10月11日付 産経新聞【正論】より
首相、秋の例大祭が待ってます 国学院大学名誉教授・大原康男氏
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131011/plc13101103360002-n1.htm
第2次安倍晋三政権が発足して早くも9カ月余りが過ぎた。懸案を一挙に処理しようとして味わった第1次政権での蹉跌(さてつ)を苦い教訓として、まずアベノミクスと称される経済政策に全力を傾注し、一定の成果を挙げた。それでもたらされた高い内閣支持率を背景に、慎重な目配りをしながら、いよいよ本格的保守政権としての“安倍色”を出そうとしている。
≪問題化しなかった靖国参拝≫
その一つとすべきが自らの靖国神社参拝の再開であろう。
思い起こせば、昭和60年の中曽根康弘首相の参拝、次いで平成8年の橋本龍太郎首相の参拝を経て、小泉純一郎首相が平成13年8月13日に詣で、在任5年間で6回も参拝を重ねた。しかし、後任者たちはことごとく見送って今日に至っている。この2度目の休止期間のきっかけを作ったのが、他ならぬ第1次安倍政権なのである。
周知のように、首相の靖国参拝は、占領末期に吉田茂氏が行って以来、四半世紀にわたり何ら問題とされずに続けられてきた。激しく論議されるようになったのは、昭和50年の三木武夫首相の参拝からである。論点は専ら、憲法が定める政教分離原則に抵触するか否かという国内問題にあった。
三木首相が、それまで当たり前のこととされてきた「公式参拝」を「私的参拝」に切り替えて憲法論議を避けようという、姑息(こそく)な手段を弄したのが発端である。このため、以後の首相は(恐らく)心ならずも「私的参拝」を踏襲せざるを得なくなった。これが最初のボタンの掛け違えである。
≪憲法、そしてA級戦犯問題≫
対照的に、「公式参拝」合憲の論理を正面から提示してこれを克服し、10年の時を経て公式参拝を再開したのが中曽根首相だった。だが、直後に、中国が靖国神社にいわゆる「A級戦犯」が合祀(ごうし)されていることを理由として反発したのに屈し、参拝を取りやめた。その後、平成の首相は在任中には靖国神社の境内に入ることができないという異常な状態が続く(後に韓国も追随する)。これが第2のボタンの掛け違えである。
そんな閉塞(へいそく)状況が16年に及び、それを打ち破って参拝したのが、小泉首相であり、公人であるか私人であるかは必ずしも明確にしなかったものの、中韓両国の反対にも膝を折ることがなかった。小泉氏の執念ともいってよいこの参拝実現のため、内外の圧力に抗しながら裏方として尽力したのが、小泉内閣の官房副長官であり後に官房長官にもなった安倍氏である。その安倍氏が小泉首相の後継者になったとき、参拝継続を強く望んだのは当然のことである。
しかるに、中韓両国の執拗(しつよう)な反対が続き、小泉参拝で日中、日韓首脳会談が途絶えて北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議にも暗雲が垂れこめたことに懸念を抱いた米国の圧力も加わって、安倍首相は遂(つい)に参拝ができずに終わった。爾後(じご)の首相参拝の途絶にも少なからぬ責任を感じているとみられる首相が後に「痛恨の極み」と嘆じたのも宜(むべ)なるかな、である。
それから雌伏6年、昨年12月の衆議院選挙で大勝して再び首相の印綬を帯び、この7月の参議院選挙でも圧勝して政権基盤を確固たるものとした今日、年来の悲願を果たすべき政治的環境は十分に整っている、といってよい。
≪着々と布石を打っている?≫
いや、それどころか、安倍首相はすでに着々とその布石を打っているのかもしれない。7年余に及ぶ首相参拝のブランクという現実を厳しく受け止め、時間をかけて辛抱強く地ならしをしてきているようにも思えるからだ。
すなわち、昨年末の組閣直後にも参拝するのではないかとの臆測が一部で流れたが、まず今年4月の春季例大祭では靖国神社に真榊(まさかき)を奉納した。安倍氏が首相として初めて真榊の奉納を行ったのは、第1次政権時代の平成19年4月である。中曽根首相が中断して以来だから、実に22年ぶりの再開だった。麻生太郎首相がこれに続いたものの、民主党政権では沙汰やみとなっていた。したがって、今回の奉納は再々開に当たる。
次いで、内外の注目を集めたこの8月15日には、参拝を見送ることをあらかじめ公表し、萩生田光一・自民党総裁特別補佐を名代に立てて参拝させ、ポケットマネーから支出した玉串料を奉納した。その際、首相は萩生田補佐に対して「先の大戦で亡くなった先人の御霊(みたま)に尊崇の念を持って哀悼の誠を捧(ささ)げてほしい。本日は参拝できないことをおわびしてほしい」と語ったと報じられている。
新聞各紙はこれを、「参拝に代わる玉串料奉納」と簡単に位置付けたが、単なる金員の奉納ではなく、正確には、現首相の地位にある自民党総裁による代理参拝と称すべき方式であって、その意義は決して軽いものではない。
こう見てくると、次のステップは、首相自らが靖国神社に参拝することにならざるを得まい。そして、その機会は、この10月17日から始まる秋季例大祭であろう。7年ぶりの靖国神社参拝を心より願い、期待する所以(ゆえん)である。(おおはら やすお)
