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北の核ミサイルが使われるとき 核抑止態勢はもはや「最小限抑止」ではない

2017-03-17 12:16:35 | 正論より
3月17日付     産経新聞【正論】より



北の核ミサイルが使われるとき 核抑止態勢はもはや「最小限抑止」ではない 

防衛大学校教授・倉田秀也氏


http://www.sankei.com/column/news/170317/clm1703170005-n1.html



 本来、北朝鮮はその核戦力が米国には遥かに及ばず、通常兵力でも米韓連合軍に対して劣位に立つ条件のもとで、とるべき核態勢の選択肢は限られていた。それは「核先制不使用」を宣言して、核戦争を挑む意思がないことを明らかにしつつ、その核戦力を専ら米国の核による第1撃を抑止する第2撃として使用する核態勢であった。

 従ってその核戦力は、核戦争を戦い抜く能力ではなく、人口稠密(ちゅうみつ)な大都市に着弾できるなど、米国に第1撃を躊躇(ためら)わせる最小限でよかった。かかる核抑止態勢が一般に、「最小限抑止」と呼ばれる所以(ゆえん)である。

 だが近年-過去本欄でも幾度か指摘した通り-北朝鮮は「最小限抑止」の構築を目指す一方で、それとは相いれないレトリックが目に余る。「核先制不使用」とは逆行する「核先制打撃」はその最たる例だが、それは単なるレトリックだけではない。





≪「スカッドER」連射の意味≫


 3月6日、弾道ミサイルの連射は、北朝鮮が目指す抑止態勢がもはや「最小限抑止」だけでは説明できないことを装備の面から改めて示した。今回連射されたのは、既存の中距離弾道ミサイル「スカッドER」とされ、その射程は約1300キロ以上といわれる「ノドン」より短い約1000キロと推測される。


 今回「スカッドER」は、北朝鮮北西部の東倉里から発射されたが、東海岸を起点としても「ノドン」が射程内に収める東京には及ばない。だが、その短い射程にこそ、今回の連射の最大の意味があった。

 朝鮮中央通信は、今回の「スカッドER」連射が、朝鮮人民軍戦略軍火星砲兵部隊による「日本駐屯米帝侵略軍基地(複数)」への攻撃を念頭に置いたことを明らかにした。「スカッドER」が東海岸から発射された場合、佐世保、岩国など、朝鮮戦争で国連軍派兵の拠点となった基地を収める。

 人口稠密な都市よりも、あえて米軍基地を攻撃目標にする弾道ミサイルは「スカッドER」に限らない。昨年春から失敗を重ねた末に6月に成功させた「ムスダン」も同様と考えてよい。「ムスダン」の最大射程は約4000キロと推定され、その攻撃対象がアンダーセン米空軍基地を擁するグアム島であることは明らかであった。





≪「超精密化・知能化」が進展≫


 「スカッドER」「ムスダン」は、もはや米国に第1撃を躊躇わせる第2撃のための弾道ミサイルではない。朝鮮半島で戦端が開かれたとき、米軍による来援や、空爆のため在日米軍、アンダーセン米空軍基地の使用を阻止するための装備と考えなければならない。


 それにもかかわらず、米国がこれらの基地を使用し、北朝鮮に-非核手段であっても-空爆などの武力を行使した場合、危殆(きたい)に瀕(ひん)した北朝鮮が、これらの弾道ミサイルの使用を最後まで自制するか。第2撃の核戦力が核による第1撃を受けない限り使用されないのに対して、軍事作戦に組み込まれた核ミサイルは、第1撃を受ける以前に使用される可能性を孕(はら)む。


 しかも、第2撃能力の核戦力に求められるのは破壊力であって、高い命中精度は必ずしも必要ないのに対し、軍事作戦に組み込まれた装備には、破壊力もさることながら、何よりも命中精度が求められる。この文脈から、金正恩朝鮮労働党委員長が、同行した核兵器、ロケット研究部門科学者らに向けて行った発言-「超精密化・知能化されたロケットを絶えず開発し、質量的に強化する」-には応分の注意が払われてよい。

 これに似た文言は、2015年2月の朝鮮労働党政治局会議の決定書の「現代戦の要求に即した精密化、軽量化、無人化、知能化されたわれわれ式の威力ある先端武力装備をより多く開発する」との一文にある。そのときすでに北朝鮮は、核戦力を軍事作戦に組み込むことを想定していた。今回の「スカッドER」連射は、それがわずか2年の期間に一定の成果を収めたことになる。





≪「最小限抑止」では説明つかぬ≫


 今回の「スカッドER」連射を報じた朝鮮中央通信が、これを「実験」ではなく一貫して「訓練」と呼び、「核戦弾頭取扱い順序と迅速な作戦遂行能力を判定・検閲するために進行した」と報じたことも、この文脈から理解されるべきだろう。昨年9月の第5回核実験の際に「核兵器研究所」は核弾頭の「標準化・規格化」に触れ、核弾頭の量産化を示唆していた。今回の「訓練」は核弾頭が一定数に達するという前提で、それを既存の弾道ミサイルに装填(そうてん)することを目的としたということか。

 今日の北朝鮮は、無条件の「核先制不使用」を宣言したかつての北朝鮮ではなく、それが目指す核抑止態勢ももはや「最小限抑止」だけでは説明がつかない。しかし、それは単なるレトリックではなく、軍事技術の進展に裏づけられている。日本に配備されるミサイル防衛が、北朝鮮の核態勢の「進化」に後れをとるなどということはあってはならない。(防衛大学校教授・倉田秀也 くらたひでや)










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聖徳太子を「厩戸王」とし、「脱亜入欧」を貶める 「不都合」な史実の抹消狙う左翼に警戒を

2017-03-15 09:11:37 | 正論より
3月15日付    産経新聞【正論】より


聖徳太子を「厩戸王」とし、「脱亜入欧」を貶める 「不都合」な史実の抹消狙う左翼に警戒を 

東京大学名誉教授・平川祐弘氏



http://www.sankei.com/column/news/170315/clm1703150005-n1.html



 昭和の日本で最高額紙幣に選ばれた人は聖徳太子で、百円、千円、五千円、一万円札に登場した。品位ある太子の像と法隆寺の夢殿である。年配の日本人で知らぬ人はいない。それに代わり福沢諭吉が一万円札に登場したのは1984年だが、この二人に対する内外評価の推移の意味を考えてみたい。



 ≪平和共存を優先した聖徳太子≫


 聖徳太子は西暦の574年に「仏法を信じ神道を尊んだ」用明天皇の子として生まれ、622年に亡くなった。厩(うまや)生まれの伝説があり、厩戸皇子(うまやどのみこ)ともいう。推古天皇の摂政として憲法十七条を制定した。漢訳仏典を学び多くの寺院を建てた。今でいえば学校開設だろう。

