10月29日付 産経新聞【正論】より
中華の「ストーリー」に打ち勝て 筑波大学大学院教授・古田博司氏
http://www.sankei.com/column/news/151029/clm1510290001-n1.html
私はいつも庶民の「常識」をもって語りかけねばならないと考えている。歴史には実はストーリーなどないというのが、常識である。出来事の連鎖があるだけだ。ストーリーはインテリたちが後づけでひねり出すのである。
≪出来事の連鎖にすぎない≫
「人間は原因から始めることはできない。必ず結果から遡(さかのぼ)らなければならない」というのはカントだが、今ここにある死体からわれわれは死の時を予想するのであり、いつ死ぬかは生きているうちはわからない。この死体は病死だとしよう。そこからタバコの害という原因をひねり出したいインテリは、肺がん、肺気腫、心筋梗塞などさまざまなストーリーを案出する。だが本当は「何年何月にここに死体があった」としか言えない。ゆえに、あるのは出来事であり、歴史はその連鎖にすぎない。
歴史にストーリー性があると信じているのは、一部の国の人たちの個性によるのである。日本人はこれが強くて、同じく強い中国人やドイツ人から学んでしまったものだから、一層強化された。
英米人などは信じない。E・H・カーという英歴史学者の本など、ただ事実の羅列が続くだけで、あくびが出るほど退屈だ。では何が彼の腕の見せどころかと言えば、どの歴史的事実をもってきて説明するかという、その史料選択の妥当性にあるのである。遺跡の発掘と復元の手腕に似ている。
ドイツ人はヨーロッパの方で、歴史認識を独り相撲のようにしている。ナチスのホロコーストで、旧約の神の民を滅ぼし神に戦いを挑んだり、戦後は欧州の国家統合をリードし、次は東欧の人口を労働力として吸収し、欧州連合(EU)の盟主のようになり、今度はユダヤ人を難民にした歴史を悔いて大勢の中東難民を自ら引き受けたりしている。
何年も経(た)ってみれば、ドイツの歴史はイギリスの歴史よりずっと面白いものになるだろう。だが、面白いのは、負け続けているからである。ナポレオン戦争から、第一次、第二次大戦、冷戦下の東西分断など勝ったことがない。普仏戦争に一度勝っただけだが、そのプロシアも今はない。
≪反発を買った「中華の夢」≫
アメリカはストーリー性をもたず、行動は臨機応変というか自分勝手である。戦前は、急に排日移民法(1924年)を可決し、ワシントン会議の協調体制を2年で自ら壊してしまう。今は逆で、大勢の中東難民を受け入れるという。どのみち難民は下層階級におかれるが、経済力があるので問題ない。歴史好きならば、他方ドイツは自らのストーリーでまた頭から落下するだろうと予知するのは、至極当然のことではないか。
アメリカにはその代わりに思想がある。すでに福沢諭吉が「夜陰に人を突倒してその足を挫き、翌朝これを尋問して膏薬を与るが如し。仁徳の事とするに足らず」(『通俗国権論』)と、言っている。このアメリカン・ヒューマニズムで、ジョン・ウェインはインディアンの娘や日本の敗戦孤児を抱きしめ、ブラッド・ピットは占領した町のドイツ人姉妹に優しくする。日本も戦後、連合国軍総司令部(GHQ)にタガをはめられ、代わりにずいぶんと経済的に優しくしてもらった。
中国には、中国共産党も認めているように古代と近代しかない。世界史では、隋・唐・宋・元・明・清と並んだ中華正統史のストーリーを習う。だが、隋・唐は鮮卑族、元はモンゴル族、清は満州族の王朝で、漢民族の王朝など宋と明の2つしかない。おまけに各王朝の間は、異民族入り乱れる乱立王朝の時代で、結局のところ、中国の歴史は侵入者だらけの歴史的事実の羅列にすぎないのだ。
ところがまたしても「中華の夢」というストーリーを語りだした。習近平国家主席はアメリカまで首脳会談に出かけ「南シナ海は古代から中国の領海だ」と語り、反発を買って戻ったのであった。
≪「有用性のある擬制」を≫
日本はもちろんストーリーを持つべきではない。歴史的なストーリーを持つと現実を次々と外し窮地に陥る。思想で十分だ。
安倍晋三内閣の「積極的平和主義」は有用性のある擬制で、中国に米中G2の「新型大国関係」をぶつけられても、微動だにしなかった。これが庶民の常識だ。
「有用性のある擬制」とは、社会契約説のように、契約書1枚なくても庶民が安心し、国家の共同性を高めることのできる一種のマヤカシのことである。
これに比して、「1億総活躍社会」はマヤカシではない。庶民が見てもウソだとわかる。こういうのを哲学的には「虚構」というのである。日本経済新聞10月9日付によれば、「1億総活躍社会」「国内総生産600兆円」という旗印は、安倍首相がひと夏かけてひねり出したそうだ。
だが、これでは、1億総活躍相は一体何をすればよいのか分からないだろう。当該大臣は「国民総活性化」などと、ひそかに中身を読み替えて行動を開始すればよいと思われる。(ふるた ひろし)
