二葉鍼灸療院 院長のドタバタ活動日記

私が日頃行っている活動や、日々の鍼灸臨床で感じたことなどを綴っていきたいと思います。

第98回全国高校野球選手権大会(2016夏の甲子園大会)トレーナー活動回想録2

2016年12月31日 | 高校野球

第98回全国高校野球選手権大会(2016夏の甲子園大会)トレーナー活動回想録~開会式編~に引き続き、パート2としまして、~練習・サポート編~を書きたいと思います

今夏は試合を含め5日間のサポートとなりました。

朝早くに起床し、朝食をとり、準備をして練習にでかけ、昼食、夕食、ミーティングの間に施術があるというのが大体の日程です。

私は、練習会場まで選手と一緒にバスで移動し、少し練習準備やグランド整備等の手伝いをしながら必要であればトレーナー活動を行っていきます。テーピングが必要な選手は朝、早めに起きてもらい行うか、朝食から出発までに時間があれば、そこで行います。

   

練習から帰ってきてからが私の本業であり、ここにいる意味である身体サポートの仕事を行っていきます。バッテリーを中心に施術が必要な選手を順番に指名しながらこなしていきます。
就寝もそんな遅くするわけにもいきませんので(と言いながら消灯ギリギリまでかかってました)、夕食・ミーティングを挟んで前と後に効率よく施術を行っていきます。

私は、はり師、きゅう師、あん摩・マッサージ・指圧師の国家資格を持っておりますので、特に鍼とあん摩マッサージ指圧を中心に施術を行うということになります。

あまり詳細には申し上げませんが、世の中には多くのスポーツトレーナーという民間の資格があります。日本には基本的に「スポーツトレーナー」という国家資格はありません。
あえて言えば(公財)日本体育協会が認定するアスレティックトレーナー(JASA-AT)がそれに当たるでしょう。さらに言えば、だからと言って身体に対して施術を行う行為は許されているかと言えば、許されていません。

トレーナーというと、いろいろなカテゴリーに分かれるかと思いますが、身体に触れてケアする「施術」を行うトレーナーであれば、私の所持する国家資格か、医師、理学療法士、柔道整復師などの国家資格を取得しないと本来は施術してはいけません。
この有資格の施術者の間でもやっていい施術と、やっていけない施術があります。このあたりが混同してしまっているのも考えものですが・・・
このあたりを書いていくと、これだけで永遠文章が続いていくので、ここで終了しますが、「治れば何でもいい」という声もよく聞かれますが(そうなのですが)、スポーツ障害を発症しての施術者や治療院選びには、やはり日本国の一定のルールを守っている所を選んでいただきたいなと思います。

さて、練習についていくと選手の動きがよくわかります。わかってもなかなか対処できない場合もあるので、まだまだ私もトレーナーとしての精進が必要なのですが、選手の動きを見るのと、見ないのとではやはり身体へのアプローチや言葉がけも変わってきます。

    

調子のよい選手、調子の悪い選手、その日の動きの悪い選手、特に施術が必要ないなと思う選手など、いろんなタイプが出てきます。そんな状態を見ながら練習終りなどに声をかけて、施術の順番を決めていくのです

今大会での星稜に関しては練習ではかなり皆、動きが良かったように思います。

ただ万全の態勢かと言うと万全ではありませんでした。これはトレーナーとしての私の責任も大いにあるのですが、すべての選手がベストの状態で、自分のパフォーマンスを甲子園球場で出せる状態であったわけではないことが私としての最大の悔いであり、反省点でもありました。

何とかここへ向けて、怪我のないカラダづくり、早期発見する予防体制を整えていかなければならないと強く感じた大会でもありました。

選手への細かいアプローチ方法については、ここでは詳細に書くことはできませんが、先ほど書いたように鍼とあん摩マッサージ指圧施術を中心にストレッチや運動法を組み合わせながら施術をしていきます。

マッサージ方法や鍼治療に関しても、いろんな方法がありますので、今後、さらに痛みを軽減し、よりベストな状態で試合に臨めるような施術方法や組み立てを構築していく必要があります。

