少しずつ過ごしやすい気候となり、朝晩は肌寒さを感じるようになって来ました。
皆様、お身体の調子はいかがでしょうか
金沢気象台が発表した3ヶ月予報によると、ラニーニャ現象が発生した可能性があり、この状態が発生すると冬に日本海側は寒気を受けやすい状態になるということで12月に雪が多くなる可能性があることを発表しました。
感染症に大雪だと、商売をやっている皆様は本当に不安や心配に襲われます。
知っておくことは大切ですけど。
不安や心配は人生につきものですが、その捉え方が問題なのでしょう。それぞれの捉え方で心や身体に与える影響というのは違ってきます。
人は、奇跡的な生命の誕生「生まれる」から、その生命力が衰え全ての身体機能が停止する「死ぬ」まで、様々な出来事が起こります。100人100様の人生物語です。
ですから人が生を受けてから100%確実に起こる現実は「死ぬ」ということになります。
現在、不妊治療等を行い、子どもという掛け替えのない宝を得るために、まさしく努力をしているご夫婦がたくさん存在します。逆に様々な理由があるのだろうと思いますが年間3万人前後の自殺者も存在し、命というものは何なのかということを考えさせられます。
最近、悲しいニュースが増えています。影響力のある人の病死や自死。このコロナウイルスという存在は、そんな生と死を今一度、我々に再考して人生を送りなさいよ、生きていることは当たり前ではないのですよ、ということのメッセンジャーなのかもしれないなとも思えます。
私は、あの世があると思っています。だから生まれてくる時も自分の意志というか使命をもって、この両親を選んで生まれて来たのだと思っています。
人生を歩んでいると、自分の命を絶ったほうが楽だな~と思ったことは一度はあるのではないかと思います。しかし、そう思うだけで留まる何かがあるから、その留まる理由が大きいから、自死の選択に行く前に留まれるわけです。
ですから自死に向かっている人の気持ちが本当に分かるかというと分かりませんし、その人その人で性格や人格も違うわけですから、その人の本当の悩みの深さは本人しかわからないものです。
しかし、踏みとどまる方法や他人の別方向からの意見を聞いて光が見えたり、解決の糸口を見つけるヒントが得られることもあります。全く関係のない他人に話すこと、専門家に話を聞いてもらうことも大切なのだと思います。
人は一人では生きていけまんし、何も出来ません。協力し合うから人間の社会が成り立っています。
悩んでいる方は、こんな相談口もありますよ。
さて、人生にはなぜこんな苦労や試練があるのでしょうか
私は人としての成長=魂の成長のためなのかなと思っています。そのあたりを飯田 史彦さんの『ブレイクスルー思考~人生変革のための現状突破法~』から抜粋させていただきたいと思います。
ブレイクスルー思考とは
”「すべてのものごとには意味と価値があり、表面的には失敗・挫折・不運のように見えることも、すべて自分の成長のために用意されている順調な試練である」という信念を持つことよって、「その試練に挑戦するだけで、もう乗り越えたのと同じくらい価値がある」と考えながら、人生のあらゆる試練を楽しみながら乗り越えていこうとする思考方法である”
と書かれており(もっと本には詳細に書いてありますからご興味のある方は購読ください)、その上で、質問形式になっている第二問の解答【ある事件の犯人の疑いをかけられ、同僚や患者から冷たい目や態度をとられ、容姿を嘲笑され、自殺して訴えるしかないと考えている看護師の訴え】に対して、次のように書かれています。
マイナス思考
私は、本当に不運な人間だ。もうダメだ。この職場にいても針のムシロだ。こんな容姿で生きていく自信もない。命を絶つしかない。
プラス思考
あきらめるのは早い。ひどい不運にみまわれたが、よい方向に改善できると信じよう。時間がたてば職場のメンバーも分かってくれるかもしれない。
容姿だって、この外見に生まれてしまったものを、いまさら嘆いてもしかたがない。いろんな方法でよく見せることはできるし、こんな私でも気に入ってくれる人がいると信じよう。
ブレイクスルー思考
予定通り、私自身が、人生のこの時期に用意しておいた試練が、順調におとずれたわ。こんなに「起こるはずのない事件」が偶然に起こるわけがないもの。不思議な力が働いて予定通りに起こったに違いないわ。それではなぜ今、こんな事件に巻き込まれる必要があったのだろうか。これほど居心地の悪くなる時間が起きたということに意味があるとすれば、それは「もうそろそろ、ここを飛び出すべき頃ですよ」と、教えてくれているのかもしれない。ステージチェンジするチャンスを与えてくれているのかもしれないわ。
それに、私の容姿は、自分で選んだものなのよ。私の容姿は、これでいいのよ。順調そのものだわ。私はこの容姿を持つことによって、何を学ぶことができるのだろうか。容姿に自信が持てず暗い顔をしていると、ますます人が遠ざかってしまう。きっと、自信を持って、いつも笑顔でいることの大切さを、私は学んでいるのだわ。私がこの容姿をもって生きることができるのは、数多くの人生の中で、今回だけなのだから。
人生では自分で解けない問題は用意してないわ。こんな試練を自分に計画したなんて、私は、これほどの難問に挑戦するに値する素晴らしいチャレンジャーなのよ。だからこそ、一番してはいけないこと・・・それは、自分で計画した学びのプログラムを途中で投げ出してしまうことだわ。だって、私は自分で志願した勇気ある挑戦者なのだから。
飯田史彦さんが提案する死生観。
やはり死生学というか、生の中の死、死から考える生というものは人生を歩んで行く上で大切なことなのだと思います。自死を選択するような状況になってからでは、そのような思考はできないものだと思いますので、元気なうちといいますか、心も身体も健全な時に、このようなことを学んでおくこと、考えを深めておくことは大切なのだと思います。
最後に、大東亜戦争(第二次世界大戦)当時、陸軍少尉としてフェリピンのルバング等へ出征し、終戦後も作戦解除命令を受けることなく30年間ジャングルで任務を遂行し、昭和49年に日本に帰還した 小野田 寛郎 さんの著書『生きる』から死生観について書いてある部分を抜粋します。
「生きる」か「死す」か、
迷い迷った時、判断の基準はここにあった。
人は「生まれて」「死ぬ」これが道理である。
ならば、「生かされている」のなら、とことん、生きて、生きて、生きぬいてみよう。
決して諦観はない。
とことん闘って、その先に神が与えてくれた道がある。
その先が、どんな道であっても感受する。
ただ、それだけのこと。
皆の心に少しでも余裕やゆとりができるスペースが出来ることを願っております。
最後までお読みいただき、ありがとうとざいます。