中華の「ストーリー」に打ち勝て 筑波大学大学院教授・古田博司氏
http://www.sankei.com/column/news/151029/clm1510290001-n1.html
私はいつも庶民の「常識」をもって語りかけねばならないと考えている。歴史には実はストーリーなどないというのが、常識である。出来事の連鎖があるだけだ。ストーリーはインテリたちが後づけでひねり出すのである。
≪出来事の連鎖にすぎない≫
「人間は原因から始めることはできない。必ず結果から遡(さかのぼ)らなければならない」というのはカントだが、今ここにある死体からわれわれは死の時を予想するのであり、いつ死ぬかは生きているうちはわからない。この死体は病死だとしよう。そこからタバコの害という原因をひねり出したいインテリは、肺がん、肺気腫、心筋梗塞などさまざまなストーリーを案出する。だが本当は「何年何月にここに死体があった」としか言えない。ゆえに、あるのは出来事であり、歴史はその連鎖にすぎない。
歴史にストーリー性があると信じているのは、一部の国の人たちの個性によるのである。日本人はこれが強くて、同じく強い中国人やドイツ人から学んでしまったものだから、一層強化された。
英米人などは信じない。E・H・カーという英歴史学者の本など、ただ事実の羅列が続くだけで、あくびが出るほど退屈だ。では何が彼の腕の見せどころかと言えば、どの歴史的事実をもってきて説明するかという、その史料選択の妥当性にあるのである。遺跡の発掘と復元の手腕に似ている。
ドイツ人はヨーロッパの方で、歴史認識を独り相撲のようにしている。ナチスのホロコーストで、旧約の神の民を滅ぼし神に戦いを挑んだり、戦後は欧州の国家統合をリードし、次は東欧の人口を労働力として吸収し、欧州連合(EU)の盟主のようになり、今度はユダヤ人を難民にした歴史を悔いて大勢の中東難民を自ら引き受けたりしている。
何年も経(た)ってみれば、ドイツの歴史はイギリスの歴史よりずっと面白いものになるだろう。だが、面白いのは、負け続けているからである。ナポレオン戦争から、第一次、第二次大戦、冷戦下の東西分断など勝ったことがない。普仏戦争に一度勝っただけだが、そのプロシアも今はない。
≪反発を買った「中華の夢」≫
アメリカはストーリー性をもたず、行動は臨機応変というか自分勝手である。戦前は、急に排日移民法(1924年)を可決し、ワシントン会議の協調体制を2年で自ら壊してしまう。今は逆で、大勢の中東難民を受け入れるという。どのみち難民は下層階級におかれるが、経済力があるので問題ない。歴史好きならば、他方ドイツは自らのストーリーでまた頭から落下するだろうと予知するのは、至極当然のことではないか。
アメリカにはその代わりに思想がある。すでに福沢諭吉が「夜陰に人を突倒してその足を挫き、翌朝これを尋問して膏薬を与るが如し。仁徳の事とするに足らず」(『通俗国権論』)と、言っている。このアメリカン・ヒューマニズムで、ジョン・ウェインはインディアンの娘や日本の敗戦孤児を抱きしめ、ブラッド・ピットは占領した町のドイツ人姉妹に優しくする。日本も戦後、連合国軍総司令部(GHQ)にタガをはめられ、代わりにずいぶんと経済的に優しくしてもらった。
中国には、中国共産党も認めているように古代と近代しかない。世界史では、隋・唐・宋・元・明・清と並んだ中華正統史のストーリーを習う。だが、隋・唐は鮮卑族、元はモンゴル族、清は満州族の王朝で、漢民族の王朝など宋と明の2つしかない。おまけに各王朝の間は、異民族入り乱れる乱立王朝の時代で、結局のところ、中国の歴史は侵入者だらけの歴史的事実の羅列にすぎないのだ。
ところがまたしても「中華の夢」というストーリーを語りだした。習近平国家主席はアメリカまで首脳会談に出かけ「南シナ海は古代から中国の領海だ」と語り、反発を買って戻ったのであった。
≪「有用性のある擬制」を≫
日本はもちろんストーリーを持つべきではない。歴史的なストーリーを持つと現実を次々と外し窮地に陥る。思想で十分だ。
安倍晋三内閣の「積極的平和主義」は有用性のある擬制で、中国に米中G2の「新型大国関係」をぶつけられても、微動だにしなかった。これが庶民の常識だ。
「有用性のある擬制」とは、社会契約説のように、契約書1枚なくても庶民が安心し、国家の共同性を高めることのできる一種のマヤカシのことである。
これに比して、「1億総活躍社会」はマヤカシではない。庶民が見てもウソだとわかる。こういうのを哲学的には「虚構」というのである。日本経済新聞10月9日付によれば、「1億総活躍社会」「国内総生産600兆円」という旗印は、安倍首相がひと夏かけてひねり出したそうだ。
だが、これでは、1億総活躍相は一体何をすればよいのか分からないだろう。当該大臣は「国民総活性化」などと、ひそかに中身を読み替えて行動を開始すればよいと思われる。(ふるた ひろし)