人は自然の一部であり、自然界にあるすべてのものは繋がりを持っています。すべてが自然の大循環のもとに生命をリレーのように繋いでいます。
人間は文明を発達させてきた反面、この自然の大循環を断ち切り、歯止めの利かない欲求を増幅させ、産業革命以降は急速に自然環境を破壊してきました。上に吐いたツバは自分に返ってきます。因果応報、結果はなんらかの原因があるから起こるものです。今、世界の、地球の環境を人類の目線(社会通念、資本主義、お金、利権、権力など)からではなく、大自然のサイクルや、自然そのものの本質を見つめ、日常を考えていかなければならない時期なんだろうと思います。
地球も生き物なのですから…
≪木は、何のために生きているのでしょう。ただ生きるために。
木が生きることで、酸素が生まれ、根に水を貯え、葉から水蒸気を出して雨にし、水の循環を起こします。太陽のエネルギーを葉から取り出して、幹を通して根に伝え、大地に伝えているのかもしれない。根から水を吸収し、幹を通して、葉から空に放出しています。
木は、空と大地をつないでいる存在なのでしょうね。
葉や実の中では、いろんな生き物が養われています。葉が落ちれば、また土の栄養となって微生物を養います。森の豊かな土の1立方センチメートルの中には、およそ十億の微生物が住んでいます。その微生物が枯葉や動物の死骸を分解し栄養を作ります。
ミミズは、その栄養価の高い土を食べて生き、さらによい土に変える役割を担っています。
ミミズには人間のような脳はありません。けれど、ちゃんと自然の大切な役割を知っています。生きるために必要な知恵は、すべてDNAの中に刻まれているのです。≫
『幸せの種をまく コーチング・ワークショップ』
高木善之 著
自然に則した生き方とは、「生まれたことに意味があり、ただ今を生きること」なのだと思います。動物や植物の世界では自分で命を絶つことはありません。自然の原則に背いて大量に他の動物を殺傷することはありません。
さて人間はどうでしょうか
大自然から見ると、大義名分を掲げて行う戦争も、国のため、宗教のため、民族のため、一部の富裕層を潤すため、行われる戦争は人間の定める善悪の差こそあれ、すべて不自然なものであり、地球にはあるべきではない存在であると思います。
大自然から見ると、自分で命を絶つということも不自然なことになります。人間は霊長であるから他の動物とは違うのでしょうか 脳が発達したから悩みも多くなり仕方のないことなのでしょうか 誰一人として同じ環境で、同じ人生を歩んでいる人はいません。自分のことは自分にしか分かりませんが、人間の世界でも生きたいと思っていても、貧困や戦争、先天的病気などで悲しい思いをしている人はたくさんいます。
命はそこに存在するだけで意味があると思います。苦しい辛いことがあって現世界での物質的な全てを失っても、そこに”命”が存在していれば、必ず人生は続いて行きます。身体に約60兆ある細胞(核)の中に収納されているDNAの未知なる部分が発動し、希望が湧水のように吹き出てくるのだと思うのです。
人は地球を含めたすべての大自然と繋がって生きており、すべては一つなのですね。
自然は素晴らしい恵みを人に与えてくれると同様、人には全て平等に”可能性の源泉”が身体の中に内在しているのだと思います。
その源泉は、背の高い植物に覆われ、枯葉が上にかぶさり見えづらくなっているのかもしれません。
その源泉は、ちょっと違う角度から見たり、すこし苦労して草を刈ったりしていると、ひょんなことから発見されるかもしれません。
ただ言えることは、そこには”希望と可能性の源泉がある”ということでしょう。
今を当たり前だと思わず、すべての繋がりに感謝して、自分の中に内在する希望と可能性を信じて、日々楽しく、日々新たに、日々笑顔で、豊かな人生を過ごして行きましょう
大自然とともに…
二葉鍼灸療院 田中良和
人間は文明を発達させてきた反面、この自然の大循環を断ち切り、歯止めの利かない欲求を増幅させ、産業革命以降は急速に自然環境を破壊してきました。上に吐いたツバは自分に返ってきます。因果応報、結果はなんらかの原因があるから起こるものです。今、世界の、地球の環境を人類の目線(社会通念、資本主義、お金、利権、権力など)からではなく、大自然のサイクルや、自然そのものの本質を見つめ、日常を考えていかなければならない時期なんだろうと思います。
地球も生き物なのですから…
≪木は、何のために生きているのでしょう。ただ生きるために。
木が生きることで、酸素が生まれ、根に水を貯え、葉から水蒸気を出して雨にし、水の循環を起こします。太陽のエネルギーを葉から取り出して、幹を通して根に伝え、大地に伝えているのかもしれない。根から水を吸収し、幹を通して、葉から空に放出しています。
木は、空と大地をつないでいる存在なのでしょうね。
葉や実の中では、いろんな生き物が養われています。葉が落ちれば、また土の栄養となって微生物を養います。森の豊かな土の1立方センチメートルの中には、およそ十億の微生物が住んでいます。その微生物が枯葉や動物の死骸を分解し栄養を作ります。
ミミズは、その栄養価の高い土を食べて生き、さらによい土に変える役割を担っています。
ミミズには人間のような脳はありません。けれど、ちゃんと自然の大切な役割を知っています。生きるために必要な知恵は、すべてDNAの中に刻まれているのです。≫
『幸せの種をまく コーチング・ワークショップ』
高木善之 著
自然に則した生き方とは、「生まれたことに意味があり、ただ今を生きること」なのだと思います。動物や植物の世界では自分で命を絶つことはありません。自然の原則に背いて大量に他の動物を殺傷することはありません。
さて人間はどうでしょうか
大自然から見ると、大義名分を掲げて行う戦争も、国のため、宗教のため、民族のため、一部の富裕層を潤すため、行われる戦争は人間の定める善悪の差こそあれ、すべて不自然なものであり、地球にはあるべきではない存在であると思います。
大自然から見ると、自分で命を絶つということも不自然なことになります。人間は霊長であるから他の動物とは違うのでしょうか 脳が発達したから悩みも多くなり仕方のないことなのでしょうか 誰一人として同じ環境で、同じ人生を歩んでいる人はいません。自分のことは自分にしか分かりませんが、人間の世界でも生きたいと思っていても、貧困や戦争、先天的病気などで悲しい思いをしている人はたくさんいます。
命はそこに存在するだけで意味があると思います。苦しい辛いことがあって現世界での物質的な全てを失っても、そこに”命”が存在していれば、必ず人生は続いて行きます。身体に約60兆ある細胞(核)の中に収納されているDNAの未知なる部分が発動し、希望が湧水のように吹き出てくるのだと思うのです。
人は地球を含めたすべての大自然と繋がって生きており、すべては一つなのですね。
自然は素晴らしい恵みを人に与えてくれると同様、人には全て平等に”可能性の源泉”が身体の中に内在しているのだと思います。
その源泉は、背の高い植物に覆われ、枯葉が上にかぶさり見えづらくなっているのかもしれません。
その源泉は、ちょっと違う角度から見たり、すこし苦労して草を刈ったりしていると、ひょんなことから発見されるかもしれません。
ただ言えることは、そこには”希望と可能性の源泉がある”ということでしょう。
今を当たり前だと思わず、すべての繋がりに感謝して、自分の中に内在する希望と可能性を信じて、日々楽しく、日々新たに、日々笑顔で、豊かな人生を過ごして行きましょう
大自然とともに…
二葉鍼灸療院 田中良和