また、トレーナーは基本、目薬であっても薬を渡してはいけません。そんな中で、選手によっては眠れない、鼻が詰まるなどの筋骨格系の不調以外の愁訴を訴える選手もいるわけです。
病院に罹ることが必要な場合もありますが、そこまででない、そんな症状に対しては鍼灸治療がよく効果を及ぼします。心身のリラックス(副交感神経優位)にも効果を発揮できるのも良いところです。

   頭に鍼ささってま~す 誰でしょ~

また、トレーナーは朝起きてから眠りにつくまで、ほぼ動きっぱなしであり、自分の体調管理も大切になってきます。選手やチームスタッフに迷惑をかけては本末転倒ですから・・・

とりとめなく書いてきましたが、選手の身体サポートを通して、やはり活躍してくれれば嬉しいし、逆に活躍できなければ「昨日のこの鍼が効かなかったかな」、「もう少しあそこを施術しておけばよかったかな」と、自分の責任の重さを感じ自己嫌悪に陥ることも多々あります。

そう、選手が活躍できなかった、試合に出れなかったのは、トレーナーの責任でもあるのだと思いながらいつも活動、勉強、研修しています。

星稜高校野球部のベンチ入りメンバーには、厳しい状況の中でも、いつもの力を発揮して、いい試合を展開して欲しいし、その積み重ねが勝利へとつながると思い施術を行っています。
体調は悪くはありません。あとはあの甲子園の雰囲気をどう自分のものにしてしまうか、なのかなと感じながら最終日のサポートを終了させていただきました。

そうそう、甲子園では練習場が割り当てられるわけですが、もう少しここを練習しておきたいという時に、やはり各地に散らばって活躍している星稜高校野球部OBや関係者の繋がりというのが強く感じられます。またそこで頑張っている選手たちも手伝いにきてくれたりし、現役選手たちにも大いに刺激になることもあるのです。

 

そんな時、「やっぱスポーツってええな~」と思うのです

練習お手伝い、ありがとうございま~す

何か本当に書きたいことを羅列してきました。

長くなりましたが、~練習・サポート編~を終了します。次回は、~試合編~となります。ご興味のある方は見てやってください

 

監督、選手は記者さんからのインタビューも受けないといけないからたいへん。

 


最後までお読みいただき、ありがとうございます

 

 

 

   二葉鍼灸療院 田中良和

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第98回全国高校野球選手権大会(2016夏の甲子園大会)トレーナー活動回想録

2016年12月31日 | 高校野球

さて、第98回全国高校野球選手権石川県大会~決勝~に引き続き、2016年夏の甲子園大会のトレーナー活動回想録を書いておきたいと思います

 

7月27日(火)、石川県大会で優勝を決めた星稜高校野球部の選手やスタッフは先に甲子園へ向け出発していました。私は優勝から細々とトレーナー活動の準備を行い、8月6日(土)のお昼過ぎまで診療を行い、大阪へ向け資機材とともに車で向かいました。

星稜高校野球部トレーナー帯同の場合は、患者さんから同意を得られている・・・かどうか分かりませんが、休診させていただいての帯同となります。ご迷惑をおかけしております
当院ご来院の患者さんには、この時期、いつもご理解いただいて、心より感謝しております。が、本当は従業員を育てて、休診しない体制を整えていくのが理想なのだと思います。そうしていけるように精進します

さて、今年から石川県代表の宿舎が伊丹空港のそばから、大阪中心部の淀屋橋に変更となりました。

  地下には温泉もありますのでgoo

宿舎へは19時30分ごろ到着。久しぶりに大阪市内や都市高速を走りました。名古屋などもそうなのですが、車が多くて車線がたくさんあると緊張度が増すのは私だけでしょうか

宿舎到着後、監督、部長、スタッフの皆さんと会食し、翌日は開会式で朝も早いとのことで早目に就寝ということになりました。私は宿舎のトレーナールームとなる部屋で荷物をばらし大まかな準備を行い、明日からのトレーナー活動に備えました

