二葉鍼灸療院 院長のドタバタ活動日記

私が日頃行っている活動や、日々の鍼灸臨床で感じたことなどを綴っていきたいと思います。

2014 建国記念の日 に日本を感じる

2014年02月12日 | 日常

2014年2月11日の祝日、建国記念の日に「日本」を感じましたのでブログに書かせていただきます。

現在、ロシアのソチにて冬季オリンピックが開催されています。若干、寝不足の感はありますが、スポーツ好きな人にとっては心地よい疲労感かもしれませんね

さて、様々な選手が、日本人選手が競技に出場し、自分のパフォーマンスを発揮されています。その中でも、私が印象に残ったのは、女子モーグル上村愛子選手でした。

  ソチ~

彼女の滑りと、競技後の満面の笑みと流れ落ちるダイヤモンドのような涙に感動しました。
スポーツトレーナーとしてみる身体の動きというより、一般視聴者として、身体の軸がぶれていない美しい動きをしているところに感動しました。よほどのメンタル面の鍛錬と身体トレーニングを重ねてきたことが30秒ほどの滑りの中で伝わってきました。

そして何より、競技後のあの笑顔と涙に感動しました。 悔いなく、自分のパフォーマンスを発揮できたことの表れであり、監督、コーチ、トレーナー、栄養士など競技に直接かかわる人たち、また、旦那さまや家族、多くの支援してくださる皆さまへの感謝の気持ちが一気にあの笑顔と涙に表れたのではないかと感じました。

それを彼女の競技後のインタビューで確認することができました。報道では今回のオリンピックは自分のためにというところを強調しているような表現があったように思いますが、彼女の言葉の端々には支援、応援していただいた方への感謝の気持ちと、それに応えることができたことへの幸福感が漂っていたと思います。
そして、メダルをとれた、とれない、判定がどうのこうのということは書きませんが、上村選手のやってきたことは無駄ではなかった。そして、結果は大事だが、そこへ辿りつくまでの過程(プロセス)にこそ価値があるということを強く感じました。

上村愛子選手の行動、言葉にスポーツマンスピリッツとともに、「日本」、日本の精神を感じました。

話は変わって、先日、患者様や周囲の人たちが「あの映画、いいぞ~」ということで、『永遠の0』を観に行ってきました。

まず感動しました。少し私の目頭が・・・

主人公の孫にあたる健太郎が、祖母の死の時に、祖母にはもう一人結婚していた人がおり、その方は戦死されたということから、その祖父の足跡をたどっていくというストーリーでした。
まず、宮部久蔵の部下であった皆さんに話を聞いていくわけですが、この皆さんの心意気が素晴らしかった。戦争に限らず物事にはいろんな捉え方があるのだけれど、宮部の心遣いや思いやり、信念を体感した部下の皆さんの、原点を忘れない行動、恩義に対して感動しました。私たちが忘れてはならないことだと思いました。

宮部さんのような方は、戦時中、おいでになったかもしれませんが稀ではあったと思います。あの大きく強烈な時代の流れの中、その流れにただ流されることなく、人間として己が正しいと思った信念を貫きとおした行動にも深く感動しました。それが、家族や妻、国、若者や後輩の将来を心から思う気持ちなのだろうと思います。映画の中でも、「それが今で言うなのかな」という言葉が印象的でしたね。

そんな宮部久蔵の生き様、また、部下の恩義や信念、その心を受け継ぐ孫の素直さや純粋さに、「日本」や日本の精神を感じました。

また、私がこの映画でもうひとつ感じたのは、零戦のパイロットとして素晴らしい感覚をもっていた宮部さんが、太平洋戦争のきっかけになったと言われる真珠湾攻撃を行った際です。宮部さんは「この作戦は失敗であった」と言っていたと思います。そう、宮部さんが言う通り、真珠湾には空母や戦艦はほとんど停泊しておらず、停泊しているのは老朽化した戦艦だけだったそうです。アメリカ軍は日本軍が真珠湾を攻撃することを事前に知っていたわけです。ハワイには知らされていなかったようです。

「日本の奇襲攻撃だ!」「いくらなんでも汚いと思わないか!!」とアメリカ軍が国民に知らせたとしたら、そりゃ~どこの国民でも頭に来ます。それまでアジアへの参戦に反対、消極的だった世論が、逆に参戦しようと、強く後押しすることになります。これは日本の攻撃をアメリカが世論の逆転のため利用したものだったのです。

戦後、60年以上が経ち、私たちは戦勝国のプロパガンダや、その情報で日本に様々な理不尽な要求をしてきている国々の話を間に受けるのではなく、事実に基づいた本当の近現代史を知るべき時に来ていると思います。そのために、あの国や、かの国の虚偽の話を利用させていただけばいいのです。

日本が開戦に至る理由は多くあったと思いますが、日本が国際連盟において人種差別撤廃条項を盛り込むように提案し却下されました。第1次大戦前からアジア各国は欧米の植民地として支配を受けていたわけです。日本が東南アジアに進駐するまで100年~300年間もの支配を受けてきたわけです。人種差別撤廃をうたうことは人として生きる世界としては当たり前のことです。そのきっかけを日本軍がつくったわけです。
大東亜戦争は、アジアに駐屯するイギリス、アメリカ、オランダの軍と戦っていたのであって、現地のアジア人と戦っていたのではなかったことを理解しておかなくてはいけません。

また、ABCD包囲網も大きな要因でした。A(アメリカ)、B(イギリス)、C(中国:国民党軍)、D(オランダ)による海上封鎖です。石油をはじめ生活物資を輸入に頼っていた日本としてはなすすべがなく、日本の外国にある資産も凍結されてしまいました。その状況たるや私たちが推し量るには想像もつきませんが、その様な時代の空気の中、決断を迫られました。
後に、GHQ総司令官、マッカーサー元帥はアメリカ議会、また、回顧録において、「日本は、国民を守るための自存自衛のための戦争であった」との立場を残しています。

私が本当に言いたいのは、そんな中、日本と同盟条約を結んでいた東南アジアで唯一、欧米に植民地とされていない国がありました。タイ王国です。日本と同様、長年にわたり代々の王家が国のトップにおられます。
タイは、ABCD包囲網が敷かれる中、唯一、生ゴムや綿などの全量を日本へ輸出してくれました。また、同盟条約を帰結していた関係でタイにも爆撃が始まりましたが、タイも米欧に対して毅然と宣戦布告をされました。また、戦後、GHQにより占領されていた日本の債務を軽減してくれたばかりか、日本の子どもたちが可哀そうだということで、「像のはな子」と「タイ米10トン」をプレゼントしていただいたのです。

タイでも多くの自然災害が起こっています。また、現在はお国の内情で政情が非常に不安定となっています。
私たちが忘れてはならないのが、このような恩義だと思います。そのような歴史をしっかりと学び、世界や心からお世話になった国々に還元していくことだと思います。先人が培った日本精神を忘れてはいけないんだと思います。しつこいですが受けた恩義を忘れてはいけないのだと思います。

近現代史を歪曲して、自国のナショナリズムを煽り、相手を馬鹿にする国より、このような素晴らしい国がアジアにあるのだということを覚えておくことが必要です。経済も大事ですが、このような恩義、忠義、正しい精神を重視する姿勢こそ、これからの人と人が融和していく国際社会に必要なことだと感じます。

詳しくは、『 ひと目でわかる 「アジア解放」時代の日本精神 』 水間政憲 著 (PHP研究所)をご興味のある方はご覧くださいませ。著者の感情や私見ではなく、事実がしっかりと調査されまとめられています。そんな本に「日本」や日本精神を感じました。

建国記念の日とは、日本書紀に記されている、日本の初代天皇であった神武天皇が即位された日を記念したものだそうです。

日本の精神、日本人の心は、いろんな形で受け継がれていると私は信じております。
そんなことを建国記念の日に感じてみました。

 

  二葉鍼灸療院 田中良和 

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なぜ日本人は伊勢神宮(神宮)へお参りにいくのだろうか!?

