9月11日付 産経新聞より
強大国支配になぜ気づかない 拓殖大学学長・渡辺利夫氏
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090911/plc0909110225002-n1.htm
≪反米的風評の鳩山氏論文≫
与党や政府は日々の「現実」に対処せざるをえない。対処の在り方に異論があれば、これを牽制(けんせい)してよりまともなものへと修正を迫り、時に廃棄に追い込むことが野党の役割である。
しかし現実の対処への異論はとかく理想論に傾きがちである。理想は容易に実現できないことは知っていながら、繰り返し主張するうちにそれがあたかもリアリズムであるかのように思い込まされてしまうことがよくある。
私は左翼全盛時代に青春を送った人間だから骨身にしみて知っているのだが、日本の平和が守られているのは憲法第9条の存在のゆえだ、日米安全保障条約は日本を戦争に巻き込む危険な存在だといった幻想を多くの日本人は信じていた。この「護憲平和」という倒錯の論理が再三再四主張されている間に、それが現実であるかのような「共同幻想」に人々は捉(とら)えられてしまったのである。
ついに与党となる民主党とはこの種の幻想をナイーブに信じている人々の多い政治集団なのであろう。次期の総理たる鳩山由紀夫氏の論文が衆院選直前にニューヨーク・タイムズ(電子版)に掲載され、日本の新政権は反米的だという評価がアメリカで生まれ始めているもようである。電子版を開いてわかったことだが、これは鳩山氏が『Voice』誌9月号に寄せた「私の政治哲学」と題する特別寄稿論文の抄訳である。
≪米中の「狭間」ではない≫
私はすでに同論文を読んでいて、鳩山氏とはやはりこういう外交感覚を持つ指導者なのかと深い憂慮を抱かされ、こんなものがアメリカの指導者の目に触れなければいいがなと思わされてもいた。民主党の圧勝が予想され次期総理の確たる人物が、発足して間もないオバマ政権下のアメリカに向けてこのような論文を発信するのは非常識である。同論文が反米的だというのは言い過ぎだが、唯一の同盟国アメリカの軍事的庇護(ひご)の下で平和を享受している日本の指導者のこの発言に、嫌悪感を抱かされたアメリカの政治家や官僚が少なくなかったことは十分に想像される。同論文の問題点を2つに絞る。
第1に、アメリカの世界における影響力は低下していく一方、中国の経済的、軍事的拡大がめざましいと述べ、「覇権国家でありつづけようと奮闘するアメリカと、覇権国家たらんと企図する中国の狭間(はざま)で、日本は、いかにして政治的経済的自立を維持し、国益を守っていくのか」、これが日本の重大な外交課題だという。
日本がアメリカと中国の「狭間」にあるというのは誤認である。アメリカは日本の同盟国であり、中国はそうではない。ひとたび急迫の事態に陥ればアメリカは日本を防衛する責務を負う。他方、集団的自衛権を行使できないという政府解釈に縛られている日本はアメリカを防衛する義務を負わず、その意味で日米同盟は片務的である。民主党のマニフェストがうたう「緊密で対等な」日米関係を築くには、集団的自衛権行使を認めて同盟を双務的なものとする日本の「譲歩」がまず第一歩である。非核三原則の法制化や普天間基地移転の再検討などで相手国に迫るのは筋違いである。同盟に揺らぎがあれば中国による東シナ海制海権掌握が間もないという想像力をどうして持てないのか。
第2は、東アジア共同体の構築が熱っぽく語られていることである。「東アジア地域を、わが国が生きていく基本的な生活空間と捉えて、この地域に安定した経済協力と安全保障の枠組みを創る努力をつづけなければならない」という。私の大学院生ならこんな脳天気なことはいわない。
≪理念なき共同体の危険性≫
共同体とはFTA(自由貿易協定)やEPA(経済連携協定)といった機能的制度を超えた理念の共有体である。鳩山氏はEU(欧州連合)を想定して域内統合や紛争処理を共同体に託そうと考えているのだが、東アジアはEUではない。東アジアは理念を共有していない。政治制度は区々(くく)であり、共通の安全保障システムを擁しておらず、発展段階を著しく異にする国々から構成されている。EUとの決定的な違いである。統合の基盤のない地域に共同体という傘をかぶせれば、その非対称性のゆえに強大国による弱小国の支配が一層容易になる。その程度の背理になぜ気がつかないのか。
鳩山氏の政治哲学はクーデンホフ・カレルギーの思想に基礎をおくと先の論文には記されている。しかし、EUの創設理念となったカレルギー卿の思想が東アジアでも適用可能だと考えるのはあまりにもひどい事実誤認ではないか。東アジアにおいて行動の自由を確保し、みずからの存在を確実に証す決定的に重要な二国関係が日米同盟である。
言葉は麗しいが内実の不鮮明な、その分、明確な戦略を持つ大国の行動の自由が大きい東アジア共同体という鵺(ぬえ)のような怪物に日本が飲み込まれることはどうしても避けねばならないのである。(わたなべ としお)
