宮城県の緩和ケア医師、岡部健医師のグループが
患者遺族へのアンケート調査で「お迎え現象」を調査しました
死に臨んで、すでに亡くなっている人物や
通常見ることができない事物を見る「お迎え」現象を
2000年から3度にわたって調査した結果42.3%の人が
「そういうことがあった」と答えたそうです
岡部医師によると「お迎え現象」があると1,2週間で旅立つことが多いそうで
やはりお迎えはナチュラル・ダイイング・プロセスにおけるワンステップなのではないかと
といわれています
「お迎え現象」を体験した場所は「自宅」が87.1%
「一般病院」は5.2%にとどまるそうです
見えたものは
すでに亡くなった家族や知り合いが、52.9%
その他の人物が、を体験した34.2%
その他にはお花畑、仏、光、川などが10%以下で続きます
「お迎え現象」を体験した故人の様子は
普段通りだったが、40%
不安そうだったが、9%
悲しそうだったが15.5%
落ち着いたようだが、14.8%
安心したようだが、10.3%
「お迎え現象」の体験に対する遺族の感じ方は
故人に死が近いと思ったが、47.7%
幻覚だと思ったが、40%
悲しかったが、30.3%
驚いたが、28.4%
不安になったが、28.4%
死後の世界に思いをはせたが14.2%
死期が近づくと脱水症状になって、脳循環の機能が低下した結果
ある種の〝幻覚″として「お迎え」を体験するようになっているのかもしれない
と、岡部医師は指摘しますが
しかし、お迎えがせん妄や幻覚によるものと論じるよりも
「お迎え」体験をした患者が、ほぼ例外なく穏やかな最後を迎えることに着目しています
「お迎え」は日本独自の現象ではなく、精神科医で臨死体験にまつわる研究で有名な
エリザベス・キュープラー・ロスは『死の瞬間と死後の生』の中で
≪死ぬ時は一人ではないという二つ目の理由は、必ず先に死んだ人、それも私たちが愛した人、
その他私たちの人生において大事だった人たちが出迎えてくれるからです≫と記しています
つまりキリスト圏でも、お迎えに来るのはキリストではなく、亡くなった家族や知人だそうで
それは宗教ではなく、人間の根源が生み出すようだ。と岡部医師は言っています
自宅で死ぬのが当たり前の時代は、故人の周りに親戚が集まり、夜通しで故人について語りあかし
「お迎え」の話も自然に語られた
やがて病院での死亡、葬儀社による葬儀がの時代になり「お迎え」は特殊な出来事になった
病院から在宅での介護が増えてくると、患者を最後に看取るのは家族になる
その中で
亡くなる過程を受け止められない家族は「お迎え現象」を受け入れられずに
死が迫った時に病院へ搬送してしまい、自宅での死を迎えることができなくなる
岡部医師は、
最後の日が近づく中で
その人の深層意識の中にある宗教性に触れずにケアすることは不可能に近い
ところが「日本では緩和医療学会のスピリチュアルケアに宗教的ケアを入れていない」
これが終末期を難しくしていると、言い
既存の宗教を信じていないだけで、お盆に帰省し墓参りを欠かさないように、
祖霊神を信じている日本人は沢山いる
岡部医師は、こうした祖霊神信仰に基づいたケアプログラムを、終末期医療に取り入れるべきだ、と
これを無視すれば「死にゆく道しるべ」を持たない団塊の世代が大量死する時代になった時
在宅地獄になるだろうと、警告をし
すでにその兆候は表れていると訴えています
以上が文芸春秋7月号の 「大特集 尊厳ある死」の中に
死の床で見える「お迎え現象」調査報告
として掲載されました
一部ですが、抜粋してご紹介しました
私の叔母も、父も「お迎えの体験」をしています
それは死の間近というより、数か月前でした
それを聞いた私が「そう遠くない死」を感じたのは事実です
そして、なんとなく心の準備に入ったのを覚えています