 仏教を奨励したが、党派的抗争を戒め、憲法第一条に「和ヲ以テ貴シトナス」と諭した。太子は信仰や政治の原理を説くよりも、複数価値の容認と平和共存を優先した。大陸文化導入を機に力を伸ばそうとした蘇我氏と、それに敵対した物部氏の抗争を目撃したから、仏教を尊びつつも一党の専制支配の危険を懸念したのだろう。


 支配原理でなく「寛容」をまず説く、このような国家基本法の第一条は珍しい。今度、日本が自前の憲法を制定する際は、前文に「和ヲ以テ貴シトナス」と宣(の)べるが良くはないか。わが国最初の成文法の最初の言葉が「以和為貴」だが、和とは平和の和、格差の少ない和諧社会の和、諸国民の和合の和、英語のharmonyとも解釈し得る。日本発の世界に誇り得る憲法理念ではあるまいか。





 ≪独立自尊を主張した福沢諭吉≫


 ところで聖徳太子と福沢諭吉は、日本史上二つの大きなターニング・ポイントに関係する。第一回は日本が目を中国に向けたとき、聖徳太子がその主導者として朝鮮半島から大陸文化をとりいれ、古代日本の文化政策を推進した。第二回は Japan’s turn to the West 、日本が目を西洋に転じたときで、福沢はその主導者として西洋化路線を推進した。

 明治維新を境に日本は第一外国語を漢文から英語に切り替えた。19世紀の世界で影響力のある大国は英国で、文明社会に通用する言葉は英語と認識したからだが、日本の英学の父・福沢は漢籍に通じていたくせに、漢学者を「其功能は飯を喰ふ字引に異ならず。国のためには無用の長物、経済を妨る食客と云ふて可なり」(学問のすゝめ)と笑い物にした。


 このように大切な紙幣に日本文化史の二つの転換点を象徴する人物が選ばれた。二人は外国文化を学ぶ重要性を説きつつも日本人として自己本位の立場を貫いた。聖徳太子はチャイナ・スクールとはならず、福沢も独立自尊を主張した。太子の自主独立は大和朝廷が派遣した遣隋使が「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙(つつが)なきや」と述べたことからもわかる。日本人はこれを当然の主張と思うが、隋の煬帝(ようだい)は「之(これ)を覧(み)て悦(よろこ)ばず、〈蛮夷の書、無礼なるもの有り、復(ま)た以(もっ)て聞(ぶん)する勿(なか)れ〉と」いった(隋書倭国伝)。



 中華の人は華夷秩序(かいちつじょ)の上位に自分たちがおり、日本は下だと昔も今も思いたがる。だから対等な国際関係を結ぼうとする倭人(わじん)は無礼なのである。新井白石はそんな隣国の自己中心主義を退けようと、イタリア語のCina(チイナ)の使用を考えた。支那Zh●n★は侮蔑語でなくチイナの音訳だが中国人には気に食わない。

 東夷の日本が、かつては聖人の国として中国をあがめたくせに、脱亜入欧し、逆に強国となり侵略した。許せない。それだから戦後は日本人に支那とは呼ばせず中国と呼ばせた。




 ≪学習指導要領改訂案に潜む意図≫


 アヘン戦争以来、帝国主義列強によって半植民地化されたことが中華の人にとり国恥(こくち)なのはわかるが、華夷秩序の消滅をも屈辱と感じるのは問題だ。


 その中国はいまや経済的・軍事的に日本を抜き、米国に次ぐ覇権国家である。中華ナショナリズムは高揚し、得意げな華人も見かけるが、習近平氏の「中国の夢」とは何か。華夷秩序復興か。だが中国が超大国になろうと、日本の中国への回帰 Japan’s return to China はあり得ない。法治なき政治や貧富の格差、汚染した生活や道徳に魅力はない。そんな一党独裁の大国が日本の若者の尊敬や憧憬(しょうけい)の対象となるはずはないからだ。



 しかし相手は巧妙である。日本のプロ・チャイナの学者と手をつなぎ「脱亜」を唱えた福沢を貶(おとし)めようとした。だがいかに福沢を難じても、日本人が言語的に脱漢入英した現実を覆すことはできない。福沢は慶応義塾を開設し、英書を学ばせアジア的停滞から日本を抜け出させることに成功した。だがそんな福沢を悪者に仕立てるのが戦後日本左翼の流行だった。

 これから先、文科省に入りこんだその種の人たちは不都合な史実の何を消すつもりか。歴史は伝承の中に存するが、2月の学習指導要領改訂案では歴史教科書から聖徳太子の名前をやめ「厩戸王」とする方針を示した由である。(東京大学名誉教授・平川祐弘 ひらかわ・すけひろ)



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日本国憲法は安保の適切な条文を欠いている 「放置」は国の安全揺るがす

2017-03-03 10:41:16 | 正論より
3月3日付    産経新聞【正論】より



日本国憲法は安保の適切な条文を欠いている 「放置」は国の安全揺るがす


駒沢大学名誉教授・西修氏


http://www.sankei.com/column/news/170303/clm1703030004-n1.html



 南スーダンの国連平和維持活動(PKO)へ派遣された陸上自衛隊が、昨年7月に作成した『日々報告』(日報)に、「戦闘」という文言が記載されていたことをめぐり、民進党など野党が政府を追及した。

 「戦闘」が行われているのであれば、PKO派遣の前提となる「紛争当事者間の停戦合意」が崩れているのではないかというのが、その言い分である。

 稲田朋美防衛相は、「一般的な用語では戦闘であるが、法的な意味では戦闘ではなく、武力衝突である」と説明した。




≪民進党のブーメラン現象が再現≫


 政府は従来、「戦闘行為とは、国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し、又は物を破壊する行為をいい、国際的な武力紛争とは、国家又は国家に準ずる組織との間において生ずる武力を用いた争いをいう」と定義づけ、それ以外を「武力衝突」であるとの答弁を繰り返してきた。いったい「国家に準ずる組織」とは具体的にどのような組織をいうのかなど、分かりにくさは否めない。

 昨年7月には、南スーダンの首都ジュバで、政府派と反政府派との間で戦車も出動する大規模な武力衝突が起こり、数百人の死傷者が出るという事態にまで発展した。その様子を見た自衛隊員が、素直に「戦闘」と記述したのだろう。


 実は、民主党内閣時代の平成24年春、隣国のスーダン軍が南スーダンを空爆し、また一部地域で地上戦が起き、市民や他国の国連PKOにも被害が発生した。

 このときの『報告』にも、「戦闘」と記されていたという(平成29年2月20日付産経新聞)。


 これに関して、自民党の佐藤正久参議院議員が2度にわたり、質問主意書を提出。民主党政府は、野田佳彦内閣総理大臣名で「事案が国連南スーダン共和国ミッションの活動地域以外で発生しており、規模も限定されていること」などをあげ、「総合的に勘案すると、国連ミッションの活動地域において武力紛争が発生しているとは考えない」との答弁書を示した(平成24年5月29日)。『報告』とは逆の結論を下したのである。何のことはない。いまや国会名物となった民進党のブーメラン現象が再現したということだ。