強大国支配になぜ気づかない 拓殖大学学長・渡辺利夫氏
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090911/plc0909110225002-n1.htm
≪反米的風評の鳩山氏論文≫
与党や政府は日々の「現実」に対処せざるをえない。対処の在り方に異論があれば、これを牽制(けんせい)してよりまともなものへと修正を迫り、時に廃棄に追い込むことが野党の役割である。
しかし現実の対処への異論はとかく理想論に傾きがちである。理想は容易に実現できないことは知っていながら、繰り返し主張するうちにそれがあたかもリアリズムであるかのように思い込まされてしまうことがよくある。
私は左翼全盛時代に青春を送った人間だから骨身にしみて知っているのだが、日本の平和が守られているのは憲法第9条の存在のゆえだ、日米安全保障条約は日本を戦争に巻き込む危険な存在だといった幻想を多くの日本人は信じていた。この「護憲平和」という倒錯の論理が再三再四主張されている間に、それが現実であるかのような「共同幻想」に人々は捉(とら)えられてしまったのである。
ついに与党となる民主党とはこの種の幻想をナイーブに信じている人々の多い政治集団なのであろう。次期の総理たる鳩山由紀夫氏の論文が衆院選直前にニューヨーク・タイムズ(電子版)に掲載され、日本の新政権は反米的だという評価がアメリカで生まれ始めているもようである。電子版を開いてわかったことだが、これは鳩山氏が『Voice』誌9月号に寄せた「私の政治哲学」と題する特別寄稿論文の抄訳である。
≪米中の「狭間」ではない≫
私はすでに同論文を読んでいて、鳩山氏とはやはりこういう外交感覚を持つ指導者なのかと深い憂慮を抱かされ、こんなものがアメリカの指導者の目に触れなければいいがなと思わされてもいた。民主党の圧勝が予想され次期総理の確たる人物が、発足して間もないオバマ政権下のアメリカに向けてこのような論文を発信するのは非常識である。同論文が反米的だというのは言い過ぎだが、唯一の同盟国アメリカの軍事的庇護(ひご)の下で平和を享受している日本の指導者のこの発言に、嫌悪感を抱かされたアメリカの政治家や官僚が少なくなかったことは十分に想像される。同論文の問題点を2つに絞る。
第1に、アメリカの世界における影響力は低下していく一方、中国の経済的、軍事的拡大がめざましいと述べ、「覇権国家でありつづけようと奮闘するアメリカと、覇権国家たらんと企図する中国の狭間(はざま)で、日本は、いかにして政治的経済的自立を維持し、国益を守っていくのか」、これが日本の重大な外交課題だという。
日本がアメリカと中国の「狭間」にあるというのは誤認である。アメリカは日本の同盟国であり、中国はそうではない。ひとたび急迫の事態に陥ればアメリカは日本を防衛する責務を負う。他方、集団的自衛権を行使できないという政府解釈に縛られている日本はアメリカを防衛する義務を負わず、その意味で日米同盟は片務的である。民主党のマニフェストがうたう「緊密で対等な」日米関係を築くには、集団的自衛権行使を認めて同盟を双務的なものとする日本の「譲歩」がまず第一歩である。非核三原則の法制化や普天間基地移転の再検討などで相手国に迫るのは筋違いである。同盟に揺らぎがあれば中国による東シナ海制海権掌握が間もないという想像力をどうして持てないのか。
第2は、東アジア共同体の構築が熱っぽく語られていることである。「東アジア地域を、わが国が生きていく基本的な生活空間と捉えて、この地域に安定した経済協力と安全保障の枠組みを創る努力をつづけなければならない」という。私の大学院生ならこんな脳天気なことはいわない。
≪理念なき共同体の危険性≫
共同体とはFTA(自由貿易協定)やEPA(経済連携協定)といった機能的制度を超えた理念の共有体である。鳩山氏はEU(欧州連合)を想定して域内統合や紛争処理を共同体に託そうと考えているのだが、東アジアはEUではない。東アジアは理念を共有していない。政治制度は区々(くく)であり、共通の安全保障システムを擁しておらず、発展段階を著しく異にする国々から構成されている。EUとの決定的な違いである。統合の基盤のない地域に共同体という傘をかぶせれば、その非対称性のゆえに強大国による弱小国の支配が一層容易になる。その程度の背理になぜ気がつかないのか。
鳩山氏の政治哲学はクーデンホフ・カレルギーの思想に基礎をおくと先の論文には記されている。しかし、EUの創設理念となったカレルギー卿の思想が東アジアでも適用可能だと考えるのはあまりにもひどい事実誤認ではないか。東アジアにおいて行動の自由を確保し、みずからの存在を確実に証す決定的に重要な二国関係が日米同盟である。
言葉は麗しいが内実の不鮮明な、その分、明確な戦略を持つ大国の行動の自由が大きい東アジア共同体という鵺(ぬえ)のような怪物に日本が飲み込まれることはどうしても避けねばならないのである。(わたなべ としお)