2013年11月15日 | 日常

平成25年は、伊勢神宮(神宮)が20年に一度の式年遷宮の年です。出雲大社も60年に一度の式年遷宮の年です。今年は例年に増して伊勢、出雲ともに多くの参拝者でにぎわっているとか

私は今月の11月23日、24日の連休に出雲大社へお参りにいってまいります。

そこで、あまり小難しく考えず、自然に自分の中に湧いてきた「なぜ、日本の皆様は伊勢神宮に参拝したくなるのだろう?」というところを自分なりに考えたことを書いておきたいと思います。

昨年は奈良のお寺巡りをしたのですが、その小旅行も出雲へ行く前にブログ更新したいと思います

 『日本の心を伝える伊勢の神宮』  山中隆雄 著を参考に、自分なりに考えていきたいと思います。

  (緑字は抜粋です わたしの言葉は◎です)

今から千三百年前に、『古事記』などの歴史編纂を命じられた第四十代の天武天皇が、伊勢の神宮は二十年おきに新しい建物にする制度を定められました。神宮の年中行事の最重要祭典は新嘗祭です。その祭典の二十年に一度の大新嘗祭が遷宮と考えてよいと思います。

人間生活に必要な「衣・食・住」について、神宮では「食」は毎年、新嘗祭で新しく蘇っているのですが、「居・住」は二十年に一度すっかり新しくするわけで、それが式年遷宮です。式年とは「定めの年」の意味で、二十年に一度と決めて行われるのです。
(天武天皇の皇后さまであった第四十一代の持統天皇4年に第1回の式年遷宮が行われ、今年で62回目となります)

 ◎式年遷宮をみても、一つのことを継続して行うことの大切さがわかると思います。千年以上にわたって政権が代わっても、時代が変わっても、天皇に対する国民の考え方が違っても、粛々と伝統が受け継がれ、毎日のお祭りの中で神宮において変わることなく行われています。そこに易経で言う不変、変易、簡易という自然に即した考え方もがあるのだと思います。変わらず受け継がれてきたことこそ人々の精神の軸、何事があろうと揺るがない強さであり、日本が発展するうえでの根幹・見えない基盤となったきたのではと思います。

 生物から子へ生命を同じ姿で引き継ぐように、あるいは人間の身体の細胞は日々新しく生まれ、古いものと変わりつつ遺伝子を確実に受け継いでいくように、また、稲が同じ形で稔り、親と全く同じ姿で生まれ変わるように、それぞれの個体の永遠の命を維持するのと同じ自然の心と形で表しているのが遷宮です。

ピラミッドやパルテノン神殿も、永遠を目指して造られたはずですが、今は廃墟となりました。それに比べ神宮は今も神々しく輝き、日々の祭りが行われ、生き生きと存在しています。したがって、そこには深遠な思想があり、遷宮とは、社殿を新しくすることにより、国も生まれ変わり、国民も新鮮に清く明るく、日本の国が若返り、永遠の発展を願うという最大最高のお祭りと言えるのではないでしょうか。

◎私たちは清掃された場所や、空気のよい場所でいると、気分よく過ごすことができます。そして、明るい気持ちで行動できます。仕事や人生の活力にもなります。しっかり睡眠をとって身体の新陳代謝がスムーズに行われると、朝、気持ち良く目覚めることができますし、体も心も軽く楽しい一日、活力ある生活を営むことができます。神宮で日々行われるお祭り、式年遷宮や新嘗祭による神宮の清い空気を纏うことにより(ご参拝すること)、私たちも精神や魂、心身を清く明るいものにさせていただいているのでしょう。

第58回(明治42年)の遷宮の時のことです。その当時、神宮は国が運営していました。そのときの内閣を代表して、芳川顕正内務大臣と田中光顕宮内大臣の二人が明治天皇に、神宮の建築様式について掘立柱などの古風の様式を近代的に改め、また檜材の確保の問題も含めて遷宮の際に意識の改革を具申したところ、陛下は許されず、「我が国の固有の建て方で、昔の古いことを知り、祖宗が質素な中に起臥あそばされたということなど神宮を通して、我が国建国の基を知るのであるから、永久不変のものでなくてはならぬ」と仰せになり、第58回式年遷宮以後も、そのままの様式を踏襲されたと、『明治天皇紀 第十』や日野西博 著『明治天皇の御日常』でも知ることができ、神聖な天祖の地の美風を尊ぶ陛下の御心を教えられ、感動したことが忘れられません

◎世は西洋文明を取り入れるのに躍起になっている明治時代です。上記の具申に対して何が大切かを説いた明治天皇の御言葉は腑に落ちました。変化は世の常なれど、変えてはならぬものがある。何を変えて、何を変えてはならないかを、過去を鑑み、未来を見据えて、今、より正しい道を選択する決断が必要になります。私たちは神宮や出雲大社、全国各地に散在する神社に対して、このような悠久の昔から変わらない目に見えない根本というものを感じ、感謝するために参拝に足を運ぶのかもしれません。

また遷宮では、これらの建築物を新しくするのと同時に、神様の御装束(おんしょうぞく)や神宝(しんぽう)も古式のまま新しく調達されます。装束とは「飾り立てること」で、衣服、装飾品など、遷御の儀式に用いる品々の総称です。神宝とは神様の調度品で、紡績具、武器、馬具、楽器、文具など、全部で二千五百点になります。これらが確実に調製され、次代へ継承されることにより、日本の技法が脈々と伝わっていくわけです。

◎遷宮では、全てを新しく生まれ変わらせるわけですが、技法、技術、そこに流れる精神は古と寸分変わらないものを伝承していく・・・本当に素晴らしい伝統を伝えるシステムだと思います。

日本人がなぜ神宮(お伊勢さん)や出雲大社など神社へお参りにいくのか そのような壮大なテーマは私には分かりませんが、私自身は、一つに、まず日本という精神文化を脈々と受け継いでいただいている見えない力への感謝と畏怖、一つに、その心でご参拝することによる謙虚さの再確認、一つに、神聖な、清澄な、凛とした空気に触れることで新しく清い自分に生まれ変えることが、お参りにいきたくなる、突き動かされる理由なのかもしれません。

そして、それを自分の生活に活かすことではないかと思います。

そんな気持ちで、出雲大社へお参りに行ってきたいと思っています

久しぶりの長~~~~いブログにお付き合いいただき、ありがとうございます

   二葉鍼灸療院 田中良和

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平成25年 二葉清友会 新春の集い

2013年01月26日 | 日常

1月6日(日)、私が修行していました東洋医学研究所 所長 黒野保三先生のところで新春の集いが、名古屋市千種区覚王山にあるルブラ王山で(午前11時~午後1時)開かれましたので行ってきました。

二葉清友会とは、東洋哲学や日本の精神文化を学び、ただ書物を勉強するのではなく、それを社会や人生、鍼灸の道に照らし、実践するための勉強会です。この会は鍼灸の臨床研究の場である東洋医学研究所や各臨床鍼灸医学研究会と双璧をなす大切な会なのです。

会場であるルブラ王山の入り口で、御来場の皆様の案内をするグループの先生方です

やっぱり名古屋はイイ天気 コートもいらんのではってくらいお日様が…

 

開会に先立ち、会長の黒野先生から新年のご挨拶

名古屋は第二の故郷みたいなものです。そして、地元で鍼灸臨床あるいは業界活動をしている空気とは違った新鮮なお話が聞けるのも、この新春の集いに顔を出したい一つの理由でもあります。やっぱり師匠の顔が見たいというのもあるわけです。私の鍼灸診療の親であるわけですからね

黒野先生は、御年82歳。今でも現役で頑張っておられます。そして、鍼灸医学、鍼灸医療へかける情熱や信念はいささかも衰えていません。逆に「小さいことはもう結構、大きなところから鍼灸の真実の探求をしていこう」というスタンスで、世界を見つめて鍼灸の普及に努めておられます。
”小さなこと”っていうのは分かる人には分かる…ということにしておきましょうかね。

いや~いつ行っても衝撃的なお話が聞けて、すごく刺激になります
そして、感動します。何が感動するかというと、やっぱり鍼灸にかける情熱、そして、情報収集の速さと広さです。
そんな話を聞き、また、兄弟子、弟弟子の活躍を見て、ビリビリ刺激を受けて正月から自分のモチベーションをハイテンションにするわけなんですね。本当に感謝です