≪繰り返される「言い換え」の歴史≫


 私がここでこの案件を取り上げたのは、民進党を揶揄(やゆ)するためだけではない。一般的には「戦闘」と映る現象を、「戦闘」と書けない不思議さを指摘したいのである。

 稲田防衛相は述べている。「戦闘行為と書けば、憲法第9条に抵触しかねないので、武力衝突と言い換えるのだ」と。まさしく、このような「言い換え」「読み替え」の繰り返しが、憲法第9条関連解釈の歴史だったといえる。


 その典型が「戦力」に関する政府解釈である。政府は、自衛隊の前身たる警察予備隊や保安隊時代、「戦力とは、有効適切に近代戦争を遂行し得る程度の装備編成を備えるもの」と読み、また自衛隊が発足すると、「自衛のため必要最小限度を超える実力」と読み替え、いずれも「憲法の禁止する戦力には当たらない」との解釈を示してきた。


 私自身は、自衛のためであれば「戦力」の保持は禁じられていないという立場をとるが、ここでは立ち入らない。けれども、いまや最新兵器を具備し、世界的にも有数な実力集団である自衛隊は、一般的に「戦力」に該当すると見るのが常識というものであろう。

 先日、米国の新聞記者から、「どうして自衛隊が戦力でないのか」と問われ、説明するのにたいそう時間を費やさなければならなかった。




≪9条政府解釈の点検が必要だ≫


 政府がなぜ、第9条関連で「言い換え」「読み替え」を続けてこなければならなかったのか。それは、畢竟(ひっきょう)するに、日本国憲法が安全保障に関する適切な条文を欠いているからにほかならない。そして、このような憲法体制を放置してきたことに本源的な問題がある。


 政府の最大の責務は、国の平和と国民の安全を確保することにある。憲法に明確な規定がなければ、たとえ「言い換え」にせよ、その責務に応えなければならない。そのためには一般用語と多少異なっても、意味を整えなければならない。

 政府解釈の問題点を指摘することは大切だが、そのような解釈を余儀なくさせてきたのは国民自身であることも、自覚しなければならないのではなかろうか。


 間もなく日本国憲法が施行されて70周年を迎える。昨年9月には内閣法制局からA4判549ページに及ぶ過去から先ごろの集団的自衛権の解釈変更にいたるまでの膨大な答弁例集が公開された。このたび情報公開請求により、そのすべてが刊行(『内閣法制局「憲法関係答弁例集」(第9条・憲法解釈関係)』内外出版)されたが、第9条に関連する政府解釈を広く検証し、その整合性を点検する必要があるのではないだろうか。(駒沢大学名誉教授・西修 にしおさむ)










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日本のEEZ内に数百隻の大船団…中国漁船の進出防ぐ海上警備の改革急務だ

2017-03-02 17:50:12 | 正論より
3月2日付    産経新聞【正論】より



日本のEEZ内に数百隻の大船団…中国漁船の進出防ぐ海上警備の改革急務だ

東海大学教授・山田吉彦氏


http://www.sankei.com/column/news/170302/clm1703020005-n1.html



≪北朝鮮が操業許可を付与か≫


 長崎県壱岐市の漁師から先頃、「日本海中央部の大和堆付近で中国らしい漁船が漁をしているのを目撃した」との情報を入手した。その海域は、日本の排他的経済水域(EEZ)内であり、外国漁船の操業は禁じられている。


 また2月18日にはNHKが石川県の漁民が撮影した大和堆付近で操業する中国の大型漁船と北朝鮮のイカ釣り漁船の映像を報道した。中国漁船には中国南部の海南島に拠点を置く船であることを示す船名が書かれ、北朝鮮漁船には「清津」と母港名が書かれていた。さらに、映像ではレーダーの画像の中に、日本のEEZ内に進入している数百隻に上る大船団が映っていた。


 韓国からの報道によると北朝鮮は、同国沖海域の漁業権を中国企業に売却しているという。1隻あたり、期間3カ月で200万円相当。既に300隻に操業許可を与えたとされる。

 これとは別に700隻ほどの中国漁船団の存在が報告され、北朝鮮沖から日本の海域に進出しているもようだ。

 北朝鮮は日本海に対する影響力の拡大をもくろみ、昨年9月には、わが国のEEZ内にミサイルを落下させるなど、日本海を狙った活動を活発化させている。同国にとって日本海は、経済的に結び付きが強いロシア極東地域や中国をつなぐ重要なシーレーンだ。


 また、中国にとっても北太平洋への最短航路であるほか、ロシアにとっては極東開発や、2018年に商業実用化が始まる北極海航路につながる重要な海域であり、戦略的価値が大きい。






≪漁場からの日本船締め出しを狙う≫


 北朝鮮の相次ぐ日本海へのミサイルの発射には、単に実験だけにとどまらず、日本海への影響力を誇示する狙いが込められているとみられる。そしてその後ろには、日本海にも触手を伸ばす中国の影が見え隠れする。

 北朝鮮では金正恩体制の下で強引な漁業振興を進めているが、漁船が貧弱で順調にいっているとは言い難い。

 昨年11月に、京都府舞鶴市の海岸に漂着した北朝鮮の木造漁船から9人の男性の遺体が発見されたが、昨年だけで日本の沿岸に漂着した北朝鮮船は66隻に上っており、航行能力の低さを物語っている。

 そこで、大規模な中国船団を引き入れ、入漁料として現金を得る一方、水揚げの一部を取得しているとされる。水産資源が欲しい北朝鮮と海洋進出を進めたい中国との利害が一致したといえる。

 中国漁船は、北朝鮮の清津港付近に拠点を置いて、期間内に可能な限り魚を取り続け、冷凍して運搬船や陸路で本国へと輸送している。遠く中国本土や海南島から漁船団を送った場合、燃料代がかかり、採算がとれないためだ。


 また、海南省の漁民の多くは軍事訓練を受けており、乗船しているのは海上民兵と呼ばれる漁民の可能性が高い。やがて「中国漁船の保護」を名目に、日本海にも中国海警局の船が姿を現すのは間違いないだろう。

 中国の大船団が姿を現すと、水産資源が一気に枯渇する一方、日本漁船が中国漁船団に囲まれて威嚇行為を受けるおそれが高い。五島沖や小笠原海域では、大量の中国漁船が入り込み、漁場から日本漁船が締め出されている。


