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「海の開発」は日本が主役を担え 国際法を守る意思がない中国、力によって秩序が乱される

2017-08-04 17:31:01 | 正論より
8月4日付    産経新聞【正論】より


「海の開発」は日本が主役を担え 国際法を守る意思がない中国、力によって秩序が乱される 

東海大学教授・山田吉彦氏


http://www.sankei.com/column/news/170804/clm1708040004-n1.html


≪中華復興のための「一帯一路」≫


 中国の習近平国家主席が目指しているのは、「中華民族の偉大なる復興」である。それを具現化する施策が、中華思想を基軸としてユーラシア大陸を一体化する経済圏構想「一帯一路」だ。

 中国は、13億人を超える人口を抱え資源や食糧を海外に依存しなければならず、さらに過剰生産の販路を国外に拡大することは喫緊の課題である。そのため、「一帯一路」を推し進め、周辺国を影響下に置いて“属国化”し、中華社会の拡大を目指しているのだ。

 巨額のインフラ投資と、強大な軍事力を背景とした威圧により、中央アジアを通る陸路の「シルクロード経済ベルト=一帯」と、マラッカ海峡やインド洋を経由する海路の「21世紀海上シルクロード=一路」の交通網を掌握する-それによってチンギスハンが礎を築いたモンゴル帝国のように、中国はユーラシア大陸の支配者になろうとしている。その矛先は、東シナ海を越え日本にも向けられている。尖閣諸島の領海侵入や沖縄への“干渉”もその一環だ。


 中国はこの構想を推進するために、500億ドル(約5兆5000億円)を超える「シルクロード基金」を設立し、独自の政策判断でアジア諸国における投資案件を決定している。2015年に、その第1号としてパキスタンにおける水力発電建設が決定し、16億5000万ドル(約1800億円)が投資された。この事業は中国の企業群が建設から運営までを一括して受注しており、まさに自国のための投資といえる。


 このほか、電力供給システムも中国企業が受注し、工事が進められている。また、パキスタンのグワダルにも将来、軍港化が指摘される大規模な港湾を建設中だ。「一帯一路」における陸と海の結節点になるパキスタンは、すでに中国の“掌中”にあるといえる。

 さらに中国は自国だけの資金で賄いきれない部分を補うため、アジアインフラ投資銀行(AIIB)を立ち上げた。アジア諸国の交通網整備など多くの事業は、巨額の投資に見合う採算が見込めず、大陸ルート(「一帯」)の開発は「前途多難」とされる。そこで中国は、既に基盤が整備されている海洋ルート「一路」の獲得に力を注ぐようになった。





 ≪「首飾り戦略」を分断せよ≫


 「一路」の主導権を握るため、南シナ海に軍事拠点となる人工島を建造。また、南シナ海からペルシャ湾までの主要都市に港湾を建設して、インド包囲網の形成を目指す「真珠の首飾り」戦略を進めて、シーレーンの支配をもくろんでいる。その重要な拠点のひとつとなるスリランカのハンバントタ港は7月、99年間、中国に譲渡されることが決まった。


 しかし、南シナ海とインド洋を結ぶ要衝・マラッカ海峡は、これまで海峡の維持管理に力を注いできた日本と、海域の安全保障を主導してきた米国の影響が強く、「首飾り戦略」を分断している。中国のアジア海洋支配の野望は、マラッカ海峡で阻まれている。

 これは「マラッカジレンマ」と呼ばれ、中国の海洋侵出の課題となっている。そのため、マラッカ海峡の玄関口である南シナ海における軍事力の強化を進める一方、南シナ海を回避して、ベンガル湾から直接、中国につながるミャンマー経由のパイプライン建設や、マレー半島・クラ地峡に運河を掘削する提案を行うなど、次々に対抗策を打ち出している。





 ≪透明性確保の可能性は低い≫


 現在のアジアの海洋安全保障体制は、海賊問題を契機に、日本の海上保安庁と東南アジア諸国連合(ASEAN)、インドなどの海上警備機関の連携によって確立されてきた。さらにフィリピン、ベトナムなどに日本が海上警備船艇を供与することで、南シナ海沿岸の監視体制が強化されている。

 また6月末には、海上自衛隊のヘリ搭載型護衛艦「いずも」がアジア諸国10人の士官を乗せ、南シナ海で国際法に準拠した研修を実施。海洋秩序を守るために国家の枠を超えた協力に踏み出した。



 安倍晋三首相は「一帯一路」に対して、「インフラ整備は万人が利用でき、透明で公正な調達が行われること」「プロジェクトに経済性があること」を条件に付けた。これまでの中国の開発や投資実態からすれば、この条件が満たされる可能性は極めて低い。

 アジアと欧州をつなぐ経済圏創設は、周辺の小国にとって魅力的な構想だ。問題なのは、国際法を守る意思がない中国の主導の下で力によって秩序が乱され、関係国の主権が犠牲になる恐れがあることだ。それは、南シナ海の現状を見れば一目瞭然だろう。

 
 日本はこれまでの海洋安全に対する実績を踏まえて、世界銀行、アジア開発銀行などの融資を誘発し、「海の開発」の主導権を握るべきである。

 2018年には、アジアと欧州を結ぶ新たな海の道「北極海航路」の商業運航も開始される。海洋を通した新経済圏を構築するには、日本こそその主役を担うべきだと考える。(東海大学教授・山田吉彦 やまだよしひこ)











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6月1日、プーチン大統領は北方領土めぐり「重大発言」 不可解すぎる官邸の対露政策

2017-06-13 16:16:03 | 正論より
6月13日付       産経新聞【正論】より




6月1日、プーチン大統領は北方領土めぐり「重大発言」 不可解すぎる官邸の対露政策 

新潟県立大学教授・袴田茂樹氏


http://www.sankei.com/column/news/170613/clm1706130006-n1.html


 6月1日にプーチン大統領は、日露関係や北方領土問題に関して重大発言をした。私にとって衝撃的だったのは、日米韓などが北朝鮮の核・ミサイル開発に対抗してミサイル防衛(MD)システムなどを強化していることに対して、彼が「これはイランの核を口実にした欧州でのMD配備と同じ欺瞞(ぎまん)で、問題は全く北朝鮮にあるのではない」と述べたことだ。

 つまり彼は、日米韓の本音は露を対象にしたMD包囲網の強化だとの被害者意識を強めている。あるいはそれを理由に、北方四島の軍事強化を正当化しているのだ。彼は「これらの島はその最適の場所」とさえ言う。露は公式には北朝鮮の核・ミサイル開発を批判するが、実際には日米韓が北朝鮮を「喫緊の脅威」と強い懸念を抱いていることを全く無視している。