   

宴もたけなわで~す

歌う師匠 

本日、ご来賓のお二人
向かって右が元 明治国際医療大学 教授  北出 利勝先生
左は、鈴鹿医療科学大学 鍼灸学部 教授 佐々木 和郎先生

黒野先生は、鍼灸研究や鍼灸医学の第一線でご活躍されていますので、交友関係もすごいものがあります。鍼灸師だけではなく、経済界、宗教界、医学界と幅が広いのでございます。これもすべて信念のなせる業ですね

いい刺激を名古屋で受けたのか、1月は臨床、その他の仕事 がたいへん忙しく、昨年の3ヶ月分動いている感じです。

帰りに同じ黒野門下で新潟県村上市で研究に、臨床に、頑張ってみえるK先生とともに、名古屋駅のミッドランドスクエアにある『土屋鞄製造所』に足を運びました。K先生がここの製品が好きでよく行くのですが、ここの皮製品はお高いですけど、すごく味があるし飽きが来ない、いい製品だなと思いますね。

いいものを見ると自分の感性なんかも磨かれるんです。

こんどお金貯めて、鞄を購入しよう と心ひそかに思ってます。

そんなことで、金沢へたくさんのお土産を持って岐路についたとさ 

   二葉鍼灸療院 田中良和

トップの写真は昨年行った、奈良公園の鹿ちゃんです。まったく文章とは関係ありません

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2013年 元旦

2013年01月18日 | 日常

新年あけまして、だいぶん経ちましたが、おめでとうございます

久しぶりのブログ更新です。新年を迎えて私の動き回り具合も少しは落ち着くかな~と思いきや、昨年よりさらに慌ただしく、正月から動き回っている状態です。忙しいっていいことですけどね。

今年からブログの文字を大きくしてみました。先輩から「年を重ねると、小さな文字が…」とご指摘がありましたので、大きくしてみたわけです。すぐ行動するのは今年のテーマですから。
今年の私のテーマは「気づき」即「行動」です。失敗することはあるかもしれませんが、いろんな気づきを得たら、できるだけ速やかに行動に移し、一歩を踏み出す。そんなテーマを自分に課せながら、もう一人の自分にケツを叩いてもらって今年一年、楽しい人生を歩んでいきたいなと思います。

さて、今年の元旦は雪が降り、風が強い日でした。大雪ではないもののトータルすると今年の金沢の冬は寒い冬です。そんなことでグッと寒くなって来たのと、年末年始の忙しさで、腰痛や首痛が増加し、リウマチや神経痛などをお持ちの方は痛みが強くなってきているようです。そんな時は、鍼灸治療をどうぞ

今年の元旦も・・・まだ一人なので自分のペースで時間を過ごすことができました。仕事やその他の雑事を頭から一掃し、日頃の慌ただしさ忘れ一日を過ごさせていただきました。

まずは氏神様であるご近所の”小坂神社”へ初詣に行かせていただきました。
金沢市小金町で今年も仕事をさせていただくことへの感謝の気持ちで手を合わせてきました。神様へお参りする時は、いつも”ただ感謝””ありがとうございます”という心で手を合わせています。

小坂神社へのお参りを終えた後、今年は広坂にある”石浦神社”へ初詣に行かせていただきました。

尾山神社を通ったのですが、あまりにも行列が長すぎるため遠くから手を合わせ そして石浦神社へ向かったのでした。ここの御祭神に大物主大神(大国主大神)が祀られており、縁結びということで、今年結ばれるいろいろなご縁に感謝すべく、手を合わせさせていただきました。

そして、本日最後の目的地へ。

さらに気持ちを厳かに神社仏閣へ……ではなくて、ホテル日航金沢の”ファウンテン”にてケーキを食しながら、コーヒーブレイク。

ここ数年のパターンです。「優雅ですね」と言われますが、そんなこともないんですよ。でも、お正月の喫茶というのは何か静かで落ち着きます。ここで読書をするわけです。一年の計は元旦にありではありませんが、今年の仕事や人生の方針を読書をしながら思考、妄想して、自分を鼓舞するわけです。

今年読んだ本は『人と接するときに大切にしたい  サービスを超える瞬間 〈実例・実践編〉』です。

この本は、ザ・リッツ・カールトン・ホテルの日本支社長 高野 登さんが監修された本です。私たちは鍼灸診療という医療、福祉の分野の仕事をしているわけです。そこに大切なのは鍼灸に対する知識や技術、それに対する情熱や信念という人間性だと思います。
ここを抜きにしてはこの本は活かせないのですが、もう一つ、案外、私たち業界が欠けている分野はサービスという分野です。患者さま、お客様の対応ですね。 ここばかり重視してもいけませんが、他業種に見習わなければいけない所だと思います。それも一流の、そして成功している企業のもの(成功するまでは失敗や反省を積み重ねるわけです)は、本当に大切であり、私たちの仕事にも活かされると感じています。

本を読みながら、感心し、感動しました。 そして実践できるところから、実践していかねば~ネバ~と思ったわけです

期間限定のケーキを食べながら、コーヒーのお代わりもいただきながら、4時間と少し読書をさせていただきましたとさ。

私の2013年 元旦はこんな感じで過ぎていきました~。

昨年の6月からドタバタ活動ブログが更新できませんでしたが、今年は更新していきたいと思います。皆さま、今年もよろしくお願いします。そして、今年も長いブログになりますことをお許しくださいませ

  二葉鍼灸療院 田中良和

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TANAKA デジカメ3号機

2012年09月20日 | 日常

これから戦友となる新たなデジカメを購入しました

思えば・・・

デジカメ初号機(COOLPIX  P3 ~Nikon~)は、3年前、石川県立野球場のスタンドと思われる場所にて、消息を絶ち、そのまま行方不明のまま捜索を打ち切りました。

デジカメ2号機(LUMIX  TZ7 ~Panasonic)は、10か月前、金沢片町プレーゴ通り付近でパイロットの深酒が原因で携帯電話とともに姿を消し、行方不明。懸命の捜索にも関らず、未だ発見されていません(携帯電話は奇跡的に救助され帰還)。 

しかし、ブログ更新、様々な行事での写真撮影などに気軽に持っていけるデジカメがどうしても必要であるということで、今回の3号機購入となりました。

デジカメ3号機は、COOLPIX  S9300 ~Nikon~です。

もう少し仕事頑張ったら、これに4号機となる一眼レフのデジカメを購入しようかな~と構想を練ってます。

TANAKAデジカメ3号機、今度は行方不明にならないように気をつけますんで、頑張って仕事してちょ~だいね


  二葉鍼灸療院 田中良和

 

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死後の「いのち」 3

2012年04月13日 | 日常

死後の「いのち」…続きです。最終部です もう少しお付き合いくださいね

第2部では真の無償の愛について書きたいと、最後に書きました。

真の無償の愛とは何か 親子の愛なのか、夫婦の愛なのか、なんとなく想像はできるのですが、私もまだまだ未熟者ですので、真の無償の愛を実践され、世界から尊敬され、敬愛された、マザー・テレサの言葉を締めくくりとして書きたいと思います。

 ~引用開始~

 分かち合えない愛など、何の意味もありません。愛は行動で表わすべきなのです。見返りを期待せずに愛さなければなりません。愛そのもののために何かをすべきで、何かを受け取れるかもしれないから、するのではないのです。
 あなたがもし、何かの見返りを望むなら、それはもう愛ではなくなってしまいます。真実の愛とは、条件をつけたり期待することではなく、愛することなのです。

 求めれば、神があなたを導いてくれます。神が私たちを、ここにいるエイズの患者の世話をするように導いてくれたように。私たちは患者を裁くことはしません。私たちは、彼らにいったい何が起こったのかとか、どうして病気になってしまったのか、などと尋ねることはありません。

 ただ、彼らが今、何を必要としているのかを見きわめ、世話をするだけです。

 私は、神がエイズという病でもって、何かを私たちに語りかけているのだと思います。私たちの愛を示す機会を与えてくれているのだと思うのです。エイズに冒された人々は、きっとこの場所で、これまで拒絶され、忘れていた優しい愛に気づいてくれることでしょう。