 自らの影響下に置きたい海域に大規模な漁船団を送り込んで「支配」をもくろむのは、中国の常套(じょうとう)手段だといえる。今回も北朝鮮沖を足掛かりとして、日本海進出に布石を打ったのではないか。南シナ海や尖閣諸島のケースと同様に、いずれ「日本海は、歴史的に中国民族が漁業や交易の拠点としてきた中国の海である」と主張してくることも考えられる。





≪海上保安庁だけでカバー困難≫


 石川県の漁業団体から中国船、北朝鮮船による密漁の取り締まりを要請されている水産庁も、いまのところ実効性のある施策が打てていない。また海上保安庁の警備は、東シナ海に重点が置かれ、日本海警備に割く割合は限られる。

 現状では広大な日本海の警備を海上保安庁だけでカバーすることは困難である。まずは中国漁船の動向をいち早く把握するために、防衛省などと情報連携を強化する一方、ヘリコプターも含めた航空機を増やし、大型巡視船や高速巡視船との統合運用を進めるなど抑止力を高める必要がある。日本海の出入り口となる対馬、津軽、宗谷の各海峡の警戒も怠れない。

 日本は海洋立国であり、海運が経済を支えている。さらに、EEZ内の水産資源が人々の食生活に貢献し、メタンハイドレートや海底熱水鉱床などの海底資源は未来の日本を築く。


 海上保安庁の業務を警察の業務と整理統合し、機動力を持った本格的なコーストガード体制に移行するなど、広大な日本の海を守るための海上警備態勢の大規模な改革が急がれる。海を守ることは日本と国民生活を守ることである。強い危機意識をもって対処することが必要だ。(東海大学教授・山田吉彦 やまだよしひこ)







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周到な「聖徳太子抹殺計画」 次期指導要領案は看過できない

2017-02-23 16:55:24 | 正論より
2月23日付      産経新聞【正論】より



周到な「聖徳太子抹殺計画」 次期指導要領案は看過できない 拓殖大学客員教授・藤岡信勝氏


http://www.sankei.com/column/news/170223/clm1702230006-n1.html



≪国民に「厩戸王」の定着を狙う≫


 文部科学省は2月14日、次期学習指導要領の改訂案を公表した。その中に、国民として決して看過できない問題がある。日本史上重要な人物で、日本国家自立の精神的よりどころとなった聖徳太子の名を歴史教育から抹殺し、「厩戸王(うまやどのおう)」という呼称に置き換える案が含まれているのである。


 聖徳太子(574~622)は、冠位十二階と十七条憲法によって国家の仕組みを整備し、天皇を中心とする国づくりへ前進させた指導者だった。中国大陸との外交では、「日出づる処(ところ)の天子、書を日没する処の天子に致す」という文言で知られる自立外交を展開し、日本が支那の皇帝に服属する華夷秩序に組み込まれるのではなく、独立した国家として発展する理念を示した。

 こうして聖徳太子はその後1世紀にわたる日本の古代国家建設の大きな方向付けをした。


 そこで当然のことながら、現行の学習指導要領(平成20年)では「聖徳太子の政治」を学習すべき一項目として設け、日本の古代律令国家確立の出発点に位置づける次のような指示が書かれている。


【「律令国家の確立に至るまでの過程」については、『聖徳太子』の政治、大化の改新から律令国家の確立に至るまでの過程を、小学校での学習内容を活用して大きくとらえさせるようにすること】(中学社会歴史的分野「内容の取扱い」の項。二重カギは引用者)

 この一文は改訂案でもそのまま踏襲されているのだが、ただ1カ所、右の「聖徳太子」が「厩戸王(聖徳太子)」に突如として置き換えられたのである。


 括弧を使ったこの書き方の意味するところは、「厩戸王」が正式な歴史用語であるが、すぐには誰のことかわからない者もいるので、それは一般には聖徳太子と呼ばれてきた人物のことだ、と注記をしたというものである。

 ということは、新学習指導要領とそれに基づく歴史教科書によって「厩戸王」が国民の間に定着すれば、次期改訂ではこの注記は無くしてしまえるということになる。





≪反日左翼に利用される珍説≫


 改訂案は、小学校ではこの表記の前後を入れ替えて「聖徳太子(厩戸王)」と教えることにするという。学校段階に応じて「厩戸王」という呼称に順次慣れさせ、「聖徳太子」の呼称をフェイド・アウトさせる。周到な「聖徳太子抹殺計画」といえるだろう。


 なぜこんなことになったのか。その根拠は、今から20年近く前に、日本史学界の一部で唱えられた「聖徳太子虚構説」と呼ばれる学説だ。その説は「王族の一人として厩戸王という人物が実在したことは確かであるが」「『日本書紀』や法隆寺の史料は、厩戸王(聖徳太子)の死後一世紀ものちの奈良時代に作られたものである。それ故、〈聖徳太子〉は架空の人物である」(大山誠一『〈聖徳太子〉の誕生』平成11年)と主張する。


 しかし、この説には根拠が乏しい。「聖徳太子」は100年以上たってから使われた称号だが、核となる「聖徳」という美称は、『日本書紀』以前に出現しているからだ。この学説が公表されたあとも、「聖徳太子」の名を冠した書物はたくさん出版されている。



 戦後の日本史学界では、さまざまな奇説・珍説が登場した。騎馬民族征服王朝説、大化改新否定論、三王朝交替説などが典型例である。それらはしばらくもてはやされても、やがてうたかたのように消え去った。「聖徳太子虚構説」もそのような一過性の話題として消え去る運命にあった。

 ところが、事情は不明だが文科省は、この珍説が歴史学界の通説であるととらえてしまったようだ。この説は日本国家を否定する反日左翼の運動に利用されているのであり、その触手が中央教育行政にまで及んだ結果である。





≪日本を精神的に解体させるのか≫


 死後付けられたということを理由にその呼称が使えないとすれば、歴代の天皇はすべて諡号(しごう)(没後のおくり名)であるから、いちいち、大和言葉の長い名称を書かなければならず、歴史教育の用語体系は大混乱となる。そもそも歴史教育は歴史学のコピーではない。歴史教育には国民の歴史意識を育てる独自の役目がある。


 聖徳太子抹殺の影響は古代史のみにとどまらない。明治以降発行された紙幣の人物像として最も多く登場したのは聖徳太子である。このことが象徴するように、聖徳太子は日本人の精神の支えとなる人物だったのだ。

 聖徳太子の抹殺は日本国家を精神的に解体させる重大な一歩である。「日本を取り戻す」ことを掲げて誕生した安倍晋三政権のもとで見逃されてよいはずがない。


 だが、まだ間に合う。文科省は学習指導要領の改訂案について、3月15日まで国民の意見をパブリック・コメントとして募集している。「聖徳太子の呼称を厩戸王に変えるな」という明確なメッセージを文科省に届けて、日本の歴史教育を救わねばならない。(拓殖大学客員教授・藤岡信勝 ふじおかのぶかつ)