トレーナールームです

翌7日(日)より選手とともに生活するトレーナー活動が始まります。今回もいろんな反省点や気づきをいただくことができました。

さて、朝、5時に起床し6時半に甲子園へ向けて出発しました。

7日は、開会式でした。星稜高校は大会第4日目の第3試合(相手は、和歌山県代表 市和歌山高校)ですので、開会式後は記念撮影を行い、昼食後、練習場へ向かうという日程でした。

近年では、第95回、第96回、第98回と星稜高校野球部に帯同させていただきましたが、試合はもちろんなのですが、この開会式前の球場周辺の雰囲気から球場内のザワザワ感、開会式が始まり選手が入場してくるシーンは、いつも鳥肌が立ち、奮えます。

毎年、毎年、同じ形で行われるわけですが、開会のファンファーレが鳴り 栄冠は君に輝く の演奏が始まると、もう私の中にある熱い何かがざわめき、動きまくります

第98回高校野球開会式

 今大会の参加校は3874校。そのうちの49代表がこの晴れの舞台で試合を行う権利を勝ち取りました。惜しくも出場を逃した高校の方が多いのは当然ですが、だからこそ、この場で感動のドラマが生まれるのだと思います。

私が現役のころはレギュラーではなかったですし、また、甲子園一歩手前で涙を飲んだことが多く出場できませんでしたから、毎回毎回、この大会に帯同すると感動してしまいます。

開会式は無事終了し(選手もさることながら、いつも演奏隊の皆さんが熱中症で倒れないか心配になります)、心引き締めてトレーナー活動に臨むのでした

ちなみに、今大会は開会式を一日遅らせて8月7日~21日の間で開催されました。
皆さまもご存じ、リオデジャネイロオリンピックの開会式が8月6日に行われるための対応ということでした。

【NHKリオ】開会式

リオオリンピック・パラリンピックでは連日、日本人がメダルラッシュの活躍、さらに、メジャーリーガーのイチロー選手の大リーグ通算3000本安打達成という偉業もちょうど重なり、本当にいろんな刺激がバンバン感じられる第98回全国高校野球選手権大会だったと思います。

トレーナー活動時は常に高校野球映像かオリンピック映像をテレビで流していました

トレーナー活動回想録~開会式編~ 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

次は、~練習・サポート編~を書かせていただきますので、また見てやってください

最後までお読みいただき、ありがとうございます

 

   二葉鍼灸療院 田中良和

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第98回全国高校野球選手権石川県大会~決勝~ 星稜 vs 日本航空石川

2016年12月30日 | 高校野球

年末になりましたが・・・今更ながら今夏の星稜の戦いを少し振り返ります

ずっと今年中に更新しようとしていたのですが、ズルズルと~ ということで年末になってしまいました

 

7月に行われた、第98回全国高校野球選手権石川県大会決勝戦を、そんなに詳細ではありませんが振り返りたいと思います。

 

 第98回全国高校野球選手権石川県大会 ~決 勝~

    平成28年7月27日(火)  開始;13時  終了;15時17分  石川県立野球場 

    ~決 勝~

       星 稜  日本航空石川

          一  二   三   四  五  六  七  八  九   合 計    H    E  
        航 空 0 0 0 0 2 2 0 1 0  5  12 1 

   星 稜 0 0 0 1 0 0 4 2 X  7  9  1

          優 勝:星稜高校  2年ぶり18回目の夏の甲子園出場

                     ※大会通算本塁打数 30本(大会タイ記録)
                     ※星稜チーム大会本塁打数 9本(新記録)

 

試合は、星稜が1点先制するも、中盤、相手打線に先発の1年生竹谷君がつかまり2点を献上し逆転を許し、2年生の小倉君にスイッチするも6回に2点を献上し追加点。次に3年生の前井君にスイッチ。前井君のテンポよい投球で相手の攻撃の流れを断ち切りました。ここで終盤の試合の流れを星稜に引き寄せたのではないかなと感じました。3年生の仕事をきっちりやってのけてくれました。
6回終了時点で4-1と、追いつけない点数ではありませんが、雰囲気が「不味いな~」という状況でした。

     