≪二島返還さえ拒否する口実に≫


 6~7年前までは露指導部も「日米のMD協力は露向けではない」と理解を示していたが、「クリミア併合」などで欧米と激しく対立して以来、被害者意識をとみに強めた。今では「信頼できるのは軍事力のみ」と公然と述べる。


 プーチン発言で日本人に失望感を与えたのは、日米安保条約がある限り、色丹、歯舞を渡せば米軍基地ができ、「それは絶対容認できない」として、事実上二島返還さえ拒否したことだ。この拒否の言葉は、以前から露側の発想や心理、行動に目を向けてきた筆者には驚きではなかった。日米安保条約は以前から存在していたし、今回は二島返還をも拒否する新たな口実にしただけだ。


 彼は昨年12月の訪日時にも同条約に懸念を表明した。問題は安倍晋三首相の熱意のある対露経済協力にもかかわらず、プーチン政権下で対日姿勢は強硬化し、領土交渉は後退していることだ。

 最近では、4月の首脳会談で合意した四島での「共同経済活動のための合同調査」も、共同経済活動に関する両国の基本認識が異なるため-ロシア側は「ロシアの法の下」で、日本側は「特別の制度」の下で行うとしている-その話し合いの段階から躓(つまず)いている。




≪メディアは幻想を抱かせ続けた≫


 官邸は昨年末の共同経済活動の首脳合意を、平和条約に向けての成果の如(ごと)く宣伝したが、私は新たなハードルを設けたに等しいと批判した。これは正しかったと思う。苦心して法的グレーゾーンで何か象徴的なことをしても、本格的な共同経済活動は到底無理だ。


 日本では、昨年11月のリマでの首脳会談直後、安倍首相の焦燥感が報道され、領土交渉悲観論が広がったが、プーチン氏の6・1発言はそのダメ押しとなった。わが国のメディアは、12月の首脳会談での彼の強硬姿勢を「まさかのちゃぶ台返し」(週刊朝日)とか「プーチン豹変(ひょうへん)」(文芸春秋、NHK解説委員記事)などと報じたが、無知ゆえでないとしたら、メディアが長年垂れ流した楽観論の責任を大統領に転嫁するものだ。

 これまで日本では首相官邸も多くのロシア専門家やメディアも、「ヒキワケ」とか「相互の妥協」とか「平和条約締結は重要」といったプーチン氏の甘言に飛びついた。そしてメディアは、「経済協力を進めても領土での譲歩はしない」といった彼の発言(2016年9月)や、「二島返還もあり得ないことは百パーセント確実」といった政権筋の露専門家の言(『エクスペルト』16年5月)など強硬論は単なる交渉術と無視して報道せず、首相官邸や政治家、国民などに幻想を抱かせ続けた。


 実際にはプーチン氏は、05年9月に「南クリル(北方四島)は第二次世界大戦の結果ロシア領となり、国際法的にも認められている」と述べ、それ以後、露首脳はこの基本姿勢をむしろ強化している。実はプーチン氏も以前は「四島の帰属問題を解決して平和条約を締結」と合意した東京宣言の重要性を認める01年のイルクーツク声明にも、03年の日露行動計画にも署名していた。つまり未解決の領土問題存在を認めていたのだ。


 しかし、12年3月の「ヒキワケ」発言の時も「二島を引き渡しても主権は露が保持する」可能性を述べていたが、メディアは前者のみ大きく報じ後者を無視した。もし「豹変」「ちゃぶ台返し」を言うなら、05年に言うべきだ。ちなみに、私は翌年プーチン氏と会談したときに、対日強硬論への彼の「転向」を直接批判した。





≪「新アプローチ」は非論理的≫


 私が納得できないのは、首相の北方領土問題解決の熱意は支持するが、そのための対露政策が非論理的に見えることである。プーチン氏が近年、領土問題での対日姿勢を一層強硬化しているとき、「従来の発想では1センチも進展しなかった」として、露側が「領土問題棚上げ」と理解するような「新アプローチ」を官邸は実行している。当然露側は、自らの強硬政策は正しかったとして、今後もその政策をさらに強めるだろう。

 ロシア人は、すり寄る者は喜んで利用するが、弱者として見下す。わが国としては、経済協力と領土交渉は、あくまで均衡を取って共に進めるべきだ。(新潟県立大学教授・袴田茂樹 はかまだしげき)










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「日本に何ができるのか。アメリカを前面に立たせて日本は後ろにいるつもりか」 

2017-06-07 12:20:56 | 正論より
6月7日付    産経新聞【正論】より



「日本に何ができるのか。アメリカを前面に立たせて日本は後ろにいるつもりか」 
トランプ米大統領のいらだちが問うもの 専守防衛で拉致は解決しない  

福井県立大学教授・島田洋一氏


http://www.sankei.com/column/news/170607/clm1706070005-n1.html



 ≪日本は自分を守るだけか≫


 トランプ政権発足前後から続いた日米の“蜜月期間”は終わったのか。

 5月26日、先進7カ国(G7)首脳会議直前に行われた日米首脳会談の場で、北朝鮮と中国の関係に話題が及ぶや、トランプ大統領が態度を一変させた。関係者の話を総合するとこうなる。


 中国はよくやっていると語るトランプ氏に対し、安倍晋三首相はその不十分である旨を説いた。正しい指摘である。ところがトランプ氏は、いらだちもあらわに、居丈高に言い放つ。

 では、日本は一体何ができるのか。もし北朝鮮と軍事衝突になった場合、アメリカを前面に立たせて後ろにいるつもりか。ミサイル防衛に力を入れると言うが、自分を守るだけの話じゃないか。


 こうした趣旨の言葉がトランプ氏の口から矢継ぎ早に飛び出した。国際場裡(じょうり)では先輩格の安倍氏にアドバイスを求めるといった春先までの態度はすでに、もうなかった。


 会談後の記者会見で安倍首相は、「特に、平和安全法制を制定したことによって、日米が日本を守ることにおいて、お互いが助け合うことができる同盟になりました。助け合うことができる同盟は、当然、その絆を強くします」と語っている。

 確かに平和安全法制によって、日米の「絆」が音を立てて崩れる事態は回避できた。


 しかし、東アジア情勢が緊迫化する中、「日本を守ること」において「日米が助け合う」(米側にしてみれば、これ自体、身勝手な言い分ということになろう)を超えて、日本は何ができるのか、というトランプ氏の問いに応えるものではない。




 ≪米国に突き放される可能性も≫


 安倍首相は拉致問題に関して、「動乱時には米軍による救出という体制が取れるよう、米政府に拉致被害者の情報を提供し協力を依頼している」と国会答弁している(平成27年7月30日)。しかし、仮にトランプ氏から、「自国民の救出ぐらい自分でやってくれ。米軍にそんな余裕はない」と突き放されたらどうするのか。

