことがこの書だけでも十分理解できる。さて、その「参謀」たる資質について1、敵も味方の強み弱みもあらゆることを十分理解していること 2、敵の動きを察知して次に何をすれば良いのか洞察力と判断力があること 3、指導者の行動を読み取り、状況判断を予測、有様を的確に伝え、指導者が素早く判断、指示指導できる様に提言出来ること 4、その後ことを予測し、次なる判断・決断できるものを用意していること  時代と共に多少表現のニュアンスが違うかもしれないが現代でも通じる参謀の資質は重要であると思う。 また、参謀は出すぎると失敗することもあり要注意が必要だ。参謀は指導者、リーダーを支え、自分自身も成長しなければ良い結果には恵まれない。 まずは指導者、リーダーの癖など資質を理解しておくことから。

『山本覚馬』安藤優一郎

  • 知らざれざる幕末維新の先覚者会津藩士「山本覚馬」
  • 1828年に若松城下、砲術指南役山本権八の長男として生まれる
  • 23歳松代藩佐久間象山に入門、35歳松平容保と京都守護職に随行
  • 37歳目を患う、40歳王政復古、視力を失う、薩摩藩に囚われる
  • 40歳建白書「菅見」を薩摩藩に提出、戊辰戦争終結、斗南藩となる
  • 41歳完全に失明、脊髄も傷める
  • 42歳勧業御用係として京都府に登用
  • 47歳アメリカ帰りの新島襄と同志社の準備をする
  • 51歳京都府会議委員に当選、初代議長となる
  • 57歳京都商工会議所会頭に就任
  • 60歳新島襄死去、同志社臨時総長に就任
  • 64歳死去、同志社墓地に埋葬
  • 「禁門の変」
  •             京都の3分の2が灰燼に帰した
  •             上京829町のうち176町が類焼
  •             家数2万4千5百7104軒のうち5千4百52軒焼失
  • 「鶴ヶ城落城」
  •             会津藩は陸奥國下北半島に国替え、斗南藩3万石となった
  • 「薩摩藩での幽閉」
  •             覚馬以外に会津藩士、桑名藩士、旗本、新撰組が収容された
  •             幽閉期間は1年間で不自由もなく暮らした
  • 「菅見」建白書
  •             政体・議事院・学校・変制・国体・建国術・製鉄法・貨幣・衣食・女学・平均法・醸酒法・条約・軍官国律・港律・救民・髪制・変仏制法・商律・時法・暦法・官医の」22項目、特に貿易で日本は立国すべきだと主張した
  •             「諸外国が日本を侵略しようとしている時に、国内でお互いに争っている場合ではない」と主張したが拒否された
  • 福井藩横井小楠の『国是三論』
  •             木綿・生糸・麻・茶の産物販売・輸出で3百万両築いた
  • 「勧業基立金」
  •             政府からの殖産興業基金10万両で京都復興させた
  •             薬剤・石鹸・氷砂糖・ラムネ・リモナーデ・陶磁器・ガラス・ビール・漂白剤、さらに印刷、誠さん、写真技術、西陣織等の輸出
  • 「牛乳」
  •             京都から牛乳を飲むことを普及させた
  •             明治天皇が健康だったのは栄養価が高い牛乳
  • 「同志社英学校」
  •             1875年生徒数は8名、教師は新島とデイビスの2名
  •             その後熊本からの生徒が増えた
  • 「覚馬」
  •             国家単位で物事を考える思考法を3年で習得、政治や国家の行く末を強い関心を抱く幕末維新の志士であった。多くの人脈を築き、明治維新後に近代化の旗手として活躍する基盤となった。

「修行」の生きざま

2018-06-02 10:04:45 | 経営・リーダーシップに必要な事

@罪を償うために「修行」に励んだ一人の僧、播隆上人。槍ヶ岳を最初に登山した人物でもある。1日1食、自分の過失で世を去った妻の許しを得ようと名号を唱え終生僧の修行に励んだ元富山百姓一揆からの出家人(実在)の物語である。「修行」、俗界では「財産・名誉・性欲といった人間的な欲望から解放され生きていいること自体に満足感を得られる状態を追求することを示す」とある。最近は他人(部下・生徒)を平気でコケ落とし自分を守ろうとする人も増えてきた。「指導者・教育者」となる上司・監督にはこれこそ修行が足らないといわざるとしか言えない。 「できる人間」になるためにまずは長となるべき人への人間教育、僧の修行を是非受けてもらいたいものだ。「欲」と「夢」、「善」と「悪」は違う様に、だが人間はそもそも愚かな動物であるから「夢」もちょっと間違えるだけで「欲」となり、さらに「貪欲」になる可能性が大である。「善」と「悪」も結局は自分自身を如何に自制できるかということになる。最近の大人(政治家・官僚含め)の「知らない」「記憶にないと言えば」、「罪」は許されるのか、それらを子供達に今後如何に教えて行けばいいのか不安なる。出来た人間に修行は十分だが、見かけ未熟大人は処置に置けないが、一生その苦しみを背負って余生を送るのだろうか。

『槍ヶ岳開山』新田次郎

  • 文化10年、富山の百姓一揆に巻き込まれ、誤って妻を刺殺してしまった岩松は国を捨てて出家した。妻殺しの呵責に苦しみつつ、妻の償いに厳しい修行を自ら求め浄土宗に行き着いた。妻への未練と煩悩で修行に励みつつ未踏の岩山・槍ヶ岳初登山(1828年)に成功した、修行僧・播隆(岩松)の生き様を雄渾に描く。(登山家のウエストンではない)
  • 最終章、実は妻を殺したのは弥三郎の裏切りから、妻が岩松に殺人の罪を犯さないように敵の前に姿を現れた事で途中止められず槍を突いてしまったことだった。
  • 釈尊が、最初に説法を行なったのは鹿野苑と言う場所
  • 世の中には2つの極端があるが、この2つを捨てて真ん中の中道を行けば必ず涅槃に達すると言われた。
  •             欲望に溺れる事
  •             自分の身を自らから苦しめる事
  • 極楽浄土に行くには自力で一心不乱になれる事。自力とは努力の精神です。何事も、努力せずして得られるものは何もありません。困難に立ち向かう事。
  • 播隆上人は祐泉寺で盛大な葬儀が行われ3日間あとを絶たなかった。墓は揖斐町城台山一心寺、美濃太田祐泉寺、富山県新川郡河内村の3箇所である。修行をした杓子岩は岐阜県吉城郡上宝村本郷の本格時近くにある。