5回からは相手投手が佐渡君からエースの打田君にスイッチ。打田君も序盤いいピッチングでしたが、投手交代で何かリズムが変わったかなと試合が終わって感じたのでした。

7回裏には四球や相手エラー、そして連打で4点を奪い逆転。ここ最近、逆転の星稜と呼ばれる粘りを発揮しゲームをひっくり返しました。

ここで注目しておきたいのは星稜の下位打線や代打陣の勝負強さです。大事な場面で代打を命じられ、その打率は10割近いという越中君の活躍、意外性の男の活躍が大きな力となった大会でもありました。この試合でも大事な終盤に2打点を挙げる活躍でした。

意外性なんて言えないですよね~。

本当に、もう少し早めの逆転をお願いしたいところでした。心臓に悪い悪い。

8回からは2年生エースの清水君がマウンドにあがりますが、1点を献上し同点。その裏、星稜は連打で1アウト1・3塁と勝ち越しのチャンスをつかみました。ここで打席の清水君が敬遠されて満塁策がとられます。

 

後々の監督対談で、航空石川の中村監督はスクイズで勝ち越しはされたくなかったと、バントをきっちり決めてくる清水君を敬遠したとか・・・その後、一人倒れ2アウトで9番の2年生キャッチャー川岸君が打席に立ちます。

ここでも注目は、川岸君の今大会の打力は9番ではないということです。主軸を打ってもいいほどチャンスに強く、ホームランを打てる長打力もあるという状況の中で、今大会ナンバーワン本格派投手である打田君との、勝負しかないこの場面は、野球ファンとしては見ごたえがあったと思います。
星稜関係者としてはヒヤヒヤでしたが~。

力と力のこの勝負、見事に軍配があがったのは川岸君でした。外角のストレートを右中間に打ち返す2点タイムリーを放ちゲームを決めました。 シビレました~

最後は、清水君がきっちり打ち取り優勝を勝ち取りました。

逆転で勝ちをつかみ取る諦めない粘り強さは大いに評価されますが、甲子園勝利に向け課題も多くみつかった試合結果でもありました。

四死球や細かい守備の乱れなどがないと仮定したなら、星稜の勝ちは微妙だったと思います。それだけ航空石川のチームとしての精度も高かったですし、きっちりした野球をされていましたので、いいチームだという強い印象が残りました。

2016の夏の石川県大会も熱く、ドキドキ、ハラハラ、ワクワクな展開してくれました。

チーム星稜高校野球部 選手の皆さん、ありがとう

そして、監督、部長、副部長、コーチのスタッフの皆さん、お疲れさまでした

保護者の皆さまのご苦労さまでした

 

来年もあの聖地へ行きましょう 行きたい

私も多くの反省点を踏まえて、トレーナー活動を頑張っていきたいと思います

最後までお読みいただき、ありがとうございます

 星稜高校野球場へ帰っての、優勝後ミーテイング

 

    二葉鍼灸療院 田中良和

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人に接するときの言葉

2016年12月29日 | 言葉のちから 心のちから

さて、2016年もあと3日をきりました。
何か、年末を感じさせない一年が毎年続いているような気もします

そして、これまたお久ぶりの更新です

先日、診療の中での患者さんとのお話から、私も振り返り反省して、常に気をつけておく必要があるなと思ったことがありましたので書かせていただきたいと思います。

 患者さんとの会話 

「先日、通院している病院に紹介状を書いてもらい、〇〇病院(総合病院)へ行き、MRI撮影をお願いしてきたんですが・・・」

「はい、どうなりました?」

※患者さんの患部に塊があることは分かっているのですが、それがどのような状態なのかというのを精査お願いされたようです。

「私、手術するつもりはないので、検査だけお願いしますと話したのですが、担当医の先生に、「手術をしないのであれば検査はできません。ここはそんな暇なところではありません。検査だけなら違う病院を紹介します」と強い口調で言われました・・・」