 冒頭のやり取りに照らし、そうした可能性は十分ある。動乱、すなわち武力衝突を伴う混乱が続いている間は、米軍は当然、敵の早期無力化と自国兵士の安全を最優先としよう。


 ある拠点施設に日本人拉致被害者がいる可能性があるから、砲爆撃は控え、地上部隊が入っていく形にしてほしいなどと申し入れれば、「それなら日本が自分で制圧しろ。できないなら口を出すな」という話になろう。攻撃作戦を他国に全面的に委ねる「専守防衛」の弊害は、こうしたところにも表れる。

 政府は、米軍が保護管理する「暫定統治機構」が北朝鮮にできた段階で、その同意に基づき、自衛隊が拉致被害者の移送に当たる案を検討中とされる。ただ、実施の条件となる制空権確保は米軍に依存すると位置づけている。

 また地上での救出活動中も、自衛隊の武器使用は制限があるため米軍の協力(すなわち護衛)が必要だという。


 要するにアメリカが一定期間、占領軍として存在することを前提としているわけだが、トランプ氏は選挙期間中、米軍が海外で占領軍的役割を担うことを「愚か」(stupid)と口を極めて批判していた人物である。

 有事に際しては、できる限り海空軍力による攻撃に特化した作戦を選ぼうとするだろう。自衛隊が活動できる条件を、一から十までアメリカに整えてもらうという発想では、結局、自衛隊が動ける機会はないままに終わりかねない。





 ≪敵基地攻撃力の整備を目指せ≫


 こうした主体性を欠いた現実遊離の姿勢はミサイル問題でも顕著である。北朝鮮はすでに、高度2000キロを超えるロフテッド軌道(鋭角に高高度から落ちてくる)ミサイル実験に成功している(5月14日)。この発射態様だと「迎撃がより困難になる」(防衛白書平成28年版)。ダミーも含め同時に多数発射された場合には、完全にお手上げとなる。

 であれば、論理必然的に敵基地攻撃力(指令系統中枢への攻撃も含む)の整備が必要となるはずだが、いまだ政治日程に上る気配がない。


 このままでは、日本の防御システムは、かつてのフランスのマジノ線に似たものに終わりかねない。独仏国境沿いに巨費を投じて建設された要塞線は、ナチス軍がベルギー領を通る迂回(うかい)ルートで侵入してきたことで、およそ意味を持たなかった。ロフテッド軌道の北朝鮮ミサイルも同様、いわば高度の点で防御システムを迂回して侵入してくる。

 「拉致、核、ミサイルの包括的解決」には、北朝鮮の現体制を倒す以外にない。日本が敵基地攻撃力の整備に本格的に乗り出すなら、それを嫌う中国が、現状変更に向けて動く可能性も高まろう。専守防衛に固執する限り「アメリカ頼み」以外の展望は開けない。(福井県立大教授・島田洋一 しまだ よういち)











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北朝鮮は「中華帝国の一部」 中国の目的は制裁を緩和して生存を保証することだ

2017-05-30 21:14:24 | 正論より
5月30日付     産経新聞【正論】より



北朝鮮は「中華帝国の一部」 中国の目的は制裁を緩和して生存を保証することだ 

東京国際大学教授・村井友秀氏


http://www.sankei.com/column/news/170530/clm1705300008-n1.html


 北朝鮮の貿易の9割を占める中国は、北朝鮮政権の生殺与奪の権を握っている。国連決議を無視する北朝鮮を中国はどうしようとしているのか。




≪国連決議は守られているのか≫


 5月3日、朝鮮中央通信は、「われわれは米国の侵略と脅威から祖国と人民を死守するために核を保有した。朝中関係は重要であるが、生命と同然の核と引き換えてまで、哀願することはない」と論評した。これに対して、中国の『環球時報』は「罵詈(ばり)雑言を投げ合う論争を続けるつもりはない」と述べている。

 中国の主張は、国連の制裁決議に則(のっと)って北朝鮮を制裁しているが、北朝鮮が中国の言うことを聞かないというものである。「中国が米国に追従して北朝鮮に圧力をかけているが、北朝鮮は決して外国の圧力に屈しない」という北朝鮮の主張は、中国の主張の援護射撃であり、北朝鮮は中国の手の中で動いている。

 中国中央テレビは、報道の自由がない北朝鮮から中国の制裁によって平壌ではガソリンが不足していると放送した。中国は国連決議を守って北朝鮮を制裁したと言っているが、実際には地方政府の辺境貿易や民間企業を通じて制裁に抜け道をつくり、さまざまな条件を付けて制裁を骨抜きにした。


 他方、北朝鮮がミサイル発射や核実験をすればするほど国際社会は中国に北朝鮮の説得を依存するようになる。北朝鮮の暴走は国際社会で中国の立場を強めている。米国も中国に配慮して台湾総統との会談をとりやめ、南シナ海で中国を牽制(けんせい)する「航行の自由作戦」を一時中断した。





≪「韓半島で優越的地位を固める」≫


 そもそも中国にとって北朝鮮とは何なのか。

 20世紀末から中国では、朝鮮半島の北部は古代から中国の一部であったという研究が盛んに発表されるようになった。2千年前の漢の時代、朝鮮半島北部は漢王朝の支配下にあり、漢の行政府が設置されていた(漢四郡)。漢王朝が崩壊すると、中国東北地方から朝鮮半島北部にかけて高句麗王朝が成立した。その後、朝鮮半島南部に朝鮮民族の王朝である新羅と百済が成立し、高句麗、新羅、百済の三国時代を経て、7世紀になると新羅が朝鮮半島を統一した。

 現代の中国でも、中国遼寧省にある高句麗山城の碑石には「高句麗は中華民族が建てた国であり、高句麗民族は中華民族の大家族の一員だった」と刻まれている。また、大学の教科書『中國古代史』には、「高句麗は東北地区の少数民族政権であり、中国の領域であると見なされていた」と記されている。


 このような中国の主張に対して韓国は反発し、『東亜日報』は社説で「中国は、北朝鮮が崩壊した場合、朝鮮半島北部に対する歴史的縁故を主張することで、韓国や米国の侵入を阻止し、韓半島における優越的地位を固める考えである」(2007年1月27日)と批判した。

 中国の領土は次のように説明されることがある。「一度、中華文明の名の下に獲得した領土は、永久に中国のものでなければならず、失われた場合は機会を見つけて必ず回復しなければならない」(フランシス・ワトソン『中国の辺境』)





≪制裁参加の目的は生存の保証≫


 次に中朝関係を「最大の損害を最小にする」という国際関係理論から検討する。朝鮮半島には統一と南北分裂のままという2つの道がある。中国にとってそれぞれの道の最悪のケースは、統一の場合は、統一した強い反中朝鮮の誕生であり、南北分裂の場合は、隣に南北分裂した弱い反中朝鮮が存在することである。南北分裂した弱い反中朝鮮よりも統一した強い反中朝鮮の方が中国の強敵になる可能性が高い。