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プーチン氏は北方領土返還の決意まで熟していない 日本が「木を揺さぶり」続けても徒労に終わる

2017-02-20 17:34:58 | 正論より
2月20日付    産経新聞【正論】より


プーチン氏は北方領土返還の決意まで熟していない 日本が「木を揺さぶり」続けても徒労に終わる 

北海道大学名誉教授・木村汎氏


http://www.sankei.com/column/news/170220/clm1702200005-n1.html


 今年は、ロシア革命勃発から数えて100周年に当たる。ロシア革命は、一体なぜ起こったのか。この機会にこの問いを考えることは、他の歴史的事件の原因を考えるうえにも参考になろう。




≪タイミングを見定めた揺さぶり≫


 ロシア革命の発生事由に関しては、「リンゴの木」理論がある。リンゴが木から落ちたのを見て、或(あ)る者は説く。「ニュートンの法則」が作用したにすぎない。万物が上から下へと落下するのは、自然の摂理である。ソビエト期にマルクス主義に立つ学者たちは、主張した。帝政ロシアの専制、経済的困難、帝国主義外交-これらの結果として、ロシア革命は起こるべくして起こった。客観的必然性に基づく事件だった、と。

 ところが別の或る者は説く。リンゴの木の下で人間が幹を揺るがしたからこそ果実が落下したのだ、と。人間の主観的営為を重視する見解である。例えば、当時のロシアにレーニンなる人物がいなかったと仮定しよう。その場合、ロシア革命はきっと異なった経過を辿(たど)ったり、違った結果を招来させたりしたのではなかろうか。レーニンを含む革命指導者たちの意志や主張が果たした役割の大きさを強調する見方に他ならない。


 右の2説とも極論であり、両説を統合させた第3説こそが適切。これが、私の意見である。リンゴは熟すと、たしかに落下する運命にあったのかもしれない。だが、その落下は下から揺さぶるという人間の行為がきっかけになって促進されたり、若干違った形を導いたりするに違いない。つまり、客観的状況が熟しかけた頃合いを見計らって、人為的な圧力を加えると、本来の行為がよりスムーズ、かつ当方が望むような形で進捗(しんちょく)する。したがってタイミングを見定めて適切な行動をとること-これこそが単に革命のみならず、全ての政治行動の「要諦」になる。

 「リンゴの木」の例えは、ロシア革命以外の政治現象の説明にも適用可能だろう。戦後日本外交の最大の懸案事項は、北方領土問題を解決しての平和条約締結。では、この課題に取り組む日本側のアプローチや行動様式は、果たして適切なものだろうか。「リンゴ理論」を参考にして、この問いを検討してみよう。





≪経済は追い詰められているのか≫


 現政権はロシアが経済的苦境に陥っていると判断して、同国に経済協力を提供し、それと引き換えに北方領土返還を勝ち取ろうともくろむ。


 現ロシアが目下、経済上の“三重苦”の最中にあることは確かだ。原油価格の下落、ルーブル安、先進7カ国(G7)による制裁である。ところが、右のような政経リンケージ(連関)作戦は、少なくとも次の2点で現ロシア事情を正確に捉えていない。


 1つは、ロシア経済がいまだ領土を譲る決意を下さねばならないまでに、落ち込んでいるわけでないこと。ゴルバチョフ、エリツィン政権下ではほとんどそう決心させるまでに経済が困窮した時期があった。ところが、プーチン政権は約10年近くのあいだ空前の石油ブームに恵まれ、一時は世界3位の外貨準備高すら蓄積した。その恩恵は社会の下部にもしたたり落ち、ロシア国民はいまだ若干のたんす貯金を隠し持っている。


 日本からの支援によってロシア経済が潤うことになっても、それは劇的な万能薬とはなりえない。ロシア極東地方や北方四島の住民が多少の利益を被るだけにとどまり、ロシア国民全体にとっては恐らく、すずめの涙程度の効果しかもたらさないだろう。





≪領土返還の機はいまだ熟せず≫


 もう1つは、プーチン大統領の目眩(めくら)まし作戦が、目下、功を奏していること。


 同大統領は経済的困難から国民の目をそらすために巧妙な戦術を実行している。具体的な外敵を設定し、それに対する「勝利を導く小さな戦争」の遂行である。国有化されたロシアの3大テレビは、ウクライナやシリアでロシア軍が輝かしい戦果を収めつつあるとの報道を、連日連夜、垂れ流す。結果として、プーチン大統領は80%台の高支持率を享受している。


 このような状況に身をおいている大統領が、一体なぜ現時点で日本に対して領土返還に応じなければならないのか。ウクライナからクリミアを奪う一方で、日本へは北方領土を引き渡す。理論上は正当化可能かもしれないが、これは大概のロシア人の心情にはしっくりとこない取引だろう。

 しかもプーチン氏は、2018年3月に次期大統領選を控えている。同選挙さえクリアできれば、氏には24年までさらに6年間の任期が保障される。このように重要な時期に当たり、同氏があえて火中のクリを拾ってまで経済協力の代償として領土返還を決意する-。到底このようには思えない。

 以上要するに、いまだ客観情勢、即(すなわ)ちタイミングはプーチン大統領をして北方領土の対日返還を決意させるまでに熟していない。にもかかわらず今年も日本政府が「木を揺さぶり」続けることだけに熱中するならば、努力は徒労に終わりかねないだろう。(北海道大学名誉教授・木村汎 きむらひろし)













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トランプ大統領にぜひ靖国神社の参拝を 同盟強化が歴史戦を封じ込める 

2017-02-17 17:06:42 | 正論より
2月17日付     産経新聞【正論】より


トランプ大統領にぜひ靖国神社の参拝を 同盟強化が歴史戦を封じ込める 

ジャーナリスト・井上和彦氏


http://www.sankei.com/column/news/170217/clm1702170005-n1.html


 今回の日米首脳会談で、安倍晋三首相とトランプ大統領は「揺らぐことのない日米同盟」を再確認した。さらにアメリカは核および通常戦力の双方によって、日本の防衛に対してあらゆる種類の軍事力を使うと言及した。



 ≪結束を誇示する日米関係≫


 このところ安倍首相が日米関係を語るとき、同盟の結束という言葉を忘れない。2015年4月に米議会で演説した際、「熾烈(しれつ)に戦い合った敵は、心の紐帯(ちゅうたい)が結ぶ友になりました」と述べ、日米同盟をはじめて「希望の同盟」と例えた。昨年末のハワイ真珠湾訪問でも「和解の力」と「希望の同盟」を高らかにうたい上げた。

 大東亜戦争で熾烈な戦いを演じた日米両国が、戦後は和解し、強固な同盟関係を結ぶに至ったことを世界に発信したのである。

 これは昨年5月に広島を訪問したオバマ大統領も同じだった。ただしオバマ大統領のスピーチにも安倍首相のそれにも“謝罪”の言葉は盛り込まれなかった。これについて違和感を覚えた人もいただろうが、それは日本に対し、執拗(しつよう)な歴史戦を挑んでくる中国へのメッセージであったことも忘れてはなるまい。


