私が死んだあとであなたが読む物語

基本的には「過食症患者の闘病記」、と言っていいでしょう。

祖母の思い出

2013年04月01日 23時22分16秒 | Weblog

去年の年末に通常状態を取り戻す。

しかし今年の正月、実家に帰省した際に過食発生。

その後、一人暮らしの自宅に帰っても元に戻せずに過食状態を続行。

愛用していたHDDのデッキが壊れていて、泣きっ面に蜂で、もはや戻す気が失せたのです。

その後、ずっとゲームをしていました。

昼も夜も関係なく。

3月下旬、過食状態をとめた数日後におばあちゃんが亡くなった。

過食状態のままで葬式に参列するのは辛かったろうと思う。

虫の知らせってやつだろうか。

葬儀後も通常状態をキープ。

今日で11日目。

ゲームもやめた。


葬式ではたくさんの人に会った。

こういうことがないと会うことのない親戚や創価学会員。

人見知りな私は誰ともまともに会話しなかった。

怖かった。

「いま何してるんですか」と訊かれるのが。

「無職です」と答えるのが怖い。

無職という身の上が深い溝となる。

まともに会話できない。

ただでさえそうなのに。

私は人に言えないことだらけだ。


いま住んでいる家にはおばあちゃんの御本尊が置いてあります。

しかし、おばあちゃんが亡くなったことでこの御本尊を返還することとなり、ついては私個人が御本尊を受ける必要が出てきました。

そのためには、私の創価学会の籍をこの住所に移す必要があり、そうなると学会員による家庭訪問も免れないでしょう。

私が強く拒めばなんとかなったのでしょうが、母の言われるがままにしました。

もう潮時かな、なんて気になっている。


亡くなったおばあちゃんは、わりと熱心な学会員でした。

自宅を会合の拠点として提供したり、若いころは聖教新聞の配達員をしたり。

題目をよくあげる人でした。

私が家を訪れると、たいていご本尊に向かうおばあちゃんの後ろ姿を目にしました。

あるとき、こんなことを言われたのを覚えています。

「あんたも組織について人間革命せな」

いろんな思い出があるだろうに、なんでこんなのが思い出されるんでしょうか。


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