12月21日付 産経新聞【正論】より
安倍首相の「危険な発想」 領土を武力で奪われた過去を無視するのか 関心は露との「共栄」?
北海道大学名誉教授・木村汎氏
http://www.sankei.com/column/news/161221/clm1612210004-n1.html
≪G7の「結束」を乱した日本≫
安倍晋三首相の対露交渉に賭ける情熱は、半端ではない。ロシアのプーチン大統領との間で16回もの首脳会談を行った。2014年以来、先進7カ国(G7)は、ロシアに制裁を科している。北方四島を軍事占拠されている日本は、最も厳しい制裁をロシアに加えるべき筋合いだろう。ところが日本は、事実上“制裁破り”さえしている。
G7による制裁は、ロシア高官たちの海外資産を凍結するばかりか、彼らのG7諸国への渡航を禁じている筈(はず)だ。にもかかわらず、ロシア安全保障会議書記、上下両院議長、第1副首相、「ロスネフチ」社長らが大手を振って来日、時には首相に面会さえしている。
G7諸国の首脳たちはロシア訪問を手控えている。ところが、安倍首相は、ソチ五輪開会式やウラジオストクでの東方経済フォーラムへ気軽に足を運ぶ。このような態度を見兼ねて、オバマ米大統領は首相にプーチン大統領を日本へ招くことだけは慎むようにとの苦言を呈した。
やむなく首相が思いついたのは、米国の大統領選が終了し、任期満了前のオバマ氏が「レームダック化」した今年12月に、ロシア大統領を招待するというスケジュールだった。このような苦肉の策の結果、ロシア大統領のG7メンバー国への訪問が実現した。しかもそれはG7議長国の重責をになうはずの日本だった。
≪首相が情熱注ぐ平和条約締結≫
首相は一体なぜそこまでして、ロシアとの平和条約締結に情熱を注ぐのか。
1つには安倍政権は「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」という素晴らしいキャッチフレーズを掲げているにもかかわらず、近隣アジア諸国との関係は疎遠状態のままにとどまっている事情がある。習近平国家主席下の中国、朴槿恵大統領下の韓国との間で首脳間交流は停滞したままで、北朝鮮の拉致問題解決の目途も立っていない。
2つは岸-安倍家の遺訓だ。祖父・岸信介氏は、憲法改正とソ連との平和条約締結の2つを悲願として掲げつつも、自らは実現しえなかった。父・晋太郎氏は、がんの病をおしてモスクワを訪問。ゴルバチョフ大統領に対ソ交渉を打開するための「8項目提案」を手渡した。そのとき、車椅子に乗りながら日ソ関係打開に賭ける父の執念を見ていたのが、晋三氏に他ならなかった。
3つ目には安倍首相には北方領土から強制的に引き揚げさせられた日本人元島民に対する共感がある。彼ら約1万7千人の過半数が既に他界し、残っている者も平均年齢81歳と高齢化している。ペルーでプーチン大統領から冷水を浴びせかけられて以来、安倍首相は元島民と頻繁に会い、彼らの訴えをロシア大統領に伝達することにとりわけ熱心になった。
以上、3つの事情は、すべて安倍首相が平和条約締結に傾ける熱意の原動力になっている。このことを認めた上で、私個人の重大な観察を記そう。あえて大胆に述べると、安倍首相にとって北方領土返還にたいする関心は、二の次のように見受けられる。同首相の主要関心は、島の返還よりも平和条約の締結なのである。
さらにいうならば、隣り合う日本とロシアの共存共栄なのである。このような大胆な仮説を立てさせたのは12月16日、プーチン大統領との共同記者会見中の安倍首相の態度や言辞だった。
≪過去の決着なしに友好はない≫
首相は一気に流れるような名調子で述べた。日本の政治家はあらかじめ官僚が準備したペーパーを読む。ところが安倍首相の様子は違った。
このとき首相が口にしたことこそ首相の本音であり、おそらく彼が何度もプーチン大統領との2人だけの会合でこれまで繰り返し語った中身そのものではなかったか。
私にとりもっと大事なのは、その驚くべき発想だった。首相は述べた。「過去にばかりとらわれるのではなく、北方四島の未来像を描き、未来志向の発想が必要だ。この新たなアプローチに基づき、云々(うんぬん)」(太字、木村)。さらに言葉を継いで、講道館柔道の創始者・嘉納治五郎の「自他共栄」の言葉も引いた。
要約すれば〈過去よりも未来が大事〉。つまり過去のいざこざ、すなわち北方領土問題を横において、四島での日露共存共栄を図ることが肝要である。これこそが、安倍首相の「新しいアプローチ」の骨子なのではないか。
首相の右の発言は一見、大衆受けするように聞こえるものの、危険な発想である。なぜならば、一般的にいって人間であれ、国家の関係であれ、好むと好まざるとにかかわらず、過去の上に立って現在や未来がはじめて築かれるからである。
日露関係に関していえば、ソ連が固有の領土を武力で奪った過去を納得ゆく形で決着させないでいくら未来を構築しようと欲しても、両国は決して真の友好関係へと発展しえないのだ。(北海道大学名誉教授・木村汎 きむら ひろし)
安倍首相の「危険な発想」 領土を武力で奪われた過去を無視するのか 関心は露との「共栄」?