「それで、どうなりました?」

「それと、「紹介していただいた△△病院の考え方もおかしい」と、周りの先生と顔を見合わせて話されていました・・・。それで、◇◇病院を紹介されました。」

「検査だけなら◇◇病院でも十分環境は整っていますよ。それにしても冷たい言葉ですね~忙しいのはわかるのですけど。」

「もう、大病院はあんな感じなのかなと、診察に行って少し後悔しています。」

「忙しかったり、病院のシステムや方針があったりと、検査できないこともあるのだろうと思いますが、やはり言い方というものがありますよね。」

 会話終了 

と、非常に前向きで明るい方なのですが、少し腹立たしく、悲しく、虚しさが溢れる感じで話されていました。医療不信に陥りそうなようなことも話されていました。

これは病院を批判するものではなく、大病院も、いろいろと新しい医療システムの構築や其々の病院のシステムや方針があり、診療がすごく混雑していることは承知しておりますので、他の検査できる病院を紹介することは、この方のためにもなるのだと思います。

しかし、患者さんは「病気」というように、自分の身体がどうなっているのかという不安や恐怖を抱えて、「氣」を病んで診察の場に向かっているわけですから、検査ができなくても、忙しくても、そのために自分の心に余裕がなくても、目の前の氣を病んで来ている患者さんには、適切な言葉をかけるべきかなと思いました。

これは何度も言いますが大病院を批判しているわけでなく、私も常日頃の鍼灸臨床において、振り返り、思い返してみれば、”感情的に言葉を発したな” ”この言葉は患者さんに不適切だったな” ”もう少し違った言い方をした方が気持ちが楽になったかな”ということが多々ありますので反省材料として書かせていただいております。

特に、心身のバランス等を崩し症状や病気を発症し来院する患者さんを扱う医療従事者であればこそ大切なことは「言葉えらび」「言葉がけ」なのだと感じます。

真心をこめて相手に言葉をかけてあげること、相手のために言葉をかけてあげるには・・・どんな言葉をチョイスするのか・・・そして、言葉という波動を発することが大事なのだと思います。言葉は耳の神経だけではなく、カラダの感覚神経を伝って脳に影響を及ぼし、言葉による電気信号は、様々に脳を刺激し、最終的には自律神経等の遠心性の働きでカラダに返ってくるわけですから。

「言葉」・・・できるだけ前向きに、明るくなれるような言葉を発していくように心がけていきたいですね

特に私たち鍼灸マッサージ師はドクターの皆様よりも患者さんと話す機会が多いので、気にかけておくことが必要かなとおもいました。

 

最後に、私の好きな「中村天風さん」の言葉で締めます。

 言葉は人生を左右する

 万物の根源である気が、人間の心の中に入って観念となり、その観念が思考となる。

 そしてその思考が、一方において行動となり、他方において言葉となって現れる。

 これは人間のみが創造主から与えられた恩恵であり、他の動物にはない。

 言葉というものは、思考が結集し、それを表現するためのものである。

 言葉には人生を善くも悪くもする力がある。

 だから言葉は、人生を左右する力のある哲学であり、科学であるということが言える。

 

 言葉の暗示感化力

 言葉というものは人間の世界だけに与えられた、

 まことに何とも言えない重宝なものであるが、

 ただ上顎と下顎がぶつかり放題、思うがままにしゃべっていると、

 時として、その言葉が自分の生命や他人の生命までも傷つけることがある。

 言葉は、実在意識ならびに潜在意識をきれいにしたり、

 あるいは汚したりする両方の面の働きを持っている。

 つまり、言葉ほど、恐ろしい暗示感化力を持つものはないのであります。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます

 

   二葉鍼灸療院 田中良和

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死から人生を考える(合掌)

2016年12月06日 | 日常

悲しいお知らせに驚きとともに虚しさが込み上げる本日の心境ですが、そこから人生について考えさせていただきました。

 

昨日、鍼灸師であり兄弟子の先輩の悲報が届きました。

「まさか

そんな思いでいっぱいでした。

 

私は名古屋の東洋医学研究所® 黒野保三先生のもとで、学生時代も含めて10年と少し修行させていただきました。師匠は多くの弟子を育ててきました。

不肖、わたくしもその弟子の一人で愚弟でございます。私が東洋医学研究所®に入所した当時、私を含めその年の新入所者が4名でした。当時私たち新入所者を含め12名ほどのお弟子さんが、そこで寝食を共にし、住み込みで鍼灸とあん摩のを修行しておりました。