 中国の脅威が顕在化し、日米両国が1997年9月に「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)の見直し作業の最終報告を行った翌月、当時の江沢民国家主席は中国の元首として12年ぶりに訪米し、その途上でハワイに立ち寄って真珠湾攻撃で撃沈された戦艦アリゾナに献花した。

 そこには中国がアメリカの負った古い傷を思い起こさせ(リメンバー・パールハーバー)、日米同盟に楔(くさび)を打ち込もうとする政治的意図が見え隠れしていた。




 ≪効力失った中国の対日カード≫


 そもそも日本が対米戦を前に大陸で戦っていたのは、主として蒋介石率いる国民党軍(中華民国)である。同時に当時のアメリカが軍事援助も含めて共闘していたのも国民党軍だった。


 ところが、「中華民国」に代わって国連安保理の常任理事国の座についた中華人民共和国は、そのまま「戦勝国」になってしまった。そもそも中華人民共和国は、終戦後に勃発した国共内戦で勝利した結果、1949年10月1日に建国された国であり、日本は中華人民共和国とは戦争しておらず、まして同国が対日戦の「戦勝国」を名乗るのには無理がある。



 毛沢東は、64年に北京を訪れた佐々木更三氏(のち日本社会党委員長)にこう述べている。


 《日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらし、中国人民に権力を奪取させてくれました。みなさんの皇軍なしには、我々が権力を奪取することは不可能だったのです》(東京大学近代中国史研究会訳『毛澤東思想万歳』下巻)


 ところが現在では、そんな史実は封印され、中国は「対日戦勝国」に成り上がったのである。だからこそ中国は日本に対して贖罪(しょくざい)の姿勢を求め、執拗に歴史戦を仕掛けてくるのだ。


 日米両国首脳は昨年、大東亜戦争の最初と最後の象徴の地を相互訪問し、恩讐(おんしゅう)を乗り越えて真の和解を成し得た。これは、中国の対日歴史カードの効力を著しく低下させたといってよかろう。

 それを示すように安倍首相のハワイ真珠湾慰霊に同行した稲田朋美防衛相は帰国後、靖国神社を参拝したが、反発はごく短期間で収束した。これで安倍首相の参拝再開の道は開かれたとみてよいだろう。そもそも「靖国問題」の実相は、中国の対日歴史戦の一環なのだ。





 ≪トランプ大統領は靖国参拝を≫


 中国が日本の首相の靖国神社参拝に反対表明してきたのは米ソ冷戦のまっただ中の1985年、ちょうど中曽根康弘首相とレーガン大統領が「日米蜜月」をアピールした時代だった。

 最近では小泉純一郎首相の靖国神社参拝に対して中国が猛反発したが、これも、対テロ戦争でブッシュ大統領との強い結束が示されたときである。

 安倍首相は積極的平和主義に基づく防衛政策や安全保障法制の整備を進め、日米同盟の強化を一段と深めている。

 中国の対日歴史戦の目的は、日米同盟に楔を打ち、日本の安全保障政策を牽制(けんせい)することだ。中国が対日外交を有利に展開し、地域における日本のプレゼンスを封じ込めるためには、日本が“贖罪意識”を持つ戦争の「加害者」であり続けなければ困るのだ。

 安倍首相のハワイ真珠湾訪問に際し、中国の陸慷報道官は「真珠湾以外にも南京大虐殺記念館などの慰霊施設がある」などと記者会見で述べていたが、ならば日本にも慰霊施設がある。靖国神社だ。


 今回の訪米で、安倍首相はアメリカの戦没者を追悼するためにアーリントン墓地を訪問し鎮魂の誠をささげた。であれば年内に予定されたトランプ大統領の来日時に、日本の戦没者を祀(まつ)る靖国神社を、安倍首相とともに参拝してもらえないだろうか。これで戦後日本の軛(くびき)は取り除かれることになろう。(ジャーナリスト・井上和彦 いのうえ かずひこ)













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日本にもマッドドッグが必要だ 無抵抗主義は、現代の国際社会の常識では「悪」である

2017-02-15 12:31:05 | 正論より
2月15日付     産経新聞【正論】より


日本にもマッドドッグが必要だ 無抵抗主義は、現代の国際社会の常識では「悪」である 

東京国際大学教授・村井友秀氏


http://www.sankei.com/column/news/170215/clm1702150004-n1.html


 今回の日米首脳会談でも同盟強化が確認された。強い同盟は共通の価値観によって支えられている。日米は共通の価値観を持っているのか。

 2月3~4日、「マッドドッグ(狂犬)」マティス国防長官が来日した。日本で嫌われる狂犬がなぜ米国で尊敬されるのか(議会承認で反対票は1票だけだった)。優しさを重んじる日本に対して米国は力を信奉する社会であり、マッドドッグは力の象徴である。




≪無視されてきた軍隊本来の任務≫


 現在の世界には、テロや虐殺を防ぎ外国の侵略から自国を守る「正義の力」が存在する。正義の力は強ければ強いほど良い。


 ところが、第二次世界大戦後の日本では戦争が徹底的に否定され、軍隊は国民を害する存在と見なされて「軍隊からの安全」だけが議論された。「軍隊からの安全」のためには軍隊は弱いほど良い。他方、軍隊の本来の任務である外国の侵略から国民を守る「軍隊による安全」は無視されてきた。日本ではなぜ「軍隊による安全」が議論されないのか。戦後教育の結果である。戦後の日本は戦争を深く反省し、戦争に関係あるものを全て否定した。その結果、日本人の思想が世界の常識からずれていったのである。


 人間が行動する基準である道徳には、戦争時に必要な道徳と平和時に必要な道徳がある。戦争に必要な道徳とは、「戦友は助けよ、自身は死すべし」というものである。平和時に必要な道徳は「優しさ」である。戦場で勇猛果敢であることは善であり、敵に対して狂犬であることは悪いことではない。悪い奴と戦うときに「悪い奴を殺すのは楽しい」と言っている人間はよく戦うだろう。戦時に狂犬は役に立つのである。「優しさ」では悪い奴と戦えない。




≪平和主義は無抵抗主義か≫


 勇気や自己犠牲といった「軍事的徳」といわれる道徳は、世界中の国で戦争時にも平和時にも必要な道徳とされている。しかし、日本では戦後、戦争に関係のある道徳として「軍事的徳」は学校教育の中で否定された。「強い国より優しい国」が戦後日本の道徳の基準になった。優しさと平和主義が教育とマスコミを支配した。



