悲しいお知らせに驚きとともに虚しさが込み上げる本日の心境ですが、そこから人生について考えさせていただきました。
昨日、鍼灸師であり兄弟子の先輩の悲報が届きました。
「まさか」
そんな思いでいっぱいでした。
私は名古屋の東洋医学研究所® 黒野保三先生のもとで、学生時代も含めて10年と少し修行させていただきました。師匠は多くの弟子を育ててきました。
不肖、わたくしもその弟子の一人で愚弟でございます。私が東洋医学研究所®に入所した当時、私を含めその年の新入所者が4名でした。当時私たち新入所者を含め12名ほどのお弟子さんが、そこで寝食を共にし、住み込みで鍼灸とあん摩のを修行しておりました。
それも各個人の部屋があるのではなく、皆同じ広い部屋に雑魚寝でした。なかなかこのような機会や体験はできないだろうと思います。そんな住み込みでの修行は、時に、なんとなく安心感があり、時に、うざく、そんな10年間は今ではかけがえのない思い出となっております。
私が東洋医学研究所®に縁あって入所させていただいたのは昭和63年。当時、先輩として住み込みされていたお一人が今回の悲報があった先輩でした。
なかなか厳しい修行時代の一日の生活、ひと月、一年のスケジュールでしたが、雑魚寝で一体感が得られていたためか、辛いのは自分だけではないと無事乗り越えることができたのかなと思います。
この先輩もカメラが好きで、サイクリングなど自転車にもご興味があり、お人柄は独特の雰囲気があり、優しく、そしていつも笑っている顔が印象的でした。いろいろとお世話になりました。
先輩は、私が入所して2年だったか3年だったか後に、ご結婚と同時に隣県の地元で開業され、その後も名古屋での研修会や学会へ参加され、勤勉に、そして地域医療のためにご活躍でした。
先輩は59歳という年齢で、あの世へ旅立ちました。
ちょっと早い旅立ちです。
ガンを患っていたそうです。
私たちの業界などの会報をみると、これがまた、あの世へ旅立つ年齢の早い方が多いのです。やはり病気を治療し、未病を治す鍼灸師は、自己の体調管理や患者さんを治療する時の姿勢などもしっかり意識しておかないといけないと、少し我に振り返り考えさせていただきました。
私も患者さんに、「私が死ぬまで鍼治療お願いしますね」とよく言われます
それは、その患者さんよりも長生きして、さらに、ただ生きるだけではなく、施術を行い、患者さんの人生を豊かに、天寿を全うできるように下支えしていかないといけない・・・ということは、健康を保持し気力、体力、胆力を充実しておかないといけないということです。
師匠は御年86歳で、いまだ現役でお仕事をやっておられます。
ここに見本があるのですが、師匠より早く逝くことは、それは師匠不幸なのだと思います。
先輩はご両親も健在ということで、師匠、ご両親の気持ちを察すると、もういたたまれなくて涙が出てきます。
奥様やお子様もさぞかし残念で、無念であったと思います。
そこで「死」から人生について考えました。
マザー・テレサさんは著書中で・・・
死の瞬間、私たちが裁かれるのは、自分の善業の数によってでもなければ
一生の間に手に入れた資格によってでもありません。
私たちは、どれだけの愛を込めて仕事をしたかによって、裁かれるのです。
と言われています。
ご家族に囲まれ、地域医療に貢献し迎えた、今の人生の終わり。先輩がもし「神」という存在から裁かれるのとしたら、天国へ行っているでしょう。
また、「生きがい論」を研究され執筆されている飯田文彦先生の著書の中の、読者からのお手紙の中で・・・
『私は、昨年△月に夫と死別しました。☆番目の子が生まれて一年後のことでした。それから苦しんで、悲しんで、私なりに自分と真面目に向き合って、ここまで来ました。カウンセリングも受け、ずいぶん楽にもなっていました。
しかし、ふと「なぜ、こんなことになってしまったのだろう・・・」と考えると、ズ~ンとお腹の底から、解決できない気持ちが湧き上がってきました。これだけが、ひとつだけ残った問題でした。
そんな時、私と同じように夫を失ったシングルマザーのサークルで、友人から『生きがいの創造』を教えてもらい、この残された問題がキレイに解けました。
夫は、理由があって、予定通り、逝くべき時に、逝ったんですね。これは私を成長させるための、人生の問題集の大問題の一つであって、夫と私が生まれる前に相談して決めておいたことだったんですね。