首相、秋の例大祭が待ってます 国学院大学名誉教授・大原康男氏
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131011/plc13101103360002-n1.htm
第2次安倍晋三政権が発足して早くも9カ月余りが過ぎた。懸案を一挙に処理しようとして味わった第1次政権での蹉跌(さてつ)を苦い教訓として、まずアベノミクスと称される経済政策に全力を傾注し、一定の成果を挙げた。それでもたらされた高い内閣支持率を背景に、慎重な目配りをしながら、いよいよ本格的保守政権としての“安倍色”を出そうとしている。
≪問題化しなかった靖国参拝≫
その一つとすべきが自らの靖国神社参拝の再開であろう。
思い起こせば、昭和60年の中曽根康弘首相の参拝、次いで平成8年の橋本龍太郎首相の参拝を経て、小泉純一郎首相が平成13年8月13日に詣で、在任5年間で6回も参拝を重ねた。しかし、後任者たちはことごとく見送って今日に至っている。この2度目の休止期間のきっかけを作ったのが、他ならぬ第1次安倍政権なのである。
周知のように、首相の靖国参拝は、占領末期に吉田茂氏が行って以来、四半世紀にわたり何ら問題とされずに続けられてきた。激しく論議されるようになったのは、昭和50年の三木武夫首相の参拝からである。論点は専ら、憲法が定める政教分離原則に抵触するか否かという国内問題にあった。
三木首相が、それまで当たり前のこととされてきた「公式参拝」を「私的参拝」に切り替えて憲法論議を避けようという、姑息(こそく)な手段を弄したのが発端である。このため、以後の首相は(恐らく)心ならずも「私的参拝」を踏襲せざるを得なくなった。これが最初のボタンの掛け違えである。
≪憲法、そしてA級戦犯問題≫
対照的に、「公式参拝」合憲の論理を正面から提示してこれを克服し、10年の時を経て公式参拝を再開したのが中曽根首相だった。だが、直後に、中国が靖国神社にいわゆる「A級戦犯」が合祀(ごうし)されていることを理由として反発したのに屈し、参拝を取りやめた。その後、平成の首相は在任中には靖国神社の境内に入ることができないという異常な状態が続く(後に韓国も追随する)。これが第2のボタンの掛け違えである。
そんな閉塞(へいそく)状況が16年に及び、それを打ち破って参拝したのが、小泉首相であり、公人であるか私人であるかは必ずしも明確にしなかったものの、中韓両国の反対にも膝を折ることがなかった。小泉氏の執念ともいってよいこの参拝実現のため、内外の圧力に抗しながら裏方として尽力したのが、小泉内閣の官房副長官であり後に官房長官にもなった安倍氏である。その安倍氏が小泉首相の後継者になったとき、参拝継続を強く望んだのは当然のことである。
しかるに、中韓両国の執拗(しつよう)な反対が続き、小泉参拝で日中、日韓首脳会談が途絶えて北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議にも暗雲が垂れこめたことに懸念を抱いた米国の圧力も加わって、安倍首相は遂(つい)に参拝ができずに終わった。爾後(じご)の首相参拝の途絶にも少なからぬ責任を感じているとみられる首相が後に「痛恨の極み」と嘆じたのも宜(むべ)なるかな、である。
それから雌伏6年、昨年12月の衆議院選挙で大勝して再び首相の印綬を帯び、この7月の参議院選挙でも圧勝して政権基盤を確固たるものとした今日、年来の悲願を果たすべき政治的環境は十分に整っている、といってよい。
≪着々と布石を打っている?≫
いや、それどころか、安倍首相はすでに着々とその布石を打っているのかもしれない。7年余に及ぶ首相参拝のブランクという現実を厳しく受け止め、時間をかけて辛抱強く地ならしをしてきているようにも思えるからだ。
すなわち、昨年末の組閣直後にも参拝するのではないかとの臆測が一部で流れたが、まず今年4月の春季例大祭では靖国神社に真榊(まさかき)を奉納した。安倍氏が首相として初めて真榊の奉納を行ったのは、第1次政権時代の平成19年4月である。中曽根首相が中断して以来だから、実に22年ぶりの再開だった。麻生太郎首相がこれに続いたものの、民主党政権では沙汰やみとなっていた。したがって、今回の奉納は再々開に当たる。
次いで、内外の注目を集めたこの8月15日には、参拝を見送ることをあらかじめ公表し、萩生田光一・自民党総裁特別補佐を名代に立てて参拝させ、ポケットマネーから支出した玉串料を奉納した。その際、首相は萩生田補佐に対して「先の大戦で亡くなった先人の御霊(みたま)に尊崇の念を持って哀悼の誠を捧(ささ)げてほしい。本日は参拝できないことをおわびしてほしい」と語ったと報じられている。
新聞各紙はこれを、「参拝に代わる玉串料奉納」と簡単に位置付けたが、単なる金員の奉納ではなく、正確には、現首相の地位にある自民党総裁による代理参拝と称すべき方式であって、その意義は決して軽いものではない。
こう見てくると、次のステップは、首相自らが靖国神社に参拝することにならざるを得まい。そして、その機会は、この10月17日から始まる秋季例大祭であろう。7年ぶりの靖国神社参拝を心より願い、期待する所以(ゆえん)である。(おおはら やすお)