患者遺族へのアンケート調査で「お迎え現象」を調査しました
死に臨んで、すでに亡くなっている人物や
通常見ることができない事物を見る「お迎え」現象を
2000年から3度にわたって調査した結果42.3%の人が
「そういうことがあった」と答えたそうです
岡部医師によると「お迎え現象」があると1,2週間で旅立つことが多いそうで
やはりお迎えはナチュラル・ダイイング・プロセスにおけるワンステップなのではないかと
といわれています
「お迎え現象」を体験した場所は「自宅」が87.1%
「一般病院」は5.2%にとどまるそうです
見えたものは
すでに亡くなった家族や知り合いが、52.9%
その他の人物が、を体験した34.2%
その他にはお花畑、仏、光、川などが10%以下で続きます
「お迎え現象」を体験した故人の様子は
普段通りだったが、40%
不安そうだったが、9%
悲しそうだったが15.5%
落ち着いたようだが、14.8%
安心したようだが、10.3%
「お迎え現象」の体験に対する遺族の感じ方は
故人に死が近いと思ったが、47.7%
幻覚だと思ったが、40%
悲しかったが、30.3%
驚いたが、28.4%
不安になったが、28.4%
死後の世界に思いをはせたが14.2%
死期が近づくと脱水症状になって、脳循環の機能が低下した結果
ある種の〝幻覚″として「お迎え」を体験するようになっているのかもしれない
と、岡部医師は指摘しますが
しかし、お迎えがせん妄や幻覚によるものと論じるよりも
「お迎え」体験をした患者が、ほぼ例外なく穏やかな最後を迎えることに着目しています
「お迎え」は日本独自の現象ではなく、精神科医で臨死体験にまつわる研究で有名な
エリザベス・キュープラー・ロスは『死の瞬間と死後の生』の中で
≪死ぬ時は一人ではないという二つ目の理由は、必ず先に死んだ人、それも私たちが愛した人、
その他私たちの人生において大事だった人たちが出迎えてくれるからです≫と記しています
つまりキリスト圏でも、お迎えに来るのはキリストではなく、亡くなった家族や知人だそうで
それは宗教ではなく、人間の根源が生み出すようだ。と岡部医師は言っています
自宅で死ぬのが当たり前の時代は、故人の周りに親戚が集まり、夜通しで故人について語りあかし
「お迎え」の話も自然に語られた
やがて病院での死亡、葬儀社による葬儀がの時代になり「お迎え」は特殊な出来事になった
病院から在宅での介護が増えてくると、患者を最後に看取るのは家族になる
その中で
亡くなる過程を受け止められない家族は「お迎え現象」を受け入れられずに
死が迫った時に病院へ搬送してしまい、自宅での死を迎えることができなくなる
岡部医師は、
最後の日が近づく中で
その人の深層意識の中にある宗教性に触れずにケアすることは不可能に近い
ところが「日本では緩和医療学会のスピリチュアルケアに宗教的ケアを入れていない」
これが終末期を難しくしていると、言い
既存の宗教を信じていないだけで、お盆に帰省し墓参りを欠かさないように、
祖霊神を信じている日本人は沢山いる
岡部医師は、こうした祖霊神信仰に基づいたケアプログラムを、終末期医療に取り入れるべきだ、と
これを無視すれば「死にゆく道しるべ」を持たない団塊の世代が大量死する時代になった時
在宅地獄になるだろうと、警告をし
すでにその兆候は表れていると訴えています
以上が文芸春秋7月号の 「大特集 尊厳ある死」の中に
死の床で見える「お迎え現象」調査報告
として掲載されました
一部ですが、抜粋してご紹介しました
私の叔母も、父も「お迎えの体験」をしています
それは死の間近というより、数か月前でした
それを聞いた私が「そう遠くない死」を感じたのは事実です
そして、なんとなく心の準備に入ったのを覚えています