 また、統一した強い朝鮮よりも南北分裂した弱い朝鮮の方が中国は影響力を及ぼしやすい。したがって、南北分裂した弱い朝鮮の方が中国にとって望ましいことになる。南北分裂を維持するためには北朝鮮を守らなければならない。


 ところで、中朝は朝鮮戦争で共に血を流し米帝国主義と戦った「血で結ばれた戦友」と言われてきた。しかし、今の中朝両国で「血で結ばれた戦友」を信じている人はほとんどいないだろう。それでも中朝間には「どちらか一方が他国に攻撃された場合、もう一方は自動的に他方を助ける」という「参戦条項」を含む「中朝友好協力相互援助条約」がある。

 中国が北朝鮮を守るという意味は、金正恩政権を守るという意味ではない。金正恩政権が北朝鮮を守る障害になると判断すれば、中国は別の政権にすげ替えようとするだろう。「参戦条項」は中国が北朝鮮に介入する格好の口実になり得る。金正恩政権の最大の脅威は中国であろう。

 中国にとって北朝鮮は失うことが許されない中華帝国の一部であり、中国が制裁に参加する目的は、日米が主導する制裁を緩和して北朝鮮の生存を保証することである。(東京国際大学教授・村井友秀 むらいともひで)













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安全保障避ける学術会議 冷戦期に孕んだ時代認識の欠陥の残滓だ 

2017-05-26 11:19:08 | 正論より
5月25日付     産経新聞【正論】より


安全保障避ける学術会議 冷戦期に孕んだ時代認識の欠陥の残滓だ 

東京大学客員教授・米本昌平氏


http://www.sankei.com/column/news/170526/clm1705260004-n1.html


 ≪冷戦の過酷さとは無縁だった国≫


 3月24日に日本学術会議は「軍事的安全保障研究に関する声明」をまとめ、軍事目的での科学研究を行わないという半世紀前の方針を再確認した。その直接の動機は、一昨年から防衛装備庁が「安全保障技術研究推進制度」を発足させたため、これに対する態度表明を迫られたからである。


 どんな国であれ大学が防衛省関係から研究費助成を受ければ、軍事機密や達成目標などで条件をのまなければならず、大学側は当然これに対する原則を明確にする必要が出てくる。だが、声明や学術会議報告「軍事的安全保障研究について」を読んでみると、日本のアカデミズムは安全保障の議論をするのに恐ろしく逃げ腰である。

 その理由の一つに、日本が20世紀後半の世界を決定づけた冷戦の過酷さを体感しないまま21世紀に抜け出た、唯一の先進国であることがある。冷戦とは米ソ両陣営が最悪時には7万発の核弾頭を備え、国内総生産(GDP)の5~10%を国防費に割いて核戦争の恐怖に耐えた時代であった。

 この未曽有の恐怖の時代を通して日本は「冷戦不感症」国家であったため、科学技術と軍事の関係を冷静かつ客観的には語りえない欠陥をもつようになった。この点について軍民両用(デュアルユース)技術を軸に論じておきたい。





 ≪表層的な日本の軍民併用技術論≫


 最も基本的なことは、米国の科学技術は1940年を境に一変してしまったことである。第二次大戦以前の米国では、大学は東部の法文系が主流だった。ところが40年に国家防衛研究委員会が置かれ、戦争中にこの委員会が通信技術、レーダー、航空機、核兵器などの戦時研究を組織し、理工系大学がその一部を受託して力を蓄えた。戦後間もなく冷戦が始まったため、米国は41年の真珠湾攻撃から91年のソ連崩壊まで50年戦争を戦ったことになる。


 そんな中、57年10月にソ連が人類初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げた。米国は衝撃を受け、高度な科学技術研究を維持することが安全保障に直結すると確信し、翌年に国防高等研究計画局や航空宇宙局を新設する一方、理工系大学の大幅な拡張を促した。


 国防総省からの大規模な研究委託によって、マサチューセッツ工科大学(MIT)やスタンフォード大学などは急速に力をつけ、「研究大学」という特別の地位を獲得した。60年代末に大学紛争が起こると、軍からの委託研究は批判にさらされ、キャンパスの外に移されたが、これがベンチャー企業の先行形態となった。結局、冷戦の最大の受益者の一つは米国の理工系大学であった。


 冷戦後、米国の科学史の研究者は精力的に冷戦研究を行い、この時代の米国の科学技術は、核兵器の開発・小型化・配備体制の開発を最大のミッションとする「核兵器研究複合体」を形成していたと自己診断を下した。日本の議論は、この米国における科学技術史の研究成果を咀嚼(そしゃく)していない。

 90年代の米国は、科学技術を軍事から民生へ転換する「軍民転換」政策を採用した。この時、冷戦時代に開発されたコンピューター技術、インターネット、衛星利用測位システム(GPS)などが民間に開放され、巨大な情報産業が誕生した。この政策を正当化したのが「軍民併用技術」という概念であった。これと比べ、日本の軍民併用技術論は何と表層的でひ弱なものなのであろう。





 ≪米科学技術史の成果を踏まえよ≫


 かつて核戦争の危機は2度あったが、2度とも日本は重度の「冷戦不感症」を呈した。62年のキューバ危機に際し、ケネディ大統領は事態を説明するためフランス、西ドイツ、カナダに特使を派遣したが、池田勇人首相には親書で済ませた。核戦争が起こるとすれば大西洋を挟んだ撃ち合いになると考えられたからだ。この時、日本は親書の意味が読み取れないまま経済政策に邁進(まいしん)したのである。


 83年欧州のミサイル危機の時には、相互確証破壊を前提とする戦略核ミサイル体制は両陣営で完成していたから、核戦争になれば日本は全滅してしまうはずだった。だがこの時、日本で議論されたのは欧州の反核運動であった。

 冷戦時代、日本が核戦争の脅威を認知しようとしなかった理由はほぼ3つに集約される。第1に日本における核兵器の議論はヒロシマ・ナガサキで凍結されてしまい、その後に本格化する核兵器の大量配備の現実を視野に入れようとしなかったこと。第2に核戦争になれば全てが破壊されてしまうという虚無感。第3に東アジアには東西対決の緩衝地帯として中国共産党政権が存在し、日本がソ連との直接的な軍事対決にさらされることが少なかったことである。


 大学の研究と軍事研究との間に線引きが必要になった事態をもって右翼化と言ったり、戦前の日本と重ねる論法は、冷戦期に日本社会が孕(はら)んだ時代認識の欠陥の残滓(ざんし)でしかない。いやしくも日本学術会議である以上、最低限、米国の科学技術史の研究成果を踏まえた論を展開すべきだったのである。(東京大学客員教授・米本昌平 よねもとしょうへい)