 次に紹介するシスター・ドロリスの言葉は、愛をもって生きることが、どんなに簡単なのかをよく示してくれます。

≪シスター・ドロリスの言葉≫
 エイズに罹って〈家〉にやってきた人たちは、最初、とてつもない恐怖感を抱いています。彼らにとっては、死に向かっているのだという事実に対処するのはとても難しいことなのです。しかし、〈家〉で私たちと一緒に暮らし、他の人々の最後の瞬間を見届けているうちに、彼らは変わります。

 私はニューヨークで出会った一人の男性患者のことをよく覚えています。彼の母親がプエルトリコからやってきて、もし、彼が家に帰ってくるのであれば、自分が看護すると言いました。男は母親に感謝しながらも、自分はここに残ると言いました。ある日、彼はこう言いました。「私が死ぬ時には、あなたがここにいて、手を握っていてくれるんだよね」 彼は私たちが他の人にそうしているのを見ていたので、自分が独りぼっちで死ぬことはないと知っていたのです。

 それはまったく単純な現実なのです。死に行く人々は彼らが受ける愛によって心を動かされるのです。その愛というのは、ただ手にふれることだったり、コップ1杯の水を持ってきてくれることだったり、甘いお菓子を分け与えてくれることなのです。 
 あなたはただ、彼らが求めているものを、彼らに持っていくだけなのです。それで彼らは満たされ、誰かが自分を心配し、自分を愛し、自分を必要としていることを知るのです。

 そういうことが、彼らにとっては最も大きな支えとなるのです。そういうことを通じて、彼らは、神というものは最も親切で優しいに違いなく、自分たちの魂は、きっと神のもとへ召されるだろうと信じるのです。

 私たちが説教をしなくても、ただ愛を持って行動しているだけで、彼らは神の恵みにふれることになるのです。

 ~引用終了~ 『マザー・テレサ 語る』  ルシンダ・ヴァーディ 編 

相手の気持ちになって、相手の求めていることを、見返りを求めず、ただ実践する。

その行動は特別なことではなく、自分ができる最善のことを、ただ手を差し伸べるだけ。

簡単なことですが、難しいでしょう。特にお金や物質が世の中の富の基本となっている現代においては。

「死」からいろんなことを考えてみましたが、私の考えとして、今回、勉強させて頂いたことは…

「人が100%の確率で起こる出来事は〈死〉である。〈死〉を意識することによって、心と肉体をまとう有限な人生において明確な目標ができる。〈死〉は決して辛いものではない。〈死〉そして〈死後のいのち〉はこの世の人生の成長によって決まる。人が成長し、いい死・死後のいのち、のためには、愛をもって思考、行動する。究極の自由とは、真の無償の愛に従った思考と行動である」

そんなことを、往診先のおばあちゃんがきっかけで勉強させて頂きました。

すご~く長文になりまして、最後までお読み頂きまして、ありがとうございます

 

二葉鍼灸療院 田中良和

 

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死後の「いのち」 2

2012年04月12日 | 日常

死後の「いのち」…続きです

 ~引用再開~

(第四期)
 生還者が「至上の本源」を面前にしたと報告する段階である。これを神と呼ぶ人たちもいる。過去、現在、未来にわたる、すべての知識があったとしか言えないと報告した人たちも多い。批判することも、裁くこともない、愛の本源である。この段階に達した人は、それまでまとっていたエーテル状の霊妙な体を必要としなくなり、霊的エネルギーそのものに変化する。その人が生まれる前にそうであったような形態としてのエネルギーである。人はそこで全体性、存在の完全性を経験する。

 走馬灯のように「ライフ・リビュー」(生涯の回顧)を行うのは、この段階である。自分の人生すべてを、そこで振り返ることになる。その人が生前に行ったすべての意思決定、思考、行動の理由が逐一あきらかにされる。自分のとった行動が、全く知らない人も含めて、他者にどんな影響を与えたのかが、手に取るようにわかってくる。他にどんな人生を送ることができたのかも示される。あらゆる人の命が繋がりあい、すべての人の思考や行動が地球上の全生物にさざ波のように影響をおよぼしている様を、目の前に見せられる。
 
 天国か地獄のような場所だ、と私は思った。たぶんその両方なのだろう。

 神が人間に与えた最高の贈り物は自由意志による自由選択である。しかし、それには責任がともなう。その責任とは、正しい選択、周到な、誰にも恥じるところもない最善の選択、世界のためになる選択、人類を向上させるような選択をするということだ。生還者の報告によれば、「おまえはどんな奉仕をしてきたか」と問われるのはこの段階である。
 これほど厳しい問いはない。生前に最善の選択をしたかどうかという問いに直面することが要求されるのだ。それに直面し、最後にわかるのは、人生から教訓を学んでいようといまいと、最終的には無条件の愛を身につけなければならないということである。

 こうしたデータから私が引き出した結論は、いまでも変わっていない。
それは、富む人も貧しい人も、アメリカ人もロシア人も、みんな同じ欲求をもち、同じものを求め、同じ心配をしているということだ。事実、私はこれまでに、最大の欲求が愛ではないという人に出会ったことがない。

 真の無条件の愛。

 結婚した二人の中に、助けを必要としている人に対する、ちょっとした親切の中に、それをみることができる。無条件の愛は見間違いようがない。心の底で感じるものなら本物である。それは命を織りなす、ありふれた繊維であり、魂を燃やす炎であり、精神にエネルギーを与えるものであり、人生に情熱を供給するものである。それは神と人との繋がりであり、人間同士の繋がりである。

 生きている以上、誰もが苦しい目にあう。偉大な人もいれば、無価値に見える人もいる。だが、いかなる人も、私たちがそこから何かを学ぶべき教訓である。私たちは選択を通じてそれを学ぶ。よく生き、したがって、よく死ぬためには、自分に「どんな奉仕をしているか」と問いかけながら、無条件の愛という目標をもって選択すれば、それで充分なのだ。

 選択は自由であり、自由は神から与えられたものだ。神が与えた自由は、成長する自由、愛する自由である。

 人生は洗濯機の中でもまれる石のようなものだ。粉砕されて出てくるか、磨かれて出てくるか、結局は、それぞれの人が選択している。

 ~引用終了~ 『人生は 廻る 輪のように』 エリザベス・キューブラ―・ロス  上野圭一 訳

長々と引用しましたが、「死」は避けることのできないもので、死の後に何が残るのかと思った時、あちらの世界に戻る人、この世に残される人も、このように考えた方が気持ちも楽になると思うのです。一つの考え方です。

死を前提にして「どう生きるか」ということが死を意識した時に生まれるのでしょうね。
”一日一生””武士道とは死ぬこととみつけたり”など、人生をどう生きるか ということが言われていますが、人生を集約させた言葉なのでしょうかね。

また、どう死ぬかは、どう生きるかであり、結局のところ「どんな奉仕をしたか」であって、どれだけ世のため、人のため、愛を実践できたかなのでしょう。
責任を持って自由を実践すること、愛を実践することが自分を自由にするのかもしれません。

日本人が持つ「死」のイメージを変える必要があるのかもしれません。

内科医であり、緩和医療医である大津秀一 先生は、著書 『死ぬとき人はどうなる 10の質問』で、以下のように書かれています。

 ~引用開始~

 医療行っていると、どんなに手を尽くしても人が生きられないときがある、ということが実体験としてわかる。最初はそれが辛いと思った。医師の限界を感じた。
 しかし、思うようになった。「誰でも死ぬのだ」と。そしてある程度寿命を全うした死は、そんなに忌避されるべきものであるのかと。

 いつも言っていることだが、「死が敗北」であるならば、人は必ず最後に負けることになってしまう。等しく皆が負ける。そんな人生は楽しいだろうか?
 人が死ぬことは避けようがない。当面そんな時代が続くと思う(し、また万が一、医療の進歩が死をなくしてしまったとしても、それが幸せとは限らない)。なので、死を前提にして、楽しく、幸せに生きる「ものの考え方」が必要になるのではないか。