それも各個人の部屋があるのではなく、皆同じ広い部屋に雑魚寝でした。なかなかこのような機会や体験はできないだろうと思います。そんな住み込みでの修行は、時に、なんとなく安心感があり、時に、うざく、そんな10年間は今ではかけがえのない思い出となっております。

私が東洋医学研究所®に縁あって入所させていただいたのは昭和63年。当時、先輩として住み込みされていたお一人が今回の悲報があった先輩でした。

なかなか厳しい修行時代の一日の生活、ひと月、一年のスケジュールでしたが、雑魚寝で一体感が得られていたためか、辛いのは自分だけではないと無事乗り越えることができたのかなと思います。

この先輩もカメラが好きで、サイクリングなど自転車にもご興味があり、お人柄は独特の雰囲気があり、優しく、そしていつも笑っている顔が印象的でした。いろいろとお世話になりました。

先輩は、私が入所して2年だったか3年だったか後に、ご結婚と同時に隣県の地元で開業され、その後も名古屋での研修会や学会へ参加され、勤勉に、そして地域医療のためにご活躍でした。

先輩は59歳という年齢で、あの世へ旅立ちました。
ちょっと早い旅立ちです。
ガンを患っていたそうです。

私たちの業界などの会報をみると、これがまた、あの世へ旅立つ年齢の早い方が多いのです。やはり病気を治療し、未病を治す鍼灸師は、自己の体調管理や患者さんを治療する時の姿勢などもしっかり意識しておかないといけないと、少し我に振り返り考えさせていただきました。

私も患者さんに、「私が死ぬまで鍼治療お願いしますね」とよく言われます
それは、その患者さんよりも長生きして、さらに、ただ生きるだけではなく、施術を行い、患者さんの人生を豊かに、天寿を全うできるように下支えしていかないといけない・・・ということは、健康を保持し気力、体力、胆力を充実しておかないといけないということです。

師匠は御年86歳で、いまだ現役でお仕事をやっておられます。
ここに見本があるのですが、師匠より早く逝くことは、それは師匠不幸なのだと思います。
先輩はご両親も健在ということで、師匠、ご両親の気持ちを察すると、もういたたまれなくて涙が出てきます。

奥様やお子様もさぞかし残念で、無念であったと思います。

そこで「死」から人生について考えました。

マザー・テレサさんは著書中で・・・

 

 死の瞬間、私たちが裁かれるのは、自分の善業の数によってでもなければ

 一生の間に手に入れた資格によってでもありません。

 私たちは、どれだけの愛を込めて仕事をしたかによって、裁かれるのです。

 

と言われています。

ご家族に囲まれ、地域医療に貢献し迎えた、今の人生の終わり。先輩がもし「神」という存在から裁かれるのとしたら、天国へ行っているでしょう。

また、「生きがい論」を研究され執筆されている飯田文彦先生の著書の中の、読者からのお手紙の中で・・・

 

『私は、昨年△月に夫と死別しました。☆番目の子が生まれて一年後のことでした。それから苦しんで、悲しんで、私なりに自分と真面目に向き合って、ここまで来ました。カウンセリングも受け、ずいぶん楽にもなっていました。

しかし、ふと「なぜ、こんなことになってしまったのだろう・・・」と考えると、ズ~ンとお腹の底から、解決できない気持ちが湧き上がってきました。これだけが、ひとつだけ残った問題でした。

そんな時、私と同じように夫を失ったシングルマザーのサークルで、友人から『生きがいの創造』を教えてもらい、この残された問題がキレイに解けました。

夫は、理由があって、予定通り、逝くべき時に、逝ったんですね。これは私を成長させるための、人生の問題集の大問題の一つであって、夫と私が生まれる前に相談して決めておいたことだったんですね。