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自らに〝時代遅れ〟の制約課す日本学術会議 軍事研究禁止は国を弱体化させる

2017-05-18 20:17:53 | 正論より
5月17日付     産経新聞【正論】より



自らに〝時代遅れ〟の制約課す日本学術会議 軍事研究禁止は国を弱体化させる 

平和安全保障研究所 理事長・西原正氏


http://www.sankei.com/column/news/170517/clm1705170007-n1.html


 日本学術会議は3月24日に「安全保障と学術に関する検討委員会」の幹事会が決定した「軍事的安全保障研究に関する声明」を出した。これは2015年度に防衛省防衛装備庁が設置した「安全保障技術研究推進制度」が、大学の研究者に研究費を出して研究成果を日本の防衛技術の向上に取り入れようとしたことに対し、同会議が軍事利用される恐れのある研究を規制するよう大学などに要請した反対声明であった。




 ≪日本学術会議の声明は時代遅れ≫


 日本学術会議は自然科学および人文社会科学の分野の研究者84万人を代表する機関で、1949年に設立された。これまで50年と67年に同様の声明を出しており、今年の声明はその延長線上にある。同会議の声明は憲法23条が「学問の自由」を保障しているにもかかわらず、それを否定し自らに時代遅れの制約を課している。

 もともと声明は、科学者は戦争協力をしないこと、および研究は政府から独立したものであるべきだという態度で出されたものである。50年の声明が「戦争を目的とする科学の研究には、今後絶対に従わない」とし、67年の声明が「軍事目的のための科学研究を行わない」としていた。


 しかし「軍事技術と民生技術は分けられない」「防衛目的の技術と攻撃目的の技術を分けて考えるべきだ」などのいわゆる「軍事研究」を部分的に容認する意見もあったため、声明は「大学等の研究機関における軍事的安全保障研究(中略)が、学問の自由及び学術の健全な発展と緊張関係にあることをここに確認し」とし、イデオロギー色を後退させている。そして「研究の適切性」をめぐっての「議論に資する視点と知見を提供すべく、今後も率先して検討を進めて行く」と結んでいる。


 ここでは日本学術会議が各大学や研究機関に軍事的安全保障研究に従事することを禁じているわけではない。しかし実際にはそうした研究に参画しないように研究機関や大学に強い要請をしたと見るべきだ。2015年度に58件あった大学からの応募件数が16年度には23件に減少したという。関西大学や法政大学は学内の倫理基準に照らして学内の研究者の応募を禁止することとし、これまで米国防総省や防衛省からの助成金を受けていた東京工大も同じ理由で当面禁止することに決めたという。





 ≪核を知らずに対抗できるのか≫


 古代ローマに「平和を欲するならば、戦争に備えよ」という格言がある。世界の大半の国は、この格言を表明することはないにしても、実際にはこれに沿った国家戦略を立てている。日本も憲法上の制約を課しながら、同様の国家戦略を立てている。日本の平和は、国際協調を重視する外交とともに、国防に備える自衛隊と「戦争の備えをしている」米国との同盟で保持されている。


 残念ながら、日本学術会議の有力メンバーは「すべての科学者が軍事目的の研究をしなければ、戦争は不可能である」との伝統的思考から抜け出せないでいる。


 日本は北朝鮮の核に対して核で対抗することはできないが、核の知識がなければそれへの対抗策を施すことはできない。サリンを大量に持つべきではないが、サリンの性質を知り、効果的な対策を練る研究は絶対に必要だ。サイバー攻撃から守るには、その仕組みを研究しなければならない。これらの研究の倫理性を疑うのは的外れである。

 大学の研究者の中には、自国の平和と安全を願い、防衛技術の向上に貢献したいとの意欲を持つ人がいる。日本学術会議の声明はそういう研究者の「学問の自由」を奪い、結果として日本の防衛の弱体化に貢献している。





 ≪非武装平和主義的思考の克服を≫


 防衛装備庁は15年度に3億円、16年度に6億円、そして今年度には大幅に増額して110億円の予算を組んだ。そのため、1件約3千万円で3年間の研究費だったのが、今年度からは1件当たり5年間で数億円から数十億円のものが新設されるという。


 ほとんどの技術が軍事技術にも民生技術にも使われる今日、こうした研究資金を使って主要国に負けない研究成果を出せるようにすべきである。日本学術会議は研究に対する政府の過度の介入を警戒するが、研究者によっては、研究の途中で政府の要望を入れて研究を修正したいと考える人もいるだろう。また政府としても何億円かの資金を投入する研究を研究者のみに任せておいて進捗(しんちょく)状況を見ないのは、適切な資金の使用方法とは思えない。


 防衛装備庁は研究成果を「原則として公開」としている。基礎研究であれば汎用(はんよう)性は高いわけで、できるだけ研究成果を公開することが望ましい。しかし防衛技術研究を全部公開するのでは日本の防衛力を強めることにならない。

 日本学術会議や研究機関が防衛省からの研究費に関して「研究の適切性」を議論するにあたって、非武装平和主義的思考を克服して、防衛技術の汎用性を国際的基準で検討することを望みたい。(平和安全保障研究所 理事長・西原正 にしはら まさし)







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核兵器放棄の期待は非現実的だ 日本は核兵器以外の手段による「相互確証破壊」で対抗せよ

2017-05-16 20:11:29 | 正論より
5月16日付     産経新聞【正論】より


核兵器放棄の期待は非現実的だ 日本は核兵器以外の手段による「相互確証破壊」で対抗せよ 

東京国際大学教授・村井友秀氏


http://www.sankei.com/column/news/170516/clm1705160006-n1.html


 中国や北朝鮮は核兵器を持っている。北朝鮮は「戦争になれば日本は放射能雲に覆われる」(『労働新聞』5月2日)と威嚇し、14日に日本海へミサイルを発射した。日本はいかにして大量破壊兵器の脅威に対抗すべきか。




≪貧乏国が固執した魅力的兵器≫


 大量破壊兵器の中で、化学兵器と生物兵器は国際条約の化学兵器禁止条約と生物毒素兵器禁止条約によって使用・保有・開発が禁止されている。他方、核兵器は「核兵器による威嚇・使用は一般的に国際法に反するが、国家の存亡が懸かる自衛のための極限的状況下での核使用は合法・違法とも言えない」(国際司法裁判所)というものである。また、「原爆の技術そのものが悪魔性を帯びているのではなく、その技術を使う国の意思によってその性格が決まる」(ガンジー・インド首相)という見方もある。

 さらに、核兵器には別の側面がある。「核兵器が存在する世界では、最強の国家の半分以下の経済力の国家でも大国の地位を保持することができる」(国際政治学者のケネス・ウォルツ氏)と言われている。