北海道大学名誉教授・木村汎氏
http://www.sankei.com/column/news/161221/clm1612210004-n1.html
≪G7の「結束」を乱した日本≫
安倍晋三首相の対露交渉に賭ける情熱は、半端ではない。ロシアのプーチン大統領との間で16回もの首脳会談を行った。2014年以来、先進7カ国(G7)は、ロシアに制裁を科している。北方四島を軍事占拠されている日本は、最も厳しい制裁をロシアに加えるべき筋合いだろう。ところが日本は、事実上“制裁破り”さえしている。
G7による制裁は、ロシア高官たちの海外資産を凍結するばかりか、彼らのG7諸国への渡航を禁じている筈(はず)だ。にもかかわらず、ロシア安全保障会議書記、上下両院議長、第1副首相、「ロスネフチ」社長らが大手を振って来日、時には首相に面会さえしている。
G7諸国の首脳たちはロシア訪問を手控えている。ところが、安倍首相は、ソチ五輪開会式やウラジオストクでの東方経済フォーラムへ気軽に足を運ぶ。このような態度を見兼ねて、オバマ米大統領は首相にプーチン大統領を日本へ招くことだけは慎むようにとの苦言を呈した。
やむなく首相が思いついたのは、米国の大統領選が終了し、任期満了前のオバマ氏が「レームダック化」した今年12月に、ロシア大統領を招待するというスケジュールだった。このような苦肉の策の結果、ロシア大統領のG7メンバー国への訪問が実現した。しかもそれはG7議長国の重責をになうはずの日本だった。
≪首相が情熱注ぐ平和条約締結≫
首相は一体なぜそこまでして、ロシアとの平和条約締結に情熱を注ぐのか。
1つには安倍政権は「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」という素晴らしいキャッチフレーズを掲げているにもかかわらず、近隣アジア諸国との関係は疎遠状態のままにとどまっている事情がある。習近平国家主席下の中国、朴槿恵大統領下の韓国との間で首脳間交流は停滞したままで、北朝鮮の拉致問題解決の目途も立っていない。
2つは岸-安倍家の遺訓だ。祖父・岸信介氏は、憲法改正とソ連との平和条約締結の2つを悲願として掲げつつも、自らは実現しえなかった。父・晋太郎氏は、がんの病をおしてモスクワを訪問。ゴルバチョフ大統領に対ソ交渉を打開するための「8項目提案」を手渡した。そのとき、車椅子に乗りながら日ソ関係打開に賭ける父の執念を見ていたのが、晋三氏に他ならなかった。
3つ目には安倍首相には北方領土から強制的に引き揚げさせられた日本人元島民に対する共感がある。彼ら約1万7千人の過半数が既に他界し、残っている者も平均年齢81歳と高齢化している。ペルーでプーチン大統領から冷水を浴びせかけられて以来、安倍首相は元島民と頻繁に会い、彼らの訴えをロシア大統領に伝達することにとりわけ熱心になった。
以上、3つの事情は、すべて安倍首相が平和条約締結に傾ける熱意の原動力になっている。このことを認めた上で、私個人の重大な観察を記そう。あえて大胆に述べると、安倍首相にとって北方領土返還にたいする関心は、二の次のように見受けられる。同首相の主要関心は、島の返還よりも平和条約の締結なのである。
さらにいうならば、隣り合う日本とロシアの共存共栄なのである。このような大胆な仮説を立てさせたのは12月16日、プーチン大統領との共同記者会見中の安倍首相の態度や言辞だった。
≪過去の決着なしに友好はない≫
首相は一気に流れるような名調子で述べた。日本の政治家はあらかじめ官僚が準備したペーパーを読む。ところが安倍首相の様子は違った。
このとき首相が口にしたことこそ首相の本音であり、おそらく彼が何度もプーチン大統領との2人だけの会合でこれまで繰り返し語った中身そのものではなかったか。
私にとりもっと大事なのは、その驚くべき発想だった。首相は述べた。「過去にばかりとらわれるのではなく、北方四島の未来像を描き、未来志向の発想が必要だ。この新たなアプローチに基づき、云々(うんぬん)」(太字、木村)。さらに言葉を継いで、講道館柔道の創始者・嘉納治五郎の「自他共栄」の言葉も引いた。
要約すれば〈過去よりも未来が大事〉。つまり過去のいざこざ、すなわち北方領土問題を横において、四島での日露共存共栄を図ることが肝要である。これこそが、安倍首相の「新しいアプローチ」の骨子なのではないか。
首相の右の発言は一見、大衆受けするように聞こえるものの、危険な発想である。なぜならば、一般的にいって人間であれ、国家の関係であれ、好むと好まざるとにかかわらず、過去の上に立って現在や未来がはじめて築かれるからである。
日露関係に関していえば、ソ連が固有の領土を武力で奪った過去を納得ゆく形で決着させないでいくら未来を構築しようと欲しても、両国は決して真の友好関係へと発展しえないのだ。(北海道大学名誉教授・木村汎 きむら ひろし)