な~んだ、そうだったのか・・・。
私は単純です。信じるとか、信じないとかいうのではなく、これこそ自分が求めていたものだと感じるのです。全てのことには意味があるというのは、日頃から何となく考えていましたが、この世に意味のないことなどない、と思うと、一日一日を大切にしなくては、と思えるのです。
実はこの本を読む前は、夫の事故死に不審な点があり、その謎を解かなくてはと考えていました。でも今は、そんなことはどうでもよくなりました。今後の自分の毎日の方が大切だ、と思っています。
今、私はやっと「もう、大丈夫です」と言えるようになりました。この本を読み終えた時点で、やっと乗り越えられたような気がします。一年九ヶ月かかりましたが、これもきっと必要な年月だったのですね。』
と書いてあります。
先生は「人生は、生まれる前から自分自身で計画してきた問題集である」というスタンスをとっています。私もたくさん先生の著書を読ませていただきました。
先生の著書をはじめ多くの本を読ませていただき、人生の本道は決まっているのだけれど、そこにはいくつも分岐点があり、どちらの道へ選んでも、実はそれぞれ計画された道が用意されているのだと思っています。
ですから、どちらの道を選ぶにせよ、それは全て予定通りであるのだと思います。そういう意味で、人生の宿命は変えられないけど、運命は変えることができるのだと思っています。
生まれる前の世界や死後の世界など魂の世界は、科学的に証明できないことなので、信じる信じないは人それぞれの考えですが、愛する人と死別した時、やはり残された遺族の悲しみたるや、これも数値には測れない事項であり、解決が困難なものでもあります。
そんな時、悲しみのドン底から這い上がるには一定期間が必要なのだと感じますが、人生をスピリチュアルやトランスパーソナルな面からとらえ、そこに意味や価値を見出すと、上記の文章のように未来志向で立ち直るきっけになります。そして、残されたご家族の人生に活かしていくことができれば、そんな素晴らしいことはないですし、あの世へ旅立った故人もうかばれるというものです。
考え方、捉え方、思考の仕方次第で「死」も大きな学びとなり、自分を成長させていくのだと思います。
そんな意味で、先輩が残された愛の存在であるご家族も、はやく心の悲しみを拭い去り、次へのステップを歩んでいただきたいなと感じます。
また、鍋島藩で約250年前に書かれた、鍋島論語とも言われる『葉隠』という書物があります。これは「武士の心構えに関する教え」の談話を筆録して編纂されたものです。
そこの冒頭に有名な文章である
武士道といふは、死ぬことと見つけたり。
二つ二つの場にて、早く死ぬ方に片付くばかりなり。
別に仔細なし。胸すわって進むなり。・・・(後ろの文章は省略)
と書かれています。
意味は、”武士道の根本は死ぬことに尽きると会得した。死ぬか生きるか二つに一つの場合に、死を選ぶというだけのことである。別段、難しいことではない。腹を据えて進むまでである”ということです。
また、ダライ・ラマ14世は著書のなかで・・・
死について常に意識しているなら、
死が訪れても驚くことはありません。心配することはありません。
死とは衣服を着替えるようなものです。
したがって、死を迎えたとき、心の平穏を保ち続けることができるのです。
と言われています。
武士道とは・・・の方は、戦時中に使われ浅い意味で解釈されている方も多いですが、いつも死ぬ覚悟をもって生を全うすることであり、死んで尽くしなさいという意味では決してありません。
「死」は常に身近にあり、隣合わせにあるということを意識しつつ、自分の人生の中で、それに向かって・・・といういい方は変かもしれませんが、自分らしく生きることが大切なのだと思います。
そして、全力で自分の人生においてもがき、成長し、人に100%必ず起こる出来事である「死」を意識して、そこをバックボーンとして何事にも取り組みなさい。そうすることによって来たるべき「死」は安らかなるものになるのだと感じます。
本日が先輩のお通夜です。
本当にあの笑顔を思い浮かべると悲しみが込み上げてきますが、先輩の、あの世というか元いた場所への出発、ご冥福を心より祈りたいと思います。
(合掌)
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
二葉鍼灸療院 田中良和