 核兵器は低コストで通常兵器の劣勢を相殺する。1平方キロに展開している敵を殲滅(せんめつ)するために、通常兵器を使用すれば2千ドル、核兵器では800ドル、化学兵器では40ドル、生物兵器では1ドルかかる。


 すなわち、核兵器は貧乏国にとって魅力的な兵器である。中国も貧しかった時代、通常兵器を近代化する経済的余裕がなく、安価な核兵器とただ同然と見なしていた人民の命を大量消費する人民戦争によって米軍に対抗しようとした。

 1963年、中国政府は「たとえズボンを穿かなくても核兵器を作る。米帝国主義の核恫喝(どうかつ)の前で土下座することはない」(陳毅外交部長)と主張した。65年、パキスタンも「インドが核兵器を持てば、国家の名誉を守るためにわれわれは草や葉を食べても核兵器を持つ」(ブット人民党党首)と述べている。北朝鮮も「米国が制裁ごときで民族の命であり国の宝であるわれわれの核抑止力を奪えると思うのなら、それ以上の妄想はない」と言っている。

 現代世界では国家が最高の権力を持っており、これらの国家に核兵器を放棄するように命令できる機関は存在しない。したがって、これからも核武装を図る国家は現れるだろう。他方、「米国は通常兵器の分野で圧倒的に優位な立場に立っている。したがって、核兵器を全廃し、通常兵器のみが存在する世界になれば米国の優位は万全になる」という意見も米軍の中に存在する。





≪恐怖が支えた冷戦の「平和」≫


 さらに核兵器には飽和点がある。核兵器の破壊力は巨大であり、敵国の中枢を破壊できる核兵器があればそれ以上の破壊力は不必要になる(飽和点)。しかし通常兵器は破壊力が小さく、戦争に勝つには常により大きな破壊力を追求しなければならない。通常兵器の近代化競争には限度がない。



 冷戦時代、フランスの対ソ抑止戦略はソ連の国力の15%を破壊することであった。15%の国力の破壊はソ連が耐えられる限度を超えるとフランスは考えた。フランスの計算によれば、フランスとソ連の核戦力の差から、戦争になればソ連の国力の15%、フランスの国力の95%が破壊され、共に致命傷を負うことになる。15%を破壊されても95%を破壊されても耐え難い損害を受けたという心理的ダメージは同じである。フランスの抑止戦略は、ソ連がフランスを攻撃すればソ連は少なくとも片腕を失うことを保証することであった。フランスは核ミサイルを搭載した6隻の原子力潜水艦で、このメカニズムを保証しようとした。

 冷戦時代の米ソの抑止戦略も同じであり、戦争になれば共に滅びる「相互確証破壊」戦略であった。この恐怖の構造が冷戦時代の「長い平和」を支えたのである。




≪現代科学が新たな抑止を可能に≫


 核兵器保有国が核兵器を放棄することを期待するのは非現実的である。核兵器による攻撃を抑止するためには、核兵器を放棄するようにお願いするよりも、歴史的に証明された「相互確証破壊」による抑止システムが効果的である。


 ただし、日本が核武装を拒否する道を選ぶのならば、核兵器以外の手段による「相互確証破壊」を追求すべきである。現代科学は核兵器によらない「相互確証破壊」を可能にしつつある。高精度長射程ミサイルや人工知能を搭載した無人兵器などが開発されている。米国も原子力潜水艦に搭載したミサイルの弾頭の一部を核兵器から通常兵器に変えた。

 また、核兵器は道徳的に悪であると考える国は、核兵器による報復を躊躇(ちゅうちょ)するかもしれない。報復がないと攻撃側が考えれば先制攻撃を抑止できない。他方、通常兵器による報復は罪悪感がなく確実に実行されるだろう。

 抑止のポイントは二つある。一つは人間を動かす最大の動機は恐怖であること、二つ目はコストをかけるほど抑止の信頼性が高くなることである。(東京国際大学教授・村井友秀 むらいともひで)







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北への軍事的措置は非核化を強要し、「核の傘」の信頼性を保つためしかるべき措置だ

2017-04-24 17:17:59 | 正論より
4月24日付    産経新聞【正論】より


北への軍事的措置は非核化を強要し、「核の傘」の信頼性を保つためしかるべき措置だ 

防衛大学校教授・倉田秀也氏


http://www.sankei.com/column/news/170424/clm1704240007-n1.html


 クリントン政権下、後に「第1次核危機」と呼ばれる1993年から94年、北朝鮮は既に韓国を「人質」にとっていたが、日本はまだそうはなっていなかった。当時の北朝鮮は日本を攻撃できる弾道ミサイル能力を持とうとしたばかりだった。従って「第1次核危機」の前線は軍事境界線に引かれていた。だからこそ、板門店での南北協議で北朝鮮代表は「ソウルを火の海」にすると述べた。


 四半世紀後、北朝鮮は日本も「人質」にとる核ミサイル能力を蓄積し、米本土を射程に収める大陸間弾道ミサイル(ICBM)の実戦配備に及ぼうとしている。


 今日の米朝関係はもはや、ブッシュ政権期の「第2次核危機」に続く「第3次核危機」と呼ばれてよい。半世紀以上前、ソ連がカリブ海で展開した「キューバ危機」に相当する危機をいま、北朝鮮が挑んでいる。ただし、北朝鮮が日本への弾道ミサイル能力をもった以上、「第3次核危機」の前線は、軍事境界線だけでなく同時に日本海にも引かれている。過日、宋日昊・日朝国交正常化交渉大使も、今回の危機で「一番の被害は日本が受ける」と述べた。




≪終止符が打たれた「戦略的忍耐」≫


 過去の「核危機」を振り返ってみると、第2期ブッシュ政権以降、軍事的措置の比重は低下の一途を辿(たど)っていた。オバマ政権の「戦略的忍耐」はそれを端的に示していた。「戦略的忍耐」は事実上、軍事的措置をとる可能性を予(あらかじ)め排していた。トランプ政権が「戦略的忍耐」に終止符を打ったと断言している以上、北朝鮮が警告を無視して、核ミサイル開発に邁進(まいしん)すれば、米国が軍事的措置をとる可能性は排除できない。

 それは確実に北朝鮮による「人質」への武力行使を招くであろう。ソウルへの攻撃で朝鮮半島は「戦時」に陥る。その際、さらに在日米軍基地が使用されれば、北朝鮮の反撃は日本にも及ぶ。それは「核先制打撃」とのレトリックその儘(まま)に、核攻撃を含むかもしれない。北朝鮮がこの戦争で生き残るとは考えにくい。しかし、そのとき国際社会は、北東アジアに破滅的結果がもたらされるリスクを負わなければならない。