 しかし、平和主義には問題がある。今、世界中の多くの国では、平和主義は無抵抗主義と同義であると見なされている。野蛮な軍国主義に抵抗しない無抵抗主義は、現代の国際社会の常識では悪である。現代の世界で正義とされている「反軍国主義」は軍国主義に抵抗する。悪に抵抗しない平和主義は正義ではない。国際社会が平和主義を否定するのは、「平和主義者が暴力を放棄できるのは、他の者が代わりに暴力を行使してくれているからだ」(ジョージ・オーウェル)。


 米国ではなぜ3億丁も銃があるのか。3億人の国民が自分の身を自分で守ろうとしているからである。日本人はなぜ自分の身を守るために銃を持たないのか。日本人は自分が攻撃されれば、銃を持っている誰かが自分を助けてくれると思っているからだ。



 数年前にアーミテージ元米国務副長官は、尖閣諸島を米軍が守ってくれるのかという日本人記者の質問に怒気を含んで答えた。「日本の兵士が米軍の前で戦っていれば米軍の兵士も戦う、横で戦っていても米軍の兵士は戦う。しかし、日本の兵士が米軍の後ろにいれば米軍は戦わない」





≪正義の戦いにも犠牲は生じる≫


 現代の国際法と国連は、自衛戦争、植民地独立戦争、民族解放戦争などを正義の戦争と定義している。さらに、人権を蹂躙(じゅうりん)され虐殺されている人々を助けるために国連が紛争地に武力介入する「保護する責任」に参加するように国連は加盟国に求めている。


 日本が正義の戦いに参加する場合、今の日本に欠けている部分がある。正義の戦いでも必ず死傷者が発生する。戦後の日本は戦争を無視し戦争から目を背けてきた結果、死傷者に対する感受性の高い国になった。正義の戦いに参加するためには、相応の犠牲を払う覚悟が前提になる。



 もう1つ問題がある。日本のように長い間戦争を経験していない国では、戦争の時に誰が役に立つか分からない。日露戦争後に日本の陸軍省は次のように報告した。「概して平時鬼と称せらるる人若(も)しくは之に近き人は戦時は婦女子の如く之に反して平時婦女子の如き人に豪傑の多い事は否定の出来ぬ事柄である」「鬼大尉とか鬼小隊長とか評せらるるものに戦時案外臆病で中には日本の将校にコンナ弱い隊長が居るかと思ふ程弱い人が少なくない」。戦場のマッドドッグは平時は紳士である。


 軍事力に頼る軍国主義国家がよく理解できる言語は軍事力である。軍国主義国家と交渉する場合、軍事力という共通言語によるメッセージは誤解を生む可能性が低い。現在、日本は隣国から強い軍事的圧力を受けている。不当な暴力を抑止するためには、戦う強い意志と強い軍事力を明示することが効果的であり、マッドドッグは戦う強い意志の象徴である。(東京国際大学教授・村井友秀 むらいともひで)












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韓国が国際社会に喧伝するウソ「20万人」「軍関与」 日本は「国際的恥辱」払拭する努力してきたか 

2017-01-20 17:50:45 | 正論より
1月19日付   産経新聞【正論】より



韓国が国際社会に喧伝するウソ「20万人」「軍関与」 日本は「国際的恥辱」払拭する努力してきたか 

評論家・西尾幹二氏


http://www.sankei.com/column/news/170119/clm1701190006-n1.html



 私はつねに素朴な疑問から始まる。日本の外交は国民が最大に望む一点を見落としがちだ。何かを怖がるか、安心していい気になるかのいずれかの心理的落とし穴にはまることが多い。今回の対韓外交も例外ではない。



 ≪ウソを払拭しない政府の怠慢≫


 米オバマ政権は慰安婦問題の真相を理解していないので不当に日本に圧力を加えていた。心ならずも妥協を強いられたわが国は、釜山の日本総領事館前に慰安婦像が設置されたことを受けて、大使らを一時帰国させるという強い措置に出た。日本国民はさぞ清々しただろうといわんばかりだ。が、日本外交は米韓の顔を見ているが、世界全体の顔は見ていない。


 慰安婦問題で国民が切望してやまない本質的な一点は、韓国に“報復”することそれ自体にはない。20万人もの無垢(むく)な少女が旧日本軍に拉致連行され、性奴隷にされたと国際社会に喧伝(けんでん)されてきた虚報の打ち消しにある。「20万人」という数も「軍関与」という嘘も、私はふた昔前にドイツの宿で現地新聞で知り、ひとり密(ひそ)かに憤怒したものだが、あれ以来変わっていない。ますます世界中に広がり、諸国の教科書に載り、今やユネスコの凶悪国家犯罪の一つに登録されかけている。



 日本政府は一度でもこれと本気で戦ったことがあるのだろうか。外交官が生命を賭して戦うべきは、事実にあらざる国際的恥辱の汚名をすすぐことであって、外国に報復することではない。

 女の子の座像を街角に建てるなど韓国人のやっていることは子供っぽく低レベルで、論争しても仕方がない相手である。敵は韓国人のウソに乗せられる国際社会のほうであって、日本の公的機関はウソを払拭するどんな工夫と努力をしてきたというのか。





 ≪なぜミサイル撤去を迫らないか≫


 実は本腰を入れて何もしなかった、どころの話ではない。一昨年末の日韓合意の共同記者会見で、岸田文雄外相は「当時の軍の関与」をあっさり認める発言をし、慰安婦像の撤去については合意の文書すら残さず、曖昧なままにして帰国した。しかるに安倍晋三首相はこれで完全決着した、と断定した。


 まずいことになったと当時私は心配したものだが、案の定1年を待たずに合意は踏みにじられている。国際社会にわが身の潔白を示す努力を十分に展開していたなら、まだ救いはあるが、「軍の関与」を認めるなど言いっぱなしの無作為、カネを使わない国際広報の怠惰はここにきてボディーブローのように効いている。



 例の軍艦島をめぐるユネスコ文化遺産登録の「強制労働」を強引に認めさせられた一件の致命傷に続き、なぜ岸田外相の進退が問われないのか不思議でならない。




 私はもう一つ別の例を取り上げる。対ロシア外交において、プーチン大統領来訪の直前、択捉島にミサイルが設置された。

 日本政府はなぜ抗議しなかったのか。せめて平和条約を語り合う首脳会談の期間中には、ミサイルは撤去してもらいたいと、日本側から要請があったという情報を私はただの一度も目にし耳にすることはなかった。

 私は安倍政権のロシア接近政策に「合理性」を見ていて、対米、対韓外交に比べていいと思っている。北方領土は放っておけばこのままだし、対中牽制(けんせい)政策、シベリアへの日本産業の進出の可能性などを考えても評価に値するが、ミサイル黙認だけはいただけない。昔の日本人ならこんな腰抜け外交は決してしなかった。





