私が死んだあとであなたが読む物語

基本的には「過食症患者の闘病記」、と言っていいでしょう。

泣いてる子供

2011年11月18日 21時52分30秒 | Weblog
今日、泣いてる子供に出会った。

バイトの帰り、自転車を走らせているときのことでした。

角を曲がると、小さな女の子が自転車ごと倒れていました。

倒れているというか、厳密に言うと自転車にまたがったまま片膝をついているような状態でした。

乗っている自転車はもうほとんど倒れています。

女の子の手も、片方だけはハンドルを握っていますが、もう片方の手は地面について体を支えていました。

そんな態勢なので顔も下を向いていました。

だからすれ違うまで、私は彼女が泣いてることに気が付きませんでした。

道幅が狭いところだったので、かなりスレスレの至近距離をすれ違おうとしたとき、女の子がこちらをみました。

泣いていました。

目から涙がこぼれてました。

わりと普通の顔に近い状態で、ただ眼から涙がこぼれてるだけって感じに思えたのですが、私と目が合った瞬間、表情を崩して泣きだしそうになりました。

反射的にブレーキを握りしめ、「大丈夫か」と声を掛けて私は自転車から降りました。

アイポッドのイヤホンを外して近づくと、女の子は自ら立ち上がり、私は彼女の自転車を起こしました。

目が合った瞬間は号泣するかに思われた女の子の表情でしたが、泣きながらも落ち着いた様子で「ありがとうございます」とお礼を言われました。

「怪我してへん?」と訊いてみました。

女の子はズボンの裾をめくって、膝に傷を負っていないことを確認しました。

一応もう一度「大丈夫?」と訊いてみました。

女の子はただ「ありがとうございます」と泣きながら答えます。

「大丈夫?」と訊いて「ありがとうございます」と答えるのだから、もうこれ以上何もすることはないと考えたのか、私は自分の自転車に乗ってその場を去りました。

しかし、そのまま走っているうちにどんどん心配になってきたり後悔したり、いろいろなことを考えました。


角を曲がる直前、私は自転車に乗ったおじさんとすれ違いました。

そのあとで角を曲がって道幅の狭い個所で自転車ごと倒れている女の子に出くわしたわけです。

ひょっとすると、あのおじさんが自転車で女の子を抜かそうとして倒したんじゃないか。

道幅が狭いのに無理に追い抜こうとして、女の子にぶつかったのかもしれない。

それで女の子が倒れたのに、おじさんはそのまま走り去った。

女の子は後ろからやって来た大人の男の人にいきなり倒されて、それで泣いていたんじゃないか。

もしそうなら「なんで倒れたん?」とか、訊いてあげるべきだった。

そして、倒されたと答えたら「悪い奴がいるな、大丈夫やったか」と声を掛けてあげたかった。

そうすることで彼女の悲しい気持ちや悔しい気持ちが少しでも和らぐのなら、そうしてあげたかった。

また、もうひとつ懸念されることがあった。

ひょっとしたら迷子だったかもしれない。

まず最初、出会ったときに直感でそう思いました。

だから、第一声に「大丈夫か」と声を掛けたあと、次に「一人?」と訊きました。

さっきすれ違った自転車のおじさんがこの子のお父さんなのかも、とも思いました。

でも違ったようです。

夜の7時半に幼い子供が一人で泣いてる。

私も子供のころ、弟と二人きりで実家から電車に乗っておばあちゃんの家まで行ったとき、駅からおばあちゃんの家までの道に迷ってしまったことがありました。

弟と二人で夜の道を歩きながら心細い想いをしました。

二人でもそうなのだから一人だったらそりゃもう泣きだしたくもなるでしょう。

一人で道に迷って家に帰れなくなって不安になってそれで泣いていたのかもしれない。

それならもっとしてあげられることが一杯あったはずです。

なんで私はあのとき、女の子を置き去りにする形であの場を去ったのでしょうか。

もっとちゃんとするべきだった。

泣いている女の子の涙を拭ってあげたかったけどできませんでした。

号泣しそうになりながらも踏みとどまって冷静にお礼を言う彼女に対して、えらいえらいって頭を撫でてあげたかったのですが、できませんでした。

子供といえども、「対『ひと』」です。

他人の体に触ることに遠慮がありました。

触っていいものかどうかという遠慮が。

また、単純に涙を拭いたりしたら手が汚れるみたいな、そんな危惧を抱いてはしなかっただろうか。

そんなことまで考えたりしました。

もし今度があるのなら、その時は遠慮なく涙を拭い頭を撫でたい。

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