≪北朝鮮の非合理性による抑止≫


 北朝鮮が自ら強調するように、その核開発が米国の対北「敵視政策」からの自衛的措置なら、それに固執して自らの体制を終焉(しゅうえん)させる戦争を引き起こすのは非合理この上ない。


 だが、「核先制打撃」を含む非合理な選択を誇示することこそ、北朝鮮の抑止戦略の中核をなす。それは、過去の「核危機」で、北朝鮮が自滅に韓国を巻き込む非合理な選択をとる覚悟を示したことが、米国に同盟国の保全という選択を取らせたという「成功体験」に裏づけられている。

 もとより、米国がこの破滅的結果を回避するのは困難ではない。「戦略的忍耐」宜(よろ)しく、北朝鮮の核ミサイル開発に行動を起こさなければよい。しかし、それは米国にとって北朝鮮の核ミサイルの増殖という代価を強いる。韓国と日本もまたその間、その「人質」であり続けなければならない。

 北朝鮮がICBMを実戦配備すれば、米国は朝鮮半島での軍事行動の際、愈々(いよいよ)ワシントンを犠牲にしなければならないかもしれない。それは米国が韓国と日本に差し出す「核の傘」の信頼性を低下させ、北朝鮮に行動の自由を与える。米国の北朝鮮への軍事的措置に伴うリスクは、時間の経過に伴って高まり、それゆえ、軍事的措置の可能性を示すことによる抑止力は低下する。時間はトランプ政権には味方していない。





≪同盟ゆえのリスクを共有せよ≫


 北朝鮮を終焉に導くためには破滅的な結果を甘受すべきだというのではない。外交的解決の余地は残されなければならない。


 だが、「第1次核危機」を振り返ってみても、当時の北朝鮮は初の核実験を遡(さかのぼ)ること十年余前、日本海を越える弾道ミサイル能力も欠いていた。その北朝鮮を米朝「枠組み合意」で核活動の凍結に導くまで、国際社会は極度の緊張の下に置かれた。既に核ミサイル能力を蓄積させた北朝鮮に非核化を強要するのに、国際社会はそれ以上の緊張を覚悟しなければならない。


 北朝鮮に対する軍事的措置は一見、同盟国を危殆(きたい)に晒(さら)す非合理なオプションだが、北朝鮮に非核化を強要し、「核の傘」の信頼性を保つためには示されてしかるべき措置とはいえないか。日本がその措置に伴う破滅的な結果を恐れるあまり、その措置の効力を減殺する言動をとれば、外交的解決はむしろ遠ざかることになる。

 同盟とは脅威を共有する国家間の自己保全の取り決めである。同盟国同士は脅威の高まりに懸念を共有したとき、それを低減させるべく共通の行動をとる。その限りで、同盟とは安心供与の取り決めであると同時に、脅威低減のためのリスク共有の取り決めでもある。日米同盟もまた、日本がコストさえ支払っていれば、リスクを負うことなく、米国から信頼できる「核の傘」が差し出され続けるほど、所与の取り決めではない。(防衛大学校教授・倉田秀也 くらたひでや)









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我が国に迫る存立の危機は深刻だ 国家主権の尊厳に新たな認識持て 

2017-04-24 16:25:32 | 正論より
4月21日付     産経新聞【正論】より  


我が国に迫る存立の危機は深刻だ 国家主権の尊厳に新たな認識持て 

東京大学名誉教授・小堀桂一郎氏


http://www.sankei.com/column/news/170424/clm1704240006-n1.html



≪条約発効65年の記念日≫


 本年も亦(また)4月28日には、対連合国平和条約発効の意味を想起すべき国家主権回復記念日を迎へる。昭和27年のこの日から数へて65年を経過した事になる。平成9年に一部民間有志が発起人となり、この日を国民の記憶に確乎と刻むために公式の祝日とせよと要望する「主権回復記念日国民集会」を開催した時からも満20年が過ぎた。初回と変らぬ主張を掲げ続けてゐるこの集会も第21回である。


 此の間、平成25年のこの日は前年政権の座に再起した安倍晋三内閣により「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」が政府主催の形で挙行され天皇・皇后両陛下の臨御を仰ぐといふ慶事もあつた。

 政府主催の記念式典はその年限りの盛儀として終つたが、元来の発起人一同はその翌年以降も引続き最終目標の達成に向けて、連年記念集会の開催と終始変らぬ国民への訴へかけを絶やしてゐない。

 最終目標とは、もちろん祝日の一日追加などといふ事ではなく、国家の政治・法制・経済・文化等諸般の面での「自立」を達成すべき国民の気概の育成である。

 ところで昨年の秋以来、国際社会には、独立国家主権の不可侵性に向けて新たなる認識を促す底の国家的規模の精神現象が期せずして次々と生じてゐる。


 その第一は、英国のEU離脱決議を断行させた彼国の国民投票である。元来EUとは欧洲大陸に於ける各国家の個別的歴史的性格を減削し、相互の同質化を進める事で経済生活の合理化を図らうとする、平和志向ではあるが、至極功利的な構想である。それに対し、経済的不利の代償に甘んじてでも英国独自の国政伝統を保守する事の誇りを忘れてゐない、健全な中間層が意地を見せた形だつた。


 第二が、年明けて間もなく発足したアメリカ合衆国の新大統領が標榜(ひょうぼう)する自国第一主義の政策である。それは日本のメディアがとかく歪(ゆが)めて伝へてゐる様な排他的国家エゴイズムの露骨な誇示と見るべきものではなく、自国民の安寧と繁栄とに責任を有する国政の担当者としての全うな自覚を語つてゐる迄(まで)である。それは国家主権の至高を国是とする、との一種の主権宣言なのだと見てもよい。





≪中国の侵略的野心を抑止≫


 さうとすれば、我が国の首相も合衆国大統領と相対する時は昂然と同じ自覚を表明されても、却つて相互の国政責任感を理解し合へる関係に立てるはずであり、現に安倍氏はその関係の樹立に成功してをられるのではないか。


 第三は、中華人民共和国の共産党独裁政府の覇権主義的膨張的野心に対し、その圧力の脅威を実感してゐる周辺の東アジア自由主義諸国の防衛的な主権意識である。それら諸国は弱小国と呼ぶほどの微々たる存在ではないが、いづれも各自一箇の国力のみを以てしては、中国の強悍な覇権意志との対決には堪へきれないであらう。その国々にとつて、ここで我が日本国が国家主権の不可侵性について毅然たる姿勢を示すならば、それにより我が国こそ中国の侵略的野心を抑止し得る、信頼すべき盟邦であると映るであらう。そこに我が国としても、東アジア安全保障体制構築のための幾つかの布石を、求めずして確保できるといふ結果が期待できる。