 しかし、死にゆく人が皆不幸を感じているかというと、実はそうではない。むしろ幸せを感じていらっしゃる方も少なくない。皆さんも身内の方に、感謝を述べられて最後の日を過ごされていた人がいらっしゃったかもしれない。

 たくさんの患者さんの終末期に接しさせて頂いていると、実は少なくない方が幸福に生活されていることに気づく(もちろん症状緩和がきちんとなされている場合である。緩和医療はとても重要なのだ)。
 大井玄先生が調査されているが、障害を持たれている方や、死に近い人々の生活の質は実はそれほど低いわけではない。むしろ若く、欲求が強く、結果求めるものが手に入らない可能性が高い若い世代よりも、生活の満足度は高いことが示されている。

 つまり与えられた状況を、どのように考えるかによって、その人の生活の質というものは大きく変わるのである。そして、命が短く、動けなくても、十分に幸せと、誰もが表現し得るだけの心を持っているのである。しかし有事にならないとその力が発揮できないだけだ。

 アウシュビッツに収容された経験がある『夜と霧』の作者である精神分析学者のV・E・フランクルも言っている。「人生は豊かな意味で満たされている、しかも無条件に」そして、「苦しみや死の中にさえ、意味を見出す可能性がある」(『生きる意味を求めて』)と。
 また、こうも言っている。「私たちは、いつかは必ず死ぬ存在です。私たちの人生は有限です。私たちの時間は限られています。私たちの可能性は制約されています。こういう事実のおかげで、こういう事実だけのおかげで、そもそも、何をやってみようかと思ったり、何かの可能性を生かしたり実現したり、成就したり、時間を生かしたり充実させたりする意味があると思われるのです。死とは、そういったことを強いるものなのです。ですから、私たちの存在がまさに責任存在であるという裏には死があるのです」と。
 そして、「死は生きる意味の一部になっており、苦難と死は人生を無意味なものにしません。そもそも、苦難と死こそが人生を意味あるものにするのです」(『それでも人生にイエスと言う』)とまで言い切っている。

 人が死ぬことを認めるからこそ、そしてまた、人が必ず死ぬことを受け入れることこそが、人生を充実したものにさせるのである。

 ~引用終了~ 『死ぬときはどうなる 10の質問』  大津秀一 著

死に対する状況はいろいろだとは思いますが、その捉え方を、人生に対する感謝、生かされている命に対する幸せに目を向け、違った視点で捉えることによって「死」の見え方が違ってくることを書かれているのかなを思いました。

そして、通常、私たちが思っているよりはるかに、身体的、精神的ケアが充実していれば、そこに家族の協力もあるでしょうけど、「死」に近い方々や障害を持っている方々の生活の質が高いことには驚かされるとともに、勉強になりました。

死、そして死後の「いのち」を踏まえ、私たちが実践していくべき、心に宿すべきは、ロスさんが言われている真の無条件の愛なのではと思います。

そのことに関して、第3部(最終部)で少しだけ書きたいと思います。


二葉鍼灸療院 田中良和

 

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死後の「いのち」 1

2012年04月11日 | 日常

今日、90歳のお嬢様 のところへ往診に行きました。

「こんにちわ~」ってお部屋へ入り、襖を開けたところ、お嬢様が椅子によりかかり、顔は天井に向け…結論から言うとお昼寝していたわけです。

しかし、私はというと  「え~っ ○○さん」って感じでビックリしたわけです。いつも治療しているときの口癖である、「はよ、お迎えが来てほしいわ」が本当になったのか と思ったわけです。
近づいてよくみると遠くからでは確認できませんでしたが、胸郭が動いており、呼吸もあるので一安心でした。話を聞くと、今日は午前中お風呂へ入れてもらい、部屋が暖かいのと合わせて眠ってしまったとのことでした。

良かった でも、そこで「死」について,、フッと考えたわけです。

人生で必ず訪れる出来事は「死」です。「死」とはどういうことなのか。「死」をどう捉えて人生を歩むことが大切なのか。そんなことをこの出来事をきっかけに考えようと思ったわけです。

当院では、不妊症(未妊症)の人が多く訪れ、人の「誕生」に関らせて頂いています。
また、成長期のスポーツ障害の若者も多く訪れ、人の「成長」に関らせて頂いています。
また、がん治療後のケア、再発予防にも訪れて頂いています。「がん」=死ではありません。しかし「死」を最も意識する疾患であることは間違いありません。そして、「死」をどう捉えるかの認識を持つことで、人生に向き合う姿勢が変わってきます。そんな意味でも、この疾患を治療する場合は、施術者はその認識や知識がないと、対応が難しくなります。また施術者自身にもストレスが溜まる結果となります。そんな貴重な経験をさせて頂き、学ばせて頂いています。

さて、「死」は必ず来る現実であり、それをどう認識するかで、人生も変わってくるようです。
少し長くなりますが、エリザベス・キューブラ―・ロス 『人生は 廻る 輪のように』から引用させて頂きます。長いですぜ

  ~引用開始~

 それまで私は、死後の世界などまったく信じていなかった。しかしデータが集まるにつれて、それらが幻覚でも、偶然の一致でもないことを確信するようになった。自動車事故で医学的に死亡が確認されたある女性は、生還する前に「主人に会ってきた」と証言した。その女性はのちに医師から、事故の直前に、夫が別の場所で自動車事故を起こして亡くなっていたことを知らされた。30代のある男性は、自動車事故で妻子を失い、失意のあまり自殺したときのことを証言していた。やはり死亡が確認されたが、その男性の家族に再会し、みんな元気そうであることを知って、生還してきた。

 死の体験にはまったく苦痛がともなわないこと、二度とこちら側に帰ってきたいと思わなかったことも、すべての症例に共通する体験だった。かつて愛した人、愛された人たちと再会し、あるいはガイド役の存在と出会ったあと、彼らは世にも素晴らしい場所に到達して、もともとの世界には戻りたくないと感じる。ところが、そこで誰かの声を聞くことになる。「まだ、その時期ではない」という意味の声を、事実上、すべての人が聞いていたのである。5歳の男の子が母親に死の体験の素晴らしさを説明しようとして絵を描いている場面は、いまでもよく覚えている。男の子は光り輝くお城を描いて、「ここに神様がいるんだよ」と言った。それから、あかるい星の絵を描き足した。「ぼくが、このお星さまをみると、お星さまが『もう、おかえり』っていったんだ。


 こうした驚くべき発見の数々から導き出されたのは、さらに驚くべき科学的結論、すなわち、従来のような死は存在しないという結論だった。どんな定義になるにせよ、死の新しい定義は肉体の死を超越したところまで踏み込まなければならないと、私は感じていた。それは、肉体以外のたましいや霊魂といったもの、いのちに対する高度な理解、詩に描かれたもの、たんなる存在や生存以上のなにか、死後も連続する何かを吟味しなければならないということであった。

 死の床にある患者は五つの段階を経過していく(否認→怒り→取引→抑うつ→受容)。そして、そのあと、「地球に生まれてきて、宿題を全部すませたら、もう、からだを脱ぎ捨ててもいいのよ。からだはそこから蝶が飛び立つさなぎみたいに、たましいを包んでいる殻なの」というプロセスをへて、…それから、人生最大の経験をすることになる。死因が交通事故であろうとガンであろうと、その経験は変わらない(ただし、飛行機の衝突事故のような、あまりに唐突な死の場合は、自分の死にすぐ気づかないこともある)。
 死の経験には、苦痛も、恐れも、不安も、悲しみもない。あるのはただ、蝶へと変容していく時の、温かさと静けさだけなのだ。

 ~引用中断~

エリザベス・キューブラ―・ロスは、医学博士で、精神科医。ターミナルケア(終末期医療)、サナトロジー(死の科学) のパイオニアです。

彼女が数万人という面接から導き出した臨死体験のデータ。イヌイットから、アメリカ先住民、プロテスタント信者から、イスラム教徒、また年齢も2歳から99歳まで、文化的にも、宗教的にも、年齢的にも多種多様な症例を検討しました。