な~んだ、そうだったのか・・・。

私は単純です。信じるとか、信じないとかいうのではなく、これこそ自分が求めていたものだと感じるのです。全てのことには意味があるというのは、日頃から何となく考えていましたが、この世に意味のないことなどない、と思うと、一日一日を大切にしなくては、と思えるのです。

実はこの本を読む前は、夫の事故死に不審な点があり、その謎を解かなくてはと考えていました。でも今は、そんなことはどうでもよくなりました。今後の自分の毎日の方が大切だ、と思っています。

今、私はやっと「もう、大丈夫です」と言えるようになりました。この本を読み終えた時点で、やっと乗り越えられたような気がします。一年九ヶ月かかりましたが、これもきっと必要な年月だったのですね。』

 

と書いてあります。

先生は「人生は、生まれる前から自分自身で計画してきた問題集である」というスタンスをとっています。私もたくさん先生の著書を読ませていただきました。

先生の著書をはじめ多くの本を読ませていただき、人生の本道は決まっているのだけれど、そこにはいくつも分岐点があり、どちらの道へ選んでも、実はそれぞれ計画された道が用意されているのだと思っています。

ですから、どちらの道を選ぶにせよ、それは全て予定通りであるのだと思います。そういう意味で、人生の宿命は変えられないけど、運命は変えることができるのだと思っています。

生まれる前の世界や死後の世界など魂の世界は、科学的に証明できないことなので、信じる信じないは人それぞれの考えですが、愛する人と死別した時、やはり残された遺族の悲しみたるや、これも数値には測れない事項であり、解決が困難なものでもあります。

そんな時、悲しみのドン底から這い上がるには一定期間が必要なのだと感じますが、人生をスピリチュアルやトランスパーソナルな面からとらえ、そこに意味や価値を見出すと、上記の文章のように未来志向で立ち直るきっけになります。そして、残されたご家族の人生に活かしていくことができれば、そんな素晴らしいことはないですし、あの世へ旅立った故人もうかばれるというものです。

考え方、捉え方、思考の仕方次第で「死」も大きな学びとなり、自分を成長させていくのだと思います。

そんな意味で、先輩が残された愛の存在であるご家族も、はやく心の悲しみを拭い去り、次へのステップを歩んでいただきたいなと感じます。

また、鍋島藩で約250年前に書かれた、鍋島論語とも言われる『葉隠』という書物があります。これは「武士の心構えに関する教え」の談話を筆録して編纂されたものです。

そこの冒頭に有名な文章である

 

 武士道といふは、死ぬことと見つけたり。

 二つ二つの場にて、早く死ぬ方に片付くばかりなり。

 別に仔細なし。胸すわって進むなり。・・・(後ろの文章は省略)

 

と書かれています。

意味は、”武士道の根本は死ぬことに尽きると会得した。死ぬか生きるか二つに一つの場合に、死を選ぶというだけのことである。別段、難しいことではない。腹を据えて進むまでである”ということです。

また、ダライ・ラマ14世は著書のなかで・・・

 

 死について常に意識しているなら、

 死が訪れても驚くことはありません。心配することはありません。

 死とは衣服を着替えるようなものです。

 したがって、死を迎えたとき、心の平穏を保ち続けることができるのです。

 

と言われています。

武士道とは・・・の方は、戦時中に使われ浅い意味で解釈されている方も多いですが、いつも死ぬ覚悟をもって生を全うすることであり、死んで尽くしなさいという意味では決してありません。

「死」は常に身近にあり、隣合わせにあるということを意識しつつ、自分の人生の中で、それに向かって・・・といういい方は変かもしれませんが、自分らしく生きることが大切なのだと思います。

そして、全力で自分の人生においてもがき、成長し、人に100%必ず起こる出来事である「死」を意識して、そこをバックボーンとして何事にも取り組みなさい。そうすることによって来たるべき「死」は安らかなるものになるのだと感じます。

 

本日が先輩のお通夜です。

本当にあの笑顔を思い浮かべると悲しみが込み上げてきますが、先輩の、あの世というか元いた場所への出発、ご冥福を心より祈りたいと思います。

(合掌)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

    二葉鍼灸療院 田中良和

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