≪危機克服への最強の原理≫


 終りに、主権回復記念日は又、言ふ迄もなく講和条約発効記念日でもある。第二次世界大戦に於ける我が国と交戦国及び敵対した連合諸国の一員との戦争状態はサンフランシスコ平和条約とそれに続く二国間の平和条約によつて完全に解決済である。平和条約が締結されて65年を過ぎた現在、条約成立以前に生じた各種紛争にまつはる相互間の利害得失についての補償義務は一切解消してゐる。この事は所謂歴史戦の攻防が依然として尾を曳き、その跡始末に苦しむ事の多い我が国として、一の大原則として官民共に見解を固めておく必要のある大事である。


 世間には頭記の国民集会を目して、その様な内輪の同志達だけの会合で如何(いか)なる聲明(せいめい)を発しようと広く江湖への影響などは考へられず、意味の薄い努力であると見下す人の方が多いであらう。たしかにその様な弱味はある。マスメディアが集会の決議となつた意見を報道してくれないとすれば、その集会は世論の一端として認められる事もなく、存在もしなかつたと同じ事になるからである。

 国家主権の尊厳を再認識せよとの国民の要望が一の事件となるためには、やはり多くの政治家諸氏が集会に参加し、国民の聲(こえ)を直接耳で聞き、それを諸氏の政見に反映してくれるのでなくてはならない。即ちこの集会が一の政治的事件となるのでなくてはならない。

 現在我が国に迫つてゐる国家存立の危機の様相は、実は大衆社会の泰平の眠りとは霄壌(しょうじょう)の差を有する深刻なものである。政治家達はその危険性を確と認識し、斉しく警世の聲を挙げるべきだ。そして危機克服のための最強の原理としての国家主権の尊厳、自力による自存自衛の完遂といふ国民集会の連年の要請に唱和して頂(いただ)きたい。(東京大学名誉教授・小堀桂一郎 こぼりけいいちろう)







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国を便宜の一つとしてしか考えない勢力が増えている 日本は自前で国の「設計図」を描け

2017-04-14 13:13:35 | 正論より
4月14日付     産経新聞【正論】より


国を便宜の一つとしてしか考えない勢力が増えている 日本は自前で国の「設計図」を描け 


元駐米大使・加藤良三氏


http://www.sankei.com/column/news/170414/clm1704140005-n1.html




 ≪耳に残った椎名氏の言葉≫


 10年前に亡くなった政治家の椎名素夫氏はほとんど表に出なかったが、日米同盟の強化に多大な貢献をした人で、本物の知識人であった。


 2005年の「郵政選挙」のあと、一時帰国していた私にポツリ、ポツリ語ってくれた氏の言葉は今も耳に残っている。

 「戦後60年を経た今、日本の社会では『国民』と呼ばれることを拒否する、正体不明の『市民』の人口は確実に増加している。これに国を便宜の一つとしてしか考えていない人間や組織の存在を合わせると、こういう要素でできている集合体は果たして国といえるのか」と述べ、こう続けた。


 「今回の選挙で形だけの勝敗ははっきりしたが、『勝った』と思う人たちはその成功の上に何を築こうとしているのか」「また『負けた』陣営は何をどういう手段で取り返せばいいと考えているのか。その結果、日本はどういう国になると考えているのか」「選挙ではにぎやかな『政策論争』が喧伝(けんでん)されたが、中身はといえば『郵政民営化』にしても『年金問題』にしてもゼニ勘定に関わるものばかりだった」-。


 そして氏は、「戦後60年にわたって日本が経験した、朝鮮特需に始まる一連の幸運を追い風として勝ち得た成功のコストは大きなものについた。他人(アメリカ)が書いた設計図にただ乗りした成功に安住しているうちに、国の基本を苦心して自分で考え抜く知的エネルギーまで喪失したのではないか」と懸念を表明した。





 ≪戦後の成功は「錬金術」の所産≫


 「他人の書いた設計図」に何かそこかしこ、いかがわしいにおいがあっても、それをさも「自分のもの」であるかのように使い続け、使いこなして、いつしか実質的に主体的なものにしてきたのが、戦後日本の「成功物語」であったと思う。

 私自身も一所懸命、そういう仕事をしてきた。

 しかし今、私はこの成功は高度の「錬金術」(hermetic)の所産だったのではないかと思うときがある。


 14年10月、文部科学省の研究所が発表した世論調査で83%の日本人が来世も日本人に生まれたいと回答している。16年に韓国のマクロミルエムブレイン社が行った世論調査では61・1%の韓国人が来世は韓国に生まれたくないと答え、76・9%が移住を真剣に考えたことがあると回答している。


 他方、15年春にウイン・ギャラップ・インターナショナルが64カ国・地域を対象に行った世論調査で「あなたは自分の国が侵略を受けたとき、身をもって戦いますか」と問うたのに対し、韓国は42%が「イエス」と答え、日本は最も低い11%のみが「イエス」と答えたとある。


 一片の世論調査で全てを推し量ることは無理があるが、この83%と11%の対比は椎名氏の懸念に符合するものだ。

 それは、日本国民の「自然災害」に対する結束度と、「他国からの侵略」に対する結束度の間に顕著なギャップがあることを示すものである。


 もし日本が某国に領土を取られたら、日本は何をしたいと考えるのか、何ができるのか、アメリカはどうすると思っているのかよく分からない。アメリカの日本重視の本格派が、内々に漏らすことがある。彼らにとってこれは改憲うんぬん以前の緊迫感を伴った問題意識である。

 一方、依然、日本は「言霊」の国であり、「他国からの侵略」に言及した途端に「予言には自己充足効果がある。そういうことを言うとそれが現実になってしまうのだ」として批判の対象にされる可能性が大である。





 ≪国際的な評価は得られるのか≫


 しかし、他人が書いた設計図を自由闊達(かったつ)に使いこなし、自分のものにしてここまで来た日本は、趨勢(すうせい)の問題として、今その代償が何であったかを考えるべき状況に向き合っている。


 そこで重要なのは、日本が自前の設計図を書くことを阻んでいるのは、決してアメリカではないという点である。直視すべきは、日本自身が自前の設計図を製造する能力を自ら封印してきたことであり、それは日本の責任であって他者に転嫁できる話ではない。

 日本が「成功物語」の結果、国際社会で最高の好感度を長く維持しているのは心地よいことである。しかし、日本国内に国を便宜の一つとしてしか考えない勢力が増えていることを考えれば、日本を外から見る諸外国の中に、日本を「便宜上、ユーティリティー(有用性)の高い国」としてしか見ない国が多くても、驚くにあたるまい。


 これは「ソフト」な支持であって、「ハード」な支持ととらえるのは早計である。

 他人から与えられた設計図をなぞった「成功物語」にも多分、限界がある。自前の設計図を書く覚悟がない場合、結局、損をするのは日本であり、まっとうな日本国民である。(元駐米大使・加藤良三 かとうりょうぞう)














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