彼女は、「そのすべての症例の臨死体験には共通性があり、体験の真実性を強く示唆していた」
と話しています。

~引用再開~

 面接のデータを分析して、私は死亡宣告後の経験をいくつかの特徴的な段階にまとめた。

(第一期)
 まず最初に、肉体から抜け出し空中に浮かびあがる。手術室における生命徴候の停止、自動車事故、自殺など、死因のいかんにかかわらず、全員が明瞭な意識を持ち、自分が体外離脱している事実にはっきりと気づいている。さなぎから飛び立つ蝶のように、肉体からフワッと抜け出すのだ。そして、自分がエーテル状の霊妙な体をまとっていることに気づく。何が起こったのかは明晰に理解している。その場にいる人たちの声が聞こえる。蘇生を試みる医師チームの人数を数えることも、つぶれた車から自分の肉体を救出しようとしている人たちの姿を見ることもできる。自分の死の瞬間にベッドサイドで親族がいった言葉を覚えている人はたくさんいる。
 
 第一期で経験するもう一つの特徴は「完全性」である。例えば、全盲の人も目が見えるようになっている。全身が麻痺していた人も軽々と動けるようになり、喜びを感じる。病室の上空で踊り始め、それがあまりに楽しかったので、生還してからひどい抑うつ状態になった女性もいる。実際、私が面接した人たちが感じていた唯一の不満は、死んだままの状態にとどまれなかったということだった。

(第二期)
 肉体を置き去りにしてして、別の次元に入る段階である。体験者は、霊とかエネルギーとかしかいいようのない世界、つまり死後の世界にいたと報告している。ひとりで孤独に死んでいくことはないのだと知って、安心する段階である。どんな場所で、どんな死に方をしようと、思考の速度でどこにでも移動することができる。自分が死んで、家族がどんなに悲しむだろうかと思ったとたんに、一瞬にして家族に会うことができたと報告する人は数多くいる。たとえ地球の反対側で死んでも、その事情は変わらない。救急車の中で死亡した人が友人のことを思い出したとたんに、仕事場にいるその友人のそばに来ていたと報告する人もいる。

 この段階は、愛した人の死、とりわけ、突然の悲劇的な死を嘆き悲しんでいる人にとっては大きななぐさめになる時期でもあるということが分かった。ガンなどで次第に衰弱して死を迎えている場合は、患者も家族も死という結末に備えるだけの時間がある。しかし、飛行機の衝突事故はそうはいかない。飛行機事故で死んだ本人も、最初は残された家族に劣らず混乱している。ところが、この段階に入ると、死んだ人自身にも何が起こったかを解明するだけの時間が持てるようになる。
 面接をした全員が、この段階で守護天使、ガイド―子どもたちの表現では遊び友だち―などに出会ったことを覚えている。報告を総合すると、天使もガイドも遊び友だちも同一の存在であり、包むような愛で慰めてくれ、先立った両親、祖父母、親戚、友人などの姿をみせてくれる。その場面は生還者たちに、喜ばしい再会、体験の共有、積もる話の交換、抱擁などとして記憶されている。 

(第三期)
 守護天使に導かれて、次の第三期に入っていく。その始まりはトンネルや門の通過で表現されるのが普通だが、人によってそのイメージは様々である。橋、山の小道、きれいな川など、基本的にはその人にとって一番気持ちのいいイメージが現れる。サイキックなエネルギーによって、その人自身がつくり出すイメージである。共通するのは、最後にまぶしい光を目撃することだ。

 ガイドの導きで近づいていくと、その強烈な光となって放射されているものが、実は、温もり、エネルギー、精神、愛であることが次第に分かってくる。そして、ついに了解する。これが愛なのだ。無条件の愛なのだ。その愛の力は途方もなく強く、圧倒的だったと生還者たちは報告している。興奮がおさまり、安らぎと静けさがおとずれる。そして、ついでに故郷に帰っていくのだという期待が高まってくる。生還者だちの報告によれば、その光こそが宇宙のエネルギーの究極の本源である。それを神と呼んだ人もいる。キリストまたはブッダと呼んだ人もいる。だが、全員一致したのは、それが圧倒的な愛に包まれているということである。あらゆる愛のなかで最も純粋な愛、無条件の愛である。何千、何万という人からこの同じ旅の報告を聞くことになった私は、誰一人として肉体に帰りたいと望まなかったことの理由がよく理解できた。
 
 しかし、肉体にもどった人たちは、異界での体験がその後の人生にも深遠な影響を与えていると報告している。それは宗教体験とよく似ていた。そこで大いなる知恵を得た人たちもいた。預言者のような警告メッセージを携えて帰還した人たちもいた。まったく新しい洞察を得た人たちもいた。それほど劇的な体験をしていない人も、全員が直感的に同じ真理をかいまみていた。すなわち、その光から、いのちの意味を説明するものは唯一つ、愛であるということを学んだのである。

 ~引用中断~

長くなりましたので、第2部に移りま~す。 長いでしょ

では、次へ

二葉鍼灸療院 田中良和

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研修会講師をお招きしての前夜祭

2012年03月24日 | 日常

たいへん遅れていますが、2月18日(土)、明日行われる(社)全日本鍼灸学会中部支部研修B講座で石川県に前泊している講師を招いて歓迎会が開かれましたので参加しました。

この日は寒い日でした。雪でした。

会場は片町の『とと桜』というお店でした。

明日の講師は明治国際医療大学 鍼灸学部 准教授の和辻先生。

石川県鍼灸研究会(旧 全日本鍼灸学会石川地方会)の代表幹事である中田先生とは同期だとか(中田先生…側頭部と右耳しか写っていないですね)。私は毎年、全日本鍼灸学会学術大会に参加しますが、その時に会釈程度に面識はありました。

同じく同期の石川県針灸師会 会長の定池先生も親睦会、研修、両方にご出席して頂きました。

東洋医学研究所の甲田先生、森ノ宮医療大学の山下先生、明治国際医療大学の江川先生も同期だとか…なかなかご活躍の面々が明治鍼灸大学(現 明治国際医療大学)の同期にいるんだな~なんて感心していました。とさ。

私も和辻先生と初めてお話をさせて頂き、やっぱこんな関係つくるには、膝付け合わせ話をするのが一番でしょ と思います。いろんな話を聞くことができますからね。無礼講ではありませんが、研修時の「質問」とは違い、和気あいあいと話すことができます。

1軒目で終~了~~するはずもなく、2軒目は、よくお邪魔するバー『マクリハニッシュ』で、もう少し話しこみました。お偉い先生方は、何か難しい話をしているご様子…実は違ったりして

何かと楽しい時間を過ごさせて頂きました。

2軒目で終了したのか・・・想像にお任せですね。雪も降ってるし、明日は研修だし、そんな夜更かしするはずはない でしょう。

面白い話も聞けましたし、こんな所でも人の繋がりを勉強できるのでした。

 二葉鍼灸療院 田中良和

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小さな感動

2012年03月19日 | 日常

先日、福井へ日本東洋医学会 北陸支部 特別講演会・春季教育講演会に参加した際のお話です。

会場は福井済生会病院でした。

この講演会の内容につきましては後日、ブログで更新いたします。

午前中で講演会が終了し、特に立ち寄るところもなく金沢へ帰ることにしました。午後からは、金沢21世紀美術館で「アウトサーダーアート展」を観に行く予定でしたから。

美術館の駐車場に到着

さあ、「アウトサーダーアート展」へ行こうか…??…何か足らない??