 ≪感情的騒ぎを恐れてはならない≫


 もう一例挙げる。オスプレイが沖縄の海岸に不時着する事故があった。事故機は住宅地を避けようとしたという。駆けつけた米国高官は、日本から非難される理由はない、と憤然と語ったとされるが、私もそう思う。いわゆる沖縄をめぐる一切の政治情勢からとりあえず切り離して、搭乗員がとっさにとった“回避行動”に、日本側からなぜ感謝の言葉がないのか。県知事に期待できない以上、官房長官か防衛相が一言、言うべきだ。これは対米従属行為ではない。礼儀である。


 感謝の言葉を聞かなかったら、米兵は日本をどうして守る気になるだろう。日本は武士道と礼節の国である。何が本当の国防のためになるのかをよく考えるべきだ。



 プーチン大統領には来てもらうのが精一杯で、ミサイル撤去の件は一言も口に出せなかった。沖縄の件はオスプレイ反対運動の人々のあの剣幕(けんまく)をみて、何も言えない。岸田外相が「(当時の)軍の関与」を公言したのも、韓国の感情的騒ぎが怖かったのである。

 何かを怖がるのと、安心していい気になるのとは同じ事柄の二面である。今度、韓国に「経済断交」に近いカードを切ったのは、ことの流れを知っている私は当然だと思っているが、日本人がこれで溜飲(りゅういん)を下げていい気になってはならない。日本人も本当に怖い国際世論からは逃げているので、情緒的韓国人と似たようなものだと思われるのが落ちであろう。(評論家・西尾幹二 にしお・かんじ)














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高い近代化のハードルを乗り越えた日本と、そもそも近代化する気がない周辺国

2017-01-19 11:40:22 | 正論より
1月18日付    産経新聞【正論】より



高い近代化のハードルを乗り越えた日本と、そもそも近代化する気がない周辺国 


筑波大学大学院教授・古田博司氏


http://www.sankei.com/column/news/170119/clm1701190008-n1.html



 インターネット、グローバリゼーション、イノベーションは近代以後の三種の神器だ。これらを用いていかにベターな選択をするかが、近代以後の生きがいである。


 日本にとって、近代のハードルは実に高かった。合理主義、科学主義、民主主義、統一された自我の理想像や人権主義など。またドイツ観念論のつくりあげた明治以来の教育体系のトンネルは長く暗かった。「トンネルの中に意味のないことはない。それを学べば学ぶほど知識は蓄えられ、それが教養になり、立派な人格になれる」と教えられ、トンネルを抜けたところで、終わりに気づかなかった秀才たちが自己愛でボロボロと転落した。





≪ダークサイドに落ちた隣国≫


 ハードルを越えられず、トンネルを抜けられなかった隣国は、ダークサイドに落ちた。近代の終わりとともに、ドイツ渡来の進歩史観も崩れ、古代→中世→近代などという段階を踏めたのは、世界のほんの一部の国だったことが明らかになってしまった。

 だから、いま世界で、紛争やいざこざや奪い合いが起きている国は、全部近代化に失敗した国である。で、本当は中世がなかったので、そのまま古代が露呈した。


 韓国の“シャーマン”の国政介入しかり、産経新聞ソウル支局長の報道や学者に対する学問の自由の弾圧は、古代の「文字の獄」である。専制者の怒りに触れた「筆禍」というやつだ。「従軍慰安婦」は、歴史上奴隷制のなかった分業国家・日本国に対する、奴隷制国家からのぬれ衣(ぎぬ)である。自分たちの古代が日本にも当てはまると思い込んでいる。ロシアのシベリア抑留は、奴隷労働のシベリア捕囚である。みんなが働くので奴隷のいらなかった日本人には、彼らの古代がよく分からない。





≪「自制の予感」が働かない≫


 古代の大国だったシナは、じつは打たれ弱い大国である。遼陽を落とされれば直隷まですぐに占領された。地政学的にヴァルネラビリティ(vulnerability=打たれ弱さ)があるので、現在でも「威嚇」と「牽制(けんせい)」の国際政治しか知らない。昔どんなことをやっていたかといえば、朝貢人数を水増しして儲(もう)けようとしたモンゴル族を威嚇しようと出兵し、逆に王様が捕まってしまった、土木の変(1449年)がある。


 李朝には軍馬を3万頭出せと牽制したが、李朝は分割払いの9千頭でごまかした。で、シナの王様が捕まると李朝はすっかりおびえて、次の満洲族征伐には村一つを襲ってすぐに逃げ帰った。成化3年の役(1467年)という。


 朴槿恵大統領のセウォル号事件のときの空白の7時間も、これで分かるだろう。彼女は何をしていたのか。ただ逃げていたのか。コリアの為政者は、緊急時に「遁走(とんそう)性」を発揮する。



 現代中国は近代化の失敗ではなく、近代化をする気がそもそもない。ウクライナから買った旧式空母を南シナ海に浮かべ、アメリカの技術をパクッた飛行機を飛ばしても恥じない。「恥」を知らないので、こんなことをすると恥をかくという「自制の予感」が働かないのである。そちらの方は、やってしまってから失ったものを取り戻そうとして怒り出す古代的なあの「面子(めんつ)」だ。これは韓国・北朝鮮も同じである。


 シリアが滅茶苦茶になり、代わって「イスラム国」が台頭すると、また古代が露呈した。「敵は十字軍」「理想はカリフ制の再興」であり、占領地では奴隷制を復活している。要するに近代化できなかった国々は、みんな古代回帰するのである。


 日本にも近代の終焉(しゅうえん)に気づかず、あるいはそれを嫌い退行してしまう所が部分的に見られる。日本の場合には、古代ではなく中世に退行するのである。所謂(いわゆる)「藩」化してしまった自民党東京都連などがそうである。自分たちで決めた不合理なおきてを脱藩者に科し、除名したりするわけだ。





≪三種の神器使いこなす人材を≫


 さて、近代以後はインターネット、グローバリゼーション、イノベーションの三種の神器をうまく使いこなせるような「新しい秀才」を教育しなければならない。そこでアクティブ・ラーニングが盛んに言われるようになったのだが、実のところどうしたらよいのかわからず、模擬試験問題を流布するだけとなっている。

 理工系や医系の研究系には、実験の課題を課すのがよいのではないだろうか。近代の秀才は、勉強はうまいが実験がへたな者が多い。医系の臨床系には、手先の器用さを課題として課すのがよいだろう。手先が不器用では手術もへたになる。

 人文社会系は、ストーリー形成がうまい者を育てるのがよい。現実の世界も社会もただの出来事の連鎖だが、そこにストーリー性がないと人間には認識できないのだ。出来事を並べておいて、ストーリーを導き出す出題をするとよい。何ごとも有用性を基準にし実験、手技、説得力を育成するのである。そして人生は、自分を実験しながら生きるのがよいと思う。(筑波大学大学院教授・古田博司 ふるたひろし)











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