「あっ デジカメ忘れてきた~

いろんな写真が入っていたので、本当にドキッとしました。それに一度、デジカメを野球場で忘れてきて…見つからず…という体験がありましたので、その時の心境がよみがえってきました。

さっそく、病院へ電話。

私:「日本東洋医学会に参加したものですけど、臨床講堂にデジカメを忘れてきたようです。届いてますでしょうか?」

受:「担当のものが現在帰宅したので、明日にでも連絡して頂いて、総合受付で確認して頂けませんでしょうか。ちなみに、どのようなデジカメでしょうか。どのあたりかお分かりですか。わたくし○○が承りました」

と、部署は違いますが女性の職員の方に対応して頂きました。非常に優しく明るい口調で、丁寧に対応して頂きました。

その声を聞いただけで何とか見つかるだろうな~なんて楽観的になりました。すぐに落ち着かなくなりましたが…

21世紀美術館で鑑賞し、治療院へ寄り電話を見たところ、留守電が入っていました。

受:「デジカメは見つかりましたので、翌日、お時間のある時に総合受付の方にお電話してください。よろしくお願いいたします」

というものでした。

電話の後、迅速に対応して頂いたことがよく分かる留守電でした。

何か、ほのかに温かく感動 

翌日、総合受付の方に、お礼と、昨日、電話対応頂いた女性職員の方の対応が素晴らしかったこととお礼を伝えて頂くようにとお願いしました。

たかだ電話、されど電話です。声というのは、電話越しにその人の心が分かるというものです。その女性のクリアで温かく、優しい心が感じられました。勉強になりました。

おそらく職員の方は、いつも通り、特別なことではなく、いつもの心掛けで電話対応されたのだと思います。病院側の教育がいき届いているのか、それとも、職員の方の人間性が素晴らしいのかは分かりませんが、すごく福井済生会病院のイメージが良くなりましたね。

いつも通り、自然にやれること。そして、相手の気持ちが良くなること、気分が爽快になること。

そんな対応、大切ですね。小さい出来事ですが感動してしまいました。

神様がデジカメをわざと忘れさせて、何かを伝えようとしたのか・・・と考えてしまいました。って自分の忘れ物を棚に上げて、そんな都合のいい話はありませんね。

どちらにせよ、小さな感動を与えて頂いた出来事でした。

二葉鍼灸療院 田中良和

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酔耀会 ~送別会・・・という飲み会~

2012年03月02日 | 日常

2月11日(月祝 建国記念日)、午前中は星稜高校野球部の練習を見て、午後からは岡田直樹 参議院議員の国政報告会に石川県鍼灸マッサージ師会の一人として出席してきました。その後は、石川県の若手鍼灸師が集まる研究会である酔耀会の送別会が行われましたので、もちろん 参加しました。

 岡田議員の国政報告会 会場を後にして、送別会へ向かうO先生、М先生&私。

 3人でタクシーに乗り、会場付近に到着。

「まだ時間あるね」
「ほんじゃ、送別会の前に一件行こうか」

ということで、景気づけに 『琥珀酒場』 へ行ってきました。
М先生がよく行く 『マクリハニッシュ』というバーに(私もちょこちょこお世話になってます)以前働いていた方が、ここでお昼に働き始め、ランチを始めたとか。М先生が以前、近くで会議があった際にランチを食べにお邪魔したら美味しかったとか。それで行こう  ということになりました。

1時間ほどまったりして、「ここでずっと飲んどっか」という始末。ほろ酔いオヤジは困ります…私もそんなこと言っていたかもしれません。いや、オヤジじゃないから言っていない。


さて、次が本番、送別会は、こちらもちょくちょくお世話になっている 『サントリー・ジガーバー セントルイス』 で開催されました。

  

酔耀会は18名。今回の参加者は12名。太田先生は、遠い福岡藩のほうに行く予定ということでした。今まではアイシス(金沢医療専門学校)の教諭として教鞭をとっていました。鍼灸大学を卒業と同時に学校の教諭となったわけですから、バタバタしていたでしょう。

そんな中、石川県の中でも若手の鍼灸マッサージ師が集まって研究、勉強しあう酔耀会で過ごし、何か得たものはあったでしょうかね。意外に…いや意外ではありませんが、クセの強い曲者たちが揃っているため、いろんな意味で刺激にはなったでしょう。

臨床に出て、患者さまを前にすれば、若いも、ベテランも関係なしです。いろんな学術知識を得ることは、この仕事を続けている限りやり継続しないといけないことですが、それにも増して勉強させて頂くのは患者さまの体であり、言葉であり、心身の変化なのです。その変化を捉える、気づく感性も重要な要素です。私も研鑽中

これからどんどん、いろんなことを経験していって欲しいですね。酔耀会のメンバーもこの仕事が簡単ではないから勉強します。そして刺激し合います。そして知識や技術を高めていきます。それより、この仕事に対する意識を高めていきます。鍼を打つのも、灸をすえるのも、体を押すのも、人の心が突き動かすからです。

送別会(一次会)では、そんなことをジャブ程度に皆さんから激励されていました。ジャブ程度にね。

二次会は 『安‐Bartic』 でした。  ダーツやゴルフもできるバーです。賑わってましたね。ここでは、ゴルフの部屋でゴルフをしないで、鍼灸の話に華を咲かせていました。カラオケもやりましたが。

 なんかやってますね~ 見ない事に… って、ナイスショット


ここまで来ると、徐々に、ひと~り、ふた~り、と夜の闇にさらわれていき、残っている人数が減ってきます。ど~こ~へ~行ったんだ~(お帰りになっただけですけど)。

さて、ここで終わらないのが酔耀会。熱い、熱苦しい話は続くよどこまでも。どこまでも続いたら困りますが。実はここが本番だったかもしれませんね。

四次会(最終戦)は 『Bar  Cruise』でした。

あっ 三次会がに抜けてる…三次会は 秘密の場所 で楽しんだとさ~

ここは(Bar Cruiseね)酔耀会の皆さん御用達になっているようなお店です。М先生やY先生がよくお遊びに行っているお店です。ご夫婦で仕事をされていて、奥様はパティシエでもあります。あの辻口さんのところで修行したとか。マスターも優しく、お店の空間は明る目で、落ち着くお店です。

そんなお店で、酔耀会の酔っ払い達は、いつも夜遅くまで(朝早くまで)、鍼灸や人生について熱く語ったり、ブログには書けないようなことを話すわけです。本当にうるさい客ですいませ~ん、って感じです。

さ~て、ここでは酔耀会の先輩方から福岡藩のほうへ旅立つ太田先生へ、愛の鞭が「ビシ~」「ビシ~」と打たれました。

さだ まさし 「関白宣言」ではありませんが、”かなり厳しい 話もするが 俺の本音を きいて~くれ”です。
本音を言ってくれるというのは本当に有難いことです。私も師匠のところでは9割8分くらいは叱られていました。かなりの打率ですよね。そして、私がこの仕事を始めるきっかけになった先生にも、今でも厳しい言葉を頂けます。大人になって本音で、本気で叱ってくれる、話してくれる人こそ、かけがえのない人であると思います。
そんな意味で酔耀会の先輩方の存在が、そして、今日、交わされた言葉が、太田先生にとって、そんな存在になってくれるといいな~と思いますね。

皆、厳しくもあり、優しい、言葉を放ち、太田先生の旅立ちの後押しになったと思いますね。この仕事は、やり甲斐のある仕事です。患者さまの笑顔を見た時、良くなったと喜んで頂いた時、至福の喜びに包まれます。そしてその励みを原動力として、さらなる目標へ向かっていけるのです。

その過程で皆、「あーでもない」「こーでもない」と考えて、悩み、反省し、少しずつ成長していくからこそ、患者さまの心身を診ることができると私は思っています。ですから若いうちは、いろんな壁にぶち当たったほうがいいのだと思います。
私にも壁がたくさんあります。医王山を登ると白山や立山が、そこを登ると日本アルプスが、富士山が、そして、ヒマラヤ山脈がと、登れば登るほど、達成感もありますが、次なる目標が大きく険しくなってきます。ですから、壁を示して貰えるのは有難いことなのですね。

石川県で、酔耀会で、鍼灸臨床、知識の勉強、鍼灸業界の勉強、その他、私生活 などいろんなことが勉強になり、太田先生の肥やしの一部にはなったことでしょう。この肥しを活かし、次なるステップでさらに良質の肥しをプラスし、 オオタ花 を咲かせて欲しいと思います。

応援してまっせ  頑張れ

追伸:これで終わりと思いきや番外編として、あの健康に悪~い、怖~い 「深夜ラーメン」で締めくくったのでした。いくらお酒で麻痺してるからって、深夜~時に豚骨ラーメンはないですよね。胃腸を労らないと…まあ、こんな日もあっていいかな


二葉鍼灸療院 田中良和

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ある雪の日の夕日

2012年02月24日 | 日常

北陸らしい雪雲が空一面に張り巡らされ、雪がちらつくある日

車を走らせていると、雪がやんだかと思ったら後方から急に金色の光が差し込んできました

ちょっと車を止めて、しばしボーっとただみつめ、その後に撮影

私は朝日より、夕日の素晴らしい景色に出逢うことが多いようです。

「終わりは始まり」ですしね、夕日は好きかもしれません。

ちょっとした日常の一コマでした

 

二葉鍼灸療院 田中良和

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ちょいと帰宅する前に一杯~ホテル金沢へ~

2012年02月14日 | 日常
星稜高校野球部3年生を送る会で、少し気持ちよくお神酒が入った…ということで、もう一杯だけ飲んで帰りました。



場所は、都ホテルのお隣、

ホテル金沢 16階 
   トップラウンジ『ラズベリー』


ここで少し食べて、飲んで…一人で…二人で~ご想像にお任せします

でも、何か幸せな気持ちの時って、寝るのが惜しいな~なんて私は感じるんですよね。

ということで、さらにいい気分になり、夢に入ったのでした。


二葉鍼灸療院 田中良和



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金澤翔子 書展 ~ダウン症とともに~ 

2012年02月10日 | 日常
今年は日本海側の各地で大雪です。それも記録的な大雪です。地球温暖化んん~って感じですね。金沢はそんなに雪は多くありませんが、久しぶりに底冷えする寒さがやってきております。



 今年は70~80cm級のツララがよく見られます。

  

1月29日(日)、患者さまのおススメもあり、金澤翔子さんの書展を見に行ってきました。

この日は…も、忙しい一日でしたので、スタートくらいはゆっくりと心を落ち着けてスタートしたいな~という思いもあり、午前中、金沢市の加賀料理 金沢石亭さん横にある国際交流サロンで開催している彼女の書展を見に行ったわけです。

いや~でも開催の最終日だったのでついてましたね。





  
 
上は、国際交流サロンです。日本の昔のお家ですね。廊下などを歩いているとなんだか心地良く、懐かしい感じがします。国際交流にはもってこいの日本家屋です。いいな~と素直に感じました。ここで書展をやることで何やら書がさらにひき立っていたように感じられました。


最近はあまりテレビも観る時間もないので、ダウン症の女流書道家 金澤翔子さんのことは全く知りませんでした。ここ数年、いろんなテレビなどに出ているそうです。(彼女の詳しいプロフィールはこちら…ちょっと拝借させて頂きました)YOU TUBEで動画などを見せて頂きましたが、本当に素直に真剣に、そして精魂込めて書に向かっている姿は感動しましたし、私もハッと感じたところがありました。

彼女はダウン症に生まれ、5歳から書を習い始めました。お母様が金澤蘭鳳さんと言って書道の先生であり、何か翔子さんに身につくものをと始められたそうです。翔子さん含め5名から始めた書道教室も現在では150名を教える教室になっているとか。

彼女の作品は、鎌倉にある建長寺京都の風神雷神図屏風のある建仁寺などでも書展を開催されたそうです。
また、NHK大河ドラマ「平 清盛」の題字も彼女の作品だそうですね

ハンディキャップを持って生まれてくる皆さんに仕事をさせたり、芸術をさせると、びっくりするくらい集中して、きっちりと仕事や作品をこなし、作っていくと聞きます。多くのことはできませんが、一つのことに対しては、本当に素晴らしい才能を発揮するようです。

翔子さんの書を見ると、「絵みたいやな」「動き出しそう」「立体感がある」という感覚を私は受けました。特に書や絵が分かるわけではないですが、その作者の気持ちと言うか、心から発する波動のようなものは感じることができる…んじゃないかな~なんて思ってます。

いくつかの作品の中で、私が「素晴らしい」と感じたのは、奥の部屋に展示してあった「夢」という作品と、「一期一会」という屏風になった作品でした。そして小さい作品でしたが「根」でしたね。とくに「夢」は、純粋に、そして、思い続ければ「夢」は叶うんだよという声が聞こえてきそうな作品でした。

外は寒く冷たい空気に満たされていましたが、心と体のあちこちに温かい炎が点火された感じで、心の中からホワ~ッと温めてくれる、そんな感覚に浸った時間を過ごさせて頂きました。

人の純粋な思いから生まれたものは、こうも人を感動させるんだな~と、心の奥の方から感動させて頂きました。

これからも、金澤翔子さんには頑張って頂きたいですね。そして、彼女の書展が開催されるなら再び行ってみたいです。

いい時間を過ごさせて頂きました。情報を教えて頂いた患者さまに感謝です。


二葉鍼灸療院 田中良和
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平成24年 元旦

2012年01月21日 | 日常
また、少しづつブログ報告が遅れています。時間差が縮まらない~

ということで、

平成24年 元旦の過ごし方

今年もまず氏神様である小坂神社に初詣に行ってきました。今年の初詣は氏神様のみでした。


 小坂神社の石段

最近は、初詣にしても、通常の参拝にしても、願い事よりも、仕事させて頂いて感謝、人並みに過ごさせて頂いて感謝、自分の好きなことをさせて頂いている感謝、多くの人との出会いに感謝、そんな感謝の気持ちに手を合わせています。

宮本武蔵ではありませんが、 神仏を尊び、神仏に頼まず そんな気持ちですかね。私が修行させて頂いた東洋医学研究所では、鍼灸師の技術や学問の修行はもちろんのこと、人間修養もさせて頂きます。仕事を行うのも、鍼を打つのも人間が行い、その人間を突き動かすのは心、人間性だからです。当たり前と言えば当たり前なのですが、当たり前がなかなかできないのが今の世の中です。

その修行当初、必読の書が「宮本武蔵」と「論語」、日本版の論語とも言われる「葉隠」です。

すべて覚えているわけではないのですが、ジワ~ッと自分の中に沁み込んでいるような感じがします。そんな修業時代を懐かしくも思うわけです。ここでも感謝です。


正月は小雨で、そんなに寒くもなかったので、歩いて次なる目的地へ

「一年の計は元旦にあり」

ここ最近の元旦の過ごし方は、一年の計を練るべくゆっくりと考えたいということで、ホテル日航金沢の1階にある喫茶「ファウンテン」で、元旦に読みたい書を選び、その書を読みながら一年の計を練るわけです。

昨年の反省や、今年やりたいことなど、大きく、大まかにはあるのですが、それを筋道立てて、一つの流れにしていくわけです。4時間ほど読書にふけりました。


 ホテル日航金沢のロビー

「ファウンテン」は私のお気に入りの場所でもあります。落ち着いて時間を過ごすことができるからですね。




 ケーキセットを頂き、エネルギーを少し補給しながら、読書を…

どんな書を読んだかは…ヒミツで~す(なんでやねん


 「ファウンテン」から外のイルミネーションを激写

いい書物に出会うのも、人と同じで出会いです。その一言が大きく人生の指針となるときや、勇気づけてくれるパワーになることもあります。今年の書もなかなか、今後の人生設計にとって重要な考え方を示唆してくれたな~と感じ、感謝したのでした。

今年のテーマは、当院ホームページの診療指針にも上げていますが「変化に対応できる心と身体」です。これは私自身のテーマでもあります。変化を常に捉え、小さい兆しのうちに対処し、自分の大いなる夢へ繋げていくというものです。

今年も、一人一人、一日一日の患者さまとの出会いに感謝し、幸せを感じ、そして出会った人たちが皆、幸せになれるように、自分自身を磨いていきたいと思います。また、患者さま以外でも多くの方々と出会います。その出会いは人生においてすべて意味のある出会いであろうと感じます。その出会いを大切に、心と心を繋げるように対応していきたいと思います。

今年は、いろんな意味で大きく変化する年だと思います。そして、その変化を捉えるのは自覚であり、変化をいい方向に捉えられるか、逆の方向に捉えるかは、自身の意識と認識、そして、ものの見方、考え方、捉え方しだいであるのではと思っています。

今年も「大いなる志」を持って一年を過ごしていきたいと思います。

そんなことを思った元旦でした。

今年も、治療院で、様々な活動で、ホームページで、FacebookやTwitterなどで出会う皆様、よろしくお願いいたします


二葉鍼灸療院 田中良